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明日を生きる

2011年12月31日

 2011年・平成23年もきょう一日です。
 昨日のフライトは、「引き返しか旭川へ」の条件付でしたが、無事着陸。
 12月24・25日から始まった男子バレーボールVプレミアリーグ愛知県大会を取材しました。
 私の次男が東レアローズのコーチ兼アナリストを務めていますので、応援兼取材ということになります。楽しみなことに、東レには函館出身の古田史郎選手・江別出身の渡辺俊介選手と二人の道産子がいるのです。渡辺選手は新人で順天堂大学出身のリベロ・
古田選手は法政大学出身の2年目、強烈なサーブの持ち主で大学時代から全日本に選ばれた逸材です。現在は、富松・篠田選手の怪我のため、急造センターながら活躍中です。
 どんな競技でも、どこの会場でも道産子を探すのです。それは自然な成り行きです。
そして敵味方を問わず応援します。
 大会のあと、東レの練習も見学しました。東レの今季のスローガンは「侍氣」。
 フェアプレー・フレンドシップを気高く持ち、その上で旺盛なファイティングスピリットを持つという意味での「侍氣」だと解釈します。
 古田・渡辺両選手とも1988年生まれ。毎日、必死に練習しています。
 きょうを鍛錬することが、明日を生きることになるのですね。
 2011年は歴史に残るほどの厳しい年でした。
 それでも、明日を生きるために、きょうをささやかでもいいから過ごしましょうね。

五輪戦士へ、感謝結集の40周年

2011年12月20日

 来年は、札幌の街を創った1972年冬季札幌五輪から40周年です。
 あのころ、札幌の人口は100万人。いまは190万人。正に札幌は五輪開催の「オリンピアシティ」として、発展したのです。
 圧巻は、70m級ジャンプ!金・銀・銅メダル独占!
 笠谷幸生・金野昭次・青地清二選手が宮の森ジャンプ競技場、後にも先にも空前絶後の24000人の観衆の前で、表彰台独占を果たしたのです。
 街を創った、戦士たちへ、40周年の感謝をどう表せればいいでしょうか?
 ひとつの答えを、北海道新聞が表現しました。
 札幌圏版に連載された「真駒内・五輪と歩み40年」です。
 きょう、20日の朝刊には番外編として「ジャネット・リンさんからの手紙」が掲載されています。
 リンさんは手紙の中でこう言っています。
 「試合中、尻もちをついて銅メダルに終わったアメリカの女の子を、日本の皆さんはなぜあれほど好きになってくれたのかしら?今でも、その理由が知りたいのです。」
 40周年目にリンさんに来てもらい、五輪戦士たちと一緒にその理由を探る集いは、改めて「さっぽろ」「オリンピック」「スポーツ文化」を考える「感謝結集の40周年」に成り得ます。
 札幌市・北海道・スキー連盟・スケート連盟・北海道新聞社が一体になれば、できるはずですよ。
 市民も協力します。わたしたちは、北方圏に存在する100万都市で、市街地にも天然雪が降り、それが根雪になる、オリンピック開催経験を持つ国際都市、札幌の市民ですから。

母の願い

2011年12月13日

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 フィギュアスケート、浅田真央選手のお母様が亡くなり、グランプリファイナルを欠場してまで駆けつけた真央さんは最期の面会はできませんでした。
 グランプリファイナル出場の日本チームは喪章をつけ、コストナー選手は真央さんへの思いを尋ねられ号泣したそうです。
 韓国ではキムヨナが韓国国民の妹であるならば、日本では浅田真央さんは日本国民の妹のような存在かもしれません。バンクーバー冬季五輪の銀メダルの涙は、日本女性に伝染し、今回もまた日本女性の多くの方々を泣かせたことでしょう。
 23日からの全日本選手権への出場を、真央さんは決意し発表しました。それが母の願いだとして。
 そう、それは母の願いなのです。
 私の妻は2008年4月27日に亡くなりましたが、エンディングノートに記した本人の意志で28日に家族葬を行い、Vプレミアリーグの東レアローズのコーチ兼アナリストを務める次男は、29日の練習に参加し30日からの黒鷲旗大会の大阪遠征に出発しました。作戦参謀ともいえるアナリストなしの大会参加はあり得ないと言うのが、妻の口癖でした。
 29日の練習時、次男はこうメールを送ってきました。
 「みんな、何事も無かったように普通に接してくれて、、外国人選手のレアンドロだけは僕を抱きしめて、大丈夫?大丈夫?と泣いてくれて、、僕はいいチームにいられるなあと思った」
 だから、真央さん、分るのです。人に迷惑をかけずに、好きなことを一生懸命にやりなさいと。それが、母の願いなのです。

ガンバレ レバンガ ガンバレ

2011年12月11日

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 新生レバンガ北海道の札幌初戦を取材しました。
 三菱電機とのゲームは、ゲーム終了直前まで手に汗握る大接戦でしたが、82=77での勝利は、1800人のサポーターの応援力あってのことでした。
 北海道にプロバスケットボールチームが残ったということは、北海道のバスケパワーを保つために、いわば教科書が残ったと言うぐらい重要なことなのです。
 その理由は、41歳折茂武彦、190cm77kg・28歳桜井良太、194cm75kg・26歳阿部友和、180cm80kg・28歳宍戸治一172cm82kgという参考書プレーヤーがいるからです。
 バスケットボールは、基本的に学校体育球技ですから誰にでもなじみがあり、自分のサイズで参考書プレーヤーを見て学べるのです。
 それと、折茂選手はぜひ会場に足を運んで生の実物を見てください。41歳でも活躍できるのはなぜか?私は北海道新聞スポーツ賞の祝賀会でお会いしましたが、まったく贅肉のない鍛えられた体は見事なものでした。一見に値します。
 楽しみはもうひとつ、28歳ジャイ・ルイス201cm134kg。柔道でも相撲でもプロレスリングでもすぐ通用しそうな巨体ながら、身のこなしも軽いバスケマンです。
 きょうも14時から三菱戦です。
 そうそう相手にはスピードスターの五十嵐選手もいますし、レバンガには道産子の野口大介選手もいます。
 どうぞ、足を運んで応援よろしく!

中学生に泣かされた、じいちゃん!

2011年12月05日

 大震災のあとに、決意した全道中学校ボランティア講演行脚で、樺戸郡新十津川町立新十津川中学校を訪問しました。
 古くは、当時「神の手」と言われた考古学者が、よそで見つけた土器をこっそりと埋め、あたかも自分が発見したかのように偽ったのが新十津川町の遺跡での出来事でした。町民の落胆が報じられ、そのとき私は「新十津川町がんばれ」の思いで「ゴッドハンド」というコラムを道新に掲載しました。このときをきっかけに奈良県十津川村と新十津川町の関係を学びました。
 ですから大震災のあと、新十津川町を一例にして「受け入れ宣言北海道」を提案したのです。
 私がライフワークにしたいと考えるボランティア講演の第一回が11月24日の新十津川中学校でした。
 生徒たちからの感想文が送られてきました。
 「そしてウールのメダル、紙のメダル。物自体は輝いていないけれど、それが輝いて見えるのは、きっともらった人もあげた人も心が輝いているからだと思いました」。
 「いま、、わたし、、なんか、、言葉に表せないほど感動しています。テストジャンパーとか、金メダルを渡すところ、、涙が出てきてしまいました。きょうの話は一生忘れません。心のタンスに大切にしまっておきます」。
 じいちゃん、泣いたわ! この感想文はじいちゃんの宝物だ!
 ありがとうね。また、会おうね。

一念、岩をも通す

2011年12月03日

 サッカー、コンサドーレ札幌のJ1昇格は、39000人が入場した札幌ドームのサポーターの一念あってのものでした。
 実力的にはFC東京の方が上かもしれません。その強豪をホームに迎えての天王山決戦。勝ってJ1昇格へ、のサポーターの思いが勝利を引き寄せました。
 スポーツの世界では、極めて稀なことですが「奇跡的勝利」と言われるゲームがあります。それが何故起きるかと言えば、競技者と応援者の思いが一致したからでしょう。
 サポーターの一念、岩をも通す。見事でした。

谷木新監督 誕生

2011年12月01日

 すすきので30年間営んだ「おでんの一平・西店」を店じまいしての出陣です。
 1963年、選抜甲子園で北海高が準優勝。その時の主力選手で、準決勝の早実戦では5打数5安打5盗塁の大活躍、1試合5盗塁は現在でも大会記録です。
 札幌出身、北海高・立大・新日鉄室蘭・中日ドラゴンズと渡り歩いた、過去から現在までを見ても札幌が生んだ史上最高の野球人です。
 11月30日、北翔大野球部監督に就任です。
 私は今でもあの時の衝撃、悔しさを覚えています。
 旭丘高バスケットボール部で全道大会制覇をした私たちに届いた、北海高野球部全国大会準優勝のニュース!先を越されたとの思いから強烈な悔しさを感じたものです。
 谷木さんに会ったのは、それから40年もたってからのことです。笠谷さんに連れられて「おでんの一平」に伺ったときでした。
 現在は、元プロ出身者でも大学野球の監督ができるのです。
 谷木さん、なるほどこういう選択でしたか。わかりました、心から応援します。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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