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球春到来!えらいこっちゃ!

2012年03月30日

 現在、ヤクルトvs巨人、ヤクルト石川投手、ノーヒットノーランまであと2人、
 あっ!ヒット!
 名古屋では中日vs広島、中日吉見投手、完全試合まであと6人、あっ!ヒット、
 札幌ドームでは、早稲田の後輩、西武新宿線東伏見村の住人同士の斉藤佑樹投手が開幕勝利!
 いや、忙しいこと!
 朝から高校野球、夜はセ・パ両リーグ同時開幕。しかも地上波、CSで全試合中継!
 おまけに昨日まではアメリカ大リーグ開幕2連戦が東京ドームで!
 大学野球では慶応大に全国高校女子野球選手権優勝投手の川崎彩乃投手19歳(東京・駒沢学園女高)が入部だって!過去には、ジョディ・ハーラー(明大)・竹本恵(東大)・小林千紘(明大)に続いて4人目です。
 春ですねえ! そう、氷が溶けたら春になるのです!

魂のバレーボール

2012年03月25日

 それは、歴史的死闘。
 東レvsパナソニック、両チームと会場を二分した両チームの大応援団、さらに代々木体育館を埋め尽くしたバレーボールファンが創りあげた、入魂の一戦でした。
 25-22,26-24,41-43,20-25,15-11、
 3-2、フルセットで優勝はパナソニック。準優勝は東レ。
 圧巻は第3セットの攻防でした。パナソニックは10度のチャンピオンシップポイントを握るも、ことごとく東レが跳ね返し、ついに41-43でこのセットを東レが取ったのです。私自身初めて見た40点を越える攻防でした。
 これは正に、勝敗は時の運。
 間違いなく言える事は、男子バレーボールの復興に繋がる魂のゲームでした。

崇彦、跳べ!ニースで

2012年03月24日

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 その供花は、まわりの物より数段大きく、遺影の正面に飾られていた。
 私が到着したのは通夜開式の1時間前だったから、その位置は葬儀社が決めたのだろう。もとより、供花、供物、香典の大小、多寡にこだわるものではない。
 しかし、遺影に手を合わせ焼香し、振り返ったときにその供花が眼に入るのを知った時、亡くなった親友への眼には見えぬ心遣いの力に、目頭が熱くなった。
 釧路はスピードスケートの街だから、二人のフィギュアスケート選手の名が並んだ名札を見て、気づいた人は少なかったかもしれない。しかし、そこには日本オリンピック代表選手としては、わずか数組しかいない「親子オリンピック代表選手」の名が掲げられていたのだ。
 親友、宮下健吉は面倒見の良い、人情の厚い男だった。
 それゆえに、大学の同級生、小塚嗣彦の息子崇彦のインカレ釧路大会出場を喜び、歓迎した。そして今度は自らの癌との戦いにおいて、崇彦の見舞いに勇気をもらったのだ。
 私は弔辞のなかでこう言った。
 「今年のフィギュアスケートの世界選手権は、3月26日からフランスのニースだ。見に行って来い。おまえはもう、パスポート無しで、速度は音速で世界中を旅行できる立場になったのだ。元世界選手権銀メダリスト、小塚崇彦の新たな戦いを空の上から応援してやれ、、、」と。
 「宮下君の葬儀、お疲れさまでした。また、私たち親子に対し過分なるご配慮痛み入ります。日本での練習も明日の土曜で終え、日曜に出発します。崇彦には貴君からのメールを読まさせていただきましたが、黙って食い入るように見ていました。何も会話はありませんでしたが、、、、ではまた」
 大学同級生、嗣彦からのメールだった。
 健吉、崇彦が食い入るように、見ていたんだと!
 健吉、跳べ!ニースに
 崇彦、跳べ!ニースで

釧路発、大倉シャンツェ行き!

2012年03月20日

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 釧路の親友、早稲田大学教育学部教育学科体育学専修の同期生、元釧路市議会議長、元釧路バスケットボール協会会長、元釧路水産加工組合副会長の宮下健吉君の通夜、告別式を終え、一路札幌大倉山ジャンプ競技場へ。
 伊藤杯ナイタージャンプ大会の公式練習が19時からなのだ。ゲームは3月17日。
 せっかく、宮下がナイタージャンプに間に合うように旅立ってくれたのだから、行かなくちゃと車を走らせた。
 5時間のドライブは、考えなくても宮下ストーリーが浮かんでくる。
 入院中の去年の9月、東京での大学・体専同期会に「俺は行けないけど、ししゃもを送る。龍治、食べる前に釧路ししゃもの講義をしろ」
 仕方なく、「食べる前に講義をさせろ」と言ったら、仲間が皆おあずけを食らったような顔をした。あの時、ししゃもを食べた連中は宮下のことを忘れないだろうな。
 と、思った時に謎が解けた!
 ししゃも、は「柳葉魚」とも書くのだが、宮下は「死者も」忘れるな!とユーモアとウィットで語りかけていたのだ、と気がついた!
 写真は、釧路市議会第31代議長の宮下健吉氏です。

早稲田の3馬鹿大将

2012年03月13日

 大学1年の夏、千葉県館山での水泳実習で行われた遠泳では、溺れた者はボートに乗るのだが、釧路出身の宮下と函館出身の藪下があっという間にボート組になった。
 後から、港町なのに何で泳げないのかと聞けば、「馬鹿やろう、夏だって寒いんだ」と言ったものだ。
 後年、釧路のタクシーの運転手が「いやあ、今日は暑いわ!真夏日でないかい?」というから、「えっ?30度いってるの?」と言えば、「20度も行ってる」という。
 「20度も行けば、家からは人は出てこないし、25度なんて行けば年寄りが倒れる」とも言う。宮下が泳げない理由が改めて分ったものだ。
 私は授業で、先生が「君は何部かね?」と言うから、「はい、スキー部です」と答えたら、「私は学部を聞いているんだ!」と怒られた。このあと、仲間たちは我々3人を「北海道出身の3馬鹿大将」と呼び始めた。
 宮下はバスケットで、後年釧路バスケットボール協会会長も務めた。
 市議会議員や市議会議長も務め、港まつりや魚まつり、おんな相撲などのイベントは彼の企画力の賜物だった。
 その宮下健吉が亡くなった。
 3馬鹿でも、3偉人でも一人が欠けると、そういう形容詞は使われなくなる。
 それは、とても寂しいことだと、気がついた。

立ち位置確保の伊東大貴

2012年03月09日

 W杯札幌大会で2連勝。こんどは海外W杯で2連勝。
 伊東大貴選手が、世界での自分の立ち位置を見事に確保しました。
 数日前、私にとってのジャンプの神様である笠谷幸生さんに伺いました。
 伊東大貴選手は完全に本物ですか?
 「もう、崩れることはないと思うな」。神様の御宣託です!!
 ジャンプ後半の低く滑空する技術は世界でも一番でしょう。ですからフライイングジャンプでも240mも飛べるのです。おそらく、フライイング技術では世界一。
 フライイングランキング1位であることもうなずけます。
 フィンランドとノルウェーというジャンプの聖地で2連勝とは、笠谷幸生さんに続く大殊勲です。
 ソチ冬季五輪が俄然楽しみになってきました。
 それにしても、伊東は下川。高梨は上川。中川はいたっけな?

高瀬愛美 世界デビュー!

2012年03月06日

 愛美と書いて、「めぐみ」と読ませる。
 名づけたのは、本人ではない。両親である。
 親というものは、時として子どもに過剰な期待をするものだが、いや、愛美は十分にその期待に応えている、と思う。
 北見生まれの道産子で、文教大明清高校からINAC神戸レオネッサに所属する女子プロサッカー選手だ。21歳。164cm、60kg。黙って立っていると、「愛美」と言うにふさわしい目鼻立ちのはっきりした美人だが、走り出すとサラブレッドではなくあくまでも「どさんこ」の力強さとなる!
 国内リーグでは、球際でのぶつかりあいでは相手が吹っ飛ぶためにいつもファウルを取られるほどだ。
 W杯優勝チーム、「なでしこジャパン」の一員だったから、国民栄誉賞の受賞者で、また必然的に「北海道新聞スポーツ賞」や北海道スポーツ賞なども受賞した。
 時として、この受賞が本人を苦しめることにもなる。W杯で、愛美が出場したのは準決勝スウェーデン戦の4分だけなのだ。帰国時、満面の笑みの選手のなかで、愛美がにこりともしなかったことが、愛美の心中を表現していた。
 私が、ほっとしたのは、愛美が北見に戻り地元の子どもたちを相手にサッカー教室を開いたというニュースを見たときだ。愛美は子どもたちの中で笑っていた。
 2012年3月5日。女子サッカー国際大会、アルガルべ杯。日本vs米国で、高瀬愛美が鮮烈な世界デビューを果たしたのだ。
 愛美のヘディングによる1点は、日本に対米国26戦目での初勝利という大金星をもたらした。W杯の優勝はPK戦でのもので、公式成績では引き分けなのだ。
 自称、ノリオ・スピルバーグを名乗る佐々木監督は、「高瀬はいろいろな大会で涙してきた」と、最大級の賛辞を愛美に贈った。
 愛美は、ロンドン五輪代表の当落線上にいるが、自らの力で世界への扉をこじ開けたのだ。
 愛美さん、あなたは紛れも無く「国民栄誉賞」「北海道新聞スポーツ賞」「北海道スポーツ賞」受賞選手です。
 道はこれから! 道は遥かに!

初優勝はひな祭り

2012年03月03日

 ワールドカップ、シルバーメダルコレクターだった、高梨沙羅ちゃん。
 初優勝は、選びに選んで「ひな祭り」の日。
 やってくれるじゃないの!美翔女エース!雛エース!
 山形、蔵王ジャンプ台では「美翔女ジャパン」が大健闘!
 解説の原田さん、山田さんも笑うしかない大ジャンプでした。
 おめでとう。

遠距離通話の同期会

2012年03月03日

 夜遅くに電話が鳴った。
 「龍治か?」聞き覚えのある声が、アルコールを帯びていた。
 「懐かしい奴と飲んでいる。いま、代わる」。
 「もしもし、、、」「えっ!誰?」かすかに特徴のあるアクセントに私の頭が反応し始めた。
 「大杖?、、正彦か?」「えっ!分ったかあ」
 電話をかけてきたのは、早稲田大スキー部同期の則本聡。高松在住。電話を代わったのは同学年で慶応大出身の大杖正彦だった。
 大杖の横浜の家に出した年賀状が返ってきていたから、思わず今はどこだ?と聞いた。

 「鳥取の大山だ。親父が102歳で亡くなって、、どうするということになって俺が戻った」
 「そうか、うちのお袋も去年亡くなった。98歳だった。」
 早稲田、慶応の仲もあり、大杖は札幌の私の家に3回ほど泊まったことがある。「たちの味噌汁」に目を丸くしたが、2回目からはリクエストされたものだ。
 私の高校時代、北海道の則本・鳥取の大杖は東西を代表するスキー選手で、高校レベルをはるかに超え、全日本級の選手だった。
 私がたった1回出場した全国高校大会では、回転優勝が則本・大回転優勝は大杖だった。大杖は1972年札幌冬季五輪にも出場した。
 「いやあ、なつかしいのお~大山にきとるんや、お前の話になっての~」
 則本が喋るのだが、言語不明瞭、意味不明!
 ただ大山と札幌では2000kmは離れているだろうか。酒飲み話のなかに、自分が登場したことの嬉しさに、全てを許しながら「こういう同期会も良いもんだ」と私は微笑んだ。

心配事の傾向と対策

2012年03月01日

 4月から中学1・2年で武道が必修化される。
 柔道・剣道・相撲などのうち、取り組みやすさから柔道を採用する率は70%近くになるという。
 結論から言うならば、私の意見としては3年早いと思う。
 フランスは柔道人口が日本を上回る世界一の柔道大国だが、柔道での死亡事故の教訓から、指導者は国家資格が必要で、380時間の講習が義務づけられている。
 日本ではここが決定的に遅れている。
 指導教師への教育、実技指導、救急法の講習など、対策をとるには3年は必要と思うからだ。
 生徒の安全確保のために、柔道連盟、文部科学省、教育委員会は全生徒のために「ヘッドギア」を用意し、各個人に配布すべきだ。ラグビー選手がつけるようなものもあるし、柔道用に考案してもよい。
 ラグビーの高校大会はヘッドギアの装着が義務付けられているし、たとえ大外刈りや体落としなどの投げ技を禁止しても、他の技で頭を打つ危険性があるから、ヘッドギアは最低限必要だ。
 私の父は講道館4段で、私が小さいときはよく訓練と称して投げられたものだ。私が悪さをしたときは、投げにも力がこもったものだ。
 柔道独得の畳にも工夫が必要だ。正式な畳では堅すぎる。ショックを軽減する軟らかめの畳の開発も必要だ。
 スキーやスケートもかっては小中高の教師が指導員資格をもち、特に北海道はそれがあればこそ幾多の選手を輩出した。教師が柔道や他の武道を習う時間が絶対的に必要なのだ。
 石狩や空知の豪雪は今も死者を出している。
 豪雪災害宣言が遅すぎる。死者が出なければ、反応しないなど論外だ。
 知事・市長・あるいは開発局レベルに必要なものは、災害を想定し、初期の対策だ。
 豪雪で埋没した公園は安全なのか?公園の遊具は危険はないのか?政治家だけではない。保護者も自宅周辺を見回る必要があるのだ。
 時には町内会・学校・会社・市町村自治体が「雪かきデイ」を設けて、一斉作業することも必要だ。
 「雪は空からの手紙」と、雪博士の中谷先生が言った。
 北海道大雪山には、世界最高の雪が降る。北海道は雪をトモダチとして生きてきたのだ。雪というトモダチに「害」という言葉をつけてはいけない。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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