第3セクター雑感@佐藤元治
2010年07月12日
「阿仁合線に乗ってきたよ。すばらしかったなぁ」
SL写真でおなじみの「どうしん鉄道研究会」の重鎮、原田先輩が声をはずませていました。阿仁合線とは秋田県の第3セクター、秋田内陸縦貫鉄道の秋田内陸線(鷹巣-角館、94.2km)のこと。86年に国鉄から転換された旧国鉄阿仁合線(鷹巣-比立内)と角館線(角館-松葉)を一本に結んだ路線として89年に開通しました。私が乗車したのは開通2年目か3年目でしたが、マタギの里と呼ばれる深山を走る、迫力のある路線でした。

<角館-鷹巣間を結ぶ秋田内陸縦貫鉄道・秋田内陸線=1991年撮影>
まさに名前通り、秋田の山中を貫く「縦貫鉄道」。山また山をトンネルと橋梁で越える車窓風景から想起されるとおり、経営もまた厳しさの連続のようです。
7月4日未明にUHB(北海道文化放送)で、内陸線をあつかったドキュメンタリーが放映されました。秋田テレビ制作の「揺れる鉄路」。存続か、それともバス転換かで揺れる地域の実情を、丹念に扱っていました。一時は100万人を超えた乗車人員は、半分の50万人に減ってしまっています。しかし、利用を続けている人たちにとっては貴重な足であることは変わりありません。地域全体の魅力をとらえ直す中で、鉄道の役割も改めて考えられるかが問われています。
鉄道の役割って何でしょう。一義的には人やモノを運ぶこと、そして私たち「鉄」にとっては、その姿が楽しみを与えてくれるものでもありますが、それだけではありません。地域の活力そのものも維持してくれるものなのです。
広島県にJR西日本の経営する可部線。全線電化の広島市の都市近郊路線ですが、2003年までは、現在の終点可部からさらに景勝地の三段峡まで46.2kmもの鉄路が延びていましたが、鉄道で三段峡へ向かう客はほとんどいませんでした。にもかかわらず、鉄道の廃止で、三段峡の観光客が減ってしまったそうです。時刻表から名前が消えてしまったから? でも、観光客の大半は時刻表なんて見ていないでしょう。この観光客減を、どう説明したらいいのでしょうか。
私事、15年前に、オホーツクの紋別支局に勤務しておりました。かつては名寄本線が走っていましたが、私が赴任したときは、すでに駅舎はもちろん、ホームも跡形なく整地されていました。駅跡には立派なバスターミナルができました。が、「おんぼろの昔の駅前の方がにぎわっていた」との嘆きが聞こえてきました。
名寄本線が存続できたとも思えません。国鉄分割民営化であげられた道内の廃止対象路線のうち、名寄本線のほか池北線、標津線、天北線は、100kmを超える「長大4線」としてしばらく廃止が保留された経緯がありますが、第3セクターとして存続したのは池北線だけ。その「ちほく高原鉄道」も2006年に廃止となりました。乗車人員、貨物輸送量、そして営業収支。こうした「見える数字」の前には、存続の声は勝てないのが現実です。
しかし、見える数字以上に、鉄道の役割は大切と考えます。ドキュメンタリーに登場する秋田内陸線は、赤字幅を一定限度に抑えることを条件に、存続の方向で考えていくことになりました。鉄道ファンの一員として、乗る魅力を伝えることで、地域の活力を考えていけたらと思います。(佐藤元治)
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.hokkaido-np.co.jp/mt/mt-tb.cgi/12799
