【定山渓鉄道・百話 定山渓鉄道線路跡の今(3)】

2015年12月28日

 1969年10月に営業廃止となった定山渓鉄道は、間をおかずに撤去作業が開始されました。廃止から5年後の年1974年夏に真駒内から定山渓までの線路跡地を歩いたのですが、レールや枕木は撤去されていたものの線路の敷石はほとんどの部分で残され、キロポストのほか木製の曲線標、区界標なども散見し、橋梁にはまだ桁も枕木も残っている状況でした。

 さて、廃止から46年が経過する今年、線路跡地が現在はどのような姿に形を変えているのかをシリーズでご紹介していますが、前回の下藤野から簾舞間に引き続き、今回は簾舞から小金湯までの様子です。

簾舞~豊滝間

 簾舞停車場構内から先の線路は豊平川をすぐ下に見る崖上となります。定山渓方向に向かって右に豊平川。対する左には急斜面の山林が迫り、建設時の苦労が感じられる区間です。実はこの急斜面はそれほど高さがあるわけではなく、その上はすぐに平地となる穏やかな地形なのですが、なぜ、鉄道建設時にわざわざ河岸段丘の崖の途中に線路用地を求めたのかが不思議に思える場所でもあります。そういった再利用不可能な地形的条件もあって、線路跡地そのものは廃止後の線路撤去からは何も手を加えられていない状態のままです。したがって、盛夏ともなるとシラカバをはじめ低木類、ササやシダ類など雑草が生い茂りその下をアオダイショウが這う(!)といった、人を寄せ付けない環境となっています。そのため残されている鉄道遺構も比較的多く、キロポスト、架線柱の土台跡、法面の石積み、そして線路の敷石などを散見できます。(写真1-3「18キロポスト」、1-4「18キロ500メートルポスト」、1-5架線柱跡)。

写真1.jpg

 写真1-1は現在の国道230号・板割沢の橋の上から見下ろした板割沢川ですが、現在は線路跡を確認することはできません。線路はこの谷を架橋ではなく築堤とし、川を水路トンネルにして越えていました。廃止から5年後の1974年にここを訪れた際には、すでに重機が築堤を崩しているシーンを目撃していましたので、水害対策上の理由からか築堤ごと崩して撤去したものと思われます。

 そして近年行われた国道230号線の改良により、板割沢手前の線路跡地も、国道の板割沢橋新設に伴って部分的に消滅しました(写真1-2)。旧国道時代はそもそも国道から板割沢前後の線路跡を確認することはできませんでしたので、この新しい橋からすぐ目の前に消失した線路跡地を眺められることができるようになったのは若干皮肉めいている気もしますが、ともかく、前後の線路跡地へのアクセスが容易になったことは確かです。

豊滝~滝ノ沢間

 板割沢を越えてまもなく擁壁にもたれるように立つ19キロポストを見ることができますが、これは古い写真を見ると当時からこの状態で設置されていたようです(写真1-6)。

写真1-6.jpg



 この先、豊滝停留場跡まで500メートルほどの区間はさらにヤブ化が進んで見通しも利かず、歩こうと思うとかなり不快な思いをさせられる環境となっています。そこで、豊滝停留場跡地へは民家に隣接する通路を利用して降りることになりますが、住人の方にお断りを入れてヤブの中へ足を進めると、倒木が続く中にも一定の幅を持った通路の痕跡が斜面の下りに続きます。八険山を正面にしながら降りてゆくと途中に急なカーブがあり(写真2-1)右手へ折り返します。

写真2.jpg

 ここまで来ると眼下に線路跡が見えはじめ、坂道を降りたところが豊滝停留場跡となります(
写真2-2。中央が線路で右手斜面部分にホームがあったと思われる。簾舞方向を望む)。

 余談ですが、豊滝停留場跡を滝ノ沢方面へ進むと、100メートルほどにわたって見事なシラカバ並木が続きます(写真2-3。左側に線路後とシラカバ並木。右に見えるのは八険山)。定山渓鉄道の線路跡地にはシラカバ並木が多く、真駒内付近、下藤野~東簾舞付近、そして一の沢から錦橋にかけての国道沿いなど、今でも見ることができます。誰が植えたわけでもない自然発芽によるものだそうですが、硬く締まった路盤がシラカバの生育条件に適しているからではないか?という説もあるようです。

 そのシラカバ並木が途切れると、盤の沢川を渡る拱橋部分に出合います。ここは板割沢と違ってレンガ積みの立派な拱橋跡が今でも部分的に残っています。長年の雪解けの増水に伴って築堤が部分的に崩壊していますが、このレンガ部分は屈強に耐え続けています。

 さて、盤の沢拱橋跡から先の100メートルほどの区間は、ササ藪と葡萄蔓が猛烈に繁茂する、歩くには極めて不快な状況となっています。ヒグマの出没も聞かれるところなので対策が必要な場所でもありますが、そこを過ぎると唐突に目の前が開けて架線柱の土台や20キロポストを見ることができます(写真3-1、3-2)。

写真3.jpg


 ちょうど豊平川が八険山にぶつかって屈曲する張り出しにあたる部分で、線路も曲線半径160メートルという急カーブが続く付近になります。しかし、その先はいくつもの路盤流失箇所があり、それはこの10年ほどの間でもかなり崩落が進んでいます。ここは電車が走っていた時代にもたびたび路盤流失があった場所で、そのたびに山側を削り線路を敷きなおして復旧させていた区間でもあります。その電車が通らなくなった今、20キロ500メートルポスト付近(写真3-3)までの間の約500メートルは、かなりの部分で線路跡そのものが消失してしまうのは時間の問題なのではないかと思われます。

滝ノ沢停車場跡

 この10数年ほどの間に市道整備や上砥山橋の架け替えなどのためにかなり様相が変わってしまいました。線路やホームがあったところは道路となり、痕跡は何も残されていません(写真4)。

写真4.jpg

 

 しかし、旧国道から分岐して砥山方面へ向かう旧道(現在は民家への道)にあった踏切の痕跡や、駅舎が建っていた近くに残されている2本の大きな桜の木が、駅の名残を伝えています。

 桜の木はソメイヨシノで、鉄道が走っていた当時に駅長が植えたものと言われています。鉄道廃止後しばらく放置されていたのですが、現在は地元の方々が保存活動をされていて「二見桜」と名付けられ、毎年、ピンク色に萌える満開の桜の花を見せてくれています。毎年、八険山登山の後にこの桜の木の下でお弁当を広げるグループもいて、ちょっとした花見の名所となっているようです。しかしながら、ここ数年は枝が強風で折られることも多く、樹齢もかなり進んでいることから行く末が心配です(写真5)。

写真5.jpg


Facebookページ「定山渓鉄道資料集」(
https://www.facebook.com/jyozankeitetsudoshiryousyu)もぜひご覧ください。

北海道鉄道観光資源研究会 久保ヒデキ

北海道鉄道観光資源研究会公式ホームページhttp://rail-hokkaido.net/

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