« 2011年01月 | メイン | 2011年03月 »

あっぱれでしょう!日本女子ジャンプ!

2011年02月26日

110226_0814~01.jpg
 睡眠不足です! しかしまあ、嬉しさと悔しさとが交差して、なかなか眠れませんでした。
 よくやった! もっとやれた! ラージヒルはないの? 団体戦があればメダルでしょ! ソチ五輪は、そちらのものだ!? なんじゃそれ? こんなことを考えてれば寝れないわ!!
 思い出しました。
 1982年オスロ世界選手権。私は笠谷幸生コーチのもと、ジャンプワックスマンとしてジャンプ会場のホルメンコーレンにいたのです。
 今から29年前ですから、女性がジャンプをするなど考えもしませんでした。ですから男子ジャンプとことわる必要もありませんでした。ジャンプラージヒルの日は、きのうと同様の濃霧。何も見えません。これじゃ、飛形審判だってジャンパーは見えないでしょ、というくらいの濃霧です。
 しかし、そこはジャンプ発祥の地、ノルウェー、しかも聖地ホルメンコーレン。
 場内アナウンサーが10万観衆に呼びかけたのです。「さあ皆さん、音楽に合わせてダンスタイムです。大声をあげて、ステップを踏んで、そうすれば皆さんの体から熱が生まれ、それは上昇気流となって霧を晴らすのです!」
 濃霧の底からは地鳴りのような大音響が!!しかし、濃霧は晴れません。
 しばしの静寂のあと、再びアナウンサーが声を振り絞りました。
 「まもなく、わが国が誇る空軍がホルメンコーレン上空に編隊を組んで飛来します。そして霧を晴らす薬剤を散布します」
 見えませんでしたが10万大観衆と我々各国チームは一斉に空を見上げました。やがて遠くから爆音が聞こえ、徐々に近づき、轟音とともに去って行きました。
 でも、霧は晴れませんでした。緊急のコーチ会議が行われ「やるかやらぬか」の投票になり、結果10対9でやることになったのです。
 本家ノルウェーの努力に折れた国が10カ国あったのです。
 きのうの女子ジャンプを見てそのことを思い出しました。やりましたね!やれてよかったね!
 14歳、高梨沙羅さん、立派なインタビューの受け答えでした。ご両親、学校、上川町の教育の成果ですね。渡瀬あゆみさん、見事で悔しい等外一等賞の7位でしたね。15位の伊藤有希さん、体が伸び盛りでジャンプのバランスが少し乱れている中で頑張りましたね。そして、ミセスジャンパーの30歳、葛西賀子さん、彼女のお母さんの表現を借りるならば「女子ジャンプの年長さん」、賀子さん大健闘の12位です。
 山田いずみ女王引退のあと、よくぞ女子ジャンプをまとめ、ひっぱりました。正にこの人に歴史あり!!長野五輪ただ一人の女性テストジャンパー・2001年の父の日に頚椎5ヶ所を骨折し寝たきり3ヶ月、首の固定装具は9ヶ月。2002年の父の日から復活ジャンプを始めて2003年1月5日の雪印杯全日本ジャンプで優勝。それは父の誕生日の2日前でした。
 その日のことを私は2003年1月9日のいい汗いい話に書きました。
 タイトルは「スキーの女神が舞い降りて」
 この数日後、高校ジャンプ指導者の方がこう言ってくれました。
 「家に帰ったら女房が新聞持って泣いてるんです。これ読んでって。読んでるうちに涙が止まらなくなって、、、新聞のコラム読んで泣いたのなんか初めてでした」
 大健闘でした、女子ジャンプ。沙羅ちゃん、入賞だよ!おめでとう。
 山田いずみさん、努力が報われましたね。おめでとう、ありがとう。

奇跡の生存を願う

2011年02月25日

110225_0858~01.jpg
 私の持論です。
 世界の都市の中で、人口100万以下の都市で世界一美しい都市は、クライストチャーチ。100万以上なら札幌です。
 そのクライストチャーチがM6・3の地震に襲われました。被災者の生存確率がまだ残る72時間までわずかです。もちろん、過去の大地震でも4日後に救出された例もありますから、今は救出隊の奮闘を願わずにはいられません。
 クライストチャーチに行ったのは26年前のこと。
 日本たばこ(現JT)に提案し、採用された新スキー大会「ヘリコスラローム」の国内優勝者を案内してニュージーランドでヘリコスラロームのお披露目をした時のことでした。ヘリコスラロームとは、旗門を360度回りながら進む抱腹絶倒のスキー回転競技です。
 クライストチャーチの印象は、こんな美しい街があるのか!!まるで庭園がそのまま都市になったようだと、思ったものです。今回の地震で壊れた大聖堂にも上った記憶があります。
 阪神淡路大震災のあと、1ヶ月後にミズノ時代の後輩が被災していることが分り、当時東京から救援物資を背に新幹線、電車、バス、徒歩で神戸の避難所に行ったことがあります。避難所には全てを失って身じろぎすら出来ない被災者が多数いたのです。救援物資を渡して神戸の街に出た私が見たものは、折からの日曜日、いたるところから来たと見える物見遊山の見物人たち。「おう、すげえ!新聞やテレビで見るより、本物はすげえわ!」「これこれ、新聞に出てたあのビルよ!もうすぐ、倒れるわ。見ているうちに倒れれば面白いのに!!」
 すでにこの時、死者数は公表されていたのに、、、
 私は、殴り倒したい感情にとらわれたことを覚えています。
 いまは、ただクライストチャーチでの一人でも多くの救出を願います。

見守ることが、最高の応援! 

2011年02月22日

110222_0841~01.jpg
 斎藤佑樹投手が、腹痛のためヤクルト戦の先発を取りやめた。
 2月18日から症状を訴えたという。
 日ハムキャンプ報告のなかで、私が一番の力作だと思ったのは北海道新聞2月15日の朝刊「うちなー便り」、大崎哲也記者の記事だ。
 正に、斎藤佑樹投手の故障を予言するかのような報告だったからだ。
 斎藤佑樹目当てに連日集まるアナウンサーやタレントたち。
 基本的にはプロ野球取材で慣例とされている紳士協定などどこ吹く風の横暴がまかり通り、「やったもの勝ち」の取材だという。
 東京のテレビ局は朝の情報番組の大物?キャスターや女性タレント・女子アナを「アポ無し」で3度キャンプ地に送り込み、撮影禁止場所などお構いなしでインタビューしたり、球場内に進出したり、やり放題で顰蹙をかっているという。
 テレビ局など一部のメディアは、予想通り早大野球部の先輩連中を雇いこみ、それらを「突撃隊」として斎藤佑樹投手に仕向けるのだ。その彼らは、「おい、斎藤」「おい、佑樹」「おい、お前」呼ばわりで、これまた自覚あるマスコミからは顰蹙をかっているという。
 早大野球部員が、そのように使われるというのも悲しい話だが、使うほうは「お前にはそのぐらいしか能はないだろ」という姿勢が見え見えで、これも当人たちが悲しさを自覚できていないのだから、さらに悲しい。
 大崎記者は言う。「斎藤との距離感をいかに保つか?」やったもの勝ちの取材は、斎藤というコンテンツを「消費」するだけで、プロ1年生の才能の開花を見守る視点が欠落していることに気づき、われに返っている、という。
 腹痛事件はこの記事の直後だけに、この記事は誠にタイムリーなものだった。
 マスコミのみなさん、持っている立場はわかるが、立場だけで語ったり行動したりはかえって見苦しいことを読者や視聴者は知っています。それは簡単に見破られます。
 私もマスコミの一員として、一般大衆の力を知るものとして、大崎記者のように自覚せねばと思っています。
 ファンの皆様も、本当の応援とは「新人の成長を見守ること」だと、ぜひご理解を!
 ひいきの引き倒しだけは、やめましょうね!!

あっぱれ!湯浅直樹君

2011年02月21日

110221_0811~01.jpg
 湯浅直樹選手、スポーツアルペンクラブ・北海道東海大学出身 やりました!!
 ドイツ、我るみッシュ 参るなあ・やめてよ、、、ガルミッシュ・パルテンキルヘンで行われた、アルペンスキー世界選手権大会最終日の男子回転で6位入賞です。
 過去の成績は、五輪と世界選手権を兼ねた1956年コルチナ・ダンぺッツオ大会で猪谷千春選手が2位・1958年オーレ大会で猪谷千春選手が3位に次ぐ湯浅選手の入賞なのです。
 猪谷選手に次いで入賞圏内の6位に迫ったのは、1978年、所も同じドイツ、ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会で7位になった海和俊宏選手でした。私はこのとき、全日本コーチとして現地にいたのです。
 海和君は難コースに挑み、6位を死守。残り数名というところで、地元のノイロイターに抜かれたのです。この年、ドイツチームは不振で、世界選手権最終日にベテラン、ノイロイターが6位入賞を果たしたということで、会場の大観衆の喝采は今も耳に残っています。
 われわれ、日本チームは「猪谷さん以来、20年ぶりの回転入賞だぞ!」と、喜色満面。それが、ノイロイターによって「等外一等賞」となったのです。
 その同じ会場での世界選手権だけに、湯浅君の入賞は立派です。
 1位とは0秒96、3位とは0秒35の僅差です。
 湯浅君は今季W杯第7戦、シュラードミング大会で1回目15位から2回目3位のタイムで追い上げ、トータル10位と力を発揮していましたから、順当な6位入賞です。 昨年のバンクーバー五輪では、当初2枠の五輪代表から落選し「死ぬほど恥ずかしい思いをした。強くなるしかなかった」そうです。ただ、五輪代表枠はその後3枠に増え
、全日本スキー連盟アルペンチームはその権利を行使しなかったために、色々な批判もありました。ただ、言える事はそれら一連の出来事を越えて、湯浅直樹という選手がいよいよ世界的スラローマーの仲間入りしたということです。
 湯浅君のニュースを聞いて、1978年の31歳のあの日の自分を思い出しました。 あれから、33年たっての6位入賞です。
 たった一番上げるのに33年とも言えますが、それこそが歓喜なのです。 

がんばれ! 北海道

2011年02月13日

110212_1632~01.jpg
 2月11日は大倉山でNHK杯ジャンプ大会。
 雪まつり協賛?でしょうか、助走速度が国際レベルより3キロほど速く、130m越えのジャンプが連続して観客には大受け?でした。
 会場では、秋元正博氏・荻原健司氏と懐かしく懇談。そこへ伊藤義郎国際スキー連盟副会長が見えられて、ガルミッシュ・パルテンキルヘンで今行われているアルペンスキー世界選手権から昨日帰ったとのこと。
 それを聞いた秋元氏、「ガルミッシュですかあ、、、懐かしいなあ、1980年1月1日の大会で龍治さんに思いっきり焼きを入れられたんです。あれがなければ、ジャンプの秋元なんか、これっぽっちもなかったです」と。
 私は恥ずかしいやら、懐かしいやら、寒い屋外で冷や汗をかきました。
 秋元正博選手は、1980年1月1日はW杯49位の選手。
 1月4日のW杯インスブルック大会では15位・6日のビショフショーヘン大会では14位。この2試合で五輪代表になったのです。そして、2月のレーク・プラシッド五輪ではラージヒル10位、ノーマルヒル4位。3月のチェコでのW杯で遂に優勝したのです。
 つまり、正月1日は世界の3流、4~6日で2流、2月の五輪で1流、3月のW杯で超1流へと駆け上がったのです。
 4月からは、士別市朝日町にあるホテルとジャンプ場の運営管理者として腕をふるうことになります。ぴったりの仕事です。がんばれ、正博!応援するよ。
 12日は不肖、私の64歳の誕生日!
 お祝いに?札幌山の手高校三冠達成記念凱旋試合として対大阪薫英女学院戦と、北海道バスケットボールクラブ対トヨタ戦が月寒ドームで行われました。そりゃ、私も昔選手だけれども、丸一日バスケ三昧だなんて照れるっしょや!?
 いや、とてもよい誕生日でした!
 きょう13日は次男がコーチ兼アナリストを務めるバレーボールVプレミアリーグの東レvs堺戦で、東レが2セットを取られてからの3セット奪取の大逆転勝ち!
 おまけに、そのあと行った行きつけのラーメン屋「向日葵」では、誕生祝兼バレンタイン祝いとして「チョコレートケーキ」なんぞを頂いたのであります。何たる幸せ!
 年を取るのも悪くはないか!
 写真は、バスケの応援ファンが掲げる「北海道」の応援ボードです。
 そうそう、日本ジャンプチームも頑張っています。ノルウェー・ビケルスンでのフライイングジャンプW杯では、予選で伊藤大貴が3位・栃本4位・葛西5位・竹内10位・湯本19位と好調。
 ノルウェー・エベンセンが246・5mの世界最長記録を樹立しました!
 二本の板だけで246・5mも飛ぶんだと!!

携帯電話 上手投げ 大相撲

2011年02月07日

110207_0728~01.jpg
 ああ!日本の国技、大相撲も遂に携帯電話如きに、投げ捨てられるのか!
 それにしても、まあ、携帯電話の持つ決まり手の多彩なことよ!
 上手投げ・下手投げ・けたぐり・うっちゃり・突き倒し・あびせ倒し・寄り倒し、、
 まあね、相撲だけではありません、携帯電話にこてんぱんにやられているのは、スキー・スケート・アイスホッケーも同じです。選手がどんどんいなくなっているのです。
 まあ、八百長はありませんがね!
 調査委員会が携帯電話の任意提出を求めたそうですが、いまどき一人何個持っていると思うんですか? あるいは、もうとっくに危ない携帯は捨てられ、新しい物に変えられているでしょう。
 問題は解雇・永久追放されたものたちが、提訴して自分たちが付け人として八百長の交渉に走り廻されていたころの「ICレコーダー」に記録された「動かぬ証拠」などをもとに、現在の幕内力士やかっての地位ある現幹部などの行状が明らかになる恐れさえあることなのです。「ICレコーダー」も裁判の証拠に採用される時代なのです。
 必要なのは、「国技という権威の衣」を一度脱いで、力士だけの組織を見直してみることでしょう。
 「権威の衣」を身にまとうと、周りが見えなくなるのは各スポーツ団体でも企業でも同じです。そんな例は枚挙に暇がありません。
 どうぞ、丸々1年かけてでも再起をお考えください。
 そして、携帯電話という文明の利器に本来の機能を持たせてあげてください。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

ブログ内検索

カテゴリー

最近のエントリー

コメント




トラックバック

バックナンバー