【SL】1970年…九州撮影旅行その4(筑豊本線・冷水峠)
2012年01月20日
1970年3月の九州SLシリーズ。今回は筑豊本線の難所といわれた冷水(ひやみず)峠です。筑豊本線は九州北端の若松から福岡県南部の鹿児島本線原田までの66.1キロの路線でした。原田は私と同じ名前で、子供のころ、時刻表でこの駅を見つけたとき、「自分と同じ名前だ。いつか行きたい」と嬉しく思ったのですが、実は「はるだ」と読むのだと後で知りました。
筑豊本線は1891(明治24)年、若松港での石炭積み出しのために建設された重要ルートでした。筑豊炭田の中心は直方(のうがた)で、1970年代まで長大な石炭列車が往来していました。
同線の終点、原田に近い筑前内野と筑前山家の間に冷水峠があります。私が訪ねた当時、まだC55、D51、D50、そのD50を改造したD60などのSLが旅客列車や貨物列車を引いていました。見通しのよい土手があり、そこをSLが煙を吹き上げて懸命に走ってきます。当時、D50やD60の命はもはや風前の灯で、私が彼らの現役に出会ったのは、このときが最後でした。
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《写真2》通称ナメクジと言われるD51形76号が旅客列車を牽引してきた。D51初期の95両は煙突後方に給水温め機を置いたため、その形状からナメクジと呼ばれた。
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《写真3》客車5両の先頭に立ち、坂を下るD50形90号。D51の先輩格で、大正生まれの貨物列車用だった。
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《写真4》D60形とD51形の重連だが、前部のD60は補機の回送と思われる。この日は荷物がなかったのだろうか。SL2両で引いているのは、たった1両の車掌車だった。
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《写真6》D60形31が大きな左カーブを下ってくる。貨車1両と車掌車1両。のどかな光景だった。
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《写真7》D51形が引く貨物列車。先頭に無蓋車2両がついている。
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《写真9》遠くからドラフト音を響かせながら、やっとC55形57の旅客列車が姿を表した。
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《写真10》同じ列車を横から撮影。C55の均整の取れたスタイルが、周囲の田園風景にマッチする。
(原田伸一)
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