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アシリチェプノミの立役者、樺修一さんをしのぶ

2013年04月16日

 明治政府にサケ漁を禁じられ、長く途絶えていたアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェプノミ」。豊平川では1982年、およそ100年ぶりに復活され、先日、30年のあゆみを記した記念誌も発刊されました

(記念誌の紹介記事はこちら)。ただ、残念なことに、発行人であり、アシリチェプノミ復活の立役者の1人であった樺修一さんという方が、冊子の完成と入れ違うように2月22日に亡くなりました。72歳でした。

 アシリチェプノミ復活の言い出しっぺは、記事の写真で、記念誌を持っている結城幸司さんのお父さんである故結城庄司さん。樺さんはその構想に賛同し、庄司さんや仲間とともに2年ほど前から準備に着手。長く途絶えていた儀式だけに、まずはその全容を知ろうと、文献調査に加え、1年前からは道内各地の多くのエカシ(長老)を訪ね、伝統をきちんと踏まえた上で、自分たちの儀式を作り上げたそうです。

 復活第1回のアシリチェプノミは大成功。その後、登別や千歳、苫小牧、鵡川など道内各地でアシリチェプノミ復活の動きが広がり、民族の尊厳の回復に大きく貢献しています。民族の伝統に基づく儀式用のサケ捕獲の特別許可も87年から認められるようになりました。しかし、残念ながら庄司さんは第2回のアシリチェプノミ開催直前に急逝。樺さんも20年ほど前に病に倒れ、長く闘病生活を送っていたそうです。

 復活第1回のアシリチェプノミが開かれた1982年は私が入社した年。春から網走で勤務していてあまり承知していなかったのですが、その後、札幌に転勤してから何回目かのアシリチェプノミを見に行った記憶があります。2010年には動画取材もさせてもらいました(動画ニュースはこちら。CMの後にニュースが流れます)。


 そんな縁からか、3月14日に札幌・白石区内で開かれた「樺修一さんを偲ぶ会」に誘っていただき、お邪魔してきました。

 会には30~40人ぐらいが集まったでしょうか。アシリチェプノミ復活の取り組みに密着したテレビ番組の画面が流れる会場で、カムイノミ(神への祈り)に続いて、伝統の料理とトノト(お神酒)を楽しみながら、思い出話に花を咲かせていました。


 20年ほども表舞台に出ていなかった人ながら、これだけの友人が集まり、その死を悼む。面識のない方ではありましたが、樺さんの人柄、そして、アシリチェプノミ復活への献身など、民族のために奮闘してきた樺さんを悼む参加者の思いが伝わってきました。お元気なうちにいろいろと話を聞く機会があれば、と思うと本当に残念ですが、アシリチェプノミの復活を通じ、民族の権利回復に着実な一歩を記した樺修一さんの名前を、追悼の思いを込めてこのブログに記したいと思います。

<編集グループ・飯島>

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