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第2回 フッズで語ろう会

2010年09月29日

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 9月25日 土曜日 昨年に続いて2回目の「フッズで語ろう会」に行ってきました。
 フッズとは、札幌市藤野野外スポーツ交流施設の略称です。
 藤野スキー場が出来たのは43年ほど前のことで、ここでは確かHBC杯スラロームが行われ私も早稲田スキー部のころに出場したのです。
 このフッズでの会は、不偏不党、雪や氷でのスポーツを楽しむ人ならば誰でも参加できるのです。確かに、フッズスノーエリアですから、まだスケート関係にまでは広がってはいませんが、今年も多士済済の集まりでした。
 スキーアルペン・スキーノルディック・カーリング・リュージュ・スケルトン・スポーツショップ・スポーツ映像ETC。
 この会が行われるようになったのは、元札幌第一高スキー部監督の堀先生がフッズのマネージャーに就任されてからのこと。北海道・日本を代表するスキー指導者ですから自然に教え子だけではなく色々な関係者が集まるのです。
 堀先生から挨拶を命じられた私は、温暖化でヨーロッパや本州ではこの先標高2000m以下のスキー場の存続が難しいこと。北海道は安定して天然雪が降るスキー先進地になること。たとえば、米でも北海道米はすでに新潟こしひかりを食味では上回っていること。北海道の時代はすでに来ていること、ニセコの現状を見てもそれは明らかであること。だからこそ、情報公開から連携をしてさらに北海道を元気にしましょうと、言わせてもらいました。
 ことしのフッズは、オープンが12月18日の予定です。お楽しみに!

超えてあげたい!

2010年09月25日

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 イチローの話題です。
 10年連続200安打の大リーグ新記録達成です。
 10年間、打ち続けたのです。故障といえるものは、昨シーズン足に張りがでて16試合を欠場しただけでした。もちろん、そのシーズンも200安打を越えたのです。
 国内マスコミやアメリカマスコミには、色々な報道がなされていますが、原点は200安打を打ち続けたというよりは、10年間働き続けたことに私などは驚嘆するのです。
 たとえば、風邪をひいたとか、食べ過ぎて胃が痛いとか、寝不足で体が重いとか、ぎっくり腰で動けないとかは無かったのか?と、思ってしまうのです。まさか、なんとかという滋養強壮ドリンクが万能薬とは思えません。多少の効果はあるにしてもね。
 イチローはヘッドスライディングをしません。一塁へはもちろん、スライディングは攻撃時でも守備時でもしないのです。必ず足からのスライディングです。それがひとつの怪我防止策なのです。
 今回の報道でおもしろかったのは、ピート・ローズのコメントです。
 ローズは大リーグ記録の通算最多4256安打、年間200安打超10回の名選手です。売りは、ヘッドスライディング。常にヘルメットはサイズの大きい物を使い、ヘッドスライディングをするのです。アウトかセーフか?砂ぼこりの中からヘルメットが舞い上がり、やがて審判がセーフの判定をすると観客が地鳴りのような拍手を送るのです。ローズはかって「野球のルールは、子どもの野球でもプロでも変わらない。だからいかにすれば凄さを見せられるかを考え、ヘッドスライディングをするようにしたのだ」と、語りました。
 大記録を樹立したローズですが、野球殿堂には入ってはいません。野球賭博に関与し
たのです。
 ローズはイチローに対して、総安打の28%が内野安打だから史上最も幸運な男だと皮肉交じりのコメントを寄せました。それを聞いてイチローは、200安打11回を目標に「超えてあげたい」と、コメントしました。ヘッドスライディングで売り出した選手と、決してそれをしなかった選手が記録というページで交差したのかもしれません。

雪の上にも、、、4年!

2010年09月20日

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 雪の上にも、北の大地にも4年、今季のレラ・カムイ北海道はどこへいくのか?
 ちょっと心配になるような今季開幕戦でした。
 トヨタ自動車を札幌に迎えての開幕戦は、57-82という大敗でした。写真ではオレンジ色のユニフォームがレラ・カムイ、白はトヨタ自動車です。トヨタの応援は10
%、90%はレラ・カムイの応援です。これがトヨタの地元の名古屋や豊田市ならば逆転するのでしょうがね。でも、トヨタは全国どこに行っても存在するのでしょうから、札幌での応援の少なさは何なのでしょうか?
 地元密着のクラブチームではないから? たとえ、トヨタ自動車が社内チームであったとしても、全国の支店や販社が「一体化素材」として応援すればいいものを、、、と
思います。
 レラは逆に今年は正念場かも?
 地元密着プロチームとしての栄冠は、昨年リンク栃木に奪われました。ならば、今年こそ、、、の初戦を見てきました。
 敗因は1、攻撃パターンが少ない。2、ボールへの寄せや執着心が弱い。3、リバウンドが弱い。に、尽きます。
 観客数は、2455人。
 元々、バスケは冬場の体育館スポーツですが、今はちょうどプロ野球の最後の正念場です。札幌ドームには40000人です。
 ならば、野球の終わる10月開始ではいかがでしょうか?
 それと、本当にバスケを日本に定着したいのなら、JBLはbjリーグとの合併、統合開催を急ぐ必要があります。
 一つ気がついたのは、トヨタのヘッドコーチ、ドナルド・べッグ。頻繁に選手を入れかえるのですが代えるたびにその選手に対するアドバイスをするのです。選手にすれば、なるほどという納得感が生まれ、「なんで代えるんだよ」という不満はうまれません。
 いずれにしても、まだ1試合が終わったところです。
 折に触れて、応援ブログを書きますよ。

悲願の「松浦武四郎記念館」訪問

2010年09月09日

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 ついに、行くことができました。
 三重県松阪市小野江町383 TEL0598-56-6847
               FAX0598-56-7328
 「松浦武四郎記念館」です。
 1818年 伊勢国一志郡須川村(現 松阪市小野江町)に生まれる。
 1845年 28歳の年 初めて蝦夷地に渡り、太平洋沿岸を歩き、知床岬先端に
       到達
 1846年 2回目の蝦夷地探検でカラフト(サハリン)を調査
 1849年 3回目の蝦夷地探検で国後島、択捉島を調査
 1856年 4回目の蝦夷地探査で北海道の海岸線とカラフトを調査
 1857年 5回目の蝦夷地探査で石狩川、手塩川を調査
 1858年 6回目の蝦夷地探査で北海道の海岸線と十勝、釧路、日高地方を調査
 1859年 蝦夷地の詳細な地図、アイヌ文化を紹介する調査報告書を幕府に提出

 1888年 71歳で死去

 道を歩き、道をつくる。三重県が生んだ偉人。「北海道」の名付け親。
 北海道に興味をもったのは、26歳のころ長崎で色々な人と交流し、ロシア南下による日本の危機を知ったことがきっかけだった。それにしても、それにしても、三重県に生まれた人が遥かに遠い蝦夷地へ歩き渡った事実を知り、いつか記念館を訪問したいと願っていたのです。
 北海道人ならばぜひ! 北海道に縁ある方々もぜひ!
 歩けば夢も膨らみます。歩いて損はありません。きょうはいい日でした。    

復活望む大相撲

2010年09月05日

 今から50年も前のことだが、啓明中学校のすぐ近くに電器屋さんがあって、店頭にはまぶしく輝く「テレビジョン」があった。
 双子山の私の家にはまだ「テレビジョン」はなく、NHKの大相撲放送が始まると私の日課は電器屋さんの店頭に駆けつけることだった。時代は、栃錦・若乃花の両横綱の全盛期で、私は栃錦の大ファンだったが家に戻ると家族が若乃花はどうだった?と聞くので、若乃花の相撲も必死に見たものだ。
 家では食事時で、私の役目は「テレビジョン」で見たとおりに「再現実況放送」?をすることだった。 立会い、栃錦が左上手を取りに出て、、、若乃花はそれを嫌い前褌をつかんで、、、今考えれば、この時の経験が現在の職業にも役立ったのかもしれない。後年、スキーのワールドカップや世界選手権で解説を行った際にも、徹底的に見てそれを分析するのに良い経験だったと思う。
 50年も前は、お祭りには相撲大会は必ず行われ、私も界川神社での相撲大会はよく優勝し鉛筆やノートをもらったものだ。
 初代若乃花、花田勝治さんが亡くなった。
 NHKの大相撲放送が秋場所から復活することになった。
 二つのニュースが、啓明中前の電器屋さんを思い起こすきっかけになった。
 いまや、「テレビジョン」は各家庭にあるが、相撲協会の再生を切に願うものだ。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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