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冬の夜

2008年02月26日

 これは懐かしい唱歌です。学校の教科書でも習わなくなって久しいはずだし、いくら冬が長い北海道でもこの歌を歌っている子供に出くわしたことはありません。

 でもこの歌を心の歌だとおっしゃる方は、まだまだたくさんいらっしゃるようです。僕はこの歌をどうして知ったか? ちゃんとおぼえたか? それまでも何となく聞いたことはありましたが、しっかり歌詞を見ながら聞いたのは、「紅白歌合戦」の応援でチータ、水前寺清子さんがこの歌を歌ったことがあったんです。メドレーで「日本の四季」のような応援コーナーでした。実は今、そのチータとひとつのことをやっています。

 チータは今年、デビュー45周年を迎えます。それを機にここ数年、悩まされていた声帯ポリープの手術に立ち向かうことにしたのです。「どんな声になるだろうか?」。これは歌手にとっては一大事、悩むところです。僕も声帯ポリープの手術をしましたが、声は確かによくはなったのですが、ちょっとばかり声質が変わるんですね。キーも少し低くなりました。そんな中での決行です。

 チータは今「出にくい声で心で歌う」という今の自分を残しておきたいと、スタジオで何曲か僕のピアノで歌を録音しているんです。今の声も説得力あっていいんだけれどなあ。

 そこでこの「冬の夜」もやってもらおうと思っています。

 きっとはじめて「紅白」で歌ったように、本当に寒そうに、♪外は吹雪…と歌ってくれそうです。

 さて「冬の夜」の2番の歌詞ですが、今では、♪過ぎし昔の思い出語る……というところ、最初は、♪過ぎしいくさの手柄を語る……だったのです。明治45年発表の唱歌ですから、お父さんの手柄は日清戦争でだったのでしょうか? それとも、日露戦争だったのでしょうか?

 しかし昭和10年代の教科書から、すでにこの歌は教科書から外れていたのです。太平洋戦争のさなか、「過ぎしいくさの手柄」くらいでは迫力を欠くと判断されたからだと言われます。戦後になって反戦の意見が出され、「すぎしいくさ」は「すぎし昔」に替えられました。けれど、今戦争が終わって63年目。戦争を知らない世代が多くなった今こそ、こういった歌で若い世代に戦争のみにくさ、戦争の無意味さ、命の大切さを伝えることが大切だと思っています。

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真白き富士の根

2008年02月19日

 この歌は小さいとき、父が持っていた森繁久彌さんのソノシートかなにかに入っていて聞いたことはありました。この世界に入って歌謡番組やショーの構成司会を始めた頃、今年七回忌を迎える「星の流れに」「岸壁の母」の菊池章子さんもよくこの歌を歌っておられ、「ああいい歌だな」と思ったことがあります。「岸壁の母」は今では二葉百合子さんの大ヒット曲として知られていますが、最初にレコーディングし「紅白歌合戦」でも披露したのは菊池さんです。菊池さんはまだお正月番組だった頃の第1回「紅白歌合戦」から出場した人気歌手でした。その菊池さんが「岸壁の母」と同じ年にリリースしたのが「真白き富士の根」。菊池さんはタイトルの“根”を“嶺”と書いて発売しています。「七里ヶ浜の哀歌」という題名でおぼえている方も多いはずです。

 しかし、この歌は大正時代、演歌師たちによって歌われ全国に広まった歌です。ではなぜにそれが、「童謡の謎」の本(これは「童謡の謎3」「日本人が知らない外国生まれの 童謡の謎」で書いています)で僕は取り上げることにしたのか?

 実はこの歌は外国曲、それも賛美歌として明治のはじめ、日本に流れてきた楽曲です。そのメロディーに「夢の外」という詩がつけられ、学校の唱歌の教科書に入っていたわけです。それが今回書いたひとつの事件をもとに詩が新たに書き改められ、今のこの曲ができました。涙なしでは語れない、この事件は少年たち12人が冬の海でボートから投げ出され遭難、♪かえらぬ十二の 雄々しきみたまに……と歌われているのです。

 僕もコンサートの中で、この事件を書いた僕の文章を朗読した後に歌を歌うという形で欠かせない歌ですし、去年もNHKはじめ放送で流して好評を頂きました。今はもう慣れたけれど、実はこの文章(「童謡の謎3」 文庫本では「童謡なぞとき」)を書いたとき涙が止まらなくて。いろんな方々から、「本を読みながら涙で文字が見えなくなった」という声が寄せられた歌でした。命の大切さが童謡コンサートの趣旨に変わっていったきっかけの歌でもあります。

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早春賦

2008年02月05日

 2月4日が立春。つまり暦上ではこの日から春だと言うことになります。でも北海道は、いや今、僕が住んでいる東京だって、♪春は名のみの風の寒さや・・・ですよね。立春とはいわばお正月のこと。今でも神事などでは2月4日から新年となります。一部の占い本や運命学本、たとえば九星気学なども、2月4日以前生まれの人は前の年扱いになりますし、実際はあの厄年、厄払いというのも、2月4日が基準になるそうです。
 前日、2月3日の節分、これは「こんなに不思議 こんなに哀しい童謡の謎2」に詳しく書きましたが、読んで字の如く、季節を分けるという意味です。だから本来は、立春、立夏、立秋、立冬すべての前日を節分とよんでいました。それが室町時代から、一年の最後の日、つまり大晦日にあたる立春の前日だけを節分とよぶようになったのです。新たな年がいい年であるように、邪気を払うと考えられていた豆を投げるわけです。「鬼は外 福はうち」は、新年への祈りというわけです。新しい年こそ、いい年でありますように・・・。
 さて、新しい年、立春がやってきました。「早春賦」は、その新年が来たのに、まだまだ寒いという歌なのです。この歌をはじめて聴いたのは、いつだったか? ただおぼえていることは、出だしのメロディーが、「知床旅情」と同じだ! と思ったことです。
いや、「早春賦」ができたのは大正時代、森繁久彌さんが「知床旅情」を「紅白歌合戦」で歌ったのが昭和37年。さらに僕が小学生だった昭和46年になって加藤登紀子さんが「知床~」をリバイバルヒットさせます。恐らくその後になって、僕は「早春賦」を聞いたのでしょう。だから「知床~」に似てる! と・・・。逆に大人たちは「知床~」を聞いたときに、♪春は名のみの・・・に似てるな・・・、と思ったことでしょう。
 森繁さんは唱歌や童謡をレコーディングすることが多く、あの独特な節回しで「月の沙漠」も「どじょっこふなっこ」「荒城の月」も歌っています。「知床~」は、「地の涯に生きるもの(オホーツク老人)」の映画ロケあとの打ち上げ会場で、即興的に作った歌だと言います。恐らく小さいときから聞いていた「早春賦」のメロディーが、ふと浮かんだのでしょう。しかしながらこの「早春賦」のメロディーにも下敷きにした曲があるんです。モーツアルトの後期の作品「春の歌」です。20世紀のはじめは日本人の西洋への憧れが増し、音楽家たちがヨーロッパの音楽へあこがれた証ともいえましょう。「早春賦」を作曲した中田章さんもそんなひとりだったのでしょう。中田さんの息子さんは、昭和戦後の名作「雪のふる街を」や「夏の思い出」などを作曲した中田喜直さんです。

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プロフィール

プロフィール

合田道人
ごうだ みちと。1961年(昭和36年)、釧路市生まれ。高校在学中に渡辺プロダクションからシンガー・ソング・ライターとしてデビュー。翌年数々の新人賞を受ける。その後、音楽番組の構成、司会、CD監修・解説に加え、作詩・作曲など多方面で活躍。著書「案外、知らずに歌ってた~童謡の謎」などで童謡ブームの火付け役となり、「歌う作家」として講演・コンサートで全国をまわっている。
07年4月から北海道新聞で「あの日の歌景色」を連載中。

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「歌を聴く」ボタンをクリックすると、タイトルの歌を聴くことができます。

歌が再生されない場合は再生ソフト「『Windows Media Player』(無料)」をインストールしてください。ダウンロードするには、下のロゴをクリックしてください。


※録音物の著作権は、北海道新聞社、ミュージック・オフィス合田に帰属します。

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