野口雨情作詞、中山晋平作曲といえば、僕のコンサートでは欠かせず、先日のNHK-FMの「童謡唱歌三昧」にゲスト出演した時も、話して朗読した「しゃぼん玉」を思い出します。
ほかにもたくさんの童謡を作った名コンビなのですが、この演歌の源流とも言える「船頭小唄」(枯れすすき)も二人の作品なのです。
これを「童謡の風景」に入れるのは、ちょっと心苦しかったのですが、あえて抒情歌の名作として取り扱いました。
もうひとつ理由として「波浮の港」「雨降りお月」「まりと殿様」「紅屋の娘」などをレコードを通して人々に知らしめた佐藤千夜子が、レコーディングした「船頭小唄」を聴くと、決してこれは今で言う、演歌とは違った作品に聞こえてきます。
これは大正時代に歌われていた作品ですが、当時まだレコードは普及していなかったため、いわゆる演歌師の人たちによって流行りました。
演歌師イコール演歌歌手ではありません。バイオリンを持ちながら街角や辻で歌を届ける人たちのことです。
のちでいう”流し”という職業に近い人といえるかもしれませんが、流しはお客様のリクエストに応えて歌うのに対し、演歌師はもちろんリクエストにも答えたでしょうが、新しく生まれた巷の唄を流行らせる任務をになっていた気がします。
現に「船頭小唄」だけでなく、童謡唱歌以外、つまり教科書で教わる歌以外は、「浜辺の唄」にしても「真白き富士の根」にしても「ゴンドラの唄」も、みな演歌師たちによって普及したのです。演歌師が歌うのは、演歌、今でいえばサブちゃんや冬美ちゃんが歌うような歌とは違ったわけです。ラジオもレコードも、ましてテレビや有線放送もなかったこの時代、演歌師と呼ばれる職業の人々によって、流行歌は作られ、広がっていたのです。そうなれば、今なお歌われているということはすごいことだということになります。
さらに現代まで息の長い歌として掘り起こしたのは、名優・森繁久彌さんだと思います。
森繁さん主演、昭和32(’57)年封切りの映画に「雨情」があります。詩人・雨情の悲しく貧しい暮らしの中で生まれる名作たちとの出会いを描き、その主題歌として森繁が吹き込み再ヒットさせたのです。それからは美空ひばりや森進一など演歌のスターたちが歌うようになり、いつの間にか”演歌の源流”と言われるようになったのですね。
さあ、僕は今回はどうやってこの歌を歌おうか? と思案しましたが、やはり全歌詞に息吹を込めながら歌ってみると、なかなか演歌のにおいが漂い始めました。歌は心で歌うもの・・・、演歌とは演じる歌なのだ・・・と、つくづく感じました。それにしてもほんとに悲しい歌です。そしてほんとに名作です!

*** この作品の歌詞とエッセイは「童謡の風景」(北海道新聞社刊)に収録されています。