道東の大地にたたずむ赤い動輪 サハリンで活躍したD51

2012年05月07日

 せっかくの連休というのに天災に見舞われた黄金週間後半、交通網も各地で乱れが相次ぎました。私は、時折強く降る雨と時折発生する霧の中、道東の大地を家族でドライブしておりました。根釧台地を横断するパイロット国道こと国道243号。釧路管内標茶町虹別から根室管内別海町に入ってしばらく走ったところで、小さな看板を通り過ぎたことに気が付きました。一瞬でしたが「鉄道記念公園」と書かれていたような…。かつて根釧台地を横断していた標津線の駅跡でしょうか。これも一期一会。せっかくですから、引き返して、その公園に向かうことにしました。大粒の雨の向こうに見えたのは蒸気機関車(SL)。先輪1軸、動輪4軸、従輪1軸。デゴイチことD51形に見えますが、何だか雰囲気が違います。SLといえば日本では黒一色が基本ですが、動輪が鮮やかな赤色で塗装されているのです。よく見るとナンバープレートも赤地です。なぜ???

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<写真>駅跡で静態保存されるSL。赤色の足回りが印象的だ

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春です。官営幌内鉄道です!

2012年05月01日

 すっかりブログからご無沙汰しているうちに、北の大地にも本格的な春がやってきました。きょうはメーデー。春は大地の芽吹きの季節。そして、この北海道の鉄道の芽吹きといえば、やはり官営幌内鉄道でしょう。芽吹きといえば、新橋-横浜より以前に開業した「茅沼炭鉱鉄道」(後志管内泊村)では?とのご指摘もあろうと思いますが、画期的という意味では、動力機関を使って走らせた官営幌内鉄道に軍配が上がると考えます。
 1880年に小樽(手宮)~札幌間が開業、そして82年に幌内まで全通したこの鉄道、起点・終点はいずれも廃線となってしまった代わりに、それぞれ博物館施設として今も往時の姿を伝えてくれる場所となっています。
 大型連休前半の4月29日「昭和の日」に旧手宮駅跡に作られた小樽市総合博物館を訪ねました。今回のお目当ては、その前日に運転を再開した「アイアンホース号」です。1909年、米国H.K.ポーター社で製造された蒸気機関車で、かつては中米グアテマラを舞台にバナナやパイナップルの輸送に活躍しました。そんなSLがなぜこの北の大地で余生を送ることになったのでしょう? その秘密は、カウキャッチャーがついた独特の形状にありそうです。

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<写真>アイアンホース号。カウキャッチャーが特徴的なアメリカンスタイル。後ろに見えるのは1908年ごろ建造された機関車庫1号

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ダイヤ改正 新聞ななめ読み

2012年03月19日

 すっかりご無沙汰してしまいました。昨年12月8日以来、気が付けば3カ月半もの間、ブログ執筆から離れてしまっておりました。ところで、3月17日の全国一斉ダイヤ改正(といってもJR北海道は無関係ですが)の前後は、いかがお過ごしでしたか。初代300系のぞみが消えたりと何かと話題のある改正でしたが、私、ちょうど首都圏に滞在していたのにもかかわらず、所用とバッティングし、こうしたニュースの現場に足を運ぶことは適いませんでした。のぞみのラストランも新聞に目を通したのみ…。ということで、本日は、ダイヤ改正を新聞はどう報道したのかを見ていきたいと思います。なお、全国紙は、札幌市内配布の新聞を参照しています。
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<写真>最後の定期運行。3月16日夕方、JR大阪駅を出発するブルートレイン「日本海」=北海道新聞17日朝刊社会面「こだま」より

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鉄道ファン集まれ この春開講の「道新文化センター講座」

2012年03月13日

 専門家から鉄道写真の撮影方法を学んだり、道内の炭鉱鉄道跡をたどる廃線探索など、鉄道を題材にした講座が4月から、札幌の「道新文化センター」で始まります。

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“お色直し”はここで 寝台特急「北斗星」

2012年02月16日

 午前11時15分、JR札幌駅3番ホーム。青色の車体に金色の帯をまとった、寝台特急「北斗星」が入ってきました。上野駅を前日の午後7時3分に出発し、片道約1200キロを、およそ16時間かけて、毎日走り続けています。

 「北斗星」は、昔ながらの2段ベッドの寝台や、豪華な個室、フルコースの料理を味わうことができる食堂車、過ぎ去る眺めを楽しむための「ロビーカー」などの車両も連結し、贅沢な列車の旅を堪能することができるJR自慢の「走るホテル」です。

 時刻表では、札幌駅に到着した「北斗星」は、折り返し、午後5時12分(2012年2月現在)に上野駅へ向けて出発ます。札幌駅に到着後、再び出発するまでのおよそ6時間、この長距離列車はどこで何をしているのでしょうか。

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【SL】1970年…九州撮影旅行その4(筑豊本線・冷水峠)

2012年01月20日

 1970年3月の九州SLシリーズ。今回は筑豊本線の難所といわれた冷水(ひやみず)峠です。筑豊本線は九州北端の若松から福岡県南部の鹿児島本線原田までの66.1キロの路線でした。原田は私と同じ名前で、子供のころ、時刻表でこの駅を見つけたとき、「自分と同じ名前だ。いつか行きたい」と嬉しく思ったのですが、実は「はるだ」と読むのだと後で知りました。
 筑豊本線は1891(明治24)年、若松港での石炭積み出しのために建設された重要ルートでした。筑豊炭田の中心は直方(のうがた)で、1970年代まで長大な石炭列車が往来していました。
 同線の終点、原田に近い筑前内野と筑前山家の間に冷水峠があります。私が訪ねた当時、まだC55、D51、D50、そのD50を改造したD60などのSLが旅客列車や貨物列車を引いていました。見通しのよい土手があり、そこをSLが煙を吹き上げて懸命に走ってきます。当時、D50やD60の命はもはや風前の灯で、私が彼らの現役に出会ったのは、このときが最後でした。
※ 写真をクリックすると、大きく表示されます


《写真1》C55形の引く旅客列車が盛大に煙を吐いて上ってくる。最後尾の逆向きの補助機関車はD60と思われる。

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ここから放送、ラジオの列車運行情報

2012年01月06日

 「列車は平常通り運行しています。次に、きょう満席となっているのは、札幌から函館へ向かうスーパー北斗2号、6号、札幌から釧路へ向かうスーパーおおぞら1号・・・」。早朝のラジオから流れる列車の運行状況。この放送、いったいどこで収録しているのでしょう。ラジオ局から?それとも、どこか別に放送スタジオがあるの?

 JR北海道によると、ラジオ向けの放送は同社の本社内スタジオで10数年以上前から行っているといいます。そこで、帰省ラッシュ初日の2011年12月28日、JR北海道本社へ向かい、ラジオ放送の現場をのぞいてきました。

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新幹線延伸 合意の表現に注目を

2011年12月21日

 北海道新幹線の札幌延伸にむけての政府・与党方針が固まった。21日には並行在来線経営分離を地元・函館市長が同意し、今後はクリアすべき条件の詰め作業などに移ることになる。
 7年前、新青森―新函館(仮称)着工決定の一部始終を、東京支社で取材していた。当時は自公政権、いまは民主党政権(正確には国民新党との連立だが)となったが、政調コアメンバーが関係者と調整して党、政府と合意の手順を踏む方法はほとんど変わらない。
 実は、整備新幹線問題で重要なのは、政府与党申し合わせに書かれる文言の書きぶりだ。ここに、各区間の沿線自治体の利害調整、財源をめぐる攻防などすべての思惑が凝縮されている。

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<写真:2005年5月に行われた新函館(仮称)延伸の起工式>

 2004年12月の「政府・与党申し合わせ」の詳細内容を国土交通省が記者会見する前に、ある与党の有力筋から「申し合わせの文章で、北海道と北陸の表現が若干違う。そこを突くと面白いよ」との話を聞いた。
 文書では「北海道新幹線新青森―新函館間 所要の認可等の手続きを経て平成17年度初に着工し、平成27年度末の完成を目指すこととし、できる限り早期の完成に努める」「北陸新幹線長野-金沢車両基地間 フル規格で整備するものとし、富山-石動間、金沢-金沢車両基地間については、所要の認可等の手続きを経て、平成17年度初に着工することとし、長野-金沢車両基地間で一体的に平成26年度末の完成を目指すこととし、できる限り早期の完成に努めることとする」とある。
 一見すると似たような文章だが、北海道は「完成に努める」、北陸は「完成に努めることとする」と微妙に違う。これが与党筋では「『こととする』は、より強い意思。北陸側の優位性を示すために土壇場に表現を変えた」とまことしやかに噂された。
 会見で「努めると、努めることとする、は何か意味が違うんですか」と質問すると、国土交通省の幹部は苦しい表情で「・・・日本語の表現です」とだけ答えた。しかし、これが、後に起工式の日程調整や予算配分などで、水面下で区間ごとのせめぎあいが始まるシンボルともなる。
 今後、具体的な事業骨格が固まる過程で、全国的な世論から「北海道新幹線無用論」といった論調もでかねず、批判にさらされることも予想される。地元だけでなく、他の区間、全国に対しても、説得力を持った推進論と周到な調整が求められる。

(磯田佳孝)
  

北海道の鉄道発祥の地と言えば…

2011年12月08日

 いよいよ雪が積もり始め、廃線跡探訪の絶好のシーズンも終わりを告げようとしています。今回向かったのは、手宮線跡。北海道の鉄道の発祥の地でもあり、小樽市民の愛着のもと、線路がかなりの部分で残されている手宮線ですが、生い茂る草が枯れ、木の葉が落ちるこのシーズンだからこそ楽しめるものがあります。
 手宮線は1880年(明治13年)、北海道で最初の汽車が走った官営幌内鉄道の一部として作られました。現在の南小樽駅から、鉄道関係の展示品の豊富さで知られる小樽市総合博物館本館までの2.8㎞に「手宮線」の名がついたのは1909年(明治42年)。1962年(昭和37年)を最後に旅客列車の運転がなくなり、貨物線として使われていましたが、国鉄分割民営化直前の1985年(昭和60年)、全線廃止となりました。
 探訪のスタートは、南小樽駅から。開業時の名称は開運町でしたが、その後、住吉、小樽と改称を続け、1920年(大正9年)に現駅名に落ち着きました。駅西側の踏切から望むと、3線あるうち1線だけが切られているのが分かります。写真の一番左側のその線路こそ、手宮線跡です。

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<写真>駅西側の踏切から手宮線起点の南小樽駅を望む。駅舎の下には、ホームらしきものが残る

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【SL】1970年…九州撮影旅行その3(ループ線)

2011年12月01日

 今回は九州南部、熊本県八代と鹿児島県隼人を結ぶ肥薩線です。路線名は肥後国と薩摩の国、双方の頭文字を取りました。八代と人吉の間は川沿いに走るので「川線」、人吉と吉松間は矢岳(やたけ)峠を越えるので「山線」と区別されています。これから紹介するのは、山線のほうです。

※ 写真をクリックすると、大きく表示されます


《写真1》大畑駅の近くの観光案内板には「日本一のループ線」と書かれていた

 中でも有名なのは大畑(おこば)駅。人吉から吉松に向かう列車は勾配を上り続け、スイッチバックを左に見て行き止まりの大畑駅で停車。次に前後を変えて逆向きでスイッチバックへ入ってストップ。ここでもう一度方向を元に戻し、本線に入って矢岳、吉松方面に向かいます。半径300㍍の左急カーブを曲がりながら、スイッチバックを左下に見てぐるりと回るのは壮観です。


《写真2》D51 545号が黒煙を上げながら早朝の旅客列車を引いていく

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北海道新聞の鉄道ページ「どうしん鉄道研究会」。そのスタッフが担当するブログです。
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