【定山渓鉄道・百話 定山渓鉄道線路跡の今(2)】

2015年10月16日

 1969年10月に営業廃止となった定山渓鉄道は、間をおかずに線路の撤去作業が開始されました。札幌市営地下鉄の建設計画の一環で線路譲渡した平岸~藤ノ沢間の線路撤去は、さよなら電車が豊平駅に滑り込んだその翌日にはもう始められていたそうです。

 廃止から5年後の1974年夏に真駒内から定山渓までの線路跡地を歩いたのですが、レールや枕木は撤去されていたものの線路の敷石はほとんどの部分で残され、キロポストのほか木製の曲線標、区界標なども散見され、ほとんどの橋梁にはまだ橋桁も枕木も残っていました。豊平駅舎は不動産部事務所、定山渓駅舎はバス待合として存続し、石切山、下藤野、東簾舞、小金湯の駅舎建物は使われていないものの解体されておらず、藤の沢、簾舞、滝の沢、錦橋、白糸の滝の駅舎は土台が残るのみという状況でした。

 さて、廃止から46年が経過する今年、約10年ぶりに線路跡地を巡ってみましたので、その時の模様を複数回に分けてまとめてみたいと思います。

 先回の豊平から十五島公園付近に引き続き、今回は下藤野から簾舞にかけての最近の様子をご紹介いたします。

 十五島公園停留場付近は鉄道廃止後に宅地分譲され、線路や駅の敷地は道路や住宅に変わりましたが、それよりも一足早く線路跡地に建てられたのがコンシューマーズマートというスーパーでした。現在の東光ストアー藤野店になります。1974年に歩いた際には藤の沢停車場跡地より先、周辺に住宅が背中を向けて並ぶ中を線路跡が敷石のまましばらく続き、幼木の並木の中、ちょっとした遊歩道的な雰囲気のあと唐突にこのスーパーの壁にぶつかった、という記憶があります。

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 東光ストアー藤野店からの線路跡は、一部が宅地、そして藤野地区センター、自動車ディーラーの敷地の一部と続き、藤野みどり公園へと線路跡が続きます。これを十五島公園側から見ると、ちょうど河岸段丘の崖の上を鉄道が走っていたことを容易に想像させます。藤野みどり公園はちょうどその線路跡を頂点にしてなだらかな斜面となっています。

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 公園を過ぎると集合住宅があり、さらに野々沢川を渡ります。現在の野々沢川は、1981年の氾濫を契機に大規模な改修工事が行われました。電車が走っていた当時は幅3・66メートルの小さな鉄橋でしたが、流路そのものが変わってしまったため鉄橋の位置の特定は不可能でしょう。

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 野々沢川を渡ると下藤野停留場が近くなりますが、この停留場の1948年開業時は現在の含笑寺と北門信用金庫との間にありました。お気づきの方もいらっしゃると思いますが現在、この両者の間へ国道から入る道は、含笑寺裏角が不自然な交差点になっています。これは、もともとここが駅前広場であったことと、その裏手とは線路で隔絶されて別な区画整理を受けた結果と思われます。もっとも停留所はその後、西側に定鉄が斡旋した団地が造られることになったために1959年に移転していますので、この裏手が宅地として分譲されたのはそれ以後、ということになります。線路跡は含笑寺裏側敷地を抜けて住宅が続き、小さな川を渡ってさらに住宅と道路に続きますが、下藤野停留場の移転先がそこになります。含笑寺の先で旧国道へ分かれた直後に、白川へ通じる道路(=線路跡)とつなぐ道がありますが、原形は旧道からの駅前通路ということになります。道路そのものは池見学園の下を通って白川浄水場方面へと下っていきますが、これは線路築堤を一部切り崩して整備したもので、線路跡は途中から池見学園敷地へ入り裏手をかすめて勾配を上っていきます。

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 そこから先は豊平川崖上を通り、対岸に旧・国立札幌南病院を眺めながら東簾舞停留場跡へ進みます。この区間のほとんどが雑木や笹やぶに覆われてしまいました。旧国道を東簾舞へ近づくと白樺の並木と笹薮が連続する景色を散見しますが、これが線路跡になります。そして、東簾舞停留場付近もまた、近年、大きく姿を変えてしまいました。幅が狭かった御料橋は撤去され、代わりに新ルートで下流側に新御料橋が架けられました。東簾舞停留場があった場所は御料橋よりも一段高い位置だったのですが、拡幅した道路は線路跡や駅敷地も含めてすべて飲み込み、旧来の道路との複雑な交差点に生まれ変わっています。以前は対岸の国立療養所へ見舞う客が利用したといわれた旅館跡の建物もつい最近になって取り壊され、ここに停留所があった面影はすべて失われました。

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 またさらに、東簾舞停留所付近からの線路跡地はこの4年間ほどの間に、簾舞停車場手前付近までにかけて拡幅されて2車線の道路に変わりました。途中、線路の面影を築堤に残し、架線柱跡もあり、さらに途中には簾舞川を渡る橋梁のレンガ造りの土台も残されていたのですがすべて消滅してしまい、簾舞橋梁跡はたもとの黒岩家住宅旧簾舞通行屋にちなんで、『簾舞通行屋橋』と名付けられた立派な道路橋に生まれ変わりました。その簾舞橋梁のレンガ橋台の一部は道路に面した黒岩宅敷地内に置かれ、定鉄電車が走っていた証として静かにたたずんでいます。

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 簾舞停車場は廃止後、木材を取り扱う会社がその敷地を土場とし、近年まで材木が積み上げられている姿が見られました。しかし、線路跡を利用した市道新設工事に伴っていくつかの建物を残して材木はすべて撤去され、この10年ほどは広大な空き地となっていました。最近は敷地を囲むように新たな柵が設けられていたことから、再利用される日も近いようです。簾舞停車場敷地の先には、場内信号の土台が今でも残されています。

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次回に続く。

Facebookページ「定山渓鉄道資料集」(https://www.facebook.com/jyozankeitetsudoshiryousyu)もぜひご覧ください。

北海道鉄道観光資源研究会 久保ヒデキ

北海道鉄道観光資源研究会公式ホームページhttp://rail-hokkaido.net/

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