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花々可憐、夜空に咲いた光のアート ~2012道新花火大会を撮る~

2012年07月30日

 今年も弊社主催の豊平川花火大会に行ってきました。7月27日、晴天に恵まれ絶好の「花火日和」となり、まずまずの写真が撮影できました。

 昨年も本ブログに写真を掲載させていただきました。昨年は横写真だけで勝負しましたが、今年は、オーソドックスな縦写真がメインです。昨年の写真は、 http://blog.hokkaido-np.co.jp/staff/oldentries/archives/2011/07/post_976.html

 使用カメラは昨年と同じ「Canon PowerShot SX130 IS」。意外に思われるかもしれませんが、ここ数年は、(少しだけ高機能の)コンパクトデジカメを愛用しています。このカメラは、丈夫で基本性能がしっかりしているため、今の私の主力機です。若い頃は一眼レフを駆使し、重い三脚と交換レンズを何本も抱えて撮影していましたが、そういう必要もなくなり、私のようなアマチュア写真愛好家には、本当にいい時代になりました。

 「花火」という言葉どおり、花火大会には『花』があります。歳を重ねていくたび、なんともいえない風情を感じます。それでは豊平川河川敷から撮影した『可憐な花々』をご鑑賞ください。

(電子メディア局・編集グループ・立花幹彦)

▼第1部 グランドショー「創作スターマイン」から
(菊かマーガレットの花でしょうか。お見事!)
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▼第2部 ダイナミックショー
(スターマイン=速射連発花火=を中心に撮影)
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▼第3部 グランドフィナーレ
(豊平川方向からの「ワイドスターマイン」。幻想的で、オーロラのようにも見えます)
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母が倒れた ②

2012年07月25日

 一夜明けて15日の日曜日、父と妹と一緒に3人で母の見舞いへ。病院の前で、前日は仕事で来られなかった妹の旦那も合流。4人でぞろぞろと母のベッドに向かいました。驚いたことに、母はしゃべるのもつらそうだった昨日とは別人のよう。「ご近所には何も言わなくていいけど、両隣の人には一応、『めまいがして検査入院した』ってことにして伝えておいて」などと、こちらが「そんなに話してて大丈夫? 疲れちゃうんじゃないの?」と心配になるくらいです。

 脳の血管が詰まったり破れたりの障害というと、半身まひや言語障害などを思い浮かべますが、母の脳梗塞でダメージを受けたのは小脳、体のバランスを取る機能を受け持っている部分で、手足の動きやおしゃべりの方は幸い?健在だったわけです。


 ご近所への連絡のほかにも、「明日、カラオケ仲間とお昼にカラオケ屋さんに行くはずだったから、○○さんに『急用で行けなくなった』って連絡しておいて。電話番号は電話のそばの電話帳に書いてあるから」「携帯持ってきて。あれ、ここ携帯使えないの?」などと矢継ぎ早の注文。こちらもかなり安心して「まったくよくしゃべるなぁ。どうせやられるなら、小脳じゃなくて、言語機能だったらもう少し静かになったのに」なんて、親子ならではの悪い冗談も言えるようになりました。


 こうなると、逆に心配になるのは、家に残る父。実は父も数年前に軽い脳梗塞を起こしており、事後の処置が適切で大事にはならなかったものの、片足を少し引きずったり、忘れっぽくなったり、新しい家電製品の使い方を覚えられなかったり、という状態。いったん要介護と認定され、その後、なぜかより軽い「要支援」となったものの、身の回りのことをなんでも自分でできるか、と言われると不安が残ります。


 実は私の息子が東京の大学に進学して、私の実家にお世話になっていますし、近くに妹も住んでいますが、日中は2人とも学校や仕事で、父は1人で過ごさざるを得ません。母の入院中、食事や洗濯、ごみ出しなど、家庭生活を維持するために必要な最低限のことをどうしていくか…。母が入院して初めて、これまで母がげんきだったからこそいろんなことがうまく回っていたんだ、とその存在の大きさ、ありがたさに気づきました。


 こんな事情ですので、会社に連絡して、札幌に戻る予定を、当初の日曜日から、主治医も決まり正式な説明を受けられる連休明けの火曜日に延ばし、それまでにできるだけの手配をしようと決めました。札幌にいる妻に介護保険について調べてもらい、要支援の場合、担当窓口は地域の包括支援センターだと判明。センターは受け持ちの地区が決まっており、この地域はこのセンター、という具合に分かります。月曜日、海の日で祝日でしたがダメもとで電話してみたところ、担当の方に転送され、介護保険で受けられるヘルパーの派遣や、高齢者向けの配食サービスなどについて教えてもらいました。でも、そうしたサービスを組み合わせてどう父の日々の暮らしを支えるか、なかなか具体的なイメージがわきません。

<編集グループ・飯島>

母が倒れた ①

2012年07月20日

 先週末、東京出張のついでに故郷・神奈川の地元の友人としたたかに飲んだ翌朝の14日朝のことでした。私の寝ている2階に上がってきた父の気配で目が覚め、階下に降りてみると、母が布団の中で、抱えた洗面器に何度も嘔吐。パジャマは汗で水をかぶったようにびしょびしょになっていました。週末の出張で、木、金と会議が終われば3連休前。実家で少しのんびりしようかと思っていた出張が、一転して母の看護と父の世話に追われる連休になる瞬間でした。

 幸い、妹が実家の近所に住んでおり、しかも看護師。母は、朝方、具合が悪くて目を覚ましましたようですが、健康に関しては妹頼りで、救急車は嫌がり、頻繁に襲う吐き気の合間に、妹が出勤する時に一緒に勤務先の医院に連れて行ってもらう、と言い張ります。連絡が取れて妹も間もなく駆けつけ、留守番の父を残し、母を2人で抱えて車で妹の医院に向かいました。


 医院では点滴をしながら様子を見ましたが、めまいと吐き気の症状はいっこうに改善せず。コンピューター断層撮影装置(CT)で頭部を撮影しても異常は見つからない、ということでしたが、脳外科専門の院長先生は「症状が治まらないところを見ると、脳梗塞の疑いが排除できない。脳梗塞はCTでは判断しづらいので、専門の病院に移った方がいい」と、昼前、転院先を確保してくれ、母は妹に付き添われ救急車で病院に運ばれました。


 診察にしばらく時間がかかるだろうと思い、私はいったん車で帰宅。父と一緒に朝昼兼用の食事を取り、2人で母の転院した病院へ。妹と合流してまもなく、当直の若い医師から病状の説明を受けました。神奈川はここ数日、暑い日々が続いていたようなので、熱中症かな、と思っていたのですが、見せられた磁気共鳴画像装置(MRI)の頭部映像には、後頭部にぼんやり白い影。「小脳の右側で血管が詰まっています。脳梗塞ですね」という先生の言葉が、なんだか遠いところで響いているようでした。


 「命に別状はありません」という言葉には少し安心しましたが、小脳は運動機能を司っており、母は体のバランスが取れなくなる「体幹失調」という状態で、めまいと吐き気はひどい船酔いのような状態だとか。「血が行かなくなってダメージを受けた部分は回復することはありません。当面は、なぜ血管が詰まってしまったのか、その原因を調べて再発を防ぎます。体幹失調についてはどこまで回復するかまだ分かりません。場合によっては2~3週間の急性期を過ぎた後、リハビリ専門の病院に転院する必要もあるかもしれません」とのことでした。救いだったのは、朝すぐに救急車を呼んだ方がよかったのでしょうか、と尋ねた時の「むしろ、最初の病院で脳梗塞を疑って転院させたというのはいい対応でした。救急車を呼ばなかったから悪化した、ということはないと思いますよ」という返事でした。


 説明を受けた後、3人で母の入っている集中治療室に見舞いに行きました。血液をサラサラにしたり、脳を保護したりする点滴のおかげか、吐き気も少しは治まった様子。会話を司る部分はダメージを受けていないのか、途切れ途切れながら「知り合いの人が急にひどいめまいがして、メニエル病だって診断されたんだけど点滴してもらったら何日かで治ったって聞いたから、私もそれだと思いこんじゃって」と話します。それを聞きながら、もう76歳になる母がどこまで回復するのか、81歳の父の世話をどうするか、ぼんやりと頭の中で考えていました。


 
 故郷に残した親が突然倒れる、いつまでも元気だと思っていた親が…。高齢化社会を迎え、いつでも、誰にでも起きうる“事件”に、私も遭遇してしまいました。医療や福祉を考える参考に、慌ただしかった4日間の様子を数回に分けてご報告します。

<編集グループ・飯島>

映像取材・おまけの話(大通公園から被災地、アフリカにつながる)

2012年07月02日

 前回、「フェアトレードを通じたすてきな出会い」でちょこっと紹介させてもらった、6月30日と7月1日に札幌の大通公園で開かれた「フェアトレードフェスタinさっぽろ」に行ってきました。2日ともまずますの好天に恵まれてかなりのにぎわい。店頭に飾られた、色も形も多彩な国内外の手作り品を見ているだけで楽しかったのですが、商品を通じた、国境を超えた支援の輪、人と人とのつながりにも感心させられました。動画ニュースはこちらです





 この、色鮮やかな「アフリカンバッグ」は、アフリカ東部のウガンダで作られた布を、福島で被災し、札幌に避難してきた人たちが縫製して作ったもの。益金はもちろんアフリカの子どもたちと被災者たちの両方に分配されます。被災地から避難してきた人たちにとって、避難先での大きな悩みの一つは仕事の確保ですが、こちらのバッグ作りはなかなか順調で、会社組織にしよう、という声も出ているとか。

 
 フェアトレードは元々、公正な価格で商品を買うことで発展途上国の生産者を支えよう、と始められ、最近では、国内外にかかわらず、厳しい立場に置かれた人たちが作った商品を買って、生活を支援していこう、という形で広がりを見せています。それでも、目の前にあるこのバッグが、福島に、そしてアフリカにつながっているのかと思うと、なんだか不思議で、そして、人間の力ってすごいな、という思いがこみ上げてきました。



 こちらはウガンダのエイズ孤児たちが作ったストラップ。益金の使われ方を知る前に、デザインが気に入って手に取った品ですが、聞いてみると、家もなく、学校に寝泊まりしていた子どもたちが組み立てた作品で、益金は、これまでに孤児たちの作業場、さらには生活のための養豚場になり、そして今は、孤児院作りが進められていて、8割方完成しているとのことです。



 こちらがウガンダ支援を続けているNPO法人「Peace」代表の山岸育美さん。ウガンダの民族衣装「ゴメス」を着て、バッグやストラップの販売に精を出していました。実は山岸さん、歌手としても活動していて、師である米国人音楽家がアフリカの子供たちの支援活動に関わっていた縁で支援団体を設立。貧困で学校に通えず、エイズ孤児の多いウガンダの支援に絞って活動しているんだそうです。


 山岸さん、年3回ほどウガンダを訪れて歌唱指導もしており、7月下旬から5人の女の子を招いて初の道内公演を計画しているそうです。会場などの情報はこちらにあります。公演ではきっと山岸さんもステージに上がるのでしょう。国境を超えてつながった山岸さんと子どもたちがどんなハーモニーを響かせるのか、私も聞いてみたいと思っています。

<編集グループ・飯島>

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 電子メディア局に在籍する「不特定多数」「老若男女」のメンバーで構成しています。他のブロガーのみなさんに比べると北海道の「通」とは言えませんが、曲がりなりにも北海道の最新情報を日々発信する職場から、何かしら皆さんのお役に立てればと思っております。

※イラストは道新グループの会員組織「道新ぶんぶんクラブ」のキャラクター「ぶんちゃん」 です。




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