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母が倒れた ②

2012年07月25日

 一夜明けて15日の日曜日、父と妹と一緒に3人で母の見舞いへ。病院の前で、前日は仕事で来られなかった妹の旦那も合流。4人でぞろぞろと母のベッドに向かいました。驚いたことに、母はしゃべるのもつらそうだった昨日とは別人のよう。「ご近所には何も言わなくていいけど、両隣の人には一応、『めまいがして検査入院した』ってことにして伝えておいて」などと、こちらが「そんなに話してて大丈夫? 疲れちゃうんじゃないの?」と心配になるくらいです。

 脳の血管が詰まったり破れたりの障害というと、半身まひや言語障害などを思い浮かべますが、母の脳梗塞でダメージを受けたのは小脳、体のバランスを取る機能を受け持っている部分で、手足の動きやおしゃべりの方は幸い?健在だったわけです。


 ご近所への連絡のほかにも、「明日、カラオケ仲間とお昼にカラオケ屋さんに行くはずだったから、○○さんに『急用で行けなくなった』って連絡しておいて。電話番号は電話のそばの電話帳に書いてあるから」「携帯持ってきて。あれ、ここ携帯使えないの?」などと矢継ぎ早の注文。こちらもかなり安心して「まったくよくしゃべるなぁ。どうせやられるなら、小脳じゃなくて、言語機能だったらもう少し静かになったのに」なんて、親子ならではの悪い冗談も言えるようになりました。


 こうなると、逆に心配になるのは、家に残る父。実は父も数年前に軽い脳梗塞を起こしており、事後の処置が適切で大事にはならなかったものの、片足を少し引きずったり、忘れっぽくなったり、新しい家電製品の使い方を覚えられなかったり、という状態。いったん要介護と認定され、その後、なぜかより軽い「要支援」となったものの、身の回りのことをなんでも自分でできるか、と言われると不安が残ります。


 実は私の息子が東京の大学に進学して、私の実家にお世話になっていますし、近くに妹も住んでいますが、日中は2人とも学校や仕事で、父は1人で過ごさざるを得ません。母の入院中、食事や洗濯、ごみ出しなど、家庭生活を維持するために必要な最低限のことをどうしていくか…。母が入院して初めて、これまで母がげんきだったからこそいろんなことがうまく回っていたんだ、とその存在の大きさ、ありがたさに気づきました。


 こんな事情ですので、会社に連絡して、札幌に戻る予定を、当初の日曜日から、主治医も決まり正式な説明を受けられる連休明けの火曜日に延ばし、それまでにできるだけの手配をしようと決めました。札幌にいる妻に介護保険について調べてもらい、要支援の場合、担当窓口は地域の包括支援センターだと判明。センターは受け持ちの地区が決まっており、この地域はこのセンター、という具合に分かります。月曜日、海の日で祝日でしたがダメもとで電話してみたところ、担当の方に転送され、介護保険で受けられるヘルパーの派遣や、高齢者向けの配食サービスなどについて教えてもらいました。でも、そうしたサービスを組み合わせてどう父の日々の暮らしを支えるか、なかなか具体的なイメージがわきません。

<編集グループ・飯島>

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