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虫のこえ

2009年07月31日

 これはズバリ! 勉強になる歌です。理科系音楽ってヤツですかねえ! 
 本の中でも書いたけれど、最初は2番の歌詞の出だしは「♪きりきりきりきり きりぎりす…」だったそうです。僕たちが習ったときは、すでに「こおろぎや」でしたが…。
 いわば、これは言葉の調子に合わせて、「♪きりきりきりきり きりぎりす…」と歌ったんでしょうね。
 でもきりぎりすって、きりきりって鳴かないから変わったとされています。
 ところが今回調べたら、きりぎりすはこおろぎの古い言い方だったんですって!! 
 だから、間違いではなかったんですね。


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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。
本をクリックすると立ち読みできます。

村祭

2009年07月24日

 お祭りって大好きですが、日本の祭りというものの発祥は、実は収穫を祈るところからきているわけですね。
 日本人は言わずと知れた農耕民族。一年をかけて米を作ります。
 宮城県の民謡に「米節」という歌があります。♪米という字を分析すればよ、八十八度の手がかかる・・・と歌います。
 そのとおり、草取りからはじまり収穫までは実に手がかかります。そして秋の収穫、これが終われば冬支度。やっと一年の終わりに近づくのです。
 そしてその労をねぎらい祭りが行われるようになりました! 
 こんな大切な日本の行事、お祭りを歌った歌こそが、「村祭」なのです。
 今また学校で教わる歌に復活してうれしい一曲です。


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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。
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われは海の子

2009年07月17日

 九州・鹿児島の仕事って、実は年に数回あるんですけれど、去年だったかディナーショーの日の前日に、ちょうど放送中だった「篤姫」の故郷、指宿(いぶすき)と「われは海の子」の歌碑を見に行こうとその地に向いました。
 レンタカーを借りて鹿児島の中心街から約15分ぐらいだったかな? 祇園の州公園という場所の広場のような場所に碑はありました。
 見て、驚きました! あまりにも大きな歌碑だったものですから。
 錦江湾を見下ろしながら・・・も、ちょっと異様な気がするほど大きな歌碑でした。
 私が今まで見た歌碑の中の最高級の大きさです。
 その大きさは何を意味しているのでしょうか? そしてなぜにこの歌碑が鹿児島に建てられているのでしょうか? 

 この曲は、明治43(1901)年に教科書で発表された歌です。
 しかしその当時の文部省唱歌は、作詞者作曲者を公表していませんでした。
 だから今も作者不詳の唱歌ってたくさんあるんですよ!
 この歌もずっとそうだったのですが、平成元(1989)年、だからつい最近になって宮原晃一郎が書いたということになったのです。
 その宮原が鹿児島出身ということなのです。
 その宮原はその後、北海道に渡っています。
 そしてこの北海道新聞の前身のひとつと言われる小樽新聞社につとめているんですね。

 けれど実は彼の作品ではないという話も、根強く残っているのです。
 「実はほんとうは・・・」というお手紙も僕自身、「童謡の謎」を書き始めた7年前にいただいています。
 研究材料として今後のなぞ解きにできれば・・・とずっと思っていました。
 「童謡の謎」シリーズの今まで7弾の中に、なぜにこんなに有名な曲を取り上げてこなかったか・・・の理由でもありました。

 そして一応今回は新聞の400字ということで作者には触れずにはじめて「われは海の子」を書いたのです。
 「日本童謡事典」などを参考に、私の本ではあえて今回、作詞・宮原晃一郎としました。
 しかし今この歌は、作者不詳とするのが正しいようです。
 その謎解き、なぜ?は、近いうちに次の“謎”シリーズで書いてみたい…そう思っています。


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十五夜お月さん

2009年07月10日

 懐かしい、あまり今聞かない歌ですねえ。
 貧しさゆえに、ばあやに暇を出したり、妹が貰われていったり・・・と、なかなか今の時世では考えられないことなのですが、でもまだまだこういう状況にある国は多いのです。
 現在世界の人口は66億人、世界中の人々が十分食べられるだけの食糧がちゃんと生産されているにもかかわらず、今5秒に一人の割合で飢えのため子供が死んでいるといいます。
 しかし今の日本では食べ残しがそれこそ日常茶飯事。なんと食料の廃棄は年間2000トンだそうで、残念なことに日本の廃棄量は世界ナンバーワンなのです。
 こういった歌を通じて、今の平和に感謝しながらも今の現状を人々に伝えていきたい…と私は思っているのです。

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五木の子守唄

2009年07月03日

 民謡を童謡の本に入れるのはいかがなものか? という質問をいただいたことがありました。
 この歌は私の童謡シリーズの第一弾「案外、知らずに歌ってた 童謡の謎」から登場しています。
 子供の唄にはわらべ歌や唱歌、愛唱歌、先回書いた「椰子の実」のようなラジオ歌謡もテレビのアニメソングもあるし、外国曲やクリスマスソングと様々。
 しかしこれらは厳密にいえば童謡とは言えません。
 しかし子どもが口ずさむ歌なのだから“童謡”でいいと私は思うのです。
 「千の風になって」もアンジェラ・アキさんの「手紙」など若人も合唱で歌う歌は童謡と言っていいのではないでしょうか? 
 そうなれば子守唄などは、一番はじめに子供が聞く歌です。
 これだってれっきとした童謡ではないですか?
 とくに「五木の子守唄」は、子供が子守っ娘として奉公に上がり、そこで歌った歌だといいます。
 つまり子供が子供(赤ちゃん)に聞かせる歌なのです。
 子守奉公の辛さが詩になり、今判明するだけでも70種類もの詩があるようです。
 五木村に取材に行った際、役場でその詩をプリントしたものを見せていただきびっくりしたことがありました。
 音丸や照菊といった日本調の民謡歌手、芸妓歌手によって広まったため、童謡というくくりがおかしいのでは? と感じた方も、この話を聞くと納得してくれます。

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椰子の実

2009年06月26日

 まあこれは本来、童謡とはいえません。
 愛唱歌、抒情歌の類いとも言えますが、実際はラジオ歌謡として生まれたんですね。
 昭和11年に「椰子の実」は生まれるのですが、この「ラジオ歌謡」を流行らせるために、ひとつの策が練られたのです。
 つまり歌った歌手が東海林太郎さんだったということ。
 東海林さんはこの2年前に「国境の町」「赤城の子守唄」、1年前には「野崎小唄」といった日本調でヒットを飛ばした昭和の大歌手で、当時の人気ナンバーワン歌手でもありました。
 そのトップ歌手が歌うことによって、「椰子の実」は大きくはばたくのです。
 今でいえばSMAPとか氷川きよしとか人気歌手が歌ったと思ってくだされば。
 日本調の歌手がこんな抒情歌をとお思いでしょうが、この年東海林さんはシャンソンの「暗い日曜日」なども歌っているのであまり抵抗がなかったのかもしれません。
 当時はどんな歌でも歌えるからこそ歌手だったんでしょうね。

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※著作権が保護された作品のため、演奏、録音は控えました。

赤い靴

2009年06月19日

 北海道にも関係している歌ですね。
 ♪赤い靴はいてた女の子・・・は、実在人物である。
 そして静岡生まれの女の子は、母とともに北海道に渡ったのです。
 しかし小さな女の子を連れて開拓に参画するのは無理なことです。
 家もない、電気もない、ましてや医者もいない未開地に幼い子を連れていくとはある意味で、死の覚悟だったのです。
 そのときに、異人さんこと宣教師夫妻に彼女はもらわれていった・・・。

 これを湾曲された話であると、取り上げている人もいるようですが、この時代に開拓のために北海道に入った人の中には、これに似たケースは確かに存在したことでしょう。
 この歌のもの悲しい詩も曲もそこに事実があったからだと私は思うのです。

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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。
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かもめの水兵さん

2009年06月12日

 僕はこの歌をおつくりになった河村光陽さんの娘さん、河村順子さんとお会いして話をしたことがあります。
 なんと童謡歌手の重鎮でありながら僕の「童謡の謎」の本を読んでくださって、小学校の音楽の先生たちの講演に呼んで下さったこともあります。

 ♪あかりをつけましょ・・・の「ひなまつり」の歌も、そしてこの戦中の最大ヒット童謡「かもめの水兵さん」もレコードとして発売したのは河村さんです。
 この歌のレコード発売は、昭和12年、日中戦争が開始された年です。
 河村さんもよくこの歌を慰問や放送で歌ったそうですよ。
 その後、声変わりで童謡歌手を引退し、「歌のお姉さん」としてテレビに登場するのは、昭和20年代の後半になってからですが、この歌と戦争がイコールしているイメージを持っている人は、河村さんだけでなくまだまだたくさんいるのかもしれません。
 考えてみれば、“水兵さん”とはまぎれもなく、兵隊さんですものね。
 可愛い歌だからこそ本質の意味を確かめながら、現在の平和をかみしめたいですよね。
 今の平和を作ってくださった“水兵さん”たちのためにも・・・。

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アメフリ

2009年06月05日

東京はこの頃、雨の日が続いています。
いわゆる梅雨時期の到来なのです。
“雨”って、どこか憂鬱になってしまいます。
そう言えば雨の歌もどっちかといえば、悲しい旋律やさびしげですものね。

童謡でも「雨」(♪雨が降ります 雨が降る・・・)や「雨降りお月」など決して楽しくない・・・けれどこの歌だけは他に類を見ません。
まるで雨降りを楽しんでいる光景が書かれています。

ところが・・・この歌のちょっと怖い裏話って知っています?
柳の下に立っている友達は、死んだ子供の霊だっていう話し。
僕は? と首をかしげているのですが、そんな話ができるほどこの歌は発表してから90年以上歌い続けられているのです。

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ひらいたひらいた

2009年05月29日

本の中で、この歌は庶民の願いを歌った歌だと書いています。
♪れんげの花がひらいた……
れんげは仏教では俗世の欲にまみれずに清く生きる象徴の花でもあるからです。
これはそんな花開くことを夢見る歌なのです。

さて、先日、7年にいちどのご開帳でにぎわう善光寺さんに行って参りました。
7年というのは、そのご開帳の年も含まれるので、実際には6年に一度、丑年と未年にご開帳されるのですが、丑年生まれことしは年男の僕にとっては何が何でも行かなければ……と、牛にひかれて善光寺・・・ならぬ、自ら運転して行ってきました。

善光寺は仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられた仏教寺院なのです。
ですから昔から絶えることなく、たくさんの人々が参詣しているのでしょうね。
さて今回日本中の方が拝するために集まってご開帳「ひらいた ひらいた」された秘仏、善光寺式阿弥陀三尊は、欽明天皇時代の552年にインドから朝鮮、そして日本に伝わったものとされていますが、そのお姿は決して現されることはありません。
そこでその仏様をお写しした仏様、つまりご分身の仏様である前立本尊(まえだちほんぞん)を7年に一度、御宝庫から本堂にお迎えして開帳するのです。
中央には阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩の「一光三尊阿弥陀如来」がお並びになっていました。

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城ヶ島の雨

2009年05月22日

実に難しい歌曲です。
クラシックの歌手が得意とする日本歌曲で、日本で最初にこの歌をレコードに吹き込み流布させたのも、声楽家の奥田良三さんです。
僕はなぜかちいさいときに美空ひばりさんや江利チエミさんが歌っていたのを記憶しています。
後々、知ったことですがふたりはこの歌をレコード化しており、特にひばりさんはシングル盤として発売しているだけではなく、テレビや公演でも歌っていたようです。
奥田さんらクラシックの人と歌い方とは違い、ひばりさんやチエミさんはこぶしを入れた、民謡調にこの歌を仕上げていました。
今回、僕もどうやってこの歌を唄えばいいのか? 悩んだほどに音域も広く困難な歌です。

作曲の梁田貞は、北海道にもゆかりの深い人です。
実はもう一曲、おなじみの作品を作曲しており、それが札幌の小学校に歌碑が立っているのです。
それが、あの「どんぐりころころ」です。
あんな可愛らしい曲を書いたあと、こんなに難しい歌曲も作曲しているのです。
どうしても同じ作曲家の手によるものだとは思えぬほどの差があるではないですか。



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※著作権が保護された作品のため、演奏、録音は控えました。

ずいずいずっころばし

2009年05月15日

わらべ歌の王者的存在の歌のひとつ「ずいずいずっころばし」。
さあてこの意味は一体何なのだろう? 
これが「童謡の謎」調べのきっかけのひとつでもあります。

ずいきという、芋がらのことであるという説からお茶壷道中の話、さらに私の処女作『案外、知らずに歌ってた 童謡の謎』には詳しく書いたのですが、茶壷やねずみなどにはちょっと艶っぽい意味が隠されているのです。
そのために、この歌は古くは、猥歌(春歌)の一種ではなかったのかとまで言われているのです。
「隠語辞典」によると、茶壷とはズバリ! 女陰のことで、さらにねずみは、月給で2~3人の客を相手し、さらに時たま待合で稼ぐ高級の私娼のことを言うのだそうです。

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アルプス一万尺

2009年05月08日

第1弾の本『童謡の風景』の表紙になったのが、この歌でした。
これは外国曲だし、アルプスと歌われているから、すぐに「アルプスの少女 ハイジ」を思い出してしまいますよね。
だからなんだか、スイスの歌だとみんな思っているんです。本当は日本アルプスの歌だと言ってはよく驚かれます。

♪アルプス一万尺 こやぎの上で……と歌う人が多いのにも笑ってしまいます。
昨年、テレビでハイヒールももこさんとりんごさんと一緒になったとき、彼女たちも、♪こやぎの上……だと信じていました。
こやぎの上に乗ったら痛いでしょう!! と言ったら、「違う違う、こやぎの背中に乗って、やぎが跳ねまわっている」それこそが、“アルペン踊り”だと言われ、「な~るほど!」と感心しました。
いやいや、感心してはいられません。
歌詞自体、こやぎではないのですから……・。
“こやり”です。
やりの上で踊る? これまた痛そうです。
違います! 
日本アルプスの槍ヶ岳のとなりにある、小槍という山というか岩山のことです。
実はその隣には、孫槍ってのも存在しているのです! 
昨年、長野の安曇野に仕事に行った際、槍ヶ岳を臨もうとしましたが、その日は曇りがちで見ることができなくて残念でした。
今年は5月いっぱいまで、長野の善光寺さんがご開帳なので、ぜひ時間を作って行ってみようと思っています。
そのときは見られるかな? 槍ヶ岳。
ちなみに善光寺さんには「ゆうやけこやけ」の歌碑もあると聞いています。
♪山のお寺の鐘が鳴る……。
長野は童謡の故郷です。
たくさんの童謡唱歌や愛唱歌の歌碑が立ち並ぶ町なのです! 

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こいのぼり

2009年05月01日

5月5日のこどもの日は、男の子の節句だっていうことはよく知られています。
この祝日は昭和23年に公布されたのですが、実は“こどもの日”にはこういう趣旨が書かれているのです。

 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる・・・

ここまではよく分かりますよね。しかしまだ趣旨は続いているのです。

 子供の幸福をはかる・・・とともに、母に感謝する。

そうです。この日は子供を育ててくれる母への感謝の日でもあったのです。
しかし、今は母の日という感じはしませんね。あくまでもこどもの日。
次の5月の第2週に母の日が設けられていることにもなんか意味がありそうですよね。
こどもの日はお母さんに感謝する日・・・だからこそ、この歌にお母さんが出てこないということも、しっかり覚えておきたいところですね! 
そうです。お母さんがこの歌に登場しないのは、お休みしているからなのです。

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しゃぼん玉

2009年04月24日

由紀さおりさんの番組にゲストに出たときこんなことを言われました。
「この歌って悲しい歌なのに、なぜあんな風に明るく歌うんですか? ってお客様に言われたことがるのよ。あなたのせいね・・・(笑)」って・・・。

ほんとうに僕がCDやテレビ、コンサートでテンポを落として、悲しく歌うようになってから、この歌の本質がクローズアップされたのかもしれません。
僕にとっては大切な歌になったし、必ずこの歌に秘められている文章を朗読してから歌うようにしています。

朗読入りの悲しい歌、「しゃぼん玉」のCDは僕の声で徳間ジャパンとビクターの2種類のCDが出ています。是非、聞いてみてください。

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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

あわて床屋

2009年04月17日

山田耕筰先生の著作権の関係で、今回録音を控えましたが、実は歌ってみました。
やっぱり楽しくてユニークな作品です。
♪チョッキン チョッキン チョッキンナ……の擬音がとてもメロディーに合っていると思います。

 それにしても、この童謡もあまり聞かなりましたね。
僕が小さいときは、よくまだまだテレビから流れていた歌なのですが・・・。
ここにところ毎週のように話していますが、歌はちゃんと伝えなければ忘れられてしまうのです。
だからこそ、こういった名作をみんなで歌い継ぎましょう。


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おぼろ月夜

2009年04月13日

「おぼろ月夜の館」というのが、長野の野沢温泉にあります。この歌の作詞者、高野辰之の記念館です。
高野が晩年を過ごしたこの町には、終焉の地の碑があるのですが・・・。

僕のうち、東京・渋谷区代々木にも高野の碑がありますが、それは住居跡。
代々木のあとに、ふるさと長野に帰ったわけですね。

菜の花畑が一面に広がるのはだんぜん、自然あふれる長野のほうです! 
久しぶりに今年は、菜の花の中、「おぼろ月夜の館」をたずねてみたいと思っています。

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むすんでひらいて

2009年04月03日

新年度が始まりましたが、いかがお過ごしですか? 
幼稚園や保育園で今なお健在の手遊び歌「むすんでひらいて」ですが、なんと小学校の音楽の教科書ができた明治14年の最初のものにも入っていたくらいとても古くから知られている歌なんですよ。

ただし歌詞も題名も当時は違っていました。
この歌は外国曲ですが、当時つけられていた題名は「見わたせば」と言うのです。
♪見わたせば あをやなぎ 花桜 こきまぜて・・・という「古今和歌集」から取られていたのです。
それが戦後に幼児歌謡として、違う歌詞の「むすんでひらいて」に変わっていったのでした。

さて本日3日。夜24時05分からTBS系ですから北海道ではHBCですね・・・! 「知らない方が幸せだった真実」という番組で童謡の話をちょっとします。
「大きな古時計」と「てるてるぼうす」のことについてしゃべる予定です。
是非、本日の深夜、御覧下さいませ!


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紅屋の娘

2009年03月27日

先日、山形新聞さんの主催でトーク&コンサートに出向きました。前日に山形に入り、そのまま新幹線で天童まで行きました。
将棋の駒の生産地としてなじみ深いこの町は、歌謡界にとって、そして童謡界にとっても大切な歌手、佐藤千夜子(ちやこ)の生まれ故郷です。

千夜子は日本におけるレコード産業スタート時に数多くの歌をレコードに吹き込み、はやらせていった「レコード流行歌手第一号」です。
NHKの「いちばん星」という朝の連続テレビ小説で取り上げられ、その名を再び轟かせました。

その千夜子の生家跡が、天童民芸館として残っているのです。行きましたよ! 
この地は昔から紅花の生産地としても有名ですが、千夜子の家は豪商で紅花なども売っていました。
つまり「紅屋の娘」とは、そのまま千夜子自身を歌ったものだったのです。
これは当時、レコードを聴く蓄音器の普及台数を遥かに越えた20万枚以上の大ヒットとなった「東京行進曲」のカップリングで歌われた愛唱歌です。
彼女は「雨降りお月」や「毬と殿さま」といった童謡もレコードで流行させましたが、「波浮の港」とともにその後、流行歌としてではなく愛唱歌として歌い継がれたのが「紅屋の娘」なのです。
生家跡の横には、共同墓地で千夜子が眠っています。
手を合わせながら、千夜子という人が日本文化にとってどれだけ大切な人かをこれからもしっかりと伝えていかなければならないと心に期したのです。
古賀政男を発掘したのも彼女ですし、あの「影を慕いて」をはじめてレコーディングしたのも彼女です。
先年亡くなったフランク永井が後に歌い、昭和36年度の「レコード大賞」を受賞した「君恋し」(♪宵闇せまれば・・・)も、二村定一とともに競作という形で昭和4年にレコード化し、ヒットさせたのも佐藤千夜子なのです。
イタリヤ・スカラ座のオーケストラで「船頭小唄」や「ゴンドラの唄」などを録音し、世界に日本の歌を届けた人でもあります。

今、ちょうどこの原稿を書いている最中に、山形民芸館から電話がありました。
あまりの偶然に、なんだか千夜子さんとつながっている気がしてなりませんでした。
まだ雪が降って寒い・・・とおっしゃっていました。
山形においでの折りは、みなさんぜひ民芸館に足を延ばしてみてくださいネ。

そういえば僕の誕生日は12月13日なのですが、千夜子さんのご命日は同じ日なのです。

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春の小川

2009年03月20日

「かごめかごめ」同様、「童謡~」シリーズのきっかけともなった「春の小川」。
♪さらさら行くよ・・・と歌われている部分は、はじめ♪さらさら流る・・・と書かれていたことや、その最初の詩のまま歌碑になっていることなどから、娘の「どうして?」があったわけです。

その歌碑は私の家から歩いて行ける距離にあります。
久しぶりに先日、行ってきました。
娘の「ねぇ、小川はどこにあるの?」と質問された川は暗渠となって見ることはできません。
先日コンサートの折り、ある男性がおいでになって「ここの部分は暗渠されて見えませんけれど、この流れは渋谷区内でも何箇所か見えるところがありますよ」と教えてくださいました。
今度、それも見に行ってこようと思っています。

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惜別の歌

2009年03月13日

卒業の季節ですね。

♪悲しむなかれ わが友よ・・・。
最初島崎藤村は、姉の旅立ちに思いを寄せる妹の心を描かれていましたが、太平洋戦争末期に戦地に赴く友へあてた歌として、♪わが姉よ・・・が、♪友よ・・・に変わったのです。
つまり、この歌は藤村の詩に、ただ戦友を送るというだけでレコーディングするためでも、何かの演奏会で発表するためでもなくかかれたメロディーだったのです。
自分の生活の中で、自分なりにメロディーをつけて鼻歌交じりに歌っただけ・・・といったことです。
戦争が終わり、この歌も誰も歌わなくなったのですが、どういうわけか残された人たちが歌いついだのです。

そこで起こったのが、うたごえ喫茶ブーム。昭和36年頃からです。
このブームの特徴は、外国曲やまたは地方やバスガイド、登山者など特定の中でだけ歌われていた歌たちを、みなで発掘して歌うことだったのです。
「おおブレネリ」や「アルプス一万尺」「おお牧場は緑」などその後、童謡として歌われることが多かった外国曲もここで紹介され、認知されまた。岩手県だけで歌われていた「北上夜曲」も、ボート部だけで歌われていた「琵琶湖周航の歌」もみなこのときに発掘されました。
そして「惜別の歌」もその過程を通って人々の愛唱歌に変貌を遂げたのです。
そのとき、この歌は戦友を送る歌ではなく、卒業や送別の歌として人々に歌われたのです。
当時、若手人気俳優として裕次郎と人気を二分していた小林旭が、同じく“うたごえ”で発掘された「北帰行」とカップリングでレコードを発売し、よりたくさんの人々の愛唱歌になりました。

僕も先年、「本当は戦争の歌だった 童謡の謎 CD付」の中でレコーディングしましたが、いい歌ですね。
テレビで1回とステージでも2~3回しか歌ったことないけど、これからはコンサートのメニューの中に入れていきたい楽曲ですね。

あ~あ、今回は長かった!!

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さくら

2009年03月06日

桜は日本の国花です。
ふるさと、北海道はまだまだ桜にはほど遠いですが・・・。そろそろ南から始まる桜前線の北上が開始しそうです。
東京は靖国神社の決まった桜の木の花が咲くと開花宣言されます。
開花をニュースで知らすのですから、やっぱり国花と言っていいわけでして・・・。

さて、2月28日に靖国神社で童謡コンサートを開催してきました。
ひな祭りコンサートの親子の集いなのですが、年々大人の方が僕のコンサートを見に来てくれる割合が増えているような気がします。
去年までは「たなばたコンサート」だったのですが・・・。
童謡イコール子供のものという観念はもう薄れてしまったのかもしれませんね。


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埴生の宿

2009年02月27日

「埴生の宿」は、この連載のスタート直後に書きました。
実はこれを書いてから、本になりましたが意外なミス・プリントを今回発見してしまいました。
この道新ブログのために譜面を見ながら歌ったわけですが・・・。2番の歌詞、♪瑠璃の床も うらやまじ…。丁寧に本にはルビで“るりのゆかも”と書いています。しかし、これは“るりのとこも”が当たりなのです。
考えてみれば、埴生の宿とは貧しいおんぼろな家といった意味ですが、たとえこんなおんぼろな家であっても暖かくて楽しいわが家、ふわふわとした布団、ベッドだってうらやましくなんてない…と歌っているわけです。
“とこ”つまり“寝床”のことをさしているのです。
“ゆか”では意味が判明しないではないですか? フローリングのことでしょうか? それとも床暖房? 
でも考えてください。この作品は明治時代の歌ですから、フローリングやら床暖房なんかあるわけありません。まして、たたみの生活が普通の日本人の感覚の中に、うらやましい“ゆか”など存在しないはずです。
では、どうしてこんな間違いが起きたのでしょうか? 
実はとても有名な譜面集などで、わざわざ“ゆか”とルビを振っているものが多々あったのです。そのため、それが孫引きされてしまったようなのです。
新しい僕の本の増刷分からは、“ゆか”のルビが外されていますが、あなたの持っている本はどうなっていますか? ルビ付き? おや、それはお宝の方ですね(笑)。
もちろん歌は“とこ”と歌っていますので、お聞き下さい。


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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

浜千鳥

2009年02月20日

新潟でも千葉でも埼玉でも、それに高知や三重でコンサートをしたときも、「この街の歌です」と言ってからよく歌う歌です。
作曲した弘田龍太郎は高知の生まれ、少年期は三重の津で過ごしていたため歌碑が経っていて、さらに作詞家の鹿島鳴秋は新潟の柏崎海岸で、この詩を作ったとされています。さらにそのときの住まいは埼玉県浦和市であり、また歌われている、♪親を探して鳴く鳥…、つまり娘が亡くなった千葉県房総半島と、どこの地も「この街の歌」と言う歌なのです。
先日、デビューが童謡歌手だった島倉千代子さんとご一緒に埼玉でステージをしたときに、母子(おやこ?)共演で「浜千鳥」を歌わせて頂きました。
いい思い出になりました。


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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

山寺の和尚さん

2009年02月13日

これはわらべ唄として、昔からあった歌を服部良一さんが編曲してジャズコーラスとして発表してから誰もが知る歌となりました。
一昨年でしたか。僕が構成するショーの中で服部良一生誕100年を特集して、この歌をボニージャックスの皆さんに歌っていただきました。
実に切れがよくて、いいジャズ童謡になっていました。
「森へ行きましょう」や「静かな湖畔」などとは違った重唱で楽しめる名作です。

※著作権が保護された作品のため、演奏、録音は控えました。

リンゴのひとりごと

2009年02月06日

この歌もあまり聞くことがなくなった童謡ですね。僕もコンサートの中で一回も取り上げたことがありません。
けれどはじめて聞いたときから、どこかさびしげな歌だなと思いました。

リンゴといえば、どうしても青森、秋田といった東北を思い起こします。
ちょうどこの歌が作られた時代、戦争に向うさなかでした。そして起こった凶作。
売られてゆくリンゴが、可愛い女の子、生活のために田舎から働きに出るようになった女の子だと思われて仕方ないのです。
♪お顔をきれいにみがかれて…。
つまり、きれいな着物を着せられて、お化粧を施して売られてゆく女の子たち。
その行き場所はどこだったのか? 
考えてくるだけで悲しくなってくるのです。

世界では今も餓えた国などでは、小学生や中学生の女の子たちがそういう生活を強いられていると言います。
以前、「徹子の部屋」に出演したとき、徹子さんがおっしゃっていました。ユニセフでいろんな国に訪れたとき、アフリカの国で日本円でいえば100円ぐらいで、「私を買ってください」という子供が、カメラマンなどの男性に言い寄るのだそうです。あまりにも悲しい、けれどそうしなければ生きていけない現実がそこにあることを教えてくださいました。
日本の六十数年前も、そんなことが蔓延していたのですね。
忘れたいけれど忘れてはいけない事実がそこにあるのです。


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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

砂山

2009年01月30日

新潟・佐渡を歌った名作童謡ですが、作曲がクラシックっぽい山田耕筰のものと、民謡調な中山晋平のものが有名です。
有名です・・・と書くとほかの作曲家も書いたということになりますが・・・、実はそうなのです。
童謡最初の作品「かなりや」や「浜辺の歌」の作曲者、成田為三や国立音大の教授や宝塚歌劇団の音楽部長なども務め、童謡の作品も多い宮原禎次もこの詩にメロディーをつけているのです。
当時はひとつの詩に異なるメロディーがつくということは不思議ではなかったのですね。
どうしてかというと、童謡は最初、詩だけが作られ発表されるのが普通だったからです。

では誰が一番最初に曲をつけたのでしょうか? 
この詩を書いた北原白秋は新潟での童謡音楽会で講演し、その後聞いてくれた2000人ほどの子供たちに向って
 「新潟の童謡を今度つくろう」
と約束したそうです。
そしてこの詩が雑誌「小学女生」に発表されるのですが、それと同時に中山晋平の曲も一緒に発表されていたのです。
それが5年後の昭和2年(1927年)に耕筰もメロディーをつけ発表するのです。
そこには晋平、耕筰の熾烈な作曲家としてのトップ争いがあったとも、耕筰がちょうど金に困り楽譜集を作るため、その一曲としてメロディーを当てたとも言われていますが、そこらは次の本でしっかりと書きたいな・・・と思っています。


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こうま

2009年01月23日

この唱歌、知っている人はもう相当なお年かもしれませんね(失礼!)。でも僕はちゃんと小さいときにこの歌を母から教わりました。
たぶん小学一年生の時だと思うのですが、母と妹と3人でピアノを弾いたり、まじめに歌を歌ったりしてその頃のオープン・テープに家族コンサートのような形で録音したことがあります。
いまでも記憶しているのですが、1曲目は僕が「はち」と自分で曲を紹介して、習いたての「ぶんぶんぶん」をピアノで弾いたのです。そんな中で母が歌ってくれたのが、この「こうま」だったのです。
今回久しぶりに歌ってみてとても懐かしく感じました。


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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

金太郎

2009年01月16日

先週の「あんたがたどこさ」もどこか日本の歴史を感じるのですが、この「金太郎」も実在人物とよばれていたりして、調べましたねえ。この話も面白かった。
これはね『歌になった「日本昔ばなし、伝説」の謎』という本で書いたのです。

「童謡の謎」シリースとは直接関係がないのですが、結局は「金太郎」や「花咲かじじい」など童謡、唱歌にまつわる昔話を取り上げたので、今では童謡シリーズの一つに数えられるようになりました。
僕の推理は金太郎のお母さんは山姥だと言うが、お父さんは一体誰だったのか? というところです。
今回の本では少しさわりを書いたつもりですが、もっとじっくり読みたい方はぜひ、読んでください。
ぼくのHPでも本は販売されていますので、サインして送りますね! 
ぼくのHP は「童謡の謎」か「合田道人」でも一番にヒットしますんで・・・。
こちらも一度遊びに来てください!!


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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

あんたがたどこさ

2009年01月09日

この歌を最初に取り上げたのは「童謡の謎2」でしたが、どうも小さいときからひっかかる歌ではあったんですよね。
「煮てさ焼いてさ喰ってさ・・・」って子供の歌にしては実に残酷極まりないでしょう。
昔はタヌキを食べることもあったんでしょうが、実際タヌキは臭くて、よく言われる「タヌキ汁」というのはアナグマだという話も聞きました。
でもこれはタヌキに見立てた殺人事件ではないのか? と合田探偵、調べに調べてタヌキの正体を発見したのです。
今回の本では時数の関係上、そこまで書ききれなかったのですが、僕はこの謎解きが今までの中で一番好きかも知れない。
歴史的背景なんですなあ。家康とかも出てくるんですから・・・ぼくの推理では。
どうしても「童謡の謎2」(文庫本にもなっています~)で読んでいただきたいエピソードです。


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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

船頭さん

2009年01月02日

2009年、あけましておめでとうございます。
実は昨年は99歳で祖母が亡くなったので、本当は年始の挨拶は控えなければならないのでしょうが、そろそろ一周忌だと言うこと、そして99歳という天寿全うはもう喜ばしいことでもあるのですね。いいですよね・・・長く生きることは。
しかしおばあちゃんに、戦争の頃の話を聞いたことがあります。
この歌「船頭さん」も戦争の時代に書かれた作品でした。
戦後詩は変わりましたが、一生懸命お国のために働いた人たちを忘れることもいかがかなと思います。

一番は長く平和が続くことです。
平和な一年であるようにと思わずにはいられません。
そして現在の平和をありがたいと思う心を養いましょう。
もしそのために童謡が役立つなら、今年は全国どこへでも行ってそういった講演やコンサートをしていきたいと思います。
おばあちゃん、空から見守っていてくださいね。

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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

あの町この町

2008年12月26日

とってもさびしくなる歌なんです。
「あの町この町日が暮れる・・・」、「ああもうお外で遊べない時間なんだな…」というところから、さびしいというよりは子供心には、つまんない! 悲しい! というところなのかもしれません。
しかし、こうやってパソコンを使いこなし、携帯電話を持ち、ネットが氾濫し…という時世です。
塾が終わって、「今来たこの道かえりゃんせ…」なら意味もわかるのでしょうか? 
そのうちに外で夕方まで遊ぶことを知らない子供たちばかりになってしまうかもしれません。
とくに都会はそうですよね。
都庁がまぢかに見える場所に暮らしている私もそのひとりです。
うちの娘たちもそんな子供になっていくようで…ちょっと切なくなります。
だからでしょうか? 
この歌を子供の遊びが終わって日が暮れるではなく、命のともしびが、日が暮れるという切なさにイコールさせてしまうのは。

時代によって、歌の解釈も変わってゆくのかもしれませんが、それもそれでまたいいのかもしれません。
歌はその人その人が聞く時の心によって左右されます。環境によって聞こえ方が違います。
新しい年こそ、いい年であるように、いつも心豊かに歌が聞こえてくるようにと祈ってやみません。
そして、「今来たこの道・・・」が、遊んでいる光景だということを誰もが理解できる美しいにっぽんの再起を願います。

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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

もみの木

2008年12月19日

クリスマスソングの定番の一曲でもあるこの歌ですが、クリスマスツリーの起こりって面白いですよね。
冬になっても緑をたやさない常緑樹。たとえば松やひいらぎ、月桂樹、そしてもみの木…。実はそんなに多い数ではないのです。
だからこそ人々は、そこに神が宿っていると信じたのです。それはごく自然な発想と云えましょう。
そこに最初はいけにえ、人間が吊るされていたのです。
そこらを詳しく書き、合田説を立ち上げたのが処女作の「案外、知らずに歌ってた 童謡の謎」です。
是非、読んでみてください。

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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

船頭小唄

2008年12月12日

野口雨情作詞、中山晋平作曲といえば、僕のコンサートでは欠かせず、先日のNHK-FMの「童謡唱歌三昧」にゲスト出演した時も、話して朗読した「しゃぼん玉」を思い出します。
ほかにもたくさんの童謡を作った名コンビなのですが、この演歌の源流とも言える「船頭小唄」(枯れすすき)も二人の作品なのです。
これを「童謡の風景」に入れるのは、ちょっと心苦しかったのですが、あえて抒情歌の名作として取り扱いました。

もうひとつ理由として「波浮の港」「雨降りお月」「まりと殿様」「紅屋の娘」などをレコードを通して人々に知らしめた佐藤千夜子が、レコーディングした「船頭小唄」を聴くと、決してこれは今で言う、演歌とは違った作品に聞こえてきます。
これは大正時代に歌われていた作品ですが、当時まだレコードは普及していなかったため、いわゆる演歌師の人たちによって流行りました。
演歌師イコール演歌歌手ではありません。バイオリンを持ちながら街角や辻で歌を届ける人たちのことです。
のちでいう”流し”という職業に近い人といえるかもしれませんが、流しはお客様のリクエストに応えて歌うのに対し、演歌師はもちろんリクエストにも答えたでしょうが、新しく生まれた巷の唄を流行らせる任務をになっていた気がします。

現に「船頭小唄」だけでなく、童謡唱歌以外、つまり教科書で教わる歌以外は、「浜辺の唄」にしても「真白き富士の根」にしても「ゴンドラの唄」も、みな演歌師たちによって普及したのです。演歌師が歌うのは、演歌、今でいえばサブちゃんや冬美ちゃんが歌うような歌とは違ったわけです。ラジオもレコードも、ましてテレビや有線放送もなかったこの時代、演歌師と呼ばれる職業の人々によって、流行歌は作られ、広がっていたのです。そうなれば、今なお歌われているということはすごいことだということになります。

さらに現代まで息の長い歌として掘り起こしたのは、名優・森繁久彌さんだと思います。

森繁さん主演、昭和32(’57)年封切りの映画に「雨情」があります。詩人・雨情の悲しく貧しい暮らしの中で生まれる名作たちとの出会いを描き、その主題歌として森繁が吹き込み再ヒットさせたのです。それからは美空ひばりや森進一など演歌のスターたちが歌うようになり、いつの間にか”演歌の源流”と言われるようになったのですね。

さあ、僕は今回はどうやってこの歌を歌おうか? と思案しましたが、やはり全歌詞に息吹を込めながら歌ってみると、なかなか演歌のにおいが漂い始めました。歌は心で歌うもの・・・、演歌とは演じる歌なのだ・・・と、つくづく感じました。それにしてもほんとに悲しい歌です。そしてほんとに名作です!

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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

叱られて

2008年12月05日

この歌を知らない子供ってもう多いと思います。
いいえ、20代30代の人でもこの歌を知らないでしょう。
僕もこの歌を「よく歌っていた」という記憶はありませんが、やたら恐ろしい、嫌いな歌だったことは覚えています。

それは北海道の三笠時代ですから、もう40年も前のことです。
当時、幼稚園が家のすぐ後ろにあったのですが、おゆうぎかいで何かのレコードに合わせてみんなで踊ったことがありました。
その曲を自分で持っていたオープンデッキに録音しておきたくて、父に頼んで幼稚園の先生にそのレコードを貸してもらったことがあります。
その踊りの歌は何だったのか? 覚えていませんが、そのレコードにはほかに3曲収められていました。
その一曲が「叱られて」だったのです。
そのとき、僕ははじめて「叱られて」を聞きながら録音したのですが、とても怖い感じがしたのです。
♪ゆうべ・・・のところからマイナーになって、コードもディミニッシュが使われていたんですね! 
今回、周平とレコーディングしながら、その不気味で怖い印象の解明ができました。
同時に「こんときつねが・・・」と出てくるのが怖かったんですね。
そう言えばきつねは人を化かすという話をなぜか僕はずっと信じていたのですから・・・。

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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

証城寺の狸囃子

2008年11月28日

「月の沙漠」と並んで千葉県の歌としておなじみで、とても可愛いくて愉快な歌です。
この歌を作った野口雨情は、千葉県木更津に講演に行ったとき「木更津を舞台にした童謡を作ってください」と依頼されました。
木更津には、あの歌舞伎、それから歌謡曲でもおなじみになった「お富さん」の“斬られの与三郎”の墓なるものが存在します。
一度は雨情も「お富さんと与三郎の童謡を・・・」と考えた。けれどやくざの大親分の情婦の歌は作れなかったとか?

そこでタヌキ伝説となったわけです。
この話はなかなか面白くて、深読みするとちょっと、いやお富さんなんかより、かなり卑猥な裏話もありそうで…。
そこらは「童謡の謎 2」に詳しく書いてあるから読んでいただければ・・・。
ふ~ん、なるほど! そんなバカな! といった感じの話を書いてますから!!

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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

故郷の空

2008年11月21日

 これは童謡の謎シリーズのひとつ、「本当は戦争の歌だった 童謡の謎」の中で取り上げて、そこに付いているCDに新鋭の大竹英二くんのハーモニカに合わせて歌いました。
 何しろほのぼのとしたいい歌で、今でもよくコンサートの一曲として歌っています。
 しかし、今コンサートや講演では必ず、この歌は外国曲であること、そして「♪ゆうぞらはれて あきかぜふき…」の「故郷の空」の歌詞は、原詩に忠実ではないこと。どちらかといえば、同じメロディーで歌われている「♪誰かさんと誰かさんが 麦畑 チュッチュッチュしているいいじゃないか…」の歌詞のほうがより近いことをお話します。
 みんな「へ~」って、喜んでくれる歌です。
 今回はまじめに故郷・北海道を偲びながらピアノで歌ってみました。とても好きな歌です!

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*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。

単行本「童謡の風景」を発刊して・・・

2008年11月20日

 昨年の春から北海道新聞で連載している「あの日の歌景色」がとても好評だと言うことで、この秋に「童謡の風景」というタイトルで単行本化されました。
 今年になってから、「この歌はどんなうたですか?」という質問にお答えしながら、歌も録音し、このブログで私の歌も聞いていただけるようになりました。しかし今回、本になった歌のほとんどはこのブログ開設前に新聞に載った歌ばかりです。
 本が発売されて、おかげさまで全国で売り上げが伸びて・・・というのも各地の新聞社で同じ内容の本が、中日新聞からとか中国新聞からとか新潟日報からとかというように10社から発売されているのですが、まだ発売1カ月ほどでたくさんの方に読んでいただきました。そしてそれと同時に、前回と同じように「この歌、どんな節だったっけ?」と言うような質問が、多く寄せられているのです。
 ということで先日ピアノで、本に収録されておりまだ録音していない歌を全部録音しました。
今回の本は春夏秋冬・・・の順に書き並べられていますが、あえて季節のとおり、秋をスタートして冬、春、夏の順番に一曲一曲のエピソードなどを書き添えながら、皆さんにお届けしましょう!
 今までどおり、北海道新聞紙面と連動したブログは掲載日に更新していきます。それと交互に「童謡の風景」分も毎週金曜日に更新する予定ですので、読んで聴いてください。明日、11月21日スタートです。ブログ画面の右側「カテゴリー」から
「童謡の風景」全曲集
を指定していただくと、本に収録したものだけを選ぶことができます。


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プロフィール

プロフィール

合田道人
ごうだ みちと。1961年(昭和36年)、釧路市生まれ。高校在学中に渡辺プロダクションからシンガー・ソング・ライターとしてデビュー。翌年数々の新人賞を受ける。その後、音楽番組の構成、司会、CD監修・解説に加え、作詩・作曲など多方面で活躍。著書「案外、知らずに歌ってた~童謡の謎」などで童謡ブームの火付け役となり、「歌う作家」として講演・コンサートで全国をまわっている。
07年4月から北海道新聞で「あの日の歌景色」を連載中。

歌を聴くには

「歌を聴く」ボタンをクリックすると、タイトルの歌を聴くことができます。

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※録音物の著作権は、北海道新聞社、ミュージック・オフィス合田に帰属します。

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