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線路は続くよどこまでも

2010年06月15日

 6月になってから「続・あの日の歌景色」として書いていますが、実は続になってから今まで載っていた歌詞が連載されていないんですよね。
 あまりにもたくさんの方から「どうして?」と聞かれるものですから、ここでお詫びと説明をしておきましょう。

 5月までに取り上げた歌は、作詞者の権利がもうなくなっている作品ばかりだったのです。
 新聞は道新だけではなく、全国で16紙も連載されていましたので、とてつもない発行部数でした。
 著作権の管理は、作者が没後50年を経ると権利がなくなるのですが、それまでは新聞や雑誌、本に詞を掲載するたびに著作権料を支払うシステムになっています。
 雑誌や本ならばともかく、新聞の場合は発行部数が多くなってしまうため、詞を載せることによって、莫大なお金がかかってしまいます。
 つまり単価百数十円の新聞には不釣り合いの値段が請求されます。
 とくに道新のように、北海道民のほとんどが読んでいる新聞になると計算が成立しなくなります。
 記事は全員が全員、読むわけではないですし…。
 しかもそれが全国16社もあるのです。
 そこでこの企画が始まった当初は、作詞者没後50年以上の人の歌を選んで書くという形をとっていました。
 そのため、この質問も多いのですが「なぜに赤とんぼが出て来ないのですか?」「月の沙漠はいつですか?」「ぞうさんは? 大きな古時計は?」と案外、有名な作品を取り上げられない状態にあったわけです。
 そこで「続」からは、みなさんからのリクエストに応えるべく、まるで取りこぼしたような有名な作品がどんどんと書かれるようになったのです。
 つまり、そこにもしも歌詞が載っていなくても、思い出すことができるような作品を並べることにしたわけです。

 「線路は続くよどこまでも」も、「みんなのうた」で古くから取り上げられていましたし、僕が中学生の頃は、武田鉄矢さん率いる海援隊がこの歌を「みんなのうた」で歌っていたことも記憶しています。
 明るくてわくわくしてくる、遠足や旅行のおともとも言うべき爽やかな青春ソングであり童謡といって差し支えありません。
 ところがこの歌の原詩をよく読むと、楽しい明るい歌なんかじゃなかったんですね。

 これはアメリカの西部開拓のため、命を捧げて働いた線路工夫たちの悲しみが描かれていたんです。
 自分たちを励ますためにこんなに明るいメロディーをつけて…。
 訳してみると「線路工夫の仕事は果てしなく 息絶えるまで…」といった悲哀の歌なのです。
 新聞上のため記事の字数の関係上、あまり詳しく書くことはできませんでしたが、そこにある苦しみとの戦いは「こんなに不思議 こんなに哀しい 童謡の謎2」(祥伝社・文庫本化もされています)で書いてありますのでぜひそちらもご一読願いたいです。

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プロフィール

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合田道人
ごうだ みちと。1961年(昭和36年)、釧路市生まれ。高校在学中に渡辺プロダクションからシンガー・ソング・ライターとしてデビュー。翌年数々の新人賞を受ける。その後、音楽番組の構成、司会、CD監修・解説に加え、作詩・作曲など多方面で活躍。著書「案外、知らずに歌ってた~童謡の謎」などで童謡ブームの火付け役となり、「歌う作家」として講演・コンサートで全国をまわっている。
07年4月から北海道新聞で「あの日の歌景色」を連載中。

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