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プロゴルファー崎山武志の旅立ち

2013年04月28日

 人間の旅立ちとは、いつのことを言うのだろうか?
 日本プロゴルフレギュラーツアー、つるやオープンではプロ宣言直後の大学生、松山英樹21歳がプロ初優勝。彼はアマ時代の2011年、三井住友VISA太平洋マスターズで優勝しているので、これで2勝目だ。
 初日、日本プロゴルフレギュラーツアー史上初のエージシュートを達成した尾崎将司プロは、最終的には2アンダー51位だったが、45歳年下のチャンピオンを祝福した。
 だから松山プロの旅立ちは、これ以上ないぐらいの見事なものだ。ただ、それは誰もが望むがほんの一握りのものだけの特権だ。
 日本にはプロゴルファーが3000人いるという。ツアープロは1000人、2000人はレッスンプロだという。1000人のツアープロのうち、シード選手という大会への参加権を勝ち取ったものは年間獲得賞金額60位以内の選手たちだ。この他に前年の同大会での上位入賞者などが参加権利を得るが、信じられないぐらいの狭き門なのだ。
 ツアー選手になっても、1シーズンの大会参加経費は、最低でも1500万円。交通費、宿泊費、参加料、キャディ費用、練習費用などが必要になる。つまり、1500万円を稼がないと続けられないのだ。
 たいていの場合は、年間費用を稼ぐことができずに、撤退することになる。
 メーカーなどの契約はトッププロに集中するから、メーカーなどとの契約金も当てにできない。

 昨年8月、北海道オープンで優勝した知人の崎山武志プロも、レギュラーツアーの常連ではなかった。出場できる試合はわずか、よほどゴルフに詳しい方でなければ名前も知られていない。
 昨夏、北海道オープンでの優勝も私は道新で知ったのだ。お祝いを伝えに昨秋の全日空オープンに出向き、久しぶりに会えたのだ。
 「来年から、50歳になりシニアオープンに出場できます。そこで頑張ります」
 北海道との縁は生まれて3歳までいた函館なのだが、苦労人だ。ゴルフは高校を出て務めたキャバレーの黒服時代にお客に教えられ始めたものだ。プロテスト合格は30歳、信じられないぐらいの遅咲きだ。
 試行錯誤の連続、人生に迷うこともあった。予選落ちが連続したことも多々あった。支えはただ「ゴルフが好き」ということだったのだろう。
 4月19~20日は、私はキロロでの「岡部哲也杯スラローム大会」へ。
 27日、そういえば今年のシニアツアーは始まったかな?と開いたネットの画面。
 国内シニアツアー開幕戦、金秀シニア沖縄オープンはシニアルーキー崎山武志が逆転優勝。シニアデビューで初優勝を飾った。その後の文字は目をこすりこすり、何度も読んだ。
 21歳で旅立つものもいる。
 50歳で旅立つものもいる。
 プロテスト合格から苦心惨憺の20年を越えて、いまようやくスタートしたシニアプロゴルファーがいる。
 何度目の旅立ちだろうか?七転八起、何度目でもいいのだろう。
 スポーツは時々、こういう旅立ちのドラマを見せてくれるから嬉しいのだ。
 やったね、50歳の新人選手!

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コメント

ジャンボが松山選手の肩を抱いて祝福しているのを見てジャンボも良い意味で人間が変わってきたなーと感じました、崎山プロおめでとうございます、人生に定年はありません、いつでもスタート台です、とても良い記事でした。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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