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かなりや

2010年06月29日

 日本最初の童謡です。

 今月の終わり、ちょうど今は札幌に来てます。
 今日29日には「チェリア」開館10周年を記念して「あの日の歌景色」の講演会があります。
 9月9日の道新ホールの前哨戦って感じなると思います。
 今回もピアノの周平と一緒で、できるだけ9月9日とダブった選曲にならないようにと考えましたが、やはり7月1日が近いということでこれはやってみることにしました。
 7月1日は童謡の日なんですね。
 そこで、カナリヤのできたいきさつを話して歌いました。

 この歌って残酷な詞が目につきますけれど、新聞では書かなかった話をここで。
 このたとえられた“歌を忘れたかなりや”とは、スランプに陥っている人という感じなのですが、実際はこの詞を書いた西條八十の思いが詰められていました。
 八十は、詩人を目指していたにもかかわらず、兄が放蕩三昧で結局は、彼が一家を支えなければいけなくなりました。
 そのため、詩人をあきらめ生活のために働きました。
 そうです! まさに“歌を忘れたかなりや”だったのです。
 しかし八十はこの作品を最初にめきめきと詩人として生計を立てることになります。
 あきらめず、そしてたとえその仕事につけなかったとしても、チャンスを待つ。
 周囲も“歌を忘れてしまった”からと言って、捨て置いたりつらく当たったりしてはいけない…そう意味がこの歌には込められています。

 スランプに陥ったとき、やさしく人のことを見つめてやることも、とても大切だし、それに応えるように頑張ることが必要だということを童謡最初の歌は教えてくれています。

大きな古時計

2010年06月22日

 今回取り上げた「大きな古時計」も、先週の「線路は続くよどこまでも」と同じく、まだ著作管理下にある歌ですが、全歌詞を載せなくとも、最近、平井堅によって大ヒットしたこともあり、子供からおじいさん、おばあさんまでほとんどの方々が歌える作品ですね。
 反対に歌詞があっても分からない歌と言うのはあるものなのです。

 さてこの歌も、「線路は続くよ…」と同じく外国の作品です。
 ♪100年いつも…ずっと動いてきた、おじいさんの大きな時計の歌ですが、訳詞される前の、つまり原詩をひも解きながら歌ってみると違う箇所が出てくるという面白いエピソードでまとめてみました。
 100年ではなく、原詩では90年だったり、おじいさんの分身みたいにおじいさんが、亡くなったら時計も一緒に止まったりします。実はその止まった理由も原詩には書かれていることも新聞には書きました。
 “おじいさんが死ぬとき、時計はまだかすかに時を刻んでいた”となっています。
 ねじを巻いてくれていた時計も主を失い、最後の力を振り絞って鐘を鳴らす。やがて時を刻むのをやめ、後を追うように時計も一緒に天国に上(のぼ)っていったのです。

線路は続くよどこまでも

2010年06月15日

 6月になってから「続・あの日の歌景色」として書いていますが、実は続になってから今まで載っていた歌詞が連載されていないんですよね。
 あまりにもたくさんの方から「どうして?」と聞かれるものですから、ここでお詫びと説明をしておきましょう。

 5月までに取り上げた歌は、作詞者の権利がもうなくなっている作品ばかりだったのです。
 新聞は道新だけではなく、全国で16紙も連載されていましたので、とてつもない発行部数でした。
 著作権の管理は、作者が没後50年を経ると権利がなくなるのですが、それまでは新聞や雑誌、本に詞を掲載するたびに著作権料を支払うシステムになっています。
 雑誌や本ならばともかく、新聞の場合は発行部数が多くなってしまうため、詞を載せることによって、莫大なお金がかかってしまいます。
 つまり単価百数十円の新聞には不釣り合いの値段が請求されます。
 とくに道新のように、北海道民のほとんどが読んでいる新聞になると計算が成立しなくなります。
 記事は全員が全員、読むわけではないですし…。
 しかもそれが全国16社もあるのです。
 そこでこの企画が始まった当初は、作詞者没後50年以上の人の歌を選んで書くという形をとっていました。
 そのため、この質問も多いのですが「なぜに赤とんぼが出て来ないのですか?」「月の沙漠はいつですか?」「ぞうさんは? 大きな古時計は?」と案外、有名な作品を取り上げられない状態にあったわけです。
 そこで「続」からは、みなさんからのリクエストに応えるべく、まるで取りこぼしたような有名な作品がどんどんと書かれるようになったのです。
 つまり、そこにもしも歌詞が載っていなくても、思い出すことができるような作品を並べることにしたわけです。

 「線路は続くよどこまでも」も、「みんなのうた」で古くから取り上げられていましたし、僕が中学生の頃は、武田鉄矢さん率いる海援隊がこの歌を「みんなのうた」で歌っていたことも記憶しています。
 明るくてわくわくしてくる、遠足や旅行のおともとも言うべき爽やかな青春ソングであり童謡といって差し支えありません。
 ところがこの歌の原詩をよく読むと、楽しい明るい歌なんかじゃなかったんですね。

 これはアメリカの西部開拓のため、命を捧げて働いた線路工夫たちの悲しみが描かれていたんです。
 自分たちを励ますためにこんなに明るいメロディーをつけて…。
 訳してみると「線路工夫の仕事は果てしなく 息絶えるまで…」といった悲哀の歌なのです。
 新聞上のため記事の字数の関係上、あまり詳しく書くことはできませんでしたが、そこにある苦しみとの戦いは「こんなに不思議 こんなに哀しい 童謡の謎2」(祥伝社・文庫本化もされています)で書いてありますのでぜひそちらもご一読願いたいです。

肩たたき

2010年06月08日

 この歌の作詞者は西條八十さんです。
 この名前を「さいじょうはちじゅう」と読んでしまう人が多くて意外にびっくりです。
 正しくは「さいじょうやそ」ですが…。
 この先生は「かなりや」という童謡詩にはじめて曲がつけられレコード化された、童謡にとっての記念すべき第一号曲“歌を忘れたカナリヤ”の作詞の先生です。
 これが作詞人生のスタート作品でもあるわけです。
 「かなりや」のほかにも、「毬と殿さま」「お山の大将」などの名作童謡もありますが、西條八十といったら、やはりレコード歌手第一号の佐藤千夜子の「東京行進曲」をはじめとする、レコード産業隆盛期の歌謡ヒット作詞家としての名前のほうが大きいのかもしれません。
 ちょっとだけ、西條作品の代表的なものをあげてみますと…。
 「支那の夜」「蘇州夜曲」、映画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」や「誰か故郷を想わざる」。
 戦後になっては、かの「青い山脈」だったり、「ゲイシャ・ワルツ」だったり。
 それに島倉千代子のデビュー曲「この世の花」や当時は、“戦後最大のヒット曲”と言われた村田英雄の「王将」と続々出てくるわけでして・・・。
 まさに歌謡演歌の世界の大ヒットメーカーなのです。
 しかし同時に大正時代に作られ、今も忘れられず歌われている、♪母さんの肩をたきましょう…の作詞家である…というのが、またカッコいいではありませんか。
 先日亡くなった吉岡治さんという作詞家の先生がいます。
 代表作は「さざんかの宿」であり「天城越え」であり、ひばりさんの「真赤な太陽」なのですが、彼のデビュー作も戦後を代表する童謡「おもちゃのチャチャチャ」なんですよね。

めだかの学校

2010年06月01日

 6月が始まりました。
 今日から北海道新聞では「続・あの日の歌景色」としてまた毎週火曜日に、皆さんにお目にかかることになりました。
 道新さんはじめ、大きな4社が主催してくれることになった9月9日の「合田道人30周年コンサート あの日の歌景色」開催も近いので、これからよろしくお願いします。
 と、言うことで…おとといから北海道札幌に仕事に来ています! 
 昨日は主催のひとつに名を連ねて下さった北海道文化放送(UHB)の「のりゆきのトークDE北海道」に生出演をさせて頂きました。
 もちろん、コンサートの話もさせて頂きましたが、結構問い合わせが多くって。
 まだチケットは販売されていませんが…。

 さて、今月からはよりおなじみの作品を選りすぐってお届けします。
 その新装第1回目は「めだかの学校」です。
 僕も大好きな歌で、レコーディングもしている歌なのですが、この可愛い童謡は戦後に作られた童謡です。
 歌い始められて5年で教科書に載るようになって、平成になっても歌われていたのですが一時掲載が中断されてしまいました。
 けれども昨年の教科書には選曲されていることが判明しました。
 この歌は作者、茶木滋さんの息子が「ここはめだかの学校だよ」と言ったことから制作されたという話があります。
 しかし息子さんは当時6歳だったという話も、3歳だったという話もあり、3歳だったら「めだかの学校とは発想しないのでは?」という疑問を投げかけた女性童謡研究者がいるらしいのです。
 しかしながら、子供の発想の突飛さやすごさは、全く大人の域を越えることがあるのです。
 現に私が「童謡の謎」を始めたきっかけは、娘の「ずいずいズっころばし…って何?」の素朴な質問からだったのですから。
 だから「3歳だからあり得ない!」と、大人の寸法で片付けてしまうのはあまりにも淋しい限りです。
 茶木さんの息子さんのためにも、近々年齢は一応確かめておこうと思っていますが…。

プロフィール

プロフィール

合田道人
ごうだ みちと。1961年(昭和36年)、釧路市生まれ。高校在学中に渡辺プロダクションからシンガー・ソング・ライターとしてデビュー。翌年数々の新人賞を受ける。その後、音楽番組の構成、司会、CD監修・解説に加え、作詩・作曲など多方面で活躍。著書「案外、知らずに歌ってた~童謡の謎」などで童謡ブームの火付け役となり、「歌う作家」として講演・コンサートで全国をまわっている。
07年4月から北海道新聞で「あの日の歌景色」を連載中。

歌を聴くには

「歌を聴く」ボタンをクリックすると、タイトルの歌を聴くことができます。

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※録音物の著作権は、北海道新聞社、ミュージック・オフィス合田に帰属します。

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