先日、山形新聞さんの主催でトーク&コンサートに出向きました。前日に山形に入り、そのまま新幹線で天童まで行きました。
将棋の駒の生産地としてなじみ深いこの町は、歌謡界にとって、そして童謡界にとっても大切な歌手、佐藤千夜子(ちやこ)の生まれ故郷です。
千夜子は日本におけるレコード産業スタート時に数多くの歌をレコードに吹き込み、はやらせていった「レコード流行歌手第一号」です。
NHKの「いちばん星」という朝の連続テレビ小説で取り上げられ、その名を再び轟かせました。
その千夜子の生家跡が、天童民芸館として残っているのです。行きましたよ!
この地は昔から紅花の生産地としても有名ですが、千夜子の家は豪商で紅花なども売っていました。
つまり「紅屋の娘」とは、そのまま千夜子自身を歌ったものだったのです。
これは当時、レコードを聴く蓄音器の普及台数を遥かに越えた20万枚以上の大ヒットとなった「東京行進曲」のカップリングで歌われた愛唱歌です。
彼女は「雨降りお月」や「毬と殿さま」といった童謡もレコードで流行させましたが、「波浮の港」とともにその後、流行歌としてではなく愛唱歌として歌い継がれたのが「紅屋の娘」なのです。
生家跡の横には、共同墓地で千夜子が眠っています。
手を合わせながら、千夜子という人が日本文化にとってどれだけ大切な人かをこれからもしっかりと伝えていかなければならないと心に期したのです。
古賀政男を発掘したのも彼女ですし、あの「影を慕いて」をはじめてレコーディングしたのも彼女です。
先年亡くなったフランク永井が後に歌い、昭和36年度の「レコード大賞」を受賞した「君恋し」(♪宵闇せまれば・・・)も、二村定一とともに競作という形で昭和4年にレコード化し、ヒットさせたのも佐藤千夜子なのです。
イタリヤ・スカラ座のオーケストラで「船頭小唄」や「ゴンドラの唄」などを録音し、世界に日本の歌を届けた人でもあります。
今、ちょうどこの原稿を書いている最中に、山形民芸館から電話がありました。
あまりの偶然に、なんだか千夜子さんとつながっている気がしてなりませんでした。
まだ雪が降って寒い・・・とおっしゃっていました。
山形においでの折りは、みなさんぜひ民芸館に足を延ばしてみてくださいネ。
そういえば僕の誕生日は12月13日なのですが、千夜子さんのご命日は同じ日なのです。

*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。