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世界に通用する、日本流でなければ!

2013年01月31日

女子柔道指導者の暴力・パワハラ行為に対する選手からの告発問題は、園田監督が謝罪、辞意表明となりました。
 きわめて当たり前だと思うのですが、この間の混乱の原因は全日本柔道連盟(全柔連)の隠蔽体質にあると言わざるを得ません。
 園田監督の暴力行為への告発は、ロンドン五輪直後の昨年9月下旬でした。全柔連はこの告発した選手から聞き取り調査し、11月には園田監督に始末書を提出させ厳重注意処分としました。
 この最中の11月5日には、園田監督の留任が発表されたのです。
 男子監督は篠原監督の留任か別の人事になるか、この段階では未定でした。女子は金メダルがあり、男子は無しだからこういう決定なのかと思いながら、何か急いでいるなと思っていました。
 しかしこの間、選手たちは諦めることなく全柔連がだめならば、日本オリンピック委員会(JOC)へと15人連名で告発したのです。
 そして表面に現れたのが年を越した1月30日です。
 15人がまとまったから、柔道の未来が保障されたのです。
 それにしても、9月下旬から1月下旬まで4か月もかかりました。だから、全柔連は隠蔽と言われるのです。
 会見で頭を下げた全柔連の小野沢弘史専務理事は、私の早稲田大学教育学部教育学科体育学専修の同級生です。函館中部高卒の道産子同士でしたから、柔道界の幹部になったことを誇りに思っていました。大学卒業以来、会う機会はありませんでしたが、TV画面を見て私も辛いものがありました。
 東京で2度目のオリンピックを望むのなら、日本のスポーツ文化の健全性を総点検しなければなりません。
 日本では、当たり前とかそれが日本流とか思われているものが、本当に国際的に通用するのか総点検が必要です。
 今回の報道の中で、これはまずいぞと思ったのは、園田監督が負けた選手を平手打ちしたとき、居合わせた海外チームのコーチが見かねて止めたということでした。
 海外ではあり得ないことを、日本人は平気でやる。いったい、日本人とはなんなのかと思われることは、きわめてマイナスなのです。また、海外のコーチなら他国のことでもスポーツ文化に抵触していると思えば止めさせるが、日本では止めさせるどころか同調してしまう。ここを解決しなければ、日本は国際的に一流と言われないのです。
 私も全日本スキー連盟のアルペン女子チームのヘッドコーチ経験があります。
 手は出しませんでしたが、口は出し、大声で叱咤し、それが熱血コーチと信じていたのです。
 そんな私を一言でKOし、目を開かせてくれたのは、青森の中学生でした。全国中学大会優勝の将来性抜群の選手でした。この選手を初めて全日本合宿に呼んだ時のことでした。私は彼女が喜んでくれていると信じて疑いませんでした。
 そして聞いたのです。「どうだ、全日本合宿は楽しいか?」と。
 「なも たのしくねえ はなす、ながすぎて つかれる」 これがKOパンチでした!
 話せば分かると、毎日ミーティングしていたのです。リラックスさせることを忘れていたのです。
 そのあとで、初めて連帯感を持てた気がします。
 指導者といえども、時には中学生の言葉に教えられることがあるものと思うべきです。

勇気ある女子柔道家を支持します

2013年01月30日

 私は、勇気ある15名の女子柔道選手を支持します。
 告発した相手は、監督、コーチ、全日本柔道連盟。いずれも選手選考権を持つ、いわゆる「権威」そのものです。
 不安、恐怖は並みのものではなかったことでしょう。それを越えて告発に踏み切ったことは、勇気と彼女たちが忘れなかった「柔道の未来」です。
 スポーツは4つのFで表されると思います。
 フェアプレー・フレンドシップがあってはじめて、ファイティングスピリットが認められ、この方式が完成してそのスポーツがフユーチャーマインドといわれる未来を見通した発展性が備わるのです。
 全柔連は、聞き取りして事実と認定したから厳重注意し始末書をとった。だから監督、コーチは続投だといいます。しかし、それでは何も解決できないと選手たちは思ったのです。
 そして全柔連を監督する日本オリンピック委員会(JOC)に告発したのです。
 JOC、文科省は実態を調査してください。それしか彼女たちを守る方法はありません。
 全柔連の皆様、監督、コーチは反省しているから続投だとしていますが、一体感・連帯感・信頼感はあると思いますか?
 世界は「JUDO」の時代です。
 柔道をスポーツの世界で考えませんか?

遠軽に、なにわの浜風、春運ぶ

2013年01月25日

 固く信じてはいたものの、決定の知らせをきいて、じわっと嬉しさがこみあげてきました。
 遠軽高校、春の選抜甲子園出場決定、おめでとう。
 縁も所縁も、あるかな?ないかな?それはどちらでもいいのだけれど、昨秋の戦いぶりはじっくりと見させてもらったから、堂々の戦いは期待できるでしょう。
 必要なことは、36校のなかで一番弱いと思い、必死の戦いに徹することでしょう。甲子園が与えてくれるものは、必死のプレーに対する共感の拍手。そして母校の伝統になる浜風の匂い。
 応援しているよ。

澄博、もう一度 会いたかった

2013年01月20日

 札幌冬季五輪から40周年を迎えた2012年、つまり昨年初頭から頭をよぎることがあった。
 あの札幌五輪から、もう40年、まだ40年!?
 1972年の札幌は人口100万人、40年たった2012年は人口190万人。間違いなく、オリンピックが札幌を大きくしたのだ。
 40周年記念行事は、何が行われるのだろう?
 行事はオリンピアンへの敬意を強調したものがいいなあ、少なくとも当時の代表選手を札幌に招待し、おかげさまで「天然雪が根雪になる、北方圏最大のオリンピック開催都市となった札幌」を、見ていただくようなものが望ましいと思った。
 こう思ったのは、2003年に行われた長野県野沢温泉村のスキークラブ創立80周年、スキースクール開校50周年を知っていたからだ。
 村に降る雪を雪室に保存し、江戸幕府に真夏に献上する知恵が受け継がれ、7月20日に行われたのは上の平高原に出現した全長200メートル・幅80メートルの天然雪のゲレンデだった。
 野沢温泉村出身の五輪選手は14名。かれらは故郷のゲレンデを見事に滑った。
 レルヒ少佐直伝の一本杖スキー、村の木こりに伝わる、わら靴スキー、スキー少年団の見事な滑走。
 このイベントに私は総合司会者として参加していた。
 野沢温泉村にいる古川年正(現、SAJ強化本部長・野沢温泉村スキークラブ会長)から、依頼があったのだ。依頼の電話の第一声は「リュウジさん、金にはならないんだけど、、」というものだった。
 野沢のイベントを報告した私の師匠笠谷幸生氏は、こう言った。
 「その内容なら、こっちがお祝い持って行かなきゃならない。長野のイベントなら、長野にも東京にも司会者はたくさんいるだろ。それがお前のところに来るんだから、、、一生懸命やってやれ」

 午前中の雪上イベントのあと、午後はパーティだった。
 札幌冬季五輪アルペンチーム監督だった片桐匡氏が言ってくださった。
 「伊藤君の司会はいいなあ。君はアルペンもノルディックも知り合いがいて、いいなあ」
 片桐氏はこの年の秋、逝去された。パーティで撮った写真が宝物になった。

 パーティのあとの打ち上げ会で私は号泣した。
 緊張が緩んだのと、笠谷氏の言葉を紹介したこと。そしてこのイベントを指揮したのが河野博明スキークラブ会長、冨井澄博副会長、片桐幹雄スキースクール校長など、昔の仲間たちだったのだ。

 今年の冬になり、札幌五輪の選手たちと五輪会場で滑れたらいいなと思っていた。
 それとも、野沢温泉村に集まるのもいいな、と思うようになった。本部は澄博の民宿に置いて、私が陣取り、あとは分宿すればいいと思った。なにか知らずに澄博の民宿「まるじ」が気になり、まだ一度も泊まっていないなと思った。正月には、年賀状がらみで澄博の娘さんが着物をきた昔の年賀状を思い出した。  
 そして、きょう1月20日、冨井澄博氏が亡くなったことを知った。

 1972年札幌五輪のあと、コーチは私、選手でまともなのは「さんじ」こと冨井澄博、滑らせたらどこに行くかわからない「けんじ」こと鈴木謙二、デビュー直後の「ミッキー」こと片桐幹雄の4人で「ジャパンさすらいダウンヒルチーム」を組んだことがある。チーム備品はトランシーバーが一組。しかしコーチは私だけで会話する相手がいない。さあ、次はコルチナだと着いてみたら、雪ではなくタンポポの花盛り!
 こんなチームでもでかい顔で挑めたのは、世界クラス冨井澄博がいたからだ。外国のコーチや選手が驚くのは、30~40メートルも飛ばされるジャンプでもクローティング姿勢が組めること。「クレージー」と呼ばれたのは、世界クラスの賛辞だった。
 私が生涯忘れられない事件が起きたのは、1973年のサンモリッツワールドカップだった。
 スタート前、私はマッサージしながら必死に「さんじ」に呼びかけた。みんな、滑ってないぞ!チャンスだ!来年はここで世界選手権だぞ!千載一遇のチャンスだ!あきらめずにいけ!
 気温マイナス18度、雪温マイナス17度、細かい粉雪の吹雪だった。
 各国とも、前日までのスピードは無かった。
 「澄博、さんじ、いけるぞ」「はい~」今まで聞いたことのないような、大きな声での返事だった。
 しばらくして、タイムが発表された。1位に28秒遅れだった。けんじとミッキーが蒼白な顔で聞いてきた「どうするの?」私には策はもうなかった。ただ、二人のスキーのワックスをはぎ取るしかなかった。
 二人のタイムを見て仰天した。けんじは4秒差、ミッキーは5秒差だった。地元スイスの世界チャンピオン、ルッシは20位、けんじは0・1秒差で21位だった。オーストリアが10番以内に7人と圧勝した。
 あわててワックスをはぎ取ったけんじとミッキーのスキーは、滑走面ががたがたになり、それが超低温で粉になった雪と滑走面の間に空気を入れ、滑ったのだ。さんじのスキーはピカピカすぎて雪に密着したのだ。レース終了後、三人のウエアと予備スキーを担いで下山した私を、彼らは途中で出迎えてくれた。私は手をついてさんじに謝った。「エースに屈辱を与えたのは私だからだ」。
 「いいですよ、地元のスイスチームだって全滅ですから。それにしても、滑降の途中でスケーティングしたのは、生まれて初めてだったわ」選手が笑い、遅れて私も笑い、澄博はユーモアとウイットでチームを救ってくれた。
 そういう澄博が好きだった。
 2003年7月20日。打ち上げ会には、あの日から30年の冨井澄博がいた。寡黙ながら、不思議な温かみを持つ男は、何も変わらずそこにいた。

 あのイベントは数年前かと思っていたら、そうか2003年だったのか!
 この夏はスキークラブ創立90年、スキースクール開校60年になるんだな!
 ゆっくり、野沢温泉村に行きたい。まるじに泊まり、幹雄のところ、年正、政夫のところも梯子して歩きたい。
 もっと、澄博と会いたかった。
 明日の葬式には行かない。しばらくは札幌で待ってるよ。恵庭岳はもう滑れないけど、手稲山には案内できるから。
 奥様、お嬢様、私も2008年に妻を乳がんで亡くしました。
 お話をお伺いできると思います。夏にゆっくりお伺いいたします。
 それまでは、澄博の愛したスキー仲間たちが、守ってくれますよ。

 世界クラスの滑降選手。卵型姿勢世界一。
 ユーモアとウイットに富んだ、ダウンヒラー、冨井澄博君を偲んで。

期待!40歳代飛行士の大飛躍!

2013年01月17日

 19日、20日、札幌大倉山でスキージャンプワールドカップ(WC)が、行われます。
 19日は、試技開始が17時から。20日は9時半から試技開始です。
 若きエースの清水選手は世界ジュニア選手権のため、参加しませんが、私の注目は42歳と40歳の年長ジャンパーです。
 世界最年長の岡部、続くのが葛西の両選手です。
 2日間出場できるのが、この他に伊東、竹内、渡瀬、小林。地元開催国枠で栃本、作山、伊藤、鈴木、渡部、田仲です。
 私の一押しは42歳岡部孝信です。
 今季の実力で代表権を獲得しました。
 勝って喜ぶ姿も、負けて悔しがる姿も表面には見せませんが、ただ淡々と飛ぶだけではなく、「仕事人ジャンパー」としてジャンプに対してまじめなのです。昨年の膝の痛みが今年は無く、飛ぶことが楽しいのだそうです。
 大倉の風が荒れると、風を知り尽くした岡部の株が上がります。
 札幌初戦の雪印メグミルク杯から、私は「常に上位を占めて、札幌WCで勝負だぞ!」と、岡部に言い続けてきました。岡部は明るく「はい」と言っています。
 40歳の葛西も元気です。
 この二人は同じ下川町出身の幼なじみ。下川人は粘りが信条なのですね。
 岡部の良いところは、ユーモアとウイットに富んでいるところ。
 女子ジャンパーの世界最年長、32歳の葛西賀子にこう言ったそうです。
 「ジャンプ界は、沙羅ちゃんブームだから、俺たちが目立つためには、世界最年長男女ジャンパーがアベック優勝しかないぞ」と。
 実は私もそれを考えていたのです。
 正月早々、岡部に会って私はそれを言ったのです。そうしたら、賀子と打合せ済みですと明るい返事でした。
 皆様、どうぞ大倉山へ!
 地下鉄円山公園駅から市バスが出ています。暖を取りながら観戦できます。
 世界に類のない40歳代ジャンパーの雄姿を目に焼き付けてください。
 文字通り、「北海道プライド」ですよ。

日本の優位性を保つには!

2013年01月11日

 昨年、札幌スキー連盟、伊藤義郎会長あてに「強化提案書」を提出させていただいたが、1年後に内容の訂正をしなければならない状況になった。
 2017年に札幌と帯広を会場にして、冬季アジア大会が行われる。
 また2017年という年は、2018年に隣国の韓国・平昌で行われる冬季五輪の1年前のため、プレ五輪として各種のレースが五輪会場で行われる。
 それを背景にして、私はこう分析した。
 韓国はソウル夏季五輪に続いて、平昌冬季五輪を国策として行い、世界に平和国家としての韓国をアピールしようとしている。そのために、国をあげての強化が行われ、冬季アジア大会では各種目で韓国に圧倒されるだろう。日本が2017年段階でなお優位に立てるとすれば、純ジャンプと複合競技ぐらいではないか、というものだ。
 それが、きょうつまり2013年1月11日段階で、純ジャンプの優位性は消え、複合だけと訂正しなければならない。
 確かに、女子ジャンプは優位性が保たれるだろうが。
 きょう、行われた札幌五輪記念大会兼コンチネンタルカップでは、韓国ジャンプチームがベールを脱いだ。
 チェ・ソウが5位、チェ・ヒュンチュルが17位、カン・チルグが37位、キム・ヒュンキが53位。なかでもチェ・ソウ選手は、91・5mと93・5m、合計236・5.2位葛西紀明が247・5、3位清水礼留飛が244・0であることと比べれば急速の進歩だ。
 ドイツ人のコーチのもと、組織だった強化が始まっている。
 札幌冬季五輪・長野冬季五輪での日本の強化は1年間で過去5年分の強化をしたものだ。ヒト・モノ・カネが5年分、五輪前1年間に投入された。
 韓国は国の悲願として強化を進めるだろう。

 記者会見でドイツ、オーストリア選手に質問した。
 今季はどれぐらい雪上トレーニングをしてきたか?
 答えは「数えたことはないが、100?200?300?、自分自身のホームジャンプ場はガルミッシュ・パルテンキルヘンだ」
 これが欧州勢と日本勢の差なのだ。日本選手は名寄で70~80本のジャンプ、札幌で20~30本だ。つまり、11月に飛べる台は日本にはないが、欧州には存在する。
 だから、各国のどの台が飛べるのかを調査し、合同合宿を計画しなければ追いつかないのだ。
 柔軟な発想で行動する必要があるのだ。 

慈しみ、尊敬心こそスポーツ

2013年01月09日

 体罰をする指導者は、自分の弱さを悟られまいとして「暴力という権威」の衣を身にまとう者だ。
 
 先日、日本アイビーエム・ソリューション・サービス株式会社で講演させていただいた。
 後日、いただいた感想文にはこう記されていた。
 「伊藤氏の経験談をベースに笑いあり、涙あり、そして指導者としての10の心構えをお話しいただいた。とても文字には表せないくらい久しぶりに講演で感動した。たくさんの感動からひとつだけ抜粋します。
 「専門家とは公開できる者のことだ。自信があるから公開できるばかりでなく、公開するから自信がつくということもあるのだ。原点はフェアプレー。人間の弱さを超えるためにもフェアプレーの指導を。」
 時代の先端企業の戦士たちが、時に笑い、うなずき、時に涙することに私自身が驚いたのだが、「指導者10則」は確実に届いたのを感じて嬉しく思った。
 この10則は2005年12月13日の「いい汗いい話」に掲載したものだ。
 大阪のバスケ部キャプテンの自殺を受けて、2つの規則を書かせていただく。
 「大人の自分と子供の選手を比べるな。コーチは選手と同年齢だったころの自分を思い返せ。あの時の自分を教えてやろうと思えば、選手に対する慈しみの心が生まれるものだ。」
 「目の前にいる選手は、後継者。自分が指導している選手は、自分が情熱を傾けた愛する競技の後継者なのだ。この選手によって自分の指導も未来につながると考える。そうすれば選手への尊敬心が生まれるものだ。」

 指導者というならば、大人であっても年下の選手に対し、慈しみや尊敬心を持てる要素を徹底的に探さねばならない。そうせずして自殺に追い込むなどは論外だ。

 オリンピックに関する重要な話を記しておこう。
 次期五輪から、7人制ラグビーとゴルフが正式競技に決定した。
 この両競技に共通しているものは、「紳士的スポーツ」ということ。ラグビーは競技中は監督・コーチはベンチ入りはできず、チームを指揮するのはキャプテンだ。また、ゴルフには競技委員はいるが、審判は自分自身だ。
 監督やコーチが判定に対し執拗に抗議するのは、見苦しい限りで「スポーツマンシップ」「フェアプレー」精神に反するとIOCは考えている。
 各種球技のなかでバスケットボールの監督は、審判への抗議、自軍の選手への叱責においてトップ級だと思う。そういうことが体罰につながりはしなかったか?
 スポーツで死者を生み出してはならない。
 慈しむ心、年下の選手に対しても尊敬心を持てるか、すべての現場で点検が必要だろう。
 キャプテンの冥福を祈りたい。

支援を受けて、田仲優勝!

2013年01月08日

 毎年、正月直後に行われる雪印メグミルク杯全日本ジャンプ大会は、ジュニアの部もあり参加選手数が多いことで知られている。
 今年はジュニアの部が14名、女子の部15名、少年組27名、成年組54名。
 この他には、全国のスポーツ少年団に70名、全国の少年組に30名としてみると、全国合計210名となる。つまり、日本全国をさかさまにしても200名余の選手しかいないのだ。だから、絶滅危惧種的競技?なのだ。
 たとえば1972年札幌冬季五輪の金銀銅メダリスト3人の所属先を見れば、ニッカウヰスキー・拓銀・雪印だった。それ以前は炭鉱の時代で、羽幌炭鉱・三井芦別・などが選手を抱えていた。大所帯は国鉄北海道だった。
 スキージャンプが絶滅危惧種になったのは、学校体育としての部活の低迷、日本独特の形である企業スポーツの衰退が原因として考えられる。
 事実、成年組での企業をみると、日産自動車テクニカルセンタースキー部・トヨタ自動車北海道・マズシャスジャパン・天山リゾート・高翔会・環境ネットスキークラブ・FITSKI・長野市スキークラブ・東京美装グループスキー部・清光社SC・北海道ハイテクSC・そして加森観光&井原水産が各1名。
複数の選手を抱える企業は、雪印メグミルク・北野建設・土屋ホームスキー部・日本空調だ。
 このなかで今季の注目株は、加森観光&井原水産だ。所属選手は田仲翔大ただ一人。つまり、2社が合同で田仲選手を応援してくれるのだ。年間の活動費を援助されている。当然、田仲選手にしてみれば必死で成績を残さざるをえない。
 プレッシャーもかなりのものだろうと心配していたが、田仲選手は国内ラージヒル開幕戦のUHB杯で優勝した。加森観光&井原水産&田仲翔大の夢がいきなり実った。
 大勢の部員を抱えるのは経費上問題があるとしても、活動費の支援としてスキージャンパー一人を応援してもらえないだろうか?
 そうすれば、企業のスポーツマインドを広くアピールすることは可能だと思う。
 不思議なもので、私ですら加森観光と井原水産には親近感を覚えてきたのだ。
 スキージャンプは北海道の国技だ。
 日本対ノルウェー、オーストリア、フィンランド、ドイツという戦いの図式は極言すれば、北海道対海外強豪国なのだ。だからスキージャンプは「北海道プライド」なのだ。
 もし、選手への支援をお考えの企業があれば、わたしが仲介役になったり、コーディネートをすることができると思う。
 北海道の国技のためにぜひお力をいただきたい。
 女子ジャンプもいよいよ五輪種目として出発だ。女子ジャンプは、美しく可憐、健康的で迫力もあり狙いどころだ。
 高梨沙羅選手がTV画面から「全力!」と声をかけるたびに、私などは「はい」と返事してしまうのだから。

娘が演出した父の誕生日

2013年01月06日

 葛西政信の誕生日は1月7日だ。
 息子は9年前に最高のプレゼントをしていて、さらに今年からは政信と妻淑子にとって願ってもない希望の星に、成長したのだ。
 プレゼントとは、双子の姉妹。小学校3年生になった葛西優奈と春香は今年女子ジャンプの選手としてスタートした。
 優奈と春香の父もジャンプ選手だったが、優奈と春香にとっては父よりも叔母である葛西賀子の存在のほうが大きかったに違いない。
 賀子は32歳になる現役女子ジャンパーだ。
 賀子はいう。1月5日の雪印メグミルク杯は優勝を目指します。10年前の1月5日は復活優勝した日なので、、、。
 2001年の父の日、賀子は宮の森ジャンプ場で転倒し、頸椎5か所を骨折。奇跡的に神経の損傷はなかったが、寝たきり3か月、首の固定装具は9か月間装着。頭の重さに首が耐えられず、寝起きは家族が総出で頭と首を支えたという。
 その賀子が苦しいリハビリのあと、再起をかけた全日本級の大会が10年前の1月5日の雪印杯だった。
 「おばあちゃん、両親、おにいちゃん、全員来たのは初めてです」と、賀子は言ったが、私を含めて全員が99%の不安と1%の期待でいたと思う。
 賀子は優勝し、「父の誕生日、7日なんです。公式戦優勝で、いい誕生日になったかな」と笑った。
 
 今年の雪印メグミルク杯は、10年前の再現はならなかった。
 しかし賀子は父の誕生日に粋な演出をした。つまり、誕生日を前夜祭と本祭という2日間の祝祭に変えたのだ。しかも双子の姪っ子、優奈と春香の目の前で、、、。
 1月6日、UHB杯ラージヒルジャンプ大会。1回目は92mで4位の賀子が2回目には116mを飛び逆転優勝した。
 1回目の後、賀子は私に「アプローチさえ、滑れたら、行けます」と、言った。
 私はただ、「ドカンとまくってみろ」とだけ、言った。そして賀子はドカンとまくった。
 賀子は時々とんでもないことをやる。そういう精神力がないと、結婚してミセスなのに32歳という世界最年長ジャンパーを張ることはできない。賀子が影の主役になったのは、1998年、長野五輪のテストジャンパーとして、たった一人の女子ジャンパーとして奮戦し日本チームの金メダルに貢献した時だ。
 さらにとんでもないのは、いくら姪っ子が双子揃ってジャンプを始めたのが嬉しいからとて、「姪っ子二人と一緒の大会に出られたら」たまらなく嬉しいという。
 中学生になったら宮の森も大倉も可能性はあるけれど、それにはあと3年はかかる。と、いうことは35~36歳になるんだよ!!
 表彰式のとき、手製の横断幕を持ってお父さんがいた。
 その周りを元気いっぱいの双子ちゃんが走りまわっていた。
 葛西政信、淑子ご夫妻からの賀状には「現在はサラちゃん(沙羅)、サラさん(サラ・ヘンドリクソン)の時代ですが、娘も最後まで夢を抱いて進んでもらいたいものです」と、あった。
 大丈夫です。賀子は姪っ子だけの教科書ではなく、ソチ五輪から正式種目になる女子ジャンプの教科書として、世界最年長ジャンパーとして存在しています。
 スケートの岡崎選手のようにママさん選手としての道もあるかと思いますが、そのあたりは賀子のご主人を含めご一族で、ご検討を!!
 

データの奥には、人の情

2013年01月03日

 正月三が日が終わろうとしています。
 今日のNHK、BS-1、21時からの「勝利へのセオリー」で女子バレーボールの真鍋監督が証言しました。
 ロンドン五輪、銅メダルマッチの直前、対韓国戦のデータでは迫田選手の決定率が高いことがわかったそうです。しかし、先発すると火がつくのが遅いのだそうです。親友で練習要員でロンドンにきていた石田選手が、家族の体調不良で帰国しなければならなくなったのです。こういう状況のなかで真鍋監督は迫田選手に言ったそうです。
 「自分のユニフォームの下に、石田のユニフォームを着れるか?」と。
 結果は迫田選手の大車輪の活躍で、日本は韓国を破り銅メダルを獲得しました。
 女子バレーはデータバレーとよくいわれますが、真髄は「人を知る」ことだと、真鍋監督が証言したのです。
 昨年12月に行われた、皇后杯全日本バレーボール大会は、中田新監督率いる久光製薬が優勝。
 かっての天才セッター、中田久美監督は「現役の選手時代の優勝より嬉しい」と、涙を見せました。
 しかし、インタビューでは強烈な中田節がさく裂!
 「現役時代は金メダルしか考えたことはない」「ゲームを通して、相手と喧嘩できない選手はいらない」と。真実ですよね!
 さて、女子バレーボールは五輪で銅メダルを獲得しましたが、男子は出場権を逃しました。男子の強豪国は今や平均身長が205cmなどと、日本より10cm以上高いのです。この差は厳しいものがあります。ただ、身長差は急には逆転はしません。ならば、どうするか?
 国際バレーボール連盟は、チャレンジバレーボールという身長制限のあるバレーボールも普及させようとしていますが、今いち拡大してはおりません。ならば、日本はボールのサイズ変更か、ボールの空気圧の低下を提案してはどうでしょうか?
 これで成功したのが卓球です。ボールサイズを一回り大きくしてから、日本は強豪国に復帰したのです。ボールが大きくなるとスピードが遅くなり、中国にも対抗できるようになったのです。
 スポーツのルールは時代とともに変化するものです。
 また、五輪が肥大化するに伴い、五輪種目に採用されるか否かでそのスポーツの価値が変化するのです。次の五輪からはラグビーやゴルフが五輪種目に加わります。しかし、ラグビーは15人制ではなく7人制です。1チーム7人で7分ハーフです。ですから2~3日の日程で済み、TV中継にもとても便利なのです。
 時代は変わる、ルールも変わる、楽しみ方も変わって当然なのです。
 それでも、変わらない人の情、友の情というものがあります。
 たくさんの失敗の中から得た真実というものがあります。ともに戦えた五輪チャンピオン、世界チャンピオンの方々から教えられた真実があります。
 そういう内容ならば、お話できることがあります。
 もし中学校でそういう内容の話を聞きたいというご要望があれば、お伺いできます。講演料は必要ありません。交通費と必要な場合の宿泊代はお持ちいただければ、何処へなりと伺います。
 すでに新十津川中学校では実施しました。3月には別海町内の2中学校で行う予定です。
 連絡方法などは、私のホームページをご覧ください。

記録を背負って戻る勇者たち

2013年01月01日

 こういうチームには、なかなかお目にかかれない。
 勝ちと負けの幅がこれほど広いチームもそうそうはない。
 一大会で、最多得点と最多失点の両方の北海道記録を打ち立てるチームもそうはない。
 舞台はラグビーの聖地、大阪花園ラグビー場。
 全国高校ラグビー選手権大会。
 北海道遠軽高校は12月28日の1回戦で香川県代表、坂出工高を70-7で撃破!70点は北海道高校記録だった。そして30日の2回戦は4連覇を目指すAシードの東福岡高と対戦。結果は0-102で敗戦。102失点は、これまた北海道の高校記録となった。
 春に行われた選抜大会でも東福岡高と対戦し、この時は0-120という敗戦だった。
 高校のスポーツは、当然ながら教育の一環だ。
 もちろん、高校には公立もあれば私立もある。私立は入るものを拒まず、門戸は全国に開かれているのは当然だ。と、なれば、校名を全国に知ってもらおうと、特待生制度を利用して優秀スポーツ選手を獲得したいと関係者は考えるものだ。
 その結果、優秀中学生を斡旋するブローカーが生まれたり、外国人選手を斡旋する「関係者」が生まれたりもする。
 つい最近、行われた全国高校駅伝では、初出場の高校が初優勝を遂げた。この夢のような、普通ではありえない奇跡のような優勝は、東日本大震災などの影響で練習環境が劣悪化した高校から集団で転入生を受け入れた結果の話だ。
 元日に免じて夢物語を語るならば、こういう傾向が無条件に拡大すれば、将来の高校スポーツは特待生高校選手権と特待生なし高校選手権の分化が進むかもしれない。

 いずれにしても、遠軽高校は記録を打ち立てた。
 こういう状況は、監督や父兄、同級生たちの受け入れの言葉で、遠軽高校ラグビー部の敗戦は次なる伝統につながるのだ。だから、山内監督の言葉が光るのだ。
 「春から成長したから、18点縮んだ」。
 28日と30日に試合して31日には故郷に戻ったかい?
 へとへとだべ!普通の時でなくて、いかったな!暮れに正月だもの、食うものいっぱいあるしよ!
 餅食え、餅。傷や怪我治せよ。
 落ち着いたら、日本最強の東福岡高の物凄さを、後輩たちに伝えていけ、そしたら半年で18点縮んだんだべ、そしたら1年で36点縮むかもな、、、。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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