あれから2年余 今も続く原発事故避難者の苦悩と困惑

2013年06月20日

 東電福島第1原発の事故で「計画的避難区域」に指定され、全村避難を余儀なくされた福島県飯舘村。もっとも汚染の深刻だった村の南部、長泥地区で区長を務めていた杉下初男さんという方の講演が6月18日、北大で開かれると聞き、行ってきました。杉下さんの口から聞かれたのは、帰村と復興への希望ではなく、事故から2年余を経てなお将来への展望が開けず「これからどうやって生活していこうか」と思い悩む被災者の姿でした。

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 杉下さんは農業と石材業を営み、奥さん、お母さん、息子さんと4人暮らし。東日本大震災の当夜、原発で働くもう1人の息子から「原発の中は大変だ。避難して」とメールが来ましたが、停電でその他の情報がまったく得られず、3月12日の福島第1原発1号機の爆発の映像を見たのは3日後の15日。18日になって「いよいよ大変だ」と家族で千葉県に避難しました。

 以降「二転三転の避難生活」を続け、現在は福島県伊達市の借り上げ住宅に入居。自分の農地も石材工場も使えないため、知り合いのところで倒れた墓石の修復の仕事などをしているそうです。部屋数が足りないため、お母さんは埼玉県の弟さん夫婦宅に身を寄せているそうです。被災者がまとまって住んでいる仮設住宅と違い、借り上げ住宅は被災者が孤立し、声を上げる場もなく「悶々としていた」ため、昨年から借り上げ住宅に入居している被災者の組織化に取り組み、伊達方部飯舘自治会を立ち上げて会長に就任。今年は花見も開催し、とても喜ばれたそうです。

 杉下さんが真っ先に口にしたのは、無用の被ばくに対する怒りでした。村は原発爆発後の3月15日、南東の風に乗った放射性物質の影響で激しく汚染。しかし、避難指示が出された半径20キロ圏内どころか、屋内待避の指示が出された30キロ圏内からも外れているため、多くの村民は村に残っており、「計画的避難区域」として1カ月後をめどに避難を求められたのは4月に入ってから。「『直ちに健康に影響はない』と言われ、2カ月間、不要な被ばくをしてしまった。いかに被ばくさせないよう避難させるか、それを第一にすべきではなかったか」。この無用な被ばくに対する補償は、昨年7月に長泥地区の住民が原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)に申し立て、ようやく先月、賠償を認める和解案が提示されたばかりです。

 今後の生活の話になると、杉下さんの表情はさらに曇ります。

 村は昨年7月、製造業や、復旧・復興に向けて金融機関やガソリンスタンドなどの営業ができる「避難指示解除準備区域」と、準備区域より内容は限定されるものの、一定の事業の再開が認められ、立ち入りもできる「居住制限区域」、年間被ばく放射線量が50ミリシーベルト超で長期間戻れる見込みがなく、立ち入りを制限する「帰還困難区域」の三つに再編されました。長泥地区はもちろん帰還困難区域です。

 再編を受け村は、来年秋から翌春までに避難区域を解除して帰村宣言をしたい考えで、これに向け、村内での除染作業が本格的に始まっています。避難先での仕事がアルバイト的なものしかないのに比べると賃金も高く、杉下さんを含め多くの村民が、自分たちが帰る日を夢見て、炎天下にヘルメット、マスク、手袋着用という姿で、放射能に汚染された表土をはぎ取ったり、堆積物を手作業で取り除いたり、厳しい作業に懸命に取り組んでいます。

 しかし、山林の多い飯舘村では、雨のたびに放射能が流れ出すなどの理由で、都市部ほどには除染の効果が上がらないそうで、「早く除染して家に帰りたい、というのは高齢者ばかり。若い人は『本当に安心できるくらいまで除染できるのか』って疑問に思ってる。若人や子供たちはもう戻ってこないだろう」といいます。杉下さん自身、飯舘で石材業を再開しても、主に首都圏にある取引先からは「飯舘のものは売れない」と言われているそうですし、汚染された農地の除染にかかる費用が、その農地の評価額とは桁違いの莫大な金額になることにも疑問を投げ掛けていました。

 「帰村できるとして2年後。その時のことを考えると『もう大丈夫だろう、生活も安定しているだろう』という気持ちになるどころか、『あと2年、先の見えない生活が続くのか』という思いだ」という杉下さん。60代半ばという年齢もあり、もう一度やり直すにはぎりぎりのところだ、と強調。ただただ帰村を目指すために非効率な除染を続けるばかりでなく、国は「もう村では生活できないだろう」と考える人たちや、帰村が可能になるまで待てない人たちにも寄り添い、農業や事業のための代替地を見つけ、新たな土地で安心して暮らせるような選択肢も用意するよう方向転換すべきだ、と訴えました。

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 被災地の現状に目を向ける機会も少なくなり、ただ何となく、多少なりとも復興は進んでいるんだろう、と思っていましたが、先の見えない日々が続くごとに、悩みや迷いが積み重なっていることを思い知らされた講演会。被災者の皆さんが将来に希望の持てるような政策が打ち出されるよう、微力ではありますが、今後も、被災地の状況に関心を持ち続けたいと思いを新たにしました。

<編集グループ・飯島>

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