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PCディスプレー端子 改造実験しました

2012年12月27日

 先日、どうしんウェブなどにニュース配信している担当者から、『突然パソコン表示がおかしくなった!全体的に黄色く変色。別のディスプレーを接続しても同じ。見てほしい』と連絡がありました。(=写真下は道新ブログの画面で再現したもの=)。パソコンの故障かな?と思いましたが、もしやと思い『ディスプレーのケーブルを交換してみましょうか』と伝え、試しに交換したところ正常画面に戻り、事なきを得ました。

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 今回の原因はケーブルの導通不良。一般的なディスプレーのケーブルは「VGA端子」と呼ばれる5本のピンが3列並んだ「15ピン構造」になっています。RGB(Red=赤、Green=緑、Blue=青)の3原色の信号を、このピンを経由してPCからディスプレー本体に伝達しています。

 どのピンが不通になったのか、実際にテスターで検査してみました(=写真下=)。余談ですが、少年時代、ラジオの組み立てなど『電子工作』が好きだった私には、「ハンダごて」と「テスター」は必須アイテム。書店では私のような工作好きなオジさん向けに『学研・電子ブロック復刻版』が売られています。ウソ発見器やシンセサイザーなんかも組み立てられます!見るたびに買いたい衝動に駆られるのですが、『しばらく熱中して、すぐに飽きちゃうくせに!』と、妻に痛いところを突かれるのがオチで、買えずにいます…。

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 話を戻しましょう。1ピンごと慎重に導通検査した結果、上側の中央のピンが不通でした(=写真下の矢印=)。ケーブル内部で断線したのでしょう。ネットで調べたところ、今回接触不良だったのは「Blue=青色」のピン。そのため、3原色の合成法則「 赤色 + 緑色 + 青色 = 白色 」となるところ、青色が欠けたため「 赤色 + 緑色 = 黄色 」となり、結果として画面が全体的に黄色になってしまったのです。

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 ここからは、改造と実験の領域です。接触不良の「青色ピン」を取り外し、さらに「赤色ピン」を端子から抜いてみました(=写真下=)※決してマネしないでください。こういう不良端子を接続すると、PC側のコネクタが壊れることもあり、その場合「改造扱い」となってしまい保証対象外となりますので…。

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 上記の状態、つまり「緑色ピン」だけが導通する状態でディスプレーに接続したところ、予想どおり緑色だけの表示になりました(=写真下=)。パソコン黎明期に普及した「グリーン1色だけのCRT画面」を思い出します。知っているひとには懐かしいことでしょう。

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 現在主流の「VGA端子」は、従来からのアナログ信号。テレビ放送が完全地デジ化されたように、PCディスプレーもデジタル方式に移行しつつあります。CPU製造大手のインテルは、2015年までにVGA端子の対応終了を表明しています。でも現実的には、デジタル対応ディスプレーよりも、シャープIGZO(イグゾー)のような高性能タブレット型液晶が、今後普及していくのでしょう。

 今回の事例のように、アナログVGA端子なら1ピンが断線しても、正常な発色こそ不能になりますが、何が映っているのかは確認できます。デジタル化によりノイズが激減し、鮮明で高画質な映像にはなりますが、その反面、たった1本の断線で全体が全く機能しなくなるリスクも抱えます。高度なデジタル化の弊害については、ここでは議論しませんが、テスターを使って検査したり、多少でも改造できる余地は残してほしいですね。

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 少年の頃、欲しかったけど買えなかった『学研・電子ブロック』。今の時代なら、ひとつのブロックが「1テラバイトメモリー」「携帯電話ユニット」「高性能カメラ」のように進化し、自分だけのスマート端末が組み立てられるキットの発売の日も、きっと近いのでしょう…。

 でも、トランジスタを駆使し、あれこれ試行錯誤しながらアナログ回路を組み立てる、昔ながらの電子ブロックほど、私の好奇心を駆り立ててくれることはないでしょう。

(電子メディア局・編集グループ・立花幹彦)

小さなギャラリーの丸木俊生誕100年記念展

2012年12月06日

 「原爆の図」で知られる北海道出身の画家、丸木俊さん。今年が生誕100年だったことをご存じでしょうか。つい最近知り合った画廊の経営者の方から「記念展を企画しました。よろしかったらおいでください」と誘われ、行ってきました。

 丸木俊さんは空知管内秩父別町生まれで、絵を学ぶために家族の反対を押し切って上京。苦労しながら女子美術専門学校(現女子美大)に通い、千葉県の尋常小学校での代用教員を経て日本大使館員の子供の家庭教師としてモスクワに、その後、ミクロネシア群島に滞在、創作の幅を広げました。夫の日本画家・丸木位里さんが広島出身だったことから現地で被爆者の救援に当たり、その体験を基に夫婦共同で代表作の「原爆の図」を描きました。その後も創作を通じて戦争や原爆、原発への反対運動に懸命に取り組み、2000年に87歳で亡くなっています。

 誘ってくれたのは、札幌市西区二十四軒4の3に昨秋、ギャラリー「北のモンパルナス」を開いた清水真知子さん(64)。ギャラリーの名前は、大正の終わりから戦後にかけて、東京都豊島区のJR池袋駅から西側一帯に木造の古めかしいアトリエが並び、多くの若い画家が集まった「池袋モンパルナス」にちなんだ名前だそうです。実は、俊さんもその池袋モンパルナスの中で活動した画家の1人なのだそうです。
 こちらがその清水さんです。

 清水さんは、東京で会社勤めをしていてこの池袋モンパルナスを知り、軍靴が響く暗い時代に芸術に情熱を傾けた画家たちに魅せられました。そして、作品を少しずつ買い集め、40年ぶりに札幌に戻った後、「自由のない時代に池袋モンパルナスに集った若者たちが情熱を傾けて描いた絵を多くの人に見てほしい」とギャラリーを開設したそうです。

 俊さんの生誕100年記念展を思い立ち、準備を始めたのは今年に入ってから。オープンしたばかりの小さなギャラリーで本当にできるのか、と思いながらも「ぜひ出身地の北海道で俊を顕彰したい」と決意。あらためて俊さんの絵を買い集める一方、埼玉県東松山市にある丸木美術館に通い、作品の貸し出しを要請。快諾を得て、出身地・北海道の小さなギャラリーでの記念展が実現することになりました。

 展示されているのは、丸木美術館などから借り受けたもの22点、清水さんの手持ちの作品20点の合計42点。俊さんの作品だけでなく、夫の位里さんの水墨画、位里さんの母スマさんの作品も飾られています。俊さんに関しても、原爆の図は縮小レプリカですが、この作品に関連する人物画、そして海外の風景、絵本の原画など、多彩な作品が並んでいます。人間がもたらした最悪の悲劇の一つを描いた「原爆の図」と、愛らしさ・優しさがあふれた絵本の原画や人形を描いた作品を見ていると「どちらも人間の一面、俊はその両方を行き来して心のバランスを取りながら描き続けていたのかな」などと考えさせられます。


 東京で男性に伍して働き続けた経験から「俊は、あの時代に、女でありながら画業を貫いた。よっぽど自分自身が強くないとできなかったことでしょう」という清水さん。「『原爆の図』を持って海外に行った際、『なぜ原爆を落とされたのか、日本が大陸で何をやったのか』と突きつけられ、南京大虐殺にまで目を向け、自分の世界を広げていった。これで終わりということがなかったんです」と俊さんの魅力を語ってくれました。

 札幌にいて、平和のために世界的規模で活躍した丸木俊さんの作品に触れられるのは、オープンさせたばかりの小さなギャラリーでも、ぜひ「北海道の誇り」である俊さんを顕彰したい、という清水さんの情熱のおかげ。清水さんも俊さんと同様、しっかりと自分というものを持って前に進んでいく人なんだな、と感じました。みなさんもお時間がありましたらどうぞ足を運んで、俊さんと、そして清水さんの情熱に触れてみてください。

 「丸木俊生誕百年記念展 -『女絵かき』ふるさとに帰る-」は12月29日(土)まで。火曜日~土曜日の午前11時~午後6時で入場は無料です。「北のモンパルナス」の連絡先は、011・302・3993。地図はこちらをご覧ください。ちなみに、「記念展の収益は東北の被災地に送らせていただきます」とのことです。

<編集グループ・飯島>

いまだ現役!41年前のシャープ製電卓

2012年12月03日

 電卓が一般家庭に普及するきっかけとなった「カシオミニ」が発売されて、今年で40年。
 『答えイッパツ♪ カシオミニ♪ 』のCMフレーズは、私と同じ40代半ば以上なら、ほとんどの人の耳に残っているはずです。

 以前このブログで、「現役で動く20年前のPC」を紹介しましたが(ページはこちら)、私はカシオミニよりも、さらに昔の電卓を所有しています。父から譲り受けた41年前のシャープ製電卓で、今でも普通に使えます。1971年11月に発売されたもので、製品名は「電子ソロバン KC-80A」。シャープのOEM(=相手先ブランド製造)で、販売元は事務用品を扱うコクヨです。当時の値段で 36,900円。

 最近の写真だということを証明するため、妻のiPhone5に、私が前回書いた道新スタッフブログの画面を表示して隣に置きました(=写真下=)。電卓の表示部分はグリーンに発光する電子管で、数字のデザインは独特の曲線基調です。何だか今の電卓よりも温かみと優しさが感じられます。

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 内部を見てみましょう。この頃の電子機器は「ゆったり配線」なので、ネジを外してケースを開ければ、基盤を簡単に見ることができます(=写真下=)

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 基盤には製造年月日がプリントされています(=写真下=)。昭和46年(=1971年)10月22日の製造です。今年で製造後41年。前年の1970年はアポロ13号が「奇跡の生還」をした年。映画の「アポロ13」でも、操縦席のコンピュータの計器表示は、この電卓のような電子管を多用していました。

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 基盤上のLSIチップはシャープ製で、型番はNRD2256(=写真下=)。ネットで調べたところ表示の電子管を制御するLSIチップです。当時の電子機器は、キーボード入力・演算・表示用などの専用LSIで構成されていました。電卓はこの後「ディスプレーの液晶化」「太陽電池の搭載」と、まさに現在シャープが得意とする技術革新を続けていくことになります。シャープは、今は苦境に立たされていますが、日本のエレクトロニクス産業を支えてきた、百年企業の意地と底力を見せてほしいと思います。

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          ◆

 自営業だった父は、ソロバンは得意ではなかったようで、帳簿の計算を速く正確に行いたいために、大枚はたいて、この「電子ソロバン」を購入したのでしょう。保育所通いの幼い私は、夜な夜な父がこの電卓で帳簿計算をしていた光景を、今でも鮮明に覚えています。

 いまだにキーも表示管も壊れず、現役で動作するということは、父がこの電卓を大切に使っていたという証拠であり、シャープ製品の信頼性の高さを裏付けるものです。

 41年間お疲れさまでした。次は『製造50年、現役電卓』を目指して、昔の父の記憶とともに、このシャープ製電卓を大切に保管していきます。

(電子メディア局・編集グループ・立花幹彦)

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※イラストは道新グループの会員組織「道新ぶんぶんクラブ」のキャラクター「ぶんちゃん」 です。




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