【王位戦・網走にひたる】4・網走の偉大なばっちゃん、中川イセさん
2008年07月14日
将棋のマチ・山形県天童市と北海道の網走市を結びつけたのは、一人の天童出身のおばあちゃんだそうです。びっくりしますね。その、ばあちゃんって何者だ?と思いますね。
では、これからその人物を紹介しましょう。「元自民道連婦人部長、網走市議28年 中川イセさん死去 105歳」。2007年1月3日の北海道新聞の紙面からの引用です。
網走市名誉市民で元自民党道連婦人部長の中川イセ(なかがわ・いせ)さんが一日午後十時五十五分、入院先の網走市内の病院で老衰のため死去した。百五歳だった。自宅は同市南一○西四。葬儀は親族のみの密葬で行い、後日、市民葬が行われる予定。
一九○一年(明治三十四年)山形県天童市生まれ。女工や女中奉公など少女時代を逆境の中で過ごした。一九年(大正八年)、十八歳で網走の遊郭へ。その後、地元の資産家故中川卓治氏と結婚、牧場経営などに手腕を発揮した。網走市制が施行された四七年から網走市議を七期二十八年務めたほか、六一年から七三年まで自民党道連婦人部長として田中角栄元首相らと親交を深めた。網走監獄保存財団理事長などを歴任。九二年、女性で初の網走市名誉市民となった。
女性の地位向上や地域の発展に尽力、気さくで面倒見の良さから「中川のばっちゃん」と呼ばれて市民に親しまれた。晩年は自ら設立した介護老人保健施設「いせの里」で暮らし二○○四年八月から病院で療養していた。
*「政治家になれと」
武部勤・前自民党幹事長の話 学生時代からお世話になり、「政治家になれ」と勧めてくれた恩人。自民党道連婦人部長だったばっちゃんが、私の入党を後押ししてくれた。小泉政権で幹事長となったとき、自分の意志を貫くばっちゃんの顔が浮かびました。
すごいですね。極貧の中で女中奉公や女工をしていましたが、最後は山形から網走の遊郭に来たのですから、不幸のどん底だったかもしれません。でも、イセさんは挫けません。逆境をバネに前へ前へ出ます。そして、結婚を経て、地域の発展、女性の権利拡張のために戦うのです。自民党で、武部勤さんにとっては恩師のような存在だったそうです。
「北海道は自由と平等の土地。私を一人の人間として認めてくれたのよ」。イセさんはそう語っていたそうです。北海道民として、感動せずにはいられません。
北海道には囚人による開拓や貧困士族の入植など、暗い側面もありますが、イセさんを見ていると、北海道の可能性を示した女性だと思わずにはいられません。
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コメント
すごい!こんな人もいたんだ。感動でした。これからも各地域の歴史や人物を紹介してください。長考中に読ませていただきます。
投稿者: 投了早男 | 2008年07月14日 17:12