【定山渓鉄道・百話 定山渓鉄道線路跡の今(4)】

2016年04月22日

 1969年(昭和44年)10月に営業廃止となった定山渓鉄道は、間をおかずに撤去作業が始まりました。廃止から5年後の1974年(昭和49年)夏、真駒内から定山渓までの線路跡地を歩きましたが、レールや枕木は撤去されていたものの、線路の敷石はほとんど残っていました。キロポストのほか、木製の曲線標や区界標なども散見し、橋梁には桁も枕木も残っていました。

 さて、昨年から線路跡地がどのような姿に変わっているのかをシリーズでお伝えしていますが、今回は一の沢~錦橋までの様子です。

<滝ノ沢~小金湯間>

 滝ノ沢停車場跡の「二見桜」は老化などで年々弱々しくなっていますが、今年も鮮やかなピンク色の花を咲かせてくれると思います。この停車場の大部分は道路になりましたが、緩い上り勾配となっています。この道路は国道230号の混雑緩和を目的に八険山道路とともに整備されたものですが、元々は明治20年代に改良された旧国道で、1871年(明治4年)に現如(げんにょ)上人が門徒衆を指揮して開いた本願寺道路の流れを伝える古い道でした。その途中、「小金湯東橋」という小さな橋を渡るのですが、橋の欄干から八険山側を見下ろすと、レンガ積みの橋台を見ることができます。これは定山渓鉄道の「鱒の沢川橋梁」跡で、長さ約7メートルの鋼桁橋でした。廃止から5年後に歩いた時、桁と枕木はまだ残っていましたが、その後まもなく撤去されました。現在、レンガ積みの原形を残す橋梁跡は、後述する一の沢橋梁群と、ここだけになってしまいました。

ブログP1.jpg【写真説明】鱒の沢橋梁跡。モノクロは1974年(昭和49年)、カラーは現在の状況

<小金湯停留所跡>

 改良された旧国道は2005年ごろに供用が始まりましたが、大きく変わったのが小金湯停留所付近です。
 この停留所の手前、鱒の沢橋梁より先はヤブをこぐような状況でしたが、2000年ごろに歩いた時は整地され、すでに測量が行われていました。それまではキロポストや架線柱の跡も見られましたが、線路跡が道路工事の作業道として拡幅されたため、着工とともにすべて撤去されました。

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 小金湯停留所は、温泉へ下る細い道と小高い山にはさまれた非常に狭い土地に設置されました。1974年(昭和49年)には道路に面した一部が住宅地になっていました。待合小屋や駅名看板、便所などは当時のまま残っていましたが、空き家と一緒に解体されました。その残骸は1990年代まで残り、夏になれば雑草に覆われ、その痕跡は見えなくなっていましたが、2001年(平成13年)から始まった道路工事でその姿を変えます。線路築堤は近くにあった小高い山とともに大きく削り取られて整地され、踏切があった場所も勾配が緩和され、道路の拡幅によって消滅してしまいました。温泉に通じる道は屋根と階段付きの歩行者専用道となりました。

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 この道路工事の最中、停留所ホームの基礎として使っていたと思われる古いレールを見ることができました。1929年(昭和4年)の全線電化に伴い、レールはすべて交換されましたが、撤去された古いレールは架線柱などに転用されました。工事によって「発掘」されたレールは、おそらく電化で取り換えられた初期のレールではないかと想像できます。「1926」の刻印が読み取れますが、これが製造年であれば電化の直前という微妙なタイミングであるため、敷かれていたレールかどうかの確証はありません。

 小金湯停留所のすぐ先には24キロポストが設置されていました。そばを流れる小川の護岸工事も行われ、キロポストの扱いが心配されましたが、結局撤去には至らず、現在も線路築堤のそばに残っています。これも貴重な鉄道遺構の一つです。

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<小金湯~一の沢間>

 小金湯停留所からの線路跡は、シラカバ並木に沿って緩く左カーブを描きながら進みます。敷石や架線柱の土台、架線の碍子(がいし)などの一部が残っていますが、雪解けの時期を除けば雑草やササに覆われて、視界が遮られてしまいます。ただし、早春には線路築堤脇の小さな水たまりにミズバショウが咲いて、線路築堤のシラカバ並木と同じように見事な隊列が続きます。

 ミズバショウの群落を通り過ぎると、線路築堤は細い道路に代わり、両側に畑が広がります。ここにはキロポストが立っていたのですが、残念ながら引き抜かれてしまったようです。また、この先にあった一の沢停留所付近までは線路跡地も含めて私有地となり、かつての道営一の沢射撃場までの道路も、現在は一般の立ち入りが制限されているようです。

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<一の沢停車場>

 国道230号にある一の沢橋の札幌寄りに残る旧国道跡の細い道を入り、坂を下りてしばらく進むと、一の沢橋梁を目の前に広い空間と線路跡にたどり着きます。一の沢停車場は、その広場の先にありました。そもそも、一の沢川の対岸に設置された発電所の資材積み下ろしをする分岐線を整備したこと、近隣に住民が増えたことから停車場として開業しました。

 定山渓鉄道は当時、豊平川の対岸にハイキングコースを整備したことでレジャーにも利用されました。1954年(昭和29年)に開催された第9回国民体育大会の射撃会場・一の沢射撃場の最寄り駅にもなりました。

 廃止から5年後の1974年(昭和49年)に訪れてみましたが、待合室こそ倒壊していたものの、ホームはまだ原形をとどめ架線柱も残っていました。でも現在は、シラカバ並木に沿って多少地面が盛り上がったササやぶの生い茂る姿となり、そこにホームがあったことを感じることは難しくなりました。

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Facebookページ「定山渓鉄道資料集」(https://www.facebook.com/jyozankeitetsudoshiryousyu)もぜひご覧ください。

北海道鉄道観光資源研究会 久保ヒデキ

北海道鉄道観光資源研究会公式ホームページhttp://rail-hokkaido.net/

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