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引き際の美学

2012年12月31日

 日米の4番、つまり巨人軍の4番、そして大リーグ・ニューヨークヤンキースの4番を張った松井秀喜が引退した。
  マスコミ・野球界・恩師・ライバル・実に多くの方々が惜別の言葉を伝えていた。
  私が感じ入ったのは、ニューヨークヤンキースの対応だ。
  他球団に移籍した選手であるにも関わらず、異例の対応をしたのだ。松井に対して選手・球団幹部が次々と声明を発表。キャッシュマン・ゼネラルマネージャーは「彼は、誇りと規律と才能を持ってプレーした。みんなが自然に引かれたのは、彼の性格を表したもの。真のプロだった」と、言った。
  惜別の言葉としてはこれ以上のものはないだろう。
  自分の評価は自分がするものではなく、あくまでも他人がするものだ。しかし、それが難しい。焦り、あがき、よく見せたい、時には賞味期限はまだ切れてはいないから更に高く売りたいなど、引き際の美学ではなく引き際の醜態を見せるものもあらわれる。
  引退の引き金がけがというケースは多いが、けがとの戦いの期間は一般的にはやはり1年だろう。それ以上に及ぶ場合は、けがとの戦いというより、もはや体が競技に対応しないということだ。それは、引き際を考える大きな動機にすべきだろう。
  私の師匠、私をワックスマンとして認めてくださった札幌五輪ジャンプ金メダリストの笠谷幸生氏の引退発表は、私だけが聞いたものだった。1976年、インスブルック五輪の閉会式の翌日、笠谷氏が食事に誘ってくださった。食事の後、コーヒーを飲みながら「俺たち、札幌五輪で一度世界をやつけたことあるだろ?だから今度は俺がやるからよ!お前はアルペンに戻れ」というものだった。
  はがきとか、パーティとかはしないんですか?と聞けば「俺はアマチュアだもの、それは必要ないだろ」と、こたえ「5年ぐらいたって国体に出たくなったらどうするんだ?」と笑った。
  「今度は俺がやる」の前には「今シーズンが終わったら次は指導者として」ということばが隠されていたのだ。
  「国体に出たくなったら、、、」と、松井が言った「まだ草野球もあるし、、、」は、ジョークというよりは場を和ませる優しさだ。

  20年勤務したミズノを退社したが、独立後のNHKキャスターの仕事はミズノの会長が推薦してくださった。また退社後3年してミズノの社長は、契約社員として道を開いてくださった。
  あと1日で新しい年が始まる。
  評価を他者に預けて進む年にしたい。

沙羅ちゃん、こけたら!

2012年12月29日

 沙羅がこけると、株価があがる !?
 電話が鳴る、大学同期の天野からだ、大学入学と同時に社会学実践部に方向を定めた異色の活動家だ。同じクラスなのに姿が見えない。消息通は雀荘とパチンコ屋に行けば必ずいるという。
 その天野が何の用事?何かあったのか?
 開口一番、「おい、沙羅ちゃんは大丈夫か?」
 女子ジャンプW杯総合1位、今季すでに2勝、16歳の天才少女。海外4戦後に日本名寄で合宿に入り、その1本目に転倒し意識を失い病院に運ばれた。精密検査の結果は異状なし。
 このニュースが東京にいる、スキーとは一切無縁の天野の耳にも入ったのだ。
 ちょうど、早稲田大教授の今泉と神田で忘年会をやることになっていたという。
 自然に話題は女子ジャンプになり、期せずして「沙羅ちゃんは大丈夫か?」となり、じゃあ伊藤に電話して聞いてみようとなったらしい。
 沙羅という名前がいい。16歳というのは我々団塊世代にしてみれば、娘と孫の両面がある。背は高くない。頭脳明晰さが顔に現れている。だから、誰でも「沙羅ちゃん」となる。
 沙羅ちゃんを心配して、居酒屋に人が集まり金を使う。その金が回りだす。そして市中経済が活性化する。そうすれば株価も上がるというものだ。
 だから、沙羅ちゃんは大したものなのだ。
 天野はわれらが早稲田大学教育学部教育学科体育学専修が旗印として尊敬する、早稲田大学人間科学学術院教授、医学博士の今泉和彦教授に、短時間でも脳震盪を起こしたことに質問をしたのだろう。その結果、伊藤に聞いてみようとなったらしい。
 いやあ、いつも「もっといい汗いい話」を読んでいるよ。
 家の奴が深川出身で、俺以上に熱心に読むのさ。そして読みながら時々涙を流すのさ。どうしたと聞くと、いいの同郷だから分るのっていうんだ、、、。
 電話を代わった天野がいう。
 今泉が伊藤に会いたいな、会いたいなっていうもんだからさ、、、
 東京に来るときは教えろよ、、、
 そうか、沙羅ちゃんがこけると、友情も深まるのか!?
 同級生二人からの電話は、これ以上はないお歳暮だな、と私は思った。 

遠軽に春の予感

2012年12月28日

2016年、リオデジャネイロ五輪から正式種目になる競技に男女7人制ラグビーがある。
 7分ハーフ(決勝は10分ハーフ)で行われ、ハーフタイムは1分以内(決勝は2分以内)だから、競技そのものがスピーディ、日程的に2~3日で終えれることも評価されている。
 日本国内でも強化が始まり、27日道新「ひと」欄には遠軽高校の日向寺亜依さんが国内唯一の企業チーム「戸塚共立メディカルセブンズ」に入団すると報じられている。
 彼女は遠軽高バレーボール部主将からラグビーに転向。転向後は男子に交じってトレーニングしたという。
 27日から始まった全国高校大会は直前ゲームとして7人制ラグビー女子高校生エキシビションゲームが行われ、彼女は1トライ、3ゴールの大活躍だった。
 ラグビーへの関心は2歳上の兄のプレーを見てからだという。
 そして彼女の姿が男子遠軽高ラグビー部に火をつけたのか、開会式後の初戦で遠軽高は香川代表坂出高を70-7と圧倒し41大会ぶりに勝利した。また70得点は北海道勢の最多得点記録だ。
 このところ、遠軽高の名を聞くことが多い。
 つい先日は遠軽高野球部が来春のセンバツ大会の21世紀枠に入ったことが報じられた。
 円山球場で遠軽高の戦いをつぶさに見たが、選ばれてもおかしくはない。
 私自身は、遠軽には早い春が訪れると確信している。
 伝統を創るものは、日向寺亜依さんが言ったように「故障明けなのに、ぼろぼろになりながら戦った姿が忘れられない。私が兄の分も活躍したい」という意思の力なのだと思う。

がんばれ、最年長男女ジャンパー!

2012年12月27日

 今朝のNHKラジオ北海道で、スキージャンプの展望を語りました。
 今シーズンの男女W杯の成績と、年明け早々に始まる国内戦の展望です。
 女子W杯は、高梨沙羅がすでに2勝して、総合でもトップ!
 一時帰国での名寄合宿で転倒し、意識を失いましたが、精密検査の結果は異状なしとのことで一安心です。ただ、帰国前のW杯で転倒していましたので、帰国後の名寄合宿での転倒は少々心配なところです。
 雪が少ない中でのW杯強行開催で、各選手は雪の上でのジャンプが不足です。それで一時帰国の名寄合宿になったと思いますが、日本とヨーロッパの時差は8時間ありますから、思いのほか精神的、肉体的に疲労しているのです。コンディショニング最優先で行かねばなりません。
 男子は少し苦戦です。
 伊東大貴がいよいよ、年末年始のジャンプ週間から復帰します。幸か不幸か、膝の具合が悪く、11月の遠征には行きませんでした。その分、名寄で十分な雪上練習を積めましたので、期待大です。
 国内戦は1月5日の雪印メグミルク杯から始まります。1月は毎週週末にはジャンプ大会です。
 面白いのは、名寄の吉田杯で実現しましたが、42歳岡部孝信選手と18歳西方慎護選手の戦いです。年齢差24歳、父と子のような戦いですが、まさにその通り、西方選手の父親は西方仁也氏。1994年リレハンメル冬季五輪ジャンプ団体銀メダリストです。そしてそのチームに岡部選手もいたのです。
 岡部と西方仁也は同じチームの戦友でした。同じ所属先、雪印メグミルクの所属、年齢は西方が2歳上。そして今は岡部孝信と「仁也の息子、慎護」が同じ土俵で勝負しているのです。
 もちろん、昨シーズンも対戦はありましたが、同じ土俵で入賞以上での戦いは今シーズンからです。
 岡部は体調が良くなり今季の期待大、慎護はジャンプが成長し世界ジュニア日本代表にも選ばれました。
 岡部は西方二代と戦えるのです。まさに世界最年長ジャンパーとして、存在しているからの奇跡です。
 女子もそうです。葛西賀子選手は32歳。高梨沙羅16歳の倍の年齢です。葛西も世界最年長女子ジャンパーなのです。岡部は38歳時、世界最年長W杯優勝者という勲章も持っているのです。
 男女にそういう最年長ジャンパーを持つのは、企業スポーツが苦しくなる中で雪印メグミルクや日本空調という企業がチームを運営してくれるおかげなのです。
 また、この二人は、男子の葛西紀明を含めて「空飛ぶ教科書」です。
 背中で後輩たちを教育しているのです。
 宮の森や大倉で彼らを見かけたら、「最年長、がんばれ」と声をかけてやってください。

栗さん、よかったね!

2012年12月22日

 栗山町は札幌から車で1時間の田園町!
 田園都市と言いたいところだけれど、都市ではないもなあ!田園町でもいいしょや!
 だけどね、駅から続く駅前通り商店街は、立派なもんだよ!考えられて町ができてる!
 もちろん、13年前から「栗山つながり」で、栗山英樹氏と栗山町が手を結び「栗の樹ファーム」がつくられて、それは正に野球人の夢「フィールドオブ ドリームス」そのものなのです。
 そこでは野球ができて、栗山氏がつくった野球博物館も見学できるのです。
 また、町内には町営野球場があり、こちらはプロ仕様。社会人野球の公式戦も行われています。その隣には天然芝のサッカー場もあり、こちらはコンサドーレ札幌の練習場でもありました。
 ですから栗山町は、田園&スポーツ、そうそう忘れてならないのは天然温泉もあるのです。
 また、私の兄は拓銀時代、栗山支店の支店長でしたから、兄が語る栗山町の素晴らしさを聞かされてきました。 ですから、私も身近に感じるのです、はい。
 その栗山町の今日の気温は氷点下1・9度。500m続く駅前商店街には6000人の人出。天候は天然雪ところにより紙吹雪!
 町内の小中学生が紙吹雪を作ったんだと!
 栗山監督はジャージに長靴、オープンカーは栗の樹ファームで使っている「軽四型」オープンカー!
 監督は手をあげて手を振るもんだから、氷点下の気温では指先に血が回らずむちゃくちゃ痛くなるのです。案の定、指が痛いの連続でした。
 遠くは大阪!からもファンが来てたんだって!
 監督の言や良し!
 来年は選手もつれてやりたい、いやそれ以上に北海道内の市町村に応援選手を張り付けたのでその選手とともに各市町村でもパレードをやってほしい。
 いいことだね、いいことです。
 「感動してきょうは僕が泣きました」。よかったね、栗山町ダブル!!

 スーパーだよ!湯浅アタック!

2012年12月19日

 間違いなく、やると思っていました!
 いつか必ず表彰台に上ると、思っていました!
 ついにやりました、表彰台です!
 湯浅直樹選手(スポーツアルペンクー道東海大)、生まれも育ちも札幌です。
 過去の成績は、2011世界選手権で6位入賞。2006トリノ五輪7位入賞。2010ワールドカップ・シュラドミング大会8位。
 五輪の入賞は8位、世界選手権は6位ですから、五輪・世界選手権両方に入賞したのは猪谷千春氏と湯浅選手だけなのです。
 シュラドミング世界選手権は、1本目ラップに1秒30差で9位、2本目はスーパーアタックで6位に順位を上げたのです。銅メダルとは0・35差という僅差でした。
 今回は1回目が26位。ラップとは2秒06差でしたが、2回目は全選手中2位のタイムで追い上げ、3位入賞です。ワールドカップでついに表彰台に上りました。
 ちなみに1位はオーストリアのヒルシャー、2位はドイツのノイロイターでした。
 ノイロイターと言えば、私には因縁?があるのです。
 彼の父は、世界的スラローマーだった、クリスチャン・ノイロイター、母は父以上に世界的で五輪では三冠王寸前まで行ったスキー選手でした。三冠王寸前というのは、金・金・銀ということです。
 1978年、ガルミッシュ・パルテンキルヘン世界選手権。
 日本のエース、海和俊宏選手はスラロームで6位、あと数名で競技が終わり、猪谷さん以来22年ぶりの世界選手権入賞と日本チームが沸き返っていたその時に、地元出身のドイツのベテランだったクリスチャン・ノイロイターが鬼気迫るスラロームでフィニッシュ。そして彼が6位入賞、海和選手は等外1等賞の7位に落とされたのです。私は当時、全日本のコーチで現場にいたのです。
 湯浅君、次はノイロイターをやつけてくれ!
 湯浅君の腰が心配ですが、湯浅アタックでとにかく上を目指してくれ!
 オールドアルペンスキーヤー全員が応援しているぞ! 頼む、直樹!!

スキージャンプ国内開幕

2012年12月18日

 毎年恒例の名寄での2連戦が国内開幕戦です。
 15日が、ピヤシリジャンプ兼北海道新聞社杯で、16日が吉田杯です。
 思い返せば1975年11月~12月、全日本ジャンプ合宿に帯同して名寄に入りました。選手は26名ぐらいいたでしょうか。連日、26台のジャンプスキーを5分類してワックスを塗り替えるのです。
 練習中の私の定位置はジャンプ台飛び出し位置(カンテ)の横に雪洞を掘って、光電管からくるスピードデータを書き留めるのです。ですから練習中は選手の顔を見ることはありません。(笑い)
 これを1ヵ月繰り返したから、ジャンプにおけるワックスデータが揃えられたのです。

 今年の名寄の開幕2連戦は、国内調整していた伊東大貴選手が2連勝。
 女子はワールドカップ組が不在でしたが、小浅星子選手が2連勝でした。
 私が最も期待を寄せる42歳、世界最年長ジャンパー岡部孝信選手は、3位と5位です。悪かった膝の調子がすごく良い、ワールドカップに出たいけど、まずは日本で成績を出せるようにしたい、と語りました。
 そして吉田杯では、知る人ぞ知る!夢の競演が実現しました。(笑い)
 5位岡部204・0点(84m・87m)そして6位には西方慎護(札日大高)203・5点(84・5m87m)
 岡部選手42歳、西方選手18歳、年の差24歳です。
 この西方選手は、リレハンメル五輪ジャンプ団体銀メダリスト西方仁也氏の息子なのです。西方父は現在44歳、しかも西方父と岡部選手はリレハンメルジャンプ団体のメダリスト同士!
 ですから、岡部選手は西方二代と戦っているのです。
 次のジャンプ大会は、来年1月5日、雪印メグミルク杯、宮の森ジャンプ場です。
 がんばれ岡部!狙えワールドカップ!狙えソチ五輪!
 自分の持つ、世界最年長ワールドカップ優勝記録38歳を更新しよう!

沙羅、更に前進!

2012年12月15日

 W杯ジャンプ女子は、個人第4戦がオーストリア・ラムソーで行われ、高梨沙羅選手が優勝!
 今季2勝目、通算3勝目。
 高梨沙羅、150cm、43kg、北海道上川町出身、上川小、上川中、旭川グレースマウンテン高
 16歳2ヵ月の天才少女ジャンパーです。
 今回の優勝は、飛距離の出ない追い風のなか1回目4位からの逆転で優勝です。1回目の飛距離は86・5m、2回目は91・5m、しかも2回目は課題であった着地時のテレマーク姿勢も決まり、見事な優勝でした。
 沙羅選手をあえて天才と称したのは、現在の日本チームの仲間たちの成績を見れば一目瞭然なのです。
 今回のラムソー大会は、渡瀬あゆみ26位・平山友梨香27位。伊藤有希・山田優梨菜・葛西賀子選手は2回目には進めませんでした。
 とにかく、沙羅選手だけが突出した成績を収めているのです。ジャンプは経験値が必要とされてきましたが、チーム内では一番若い16歳ですし経験値は一番少ない選手なのです。
 本格的な世界デビューは昨年ですが、昨年秋の宮の森シャンツエでの練習を見たときに度胆を抜かれました。
 沙羅選手の技術を一言で言うならば、飛び出しから飛行までの「完了が速い」のです。その証拠に下で見ている人たちには沙羅選手のゼッケン番号は読み取れません。コーチボックスにいても飛んでいく沙羅選手の背中のゼッケン番号は読み取れないのです。
 ほかの選手たちははっきりと番号が読み取れます。
 沙羅選手は「スパッ」と飛び出し、ほかの選手たちは「モアッ~」と飛び出します。
 子供たちを指導する少年団の先生に聞いたことがあります。札幌の大会に小学3年ぐらいから参加していたそうで、両親が運転して来ていたそうです。そのころから、頭から突っ込んでいくジャンプだったとのこと。
 課題は着地。今はまだ「飛びっぱなし」状態です。ジャンプをスタートから考えていると思います。
 札幌五輪金メダリストの笠谷幸生さんは、まったく逆で着地からスタートに逆算して考えたそうです。
 着地が決まるためには、その前の飛行後半の姿勢はどうか?さらにその前の飛行中盤の姿勢はどうか?と。
 それにしても末恐ろしい!楽しみな高梨沙羅選手です。
 みなさま、応援をよろしくお願いいたします。
 現在、渡瀬あゆみ選手は所属先がなく、家の貯金を切り崩して活動しています。なにとぞ、女子ジャンプへのご支援もお願いいたします。

夢への道しるべ

2012年12月13日

 北海道日本ハムファイターズは、大谷翔平君を獲得するにあたり提出した「論文」をホームページ上に公開しました。
 内容はどんなものなの?という問い合わせがかなりの数にのぼり、プライバシー保護上公開できないものを除いての公開でした。
 私の印象は、「論文」を提出したことが凄いと思いました。私ならこの日ハム作戦を、「ああ、上野駅作戦」と名づけます。(笑い)
 日本の高度成長期をになった、東北などからの中学卒業集団就職者が夜行列車に乗り東京を目指し、その終着駅が上野駅だったのです。そこに出迎えているのは、就職先の工場の社長さん。なかには、誰も出迎えてはくれず、ひとり寂しく右も左もわからずに勤め先の工場を探したという話も聞いています。
 上野駅で社長さんが出迎えてくれて、「おお、よくきたね、ごくろうさん、これからよろしく頼むね」と言ってくれたら、不安も消し飛んでしまうでしょう。
 日ハムは、大谷君を出迎えたのです。だから「ああ、上野駅作戦」なのです。
 論文は、「イチローは高卒で海外に出たときに、イチローとなりえたか?」と、問いかけ、日本スタイルを身につけてから世界を相手にすべきだと訴えています。
 また、これはスポーツ経営コンサルタントの鈴木友也氏の文面からお借りした内容ですが、米国のマイナーリーグは最下層の「ルーキーリーグ」からメジャー直前の「トリプルA]まで7階層にわかれているそうです。各球団はマイナーリーグの人員は最大250名を保有できます。日本では1軍2軍計70名ですから、少数精鋭囲い込み型の日本と、大量採用サバイバル型の米国という図式にわけられるといいます。
 論文を通して、自分の人生を考えてみれば、大谷君でなくても進路は明白だったことでしょう。
 ひよっとして、来季からの新人選択会議では、新人たちが一様に「私の夢への道しるべ」を球団に求めるかもしれませんね!!

 ルールは変わる

2012年12月12日

 ルールは、変えられる。
 生き残るために、ルールを変える努力さえ必要になるのです。
 柔道の祖国は日本ですが、JUDOは世界に普及し国際柔道連盟(IJF)加盟国は200を超えているといわれます。国連の加盟国が198と記憶していますから、それより多いのです。
 これほど世界に普及した要因は、礼に始まり礼に終わる精神性と、世界中の警察や軍隊が必要とした格闘術、護身術、逮捕術を学べるからです。
 私の父が講道館4段でしたから、小さい時から柔道は身近にありました。
 私が柔道の未来に疑問を持ったのは、シドニー五輪の「世紀の誤審」、篠原vsドイエ戦からでした。
 ロンドン五輪でもまだ疑問は解消されませんでした。
 審判技術の未熟さ、5分間の試合の90%を占めるかのような組手争い、さらには延長戦後の旗判定の不確実さ、などでした。
 私の直感と、その後の取材で少し極端に言えば国際オリンピック委員会(IOC)は、JUDOを五輪種目から外す可能性すら臭いだしたのです。この危険性はIOCや超高額で放映権を買うテレビ局側から起きだしたのです。一言で言うならば、試合の90%が組手争い 、さらに胴着の乱れとそれを直す形の時間稼ぎなど、テレビ向きではないという意見が多くなったのです。
 シドニー五輪直後に発行した拙著「もっとスポーツ北海道」に、柔道の改革を提案させてもらいましたが、かなりの確率でそれらは実現しました。
 そして今日のニュースです。
 北海道新聞22面、柔道「脚取り」完全禁止 来年2月から試験導入
 国際大会新ルール 旗判定を廃止 延長戦は時間無制限 寝技は15秒で技あり20秒で一本
              審判は一人場外にビデオチェックする補佐役二人
 IJFは来年1月に新ルールに関するセミナーをスペインで開催し、来年2月のグランドスラム・パリ大会から新ルールを試験導入する
 おそらく、この新ルールは導入が実現します。IJFは正しく組んで技をかけるという柔道の原点回帰を目指すことで、五輪種目を厳守したいのです。
 時代とともにルールも変わるのです。
 夏の五輪は定員オーバーなのです。これ以上種目を増やせないのです。逆に種目を減らさざるを得ないのです。野球、ソフトボールも外されました。現在のIJFの会長はオーストリア人ですが、この方の「改革実行力」は大変なものです。
 時代は変わる。ルールも変わる。目指すは未来に続く道なのです。
 
  

論文提出の勝利!

2012年12月10日

 ノーベル賞にたどりつくには、どうすればいいのか?
 研究室のなかで、ああでもない、こうでもないと言うだけでは届かないのです。
 研究の成果を、論文として発表しなければならないのです。それも万国共通語の英語で。
 あたりまえですが、居酒屋や銭湯での議論だけでは届きません。

 大リーグ挑戦を公表していた、大谷翔平君を北海道日本ハム入団に導いたのは「論文」でした。
 「大谷翔平君、夢への道しるべ。日本スポーツにおける若年期海外進出の考察」
 A4判25ページの力作で、政策担当者は大渕隆スカウトディレクターだという。大渕氏は元高校教師で、彼の人脈、取材を通して完成された論文でした。
 見事でした。
 誰でも夢を持つことは、素晴らしい。
 ただ、夢と現実のあいだには大きなギャップもあるものです。そのギャップを乗り越えるには今何が必要か?どんな方法論があるのか?言葉をマスターせずに海外に出ることは、どんな事態を引き起こすのか?それらへの解答や方法論が論文のなかにあるとしたら、本人だけでなく家族にも心が届いたに違いないのです。

 私たちはいつの世も「怪物」を見たいのです。怪物に自分の夢を託したいのです。だから、その年の最高級選手を一番に指名する北海道日本ハムファイターズのドラフト戦略を支持するのです。
 ダルビッシュのときは、本人より先に我々ファンが世界に挑戦するダルビッシュを見たいと思ったのです。
 大谷君、存分に怪物ぶりを見せてください。
 心から応援しますよ。

真央さん、スーパーダンシング!

2012年12月08日

 グランプリファイナルは2014年冬季五輪開催地のロシア・ソチで行われました。
 われらがスーパーヒロイン浅田真央さんは、ほぼ完ぺきな演技で4年ぶりのグランプリファイナル出場で優勝しました。
 もう22歳になったのですね!
 真央ちゃんなんて言えませんね!
 いや、それにしても綺麗でした。背筋がぴっと伸びて身長が180センチぐらいのスーパーモデルのようでした。
 五輪では、大会の花とうたわれ、氷上のバレリーナにたとえられるフィギュアスケートですが、その過酷さはすさまじいレベルなのです。
 女子ショートプログラムは2分50秒、それがフリースケーティングになると4分プラスマイナス10秒になるのです。フィギュアスケート選手の体重管理は大変なのです。体重が500グラム増えただけでジャンプは跳べなくなるのです。体脂肪率は3~5%だそうです!!
 さらに3~4回転ジャンプの着地時には、足首に体重の3~4倍の衝撃が加わるのです。
 フリースケーティング終了時の心拍数は陸上競技の1500メートル選手のゴールイン直後と同じレベルになるのです。
 陸上選手なら苦しい顔をしてゴールに入れるのですが、フィギュアスケート選手はそれでは減点。常に笑顔でアピールしなければならないのです。大変なのですよ!
 真央さん、笑顔がチャーミングでした。

大谷君、北海道へいらっしゃい!

2012年12月07日

 9日に最終会見だそうです。
 北海道日本ハムファイターズへの入団はかなりの確率だそうです。
 大谷君、ご家族のみなさま。何の心配もいりません。どうぞ、北海道へ。
 大リーグ志望を打ち出していたことから、バッシングをかなり気にしていたそうですが、日本ハムの指名、交渉はすべてが公明正大です。
 長い野球人生の組み立てをも解説した日本ハムの交渉力が実を結びそうです。
 昨年は指名した選手が拒否をし、交渉はできませんでしたが、その年の最高の選手を指名するという球団の方針は貫いてきましたから、それは評価されるべきです。
 何より、北海道のファンばかりではなく、日本全体の野球ファンが「160キロの剛球と、天才的な打撃センス」を見たいのです。
 そして北海道のファンは、自分たちと同じ気持ちで戦い成長していく逸材を夢に包んで世界に送り出したいのです。ダルビッシュの時と同じように。
 大谷君、ご家族の皆様、バッシングなどはすぐに消えます。何の嘘も取引もありませんでした。堂々と北海道へいらっしゃい。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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