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燃えろ!コンサドーレ北海道?

2009年09月30日

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 コンサドーレのゲームの最終チェックは、いつも「燃えろ!コンサドーレ・平川弘の通信簿」と、決めている。
 平川氏は、サッカー解説者・元日本代表・元コンサドーレ選手で、私は札幌市東区が行った「東区スポーツフォーラム」でご一緒させていただいたことがある。それ以来、私にとってもっとも信頼する解説者だ。
 30日の道新朝刊35面に3ゲーム分が掲載されている。
 ふんだんに掲載されている「平川語」が、めっちゃおもろいのだ!
 「こけないで」「フリーじゃん」「どこがPKじゃ」「good追い」などなど。
 全部サポーター目線での言葉だから、ファンも共感できると思いますよ。
 新聞使用用語的には、びっくり仰天的用語のオンパレードなんだけれども、きっちり伝わるというのが凄い!これぞ平川ワールド、いや平川ワードだなあ!
 27日は湘南戦。昔は平塚でした。平塚が湘南となって果たして広域支援が成功したのかどうか、今ひとつ分析は済んではいませんが、さてコンサドーレの将来を考えた時にはこれは検討に値するのではと私は思うのです。
 Jリーグの思想は、一都市一チームですがその理想が可能になるのは、誰がみてもはるか先のことです。ならば今すぐ手を打てることを考えるのも必要なのではないでしょうか?
 コンサドーレ札幌をコンサドーレ北海道に改名申請をしてはいかがですか?
 広域支援を求めて、企業体質の改革を考えても良い時期が来ていると思うからです。
 プロ野球球団を応援するきっかけ調査では、北海道日本ハムファイターズは「地元のチームだから」項目が、85・5%で12球団で1位なのです。ちなみに2位はソフトバンクの77%です。最下位は巨人の11%です。これをみれば、東京のような全国流入移民的巨大都市では古里意識は極めて薄く、地元意識は芽生えず、北と南の球団が地元意識1位2位というのも納得です。
 コンサドーレはどうすれば自立できるのでしょうか?
 100年理念などとは言いません。5年理念ぐらいがちょうどいい。そのなかに、広域支援をいただくための方策の検討が今こそ必要ではないですか?
 「コンサドーレ札幌」?あれは札幌のチームでしょ? うちらは関係ないもの、、
 こういう声にどう応えていくかは、チーム結成以来の命題なのですから。

ファイターズ、回復特効薬

2009年09月24日

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 シルバーウイークの最終日、札幌ドームの対西武3連戦、観客は26955人。
 チームプレーですから、ベストの9人と考えるところでしょうが、9人でベストになるチームを作ることが大事なのです。しかし、ダルビッシュが登録抹消、ファイター小谷野が怪我、若手投手は四球・四球・ホームラン、9連戦の疲労からか動きが鈍くバットの振りも遅い打撃陣、とくればヤジの100発も飛ぶかと思えばそれが飛ばないのです。ファンも一緒にじっと耐えちゃうんです。
 頭から飛び込むダイビングキャッチは確かに見栄えはするけど、小谷野君にはイチローの言葉を贈ります。「どんな時にも、スライディングは足から。それが怪我を防ぐことになる」イチローはだから9年連続200安打という大リーグ記録を達成したのです。巨人優勝の立役者亀井はWBCでイチローの技を盗み、質問攻めして一人立ちしたのです。プロは見栄えではなく、実働による実績なのですよ。
 西武先発の36歳、プロ15年目の西口投手は見事な投球。ひとを食った投球でした。プロ3年目の吉川投手、肉体的・精神的に準備不足ですねえ。顔が引きつっていました。ひとに食われましたね。今こそ、陽気なチームリーダー森本選手の頑張りが必要です。今季売出し中の糸井選手も、ファイトを前面に。なんといってもセンターとは「輝く新庄ポジション」なのですから。
 球場に入ると、子どもたちの「書の作品展」がありました。
 これこそが特効薬です。
 秋の実りまであとひと息!
 

フッズで語ろう会

2009年09月21日

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 9月20日、17時から行われた「フッズで語ろう会」に行ってきました。
 フッズ、とは、札幌市南区藤野にある「札幌市藤野野外スポーツ交流施設」で、冬季は「フッズスノーエリア」と呼ばれるのです。
 スノーエリアの中には、スキー、スノーボード、スノースクート、スノーシュー、そり、チロルの木ぞり、そしてリュージュ、スケルトンなどが用意されているのです。
 札幌中心部からほんのわずか、さすが72年札幌冬季五輪の会場だったことがうなずけます。私が早稲田1年の時、HBC杯スラローム大会がここで行われ、私も出場した思い出の場所でもあります。
 昨夜は、フッズのマネージャーに就任した、元札幌第一高スキー部監督の堀満和氏の呼びかけで120名ものウィンターファンが集まったのです。基礎教育スキー、アルペン、ジャンプ、コンバインド、クロスカントリー、さらにはリュージュの方々です。
 集まった方々を喜ばせたのは、ジャンプ船木和喜・ノルディックコンバインド高橋大斗両選手の参加でした。遠征直前の時間を割いて来てくれたのです。
 私は堀マネージャーのご指名で出席者代表挨拶をしました。
 北海道の冬季スポーツの極端な地盤沈下に対抗するためには、「関心をもたれなければ感動には繋がらない」だからこそ、交流すること・集まること・知らせあうこと・が大事と訴えました。そしてどんなことでも情報をください、そうすれば書ける・語れるとお願いしました。私は「スポーツ書き手・語り手」だからです。
 集まって語り合えば、いい話はたくさんあるのです。船木君・高橋君の話、テレマークスキー・障害者スキー・スキー場情報etc
 聞いていて泣きそうになった、とっておきの話は、札幌リュージュ連盟副理事長の高木 孝さんから伺いました。まさに「いい汗いい話」。必ずお伝えします。
 この冬はフッズに何度か行くでしょう。リュージュも体験したいし、スキーもゆっくりと滑りたい。いい夜でした。

駄目だってぇ 気田さん!

2009年09月18日

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 そんな、突然すぎるっしょ!
 まだ65歳でしょ? なんも、ザイラーさんのあと 追うこと ないっしょや!
 ザイラーさんは確か73歳だよ、それだってみんな早い早い、早すぎるって言ってたのに、65歳なんてなんていえばいいのさ?
 だって俺は気田さんに憧れてスキーやって、早稲田にだって一般受験で挑戦したんだよ。もし、ストレートで入学できたら一年間気田さんとスキーできるって。
 受験勉強の時には、机の前の壁に気田さんが高校2年で全日本大回転で優勝したときの道新の切り抜きを貼ってさ、、、新聞の色が変わらないようにビニール貼ってテープでとめて、、
 早稲田は凄かった!7名のアルペン部員中、気田さん、佐々木さん、丸山さん、3名が五輪選手で横沢さん、高波さん、則本も長野、新潟、北海道のチャンピオンだった。俺だけが素人同然!よく気田さんには怒られた。気田さん、俺の肩までしかなかったから、いつも俺を見上げて怒ったよね。
 1年のインカレ、俺は滑降にエントリーされて無茶苦茶ぶるったけど、10位だった。気田さんが8位で0.3秒ぐらいの差だったとき、初めて「頑張ったな」とほめられた。そこからほんとにやる気がでたと記憶している。回転は気田さんの圧勝だった。こんなに速く滑れるのか?と見ていて感動したなぁ!
 気田さんが拓銀に入ってからは、ますます可愛がってもらった。雪の上でも、昼も夜もすすきのでも、、、
 祭壇にはこの1964年インスブルック冬季五輪大回転の写真。祭壇横には冬季五輪2大会出場時のゼッケン、五輪代表ブレザー、そして俺が贈ったスキーが並べられていた。「龍治が届けてくれたんだ」と嬉しそうに奥さんやお子さんになんども喋っていたそうだ。そう、直接、奥さんやお子さんに言われたら、俺だってなんも言えないっしょや。
泣くしかないっしょや。
 心筋梗塞って、痛くも苦しくもなかったのかな?それなら、せめてもだな、、、
 それにしても、凄いスキーヤーだったな!
 アルペンの気田義也、いったいどれだけのスキーヤーが憧れたんだろう?
 気田さん、蘭越や倶知安、インスブルックやグルノーブルまで自由に往復して、ザイラーさんとも勝負してて。
 やがては、そっちのスキー場でまた教えてくださいね。         合掌

イチロー、照れもせず、舞い上がりもせず。

2009年09月15日

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 アメリカ大リーグの歴史に、日本人選手が二度と破られないだろう大記録を打ち立てました。一シーズンにヒットを200本打つのも大変なのに、それを9年間連続して、108年前の記録を越えたのです。
 イチローの言葉のなかで私が一番好きなのは、「体が大きくなければいけないとか、体が強くなければいけないとかという言葉に惑わされず、自分の体をどう使えば良いのかを考えて欲しい」というものです。これは、大リーグがホームラン競争に蹂躙された2000年前半に、イチローが語った反ドーピング的コメントです。と、同時に日本の子どもたちへの心からの応援メッセージでもありました。
 イチローは薬物で体を改造することもなしに、新記録を作ったのです。
 イチローは明らかに打ち損じの捕手ゴロでも、瞬時にダッシュします。その結果、内野安打のなかに捕手ゴロでの安打が3本もあるのです。これこそがイチローの凄さだと思うのです。イチローには打ち損じと言う言葉も、完璧という言葉も無いのではとさえ思います。そこが一流と二流の違いなのでしょう。
 イチローは捕手ゴロでの安打でも照れることはありません。クリーンヒットでも舞い上がることもありません。すべては同じ一本の安打と知っているからです。ホームランさえ一本の安打です。
 クリーンヒットを打とうと思っていたのに、ボテボテの内野安打だったわ!かっこ悪いと思うのは二流選手なのです。イチローを見習うべきは正にここにあるのです。
 道新が15日朝刊の31面で、イチローが使うバットとグラブを作る職人さんを取り上げてくれました。
 バット職人の久保田五十一さん、グラブ職人の坪田信義さんはともに私のミズノ時代の先輩です。今回は久保田さんの後輩の名和民夫さんも紹介されています。サービスマンにも光を当てることは重要なことです。なぜなら、イチローは試合後、自分でバットとグラブとスパイクを磨くのです。それだけ大事にしているのです。
 サービスマンのみなさんも嬉しかっただろうなあ と、元サービスマンの私は思いました。

日本の勝利

2009年09月07日

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 日本の日本による日本のための勝利を目指せ!
 こういう勝利とは、どんなものでしょうか?
 1972年札幌冬季五輪ジャンプメダル独占・1998年長野冬季五輪ジャンプ団体金メダル・メジャーリーガーイチロー2000本安打達成・WBC野球世界一etc
 来年2月のバンクーバー冬季五輪を目指す、日本リュージュチームはJAXA(日本宇宙航空研究機構)や東大宇宙航空研と共同で国産そりの開発を進めたのです。3日に東大構内でその発表会があり行ってきました。
 素材はカーボン、風洞実験を繰り返し、国内企業や工場が参加し、国産そりが完成したのです。これこそが日本の日本による日本のための挑戦です。
 小さな一歩が技術や知恵を蓄積していくのです。それらがやがて花開くときを信じて。
 頑張れ日本リュージュ。頑張れ国産技術!

現代、「たいやき」考

2009年09月04日

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 東京での楽しみは、何と言っても「食べること」なんですねえ。
 私にとってこれさえあればというほどの「ラーメン」は、残念ながら東京にはありゃしませんから、逆に東京ならではのものを探し求めるのでございます。
 これぞ、日本一とまで言えるのは「甘味系庶民食」と私が命名した、「大福」「たいやき」「おやき」でございます。
 こごめ大福、おやきの御座候は次回に回して、今回は浅草、写楽のたいやきでございます。写真の通り、写楽のたいやきは「真正正統薄焼き型」でございます。
 さらに言えば餡は北海道富良野産の小豆であるあたりが、私を惹きつけるのでございます。皮は薄皮に限ります。お祭りの夜店によくある「厚皮メタボ系」は、いけません。たいやきはひと噛みで餡に到達するのが極上で、「餡はどこへいったの?」という厚皮系では、たいやきならぬ「ふぐやき」?
 写楽のたいやきは、ぱりぱり皮と甘さを抑えたふっくら餡のコンビネーションが絶妙なのでございます。
 独り身の 寂しさ癒す 写楽焼き
 今日も、見るからに体脂肪率3%かと思うほどの写楽のたいやきを食べながら、運動しなくちゃと思うメタボの私なのでした。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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