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マジック 2

2012年09月29日

 29日、西武を撃破して、マジック 2です。
 観客数37000人、満員にはちょっと届かずですが、優勝寸前です。
 ただね、西武の死んだふりが怖い。なんといってもクライマックスシリーズがあるわけで、リーグ優勝イコール日本一にはすぐにはつながらないのです。
 3位でクライマックスシリーズに挑み、2位をやっつけ、1位をやっつけ、おまけに?セ・リーグチャンピオンをやっつけ、日本一になったロッテのような例もあるのです。
 だからこそ、リーグ優勝にもっと価値を与えなければなりません。
 リーグは146試合を戦うのですから。

日本ハムファイターズ・観客動員案

2012年09月28日

 北海道日本ハムファイターズの観客動員数が、伸び悩んでいるという。
 確かに昨日、一昨日の札幌ドーム西武戦の観客数は25000人弱だ。
 なぜでしょうか?優勝争いの最終盤だというのに?
 ゲームに合わせたイベント企画や、ドーム内の食事面、ドームそのものの施設面からも検討がされているが、私流の見解をお伝えしよう。
 解説の水上善雄氏の解説内容が抜群なのです。元、日ハム2軍監督経験者ですから、内情に明るいのは当然ともいえるのですが、私の知るところ日本の野球解説者ではNO・1でしょう。
 声がいい。内容が的確。語りが丁寧。けなさない。ほめすぎない。褒め殺しはしない。勝手に舞い上がらない。みなさん、一度聞けば分かります。
 札幌ドーム内では、水上氏の解説は聞けないのです。だから、ドームに行かなくなってきたのです。
 TVで水上氏の解説付きでの野球観戦のほうが、はるかに内容があるのです。
 もう一つの分析。
 確かに、今季の日ハムはダルビッシュが抜けたにもかかわらず、優勝争いをしています。監督は、コーチ経験のない新監督、栗山英樹氏。人気者、斉藤佑樹投手は途中から2軍生活。そう考えれば凄い頑張りなのですが、実は言いにくいことですが「ロンドンオリンピック」に敗れたのです。
 ロンドン五輪は久しぶりに盛り上がり、国民は人類の超人たちを連日見まくったのです。
 さらに、アメリカに行かせた「われらが超人・ダルビッシュ」は、期待通り大活躍。また、ヤンキースに移籍したイチローという高年齢の超人までもが、今この時期大活躍中なのです。
 それに対しわれらが日ハムは、「まじめにがんばる」高校野球を思い起こさせる野球なのです。
 日ハムは時に「ベースボールエンタテイナー」とも呼ばれた「超人新庄」がいたり、ファンが「こいつなら、絶対世界で戦えるからアメリカに送ろうぜ」と思ったダルビッシュがいたりしました。今は超人はいないのです。そこが辛いところなのです。
 しかし、それをわかったうえで、優勝し日本一になってもらいましょう。そういう戦いを経験して、陽選手や糸井選手が超人に成長するでしょう。
 最後にこういう事実をお伝えしましょう。
 昔、大リーグの超人、ピート・ローズが言いました。
 「野球というのはさ、ちびっこから大リーガーまでルールはおんなじなのさ。プロというなら少しは違うというところを見せなくちゃ。だから、俺はねヘッドスライディングにかけたのさ。しかもね、ヘルメットはほんの少し大きいのを使ったのさ。そうすれば、ヘッドスライディングするたびに、ヘルメットが飛ぶのさ。それがファンの興奮を呼んだのさ」
 これを、真似した日本の超人があの「長嶋茂雄」・「われらが長さん」です。
 ヘルメットは一回り大きいのです。バットを振るたびにヘルメットが飛んだのです。
 そして我々ファンは言ったのです。「すげえ、長さん、ヘルメットをブッ飛ばしてるぞ!!」と。

 それにしても、札幌ドーム内で「水上善雄の場内解説」を場内FMで企画してはいかが?

たのむぞ!翔さん、ここ一発!

2012年09月24日

パ・リーグ終盤、大混戦。
 日ハム、残り10試合。ライバルは西武・ソフトバンク。1ゲームごとに順位が変わる恐怖の毎日。
 首位転落か?
 そこでチームを一撃で救えるのは、中田翔しかいない。
 残り10ゲームのために、栗山英樹監督は、4番打者を変えなかったのでしょう。

 ちょうさん、頼むぞ、ここ一発!ファンがそう望む場面で、長嶋茂雄は打ちまくったのです。残念ながら、中田の「しょうさん」は打率は235。ただ、野球が本塁打一発で勝敗をひっくり返す逆転の醍醐味を持っている以上、栗山監督には「逆転の翔」がどうしても必要だったのです。

パナソニック、あなたさまもですか!

2012年09月22日

 パナソニックのバドミントン部とバスケットボール部が来年3月末で休部です。
 パナソニックの純損益は7721億円!企業体も巨大ですが、損益も巨大!
 バドミントン部は1980年に三洋電機として創設。バスケットボール部は1952年設立。本拠地は枚方市です。まいかたし、ではありません。ひらかたし、です。
 私は1985年から1988年まで枚方市に住んでいたのです。
 パナソニックには、パンサーズという男子バレーボール部・パナソニック野球部・インパルスというアメリカンフットボール部・エンジェルスという女子陸上部・チアリーダーズチーム・ワイルドナイツというラグビー部・そしてサッカーガンバ大阪のスポンサー・極め付けは石川遼のスポンサーです。
 パナソニックスポーツ事業は、パナソニックキッズスクールの運営などを通して、地域社会との交流やスポーツ文化の輪を広げることで、目標は「日本一」合言葉は「徹して勝つ」です。
 パナソニックバドミントン部というより、三洋電機バドミントン部は、私がミズノ時代にお世話になった思い出があるチームなのです。
 ミズノでもバドミントン用品を製造し、三洋電機やサントリーチームへ販売促進活動を続けていたのです。
 そんな時に「女王」北田スミ子さんにお会いしました。全日本シングルス優勝8回、ソウル五輪銅メダル(公開競技)、確かにオーラを感じました。全日本で8回目(史上最多)の優勝を飾り、引退の噂も流れていたころの、大阪府バドミントン協会・各チーム・各メーカー・マスコミ関係者合同の「ごくろうさん会」でした。
 選手と関係者が組んでのミックスダブルス大会とその後のすき焼き会です。
 私はサントリーの左利きのキャプテンと組み、あれよあれよと決勝に進出。そして決勝の相手が日経新聞の年配の記者田中さん?と女王北田スミ子選手だったのです!!
 私たちは田中記者を集中的に攻めポイントを稼ぐのです。そして第1セットを取ったとき、「事件は現場で起きたのです」!!
 女王がジャージを脱ぎ捨てたのです。そして女王が笑いながら言いました。「田中さん、ネットの所に立って、動かないで!!」会場は大爆笑になりましたが、女王にすればうろうろ動く田中さんはとても迷惑だったのです!!(田中さん、お元気ですか?)(ごめんなさいね)
 それからは、2対1の戦い!大接戦の末、なんと私たちが優勝したのです!!!
 そしていただいた優勝トロフィーを私は北田さんに差し出してお願いしました。「参りましたとサインしてください」これは、いまだに私の家宝です。
 三洋電機はあの「オグシオ」で有名な小椋久美子・潮田玲子さんも所属していました。
 ですから、いろいろな関係からいえば「おまえもか!」とはいえません。ですから「あなたさまもですか!」にしました。
 東京で「ヨネックスオープン」が行われています。
 芝スミ子(旧姓・北田スミ子)さんの解説を聞きました。よく通る声・わかりやすい適格な内容・言葉の端端にやわらかな大阪弁というか京都弁のような響き。いまも、日本バドミントン協会の強化委員をされていらっしゃいます。
 バドミントンのスマッシュは初速が時速300キロで、それがドロップショットになれば終速は限りなく0キロに近づくそうです。バドミントンはロンドンのメダル獲得もあり、今後ますます人気がでます。
 ジャージを脱ぎ捨てた女王の姿は、私の心の中に生きています。

ファイトは顔に出なければいけませんか?

2012年09月21日

 スポーツにおける永遠の疑問かもしれません。
 分りやすい例を上げましょう。
 プロボクシングの試合を見ていると、弱い犬ほどよく吠えるのたとえの通り、挑発して闘志満々のふりをするほうが試合が始まると弱かったという例が多いものです。また、よく見ていると試合が進むと、力が下の選手の目が「おびえて」きます。
 近いところでは、ロンドン五輪の柔道です。
 たった1個の金メダルは女子の松本薫選手でした。出を待つときから、盛んに自分に対して語りかけ、時には歯をむき出して闘志あふれる表情でした。戦いは常に自分から挑みかかり、相手が場外に出てもひきづって中に入れての戦いでした。決勝でも1本を取ったわけではなく、相手の反則での勝利でした。勝ちの内容はともかく、誰もが納得する戦い方でした。
 大きな試合ほど平常心で挑めといいます。柔道で1回戦負けをした選手たちは、どの程度の平常心だったのでしょうか?あの顔つきは落ち着いた顔だったのか、引きった顔だったのか?本当のところを知りたくなります。
 斉藤佑樹投手は、「もっている」のではなく、「せをっている」と表現しました。ならば、斉藤投手はどんな表情でいまいるのでしょうか?

カーリングは北海道の国技に

2012年09月20日

 なるのです。そう、間違いなくなります。
 いや、そうしなければなりません。
 ついに、どうぎんカーリングスタジアムがオープンしました。オリンピアシティ札幌に、通年カーリングスタジアムの完成です。
 「チーム青森」、いえ、青森に対し反感などは少しもありません。ただ、チーム青森のメンバーが北海道出身者、しかも北海道内のカーリングの故郷ともいうべき常呂町出身者であったことに驚いたのです。
 でもそれは驚くことには値しません。富士急スケート部も三協精機スケート部もほとんどのメンバーが北海道出身者なのです。つまり、スケート選手の「原産国北海道」は、中学高校まで強化したあとは、山梨や長野、あるいは群馬や青森のスケート選手受け入れ先に「選手を提供」してきたのです。
その象徴的なチーム名が「チーム青森」でした。
 北海道は長く「雪と氷の超人の生産基地」でした。ただし、それは18歳までの限定つきのことでした。北海道内には、超人を継続育成する土壌はなかったのです。
 それらの問題に解答となる基地がついに完成したのです。それが「どうぎんカーリングスタジアム」です。
 北海道の国技はなんでしょうか?
 かっては、大相撲の力士の供給基地でした。雪と氷の超人たち、つまりスキーやスケートの五輪選手たちの70%は北海道出身者でした。いまは、スキーもスケートも授業で取り上げられることも少数になりました。
 中高年には「パークゴルフ」が人気です。そう、日本は3000万人を超える高齢者国になりました。
 確かに、札幌にできたこのスタジアムは起爆剤にはなるでしょう。必要なことは、この小型版を道内に作ることです。北海道人は、冬の凍った道も歩けるのです。本州人いや内地の人には無理です。だからこそ、3000万人を超える高齢者対策を含めて「北海道市町村対抗カーリング大会」が必要になるでしょう。いきなりは無理ならば、支庁対抗からでもいいのです。
 起爆剤は「基地とイベント」の二つです。
 そう、カーリングは北海道の国技になれます。

「環日本海オリンピック」、仲良くなるために!

2012年09月19日

 65歳以上の人口は3074万人で、3000万人を突破したのは初めてのことだって!
 総人口に占める割合は24・1%だ。
 団塊の世代の先頭グループである1947年生まれが、65歳となって「高齢者」にご昇格!
 どうだ、参ったか、「高齢者軍団」だぞ!
 そりゃそうだ、中学・高校なんて1クラス60人で、学年は11クラスだぞ!教室の端にいて、教室から出るまでに、人が多すぎてぶつかるものだから5分もかかるんだよ!
 まあ、多分、10%ぐらいはもう亡くなった方々もいるとは思うけどね。
 忘れないでもらいたいのは、戦後の日本復興はわれらが「高齢者軍団」が「はっちゃきこいて」成し遂げてきたんだということ。
 大学出て就職した会社は、暦通りの休みではなく、「スポーツ用品の会社が、全国のスポーツ店がかきいれ時の日曜日に休んでいてどうするんじゃ」と言われ、「なるほどなあ、そうだよなあ」と思い、「昼飯は15分ですませ!」という上司の「脅迫」にも「なるほど」と思い、やってきたのだぞ!
 若者に言わせれば「あほちゃう?」の一言かな?
 だけど、敗戦国の悲惨さはかすかではあるけど記憶にあるし、バナナなんかは今でも店先に一房298円なんかで売っているのをみると、思わず「0を忘れているよ」と言いたくなるし。
 これが戦後教育の徹底だったのかなと思うのは、たとえデモはやっても暴動にはしない。暴行はしない。略奪はしない。東日本大震災の時も世界中が驚嘆したのは、略奪・暴動が起きない国ということでした。
 中国の今の状況を見れば、あれはデモではなくて「テロ」です。
 根本的には隣人ですから、忍耐あるのみ。沈静化してから、きちんと交渉しましょう。
 頭に血を上らせるのではなく、フレンドシップ・フェアプレー精神で行きましょう。そして長く時間がかかっても、「仲の良い隣人」になりましょう。それは、時間がかかっても韓国・北朝鮮・ロシアとも同じことです。
 交流促進のために、50年後の2062年を目標にして「環日本海オリンピック」の共同開催を目指しましょう。日本・ロシア・北朝鮮・中国・韓国・台湾・香港、、、
 宇宙から見れば、日本海なんて小さな池。池の周りの国々が力を合わせて「合同五輪」を開催するのです。
 幸い、2002年には日本・韓国でサッカーW杯の共同開催をやった実績があるのですから。
 50年後には五輪の開催規定も1都市から1地域へと拡大されていることでしょう。

ゴルフ・全日空オープン

2012年09月14日

 9月12日~16日、輪厚での全日空オープンも記念すべき40回となりました。
 今年の北海道オープンを制した崎山武志プロの応援も兼ねて、輪厚へ。天候不順のあと、13日、14日の予選日は好天。ただし、気温があと4度ほど下がってくれれば最高なのですが、残暑はこたえます。
 崎山プロとは13年ぶりの再会。「青山さんには会いましたか?」まだと分ればすぐに電話。「伊藤さんと今、レストランにいます」そしてあらわれました。ゴルフ界のモンスター、青山薫プロの登場です!
 青山薫プロは今回はゴルフ観戦の初心者への説明役や、選手へのインタビュー役です。ファンあってのプロゴルフですから、協会もいろいろな試みをしています。
 話は崎山プロの北海道オープン優勝へ。
 「練習ラウンドで軽い肉離れをして、、、テーピングで固めてやりました。左足を痛めたら、ボールがまっすぐ飛ぶようになって、、、」それを聞いた青山プロ、「うんうん、突っ込まなくなったんだな、怪我の功名だね。おれもあるよ。右手の親指を痛めて、、、スイングするたびに痛くてね、親指を外したらボールが曲がらなくなったよ」
 そして、やはり青山節が、、、「昔、輪厚に来たときは、砲撃訓練をやっててさ。あのドーンがいやでね。一発目のドーンをやりすごして、大丈夫だろうと思って打つ寸前にドーンだもの、OBだよ!」
 本当に笑わせてくれる「薫ちゃん」です。
 崎山プロは予選カットラインに1打及ばず、帰宅です。
 「伊藤さん、お願いがあるんです。道新さんに言って北海道オープン優勝の時の写真を分けてほしいのです。新聞の切り抜きは伊藤さんからもらいましたから、女房と子供に見せてやりたいんです」
 早く、報告したいよね、初優勝だものね。

小野智華子選手を誇る

2012年09月10日

 パラリンピック競泳、17歳の日本代表アスリート、小野智華子選手が挑んだロンドン・パラリンピックが終了した。
 彼女が挑戦したのは視覚障害者の競泳だ。
 私にはオリンピックやパラリンピックでの選手経験はない。しかし、コーチやサービスマン、報道での参加経験はあるから、世界最高レベルの大会が持つ光と影の濃さは知っている。
 今回、彼女が挑んだのは4種目で、最高成績は100m背泳ぎの8位入賞だ。
 ただ、私が驚嘆するのは全4種目で彼女が自己記録を更新したことだ。普通、こんなことはありえない。大会の規模が巨大になればなるほど、自己記録を更新する確率は低下する。オリンピックやパラリンピックレベルでは、その確率は30%ぐらいだろう。
 国民の目線も「せめて、自己記録は更新してくれよな」と思うもので、確率の低さなどは無視するのだ。
 オリンピックには魔物が棲む。オリンピックやパラリンピックには「オリンピック病」という伝染病が蔓延するとも言われるが、それらはすべて選手の心の揺れから来るのだと思う。 
 
 選手村にいても、競技会場でも、個人の時間などはない。毎日が合宿で、起床・消灯・食事時間も決められ、ちょっと一人になりたいと思っても無理なことだ。また日本人に辛いのは、選手村の部屋にはバスルームはなくシャワールームがほとんどだ。日本人は肩まで湯に浸かることが、最高の気分転換になる。
 さらに彼女が成し遂げたことを知るために、私たちが想像力をいっぱいに高めて視覚がないと考えてみると、「そんなことはありえない」という解答しか出てこない。
 彼女を知ったのは、民放TV局が制作した特番だった。その日、はじめて母が娘を一人で学校へ行かせるシーンだった。母は遠くから見守っている。「一人で行けるようにならないとだめなのよ。自立しなければいけないの。私たちはいつまでも一緒にはいられないの」母の背中がそう語っているようだった。
 だからこそ、凄いことなのだ。全4種目に出ることも凄い。それは競技日が全期間に及ぶことだ。それだけ、心身のコントロールが大変な作業になる。そして彼女は全4種目で自己記録を更新した。それは自立した証明だ。
 物心ついたころから、ひとつひとつの出来事に「橋をかけて」渡ってきたのだろう。そしてついに彼女が言ったように、自分の力で「パラリンピックに橋をかけた」のだ。
 北海道民は、今目を閉じて心の目であなたを見ようとしている。それは老若男女の区別はない。
 心眼で見れば、あなたが切り開いた道が見える。あなたが架けた橋が見える。
 だから、北海道民はあなたを誇りに思えるのだ。

プロゴルファー崎山武志、北海道チャンピオン!

2012年09月09日

 彼に最後に会ったのは、1999年の10月だ。
 小樽で日本オープンが行われ、早めに札幌入りした彼と、当時コンサドーレ札幌の監督だった岡田武史氏と私は行きつけの「久保田ジンギスカン」で落ち合った。
 久保田の父さんは、付き合ってから分ったのだが、1976年インスブルック五輪に出場した久保田三千夫の伯父さんだった。私と三千夫はワックスマンと複合選手という仲で、気持ちの優しい三千夫は自分が寝る前、必ずインスタントラーメンを作りにワックスルームに顔を出した。
 スキーワックス用の鍋?とバーナーで作るラーメンは、毎度お馴染みの「麺だけラーメン」なのだが、明け方まで作業が続く私には最高級のラーメンだった。
 その日、久保田の父さんは上機嫌だった。
 「いやあ、プロゴルファーを1打差でやつけたよ」、満面の笑みでそう言った。
 「えっ!なに?練習ラウンドに行ったの?」
 「違うよ、もう1ラウンドは歩けないから、パークゴルフさ」
 その言葉を聞いて私はぶっ飛んだ!
 崎山武志はプロゴルファーで、日本で最高の大会である日本オープンに出る選手なのだ。そのプロゴルファーがパークゴルフ???
 「いやあ、月曜日、コースがクローズだったので、ちょうど空いてたんです」
 実はこの時、久保田の父さんの病状は癌の末期まで進んでいた。
 すべてを知っていた私は、崎山プロに心の中で手を合わせた。
 拙著「もっとスポーツ北海道」204ページにある「タケシ君のパークゴルフ」は、その日の帰り岡田監督の言葉が始まりだった。「崎山さんの思いやり、すごいですね!伊藤さん、私たちもそうしましょうよ」
 最初のタケシ君は、結果的に日本で最初にパークゴルフを経験したプロゴルファーとなった。
 二人目のタケシ君とのパークゴルフは、1999年10月30日だという。私は、その時10月19日に乳がんの手術をした妻に付き添い東京にいたが、「行かなきゃ後悔するわよ、久保田さんも監督さんも、行ってガードしなくちゃ」と言われ、私にとっても最初のパークゴルフとなったのだ。
 久保田の父さんの最後の日、私は耳元で「ダブルタケシのパークゴルフ」を語った。父さんは、何度も微笑んだ。
 崎山プロとはその後会っていない。
 私は妻との共闘の世界に入ったからだ。
 崎山プロのニュースは2006年にゴルフ以外のものだった。
 女性との話がこじれ、自ら警察に電話をして「首に手をかけました。力をこめれば死なせていたかもしれません」と、自供したという。結果は、処分保留で釈放となった。しかし、日本プロゴルフ協会は彼に1年間の出場停止を命じた。
 2012年、9月8日。北海道新聞朝刊。
 崎山逆転初V 最終日は、首位と1打差でスタートした函館出身の崎山武志(クレイジー)が66で回り初優勝した。11月に50歳になる崎山が、、40歳代の最後に優勝できて良かった。3歳まで過ごした故郷・北海道での栄冠に感無量、、、
 私は携帯電話で彼の番号を探した。つながるか?番号変わっていると思うぞ!
 「伊藤さん、ご無沙汰しておりました」、つながったとたんにそう言われた。
 私は柄にもなく、声が震え、涙のなかでおめでとうの言葉を絞り出した

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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