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春よ来い

2008年03月18日

 可愛い童謡ですよね。ちいさいとき、“歩きはじめたみいちゃん”が自分の妹のような気がしてならなかった事をおぼえています。でもなんだかずっと、“みいちゃん”のことを“みよちゃん”だと思い込んでいたのはなぜだろうか? 浅田美代子が歌ったりしてたのかな~? なんて思うんだけれど・・・。

 でもこの“みいちゃん”は、実在人物だったのですね。この歌の作者、相馬御風(そうま・ぎょふう)の娘のことを歌っていたのです。以前、まだ童謡を研究する前に新潟にある相馬御風記念館にいったことがありました。多分、何かのショーで行った時だけれど、確かその会館と隣り合わせの場所にあったと思うんですよね。この相馬御風という人は童謡だけではなく、日本歌謡史に欠かせない人物でもあります。日本の流行歌第一号とよばれ、レコードにも録音されている「カチューシャの唄」(♪カチューシャかわいや 別れのつらさ)の作詞を、島村抱月とともに担当した人でもあるのです。これは帝国劇場で上演されたトルストイ原作の「復活」の劇中歌として作られ、野性的な名女優、松井須磨子が舞台から歌った歌でした。大正3(1914)年のことです。妻子ある早大教授、島村抱月と恋に陥り、ともに立ち上げた芸術座はこれ一本で人気の劇団となり、当時はまだ普及していなかったレコードとしても発売されました。この曲を作ったのが、抱月の書生をしていたまだ無名時代の中山晋平。晋平もまたこの一曲で亡くなるまで、日本作曲界の父としてあがめられるようになるのです。しかし晋平の恩師、抱月は大正7(1918)年11月5日、世界的に流行していたスペイン風邪がもとで肺炎で死去。須磨子は、その2ヵ月後の大正8(1919)年1月5日、牛込横寺町の芸術座倶楽部で自害し、愛人のあとを追ったのです。そしてその5年後、抱月とともに「カチューシャ~」を書いた御風は、自分の娘をモデルに、今の世にも伝わるあたたかくて可愛らしい名作童謡の「春よ来い」を発表するのです。人の人生はまさにさまざまだなと思います。

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仰げば尊し

2008年03月11日

 うちの娘たちがそろって、中学校と小学校を卒業します。4月からはともに高校、中学に入学です。「大きくなったなあ・・・」と、思いながらも、今月は家族みんなで久々にぼくたち夫婦のふるさと・北海道に旅行に行きます。(温泉とか行っても、男は僕ひとりだけで面白くないんですけど・・・)。さてこの「仰げば尊し」を聞くと、今でも必ず涙があふれてくるという人は数多いものです。やはりどんな時代でも、この多感な時代の恩師や友人との思い出は格別なものなのでしょう。

 僕は高校(札幌光星学園高校)3年生で歌手デビューしました。デビューしたその日が「8時だョ!全員集合」の出演でした。その次の週はこの番組、次の日がこれ・・・といった具合で、実は高校の卒業式に出られなかったのです。つまり卒業式で「仰げば尊し」を歌えなかったのでした。

 そんなこんなで、卒業式を終えたあとに3月、札幌で「卒業コンサート」を行った想い出があります。あの時期、僕のバンドは「道人の遭遇」という名前でした。ちょうどヒットしていた映画「未知との遭遇」にひっかけてだったのですが・・・。先輩のミュージシャンがいて、その中には今、W-inds.(ウインズ)として大活躍の龍一君のお父さんのMさんもギターとして参加してくれていました。ほかにクラスメートだった森君と松村君がそれぞれベースとキーボードを担当していたんですが、その回だけは3人でのコンサートでした。「卒業コンサート」ですからね。

 スタートは結構、ぎらぎらした衣装を着て歌いましたが、後半は全員で学生服を着て登場! 会場の女の子たちが「キャー」と叫んで迎えてくれました。アイドルだったのですね(笑)

 そして僕はピアノを弾きながら、この「仰げば尊し」を歌ったのです。今考えてみると、アイドルというか、あの時代にコンサートで童謡唱歌系を歌ったのはこれが最初で最後でした。と、言うか童謡コンサートを開くようになってからも一回もこの歌は歌っていません。今回この企画「道人と歌おう あの日の歌景色」の「歌を聴く」がなかったら、もう歌わない歌だったでしょう。

 今年の3月はちょうど卒業シーズンに2ヶ所で神奈川ですが、2時間のワンマンコンサートがあります。僕にとっても想い出深いこの歌を、今年は歌ってみようと思いました。

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通りゃんせ

2008年03月04日

 実はこの歌には、思い出があるのです。三笠市に住んでいたときだったでしょうか、幼稚園のおゆうぎかい(学芸会)で、この曲に合わせて踊ったことがあるのです。それも主役、お母さん役だったのでしょうか? ゆかたにねんこ、あねさん被りのように手ぬぐいを頭に巻いて、子供(人形)を背負って、♪通りゃんせ 通りゃんせ……と、門番の役か何かに頼みながら天神様の細道を歩く役だったような気がします。今、思えばあれは女装だったのかな? いやはや、前の年も学芸会の主役(それは良寛さんだったと思う)だったので、今年もやるのか・・・ぐらいのものであまり気にしなかったけれども、考えてみればゆかたの色は白地に赤い模様がついていた気がするな。まあ自分の思い出は横に置いといて、この歌には何しろ質問が多い歌なのです。「行きはよいよい 帰りはこわい」って何なのか? って。僕はそのおゆうぎ会のとき、その詩に合わせて踊ったからか、それを子供時分、不思議だとは思わなかったのです。多分、子供だから、行きは昼間だから明るいからいい気分だけれど、その天神様にお参りして帰るとき、夜も遅くなって暗くなって怖いという意味にでもとらえていたのかもしれません。
 さて、本当はどんな意味だったでしょうか? 新聞では行数が足りずに書ききれませんでしたし、ここでもブログがただただ長くなる気がします。宣伝ではないのですが、一番は私の本、『こんなに不思議 こんなに哀しい童謡の謎2』(単行本)、または「案外、知らずに歌ってた 童謡の謎 2」(文庫本)を、ぜひとも読んでいただきたいのですが、ちょっとかいつまんで。
 まず実際、この歌は“わが町の歌”と言っている場所はかなり多いようです。それは♪天神様の細道じゃ……と、歌っているからでしょう。なぜかと言うと、学問の神様である菅原道真を祀る天神社は、全国に一万ヶ所を超すと言われているからです。この歌をおぼえるのは幼少期です。たとえば自分のまちや、家の近くに聞きなれた天神様があったとすれば、まさか全国に何ヶ所も天神様があるとも思いもよらないので、自分のまちの歌だと思い込んでも仕方ないということなのです。大体が神社というものは、鳥居があっても神様の前の道はあまりだだっ広いものではありません。だから、天神様の細道も“ぴったりだ!”と感じてしまいます。それが、たとえ大きな神社だったとしても、それならそれで細い道のひとつやふたつ存在するわけですから、やっぱり “ここの歌”と感じてしまうでしょう。
 現に本宮、太宰府天満宮も「通りゃんせ発祥の地」と言っていますが、やはり一番この手の本で登場してくる「通りゃんせ」発祥の神社が、埼玉県川越市にある三芳野神社です。当時、神社が城内にあり、そこは年に一度だけ庶民の参拝が許されていたといいます。お城の中ゆえにきょろきょろ当たりを見回す庶民に向かって、侍が見張りして「まっすぐ前を見て進め!」と怒鳴る。それが「こわい」と言っているのだというのです。でも、♪この子の七つのお祝い……に来ている歌なのだから、庶民が年に一度だけお参りすることとは別物になってしまいます。なんだか腑に落ちません。
 そこでこの歌がどうやって一般的に流布したかを調べてみると、今の形になったのは大正時代で、そのとき詩が今のようになってレコード、さらにラジオの放送で全国的に知られるようになりました。では大正時代に「七五三」の歌になったのか? と思いきや、江戸時代からやっぱり、♪この子の七つのお祝い……と歌われていました。しかし、違うところがあったのです。♪ご用のない者通しゃせぬ……と現在歌われているところが、本当は、♪手形のない者通しゃせぬ……だったのです。手形とは通行手形。明治時代になってそれは、なくなりましたが、どう考えてもこれは関所越えの歌なのです。大正時代に作られた際に、子供たちは知らない“手形のない者”から“ご用のない者”に換えたのは、ごく自然な発想だったでしょう。しかし、これが判明しなければこの歌の本質が分からないのです。三芳野神社ではどこか腑に落ちないのは、“手形”が消えていたからです。
 この歌は江戸時代、江戸の子供たちを中心に歌われていました、と、なれば一番身近だった関所は、箱根です。「七五三」の天神様は、江戸には湯島天神があるのでわざわざ箱根の関所まで越えて、西の天神様に詣でるはずはありませんから、反対に、箱根の関所を越えて江戸側に入ってくることを歌っていると思われます。実はそこにヒントがあったのです。お参りするとなれば、ここという有名な天神様が、箱根から江戸に向かって数里、小田原市国府津の菅原神社には、「通りゃんせ 発祥の地」の碑が建っているのです。これはなかなか有力な情報です。そうなれば箱根の関所から神社に向かい、時間まで関所に戻るとなれば、朝出ても夕方、やはり暗くてこわいも当てはまります。とくに箱根山は、もののけが住むなどとも言われるほどに昼でも暗く険しい道です。まさに、♪箱根の山は 天下の険……なのです。
 入り鉄砲と出女と言われるとおり、帰りの関所越えが容易ではなくこわい……という説もあるようですが、実は神仏参詣の関所の出入りは、意外と簡単だったようなので、その説は感心しません。私は夜になってこわい、または北海道の皆さんだったらお分かりだと思いますが、北海道の方言“こわい”は、疲れるなのです。だから私はこの歌を小さいときから不思議だと思わなかったのかもしれません。実はこの箱根近辺でも「こわい」を「堅い」と言うらしい。歩き疲れて手足も堅くなるという意味だったのかもしれません。ぜひともこれは本を読んでいただきたいストーリーです!

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プロフィール

プロフィール

合田道人
ごうだ みちと。1961年(昭和36年)、釧路市生まれ。高校在学中に渡辺プロダクションからシンガー・ソング・ライターとしてデビュー。翌年数々の新人賞を受ける。その後、音楽番組の構成、司会、CD監修・解説に加え、作詩・作曲など多方面で活躍。著書「案外、知らずに歌ってた~童謡の謎」などで童謡ブームの火付け役となり、「歌う作家」として講演・コンサートで全国をまわっている。
07年4月から北海道新聞で「あの日の歌景色」を連載中。

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※録音物の著作権は、北海道新聞社、ミュージック・オフィス合田に帰属します。

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