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向日葵(ひまわり)ラーメン発、びっくりニュース

2009年06月30日

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 突然のメールですが、伊藤さんの母校札幌旭丘が高校野球南北海道大会に進出しました。開校以来初めてだそうです。
 向日葵ラーメンからのメールだから、新作ラーメンを考えたと言うようなメールかと思ったら、いやあびっくり仰天!野球で全道大会進出だと!
 昨年、札旭丘高校は創立50周年を迎えたのだが、もちろん野球部が全道大会に出たことなどは過去に一度もない。そもそも、私が居たころは野球部自体が無かったのだ。もちろん、球場もない。それが半世紀を経て遂に全道大会出場である。

 数年前、札幌南高が甲子園に出場したときは「浪人覚悟」という横断幕が出たものだが、まあ、甲子園じゃなく全道だからまさか「浪人覚悟」とは言わないが、一球入魂、短期集中、ぐらいは言わなくちゃね。東京6大学の応援言葉にあるような「OO選手のデッドボールに期待しよう」ぐらいの気持ちにはなるだろうなあ、やっぱり!
 野球部、在校生、教職員、OB,OGにとっては、いい夏、楽しい夏になるねえ!
 それにしても、私が今東京と知っていて、わざわざメールをくれる向日葵ラーメンの気持ちが嬉しいねえ。幌西小学校の正門斜め前だから、昔風に言えば旭丘高区域内だねえ。
 いや、ここのラーメンは美味いよ!ラーメン博士の私が惚れ込んだ日本一だよ。
 東武百貨店船橋店の北海道フェアで販売数過去最高を記録したのは、うなずけるよ。ここの味噌ラーメンは北海道ラーメンの原点のような味だと思っているよ。
 東京に居る間は写真は見ないようにしていたけれど、野球メールから見てしまったよ。もうだめ!くいてえ! おーい、野球部の後輩たち、1勝したら向日葵ラーメン、ご馳走するぞおおお!

名将からの電話

2009年06月27日

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 東京の家の近くでは、台東下町七夕まつりの飾り付けが始まりました。
 筑波大学体育学部教授、筑波大学バレーボール部監督の都澤凡夫先生から電話をいただいた。
 「12時に寝たんだけれど2時に目が覚めて、何気なくラジオをつけたら北の朗読館だということで、、北海道所縁のひとたちの作品と聞いたときに、すぐ伊藤さんを思い出して、、その途端伊藤さんの作品が紹介されて、、いやあ嬉しかったなあ」
 先生は、留萌生まれ、留萌中学、留萌高校から東京教育大学(現筑波大)、卒業後は富士フィルムでもバレーボール選手として活躍。その後、筑波大コーチ、監督としてインカレ5連覇の偉業を達成した名将だ。

 私の次男は筑波大から東レに進み、現在東レアローズバレーボール部のアナリスト兼コーチだから都澤先生は直接の恩師だ。
 先生が留萌出身と知って、インタビューをしたときのことだ。父親の話になり、お互いの父親が札幌一中(現札幌南高)と知って「ほう」となり、大学が中大法科と知って「えっ!」となり、父親同士が柔道部と知って「うわあ!」となった。後日調べたところ、間違いなく同じ高校、大学、柔道部だった。結局、私の父親は孫を「同期の都澤」の息子に預けたことになる。誰も意図せず、そういう運命になっていたのだ。
 最近は孫に癒されていますよと、先生が言った。正に同感と私は答えた。
 「先生、その内筑波に伺います」と言って電話を終えたが、真夜中に伊藤さんのコラムを聴けてうれしかったなあと言われ、私は少し恥ずかしさを感じながら心から嬉しく思った。
 彦星と織姫だって一年に一度は会うのだが、そういえばしばらく先生に会っていないなあと、恥入った。

札幌発 NHKラジオ深夜便

2009年06月23日

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 NHKラジオ北海道版では昨年に放送されたのだが、今度は6月26日~27日の全国版で私のコラムが放送されるという。
 この日は札幌からの「ラジオ深夜便」の放送で、札幌らしさ、北海道らしさを盛り込む中に、札幌出身のスポーツライターのコラムが候補に挙がったのだろう。
 放送時間は、正確に言うと27日土曜日の午前2時台だから真夜中(笑い)です!
 大半の方は寝ている時間ながら、このラジオ深夜便のファンは老若男女を問わず全国にかなりいらっしゃると聞いている。いずれにしても、嬉しいことだ。

 全道版のときは、「龍の恩返し」、「恩師を慕うこどもの日」の2作だった。
 いずれもスポーツコラムというよりは、吹雪で行き倒れになった私を救ってくれた郵便配達のおじさんの話と、私にとって最初のスキー指導員だった宮崎恒子先生の話だ。考えてみれば、この恩人二人が居なければ今日の私はいない。
 自分の書いたコラムをNHKのアナウンサーが朗読してくださる。そしてそれは電波に乗って全国に届けられる。全道版のときにも私は聴きながら泣いてしまったが、今回もありがたさでそうなるだろう。
 私の手元には実はもうひとつ宝物がある。「試走者たちの金メダル」「もっとスポーツ北海道」を出版したあと、奈良市在住の前田勝子さんという「音訳奉仕者」の方が単行本を丸ごと吹き込んでくださったテープだ。しかもそれはかなり広範囲に目の不自由な方々の施設などで使われているのだ。
 最初に前田さんから送られたテープを聴いたとき、私は身じろぎもせず涙が止まらなかった。
 おそらく、深夜便を聴きながらまだお会いしたことのない前田さんを思い出すだろう。
 深夜2時台ならば、朝顔はまだ眠っているだろうか?

新芽の季節

2009年06月22日

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 全国的に、各種スポーツの全国高校選手権や全国中学校選手権の予選会が行われています。
 部活に励むことは、歴史に加わることでもあります。
 花が咲き、やがてしおれても種が落ち、翌年再び芽を出すのです。
 東京台東区入谷の朝顔市の朝顔の種が、今年も札幌で芽を出しました。これからは、すくすくと育ち、蔓を伸ばしやがては色とりどりの花を咲かせます。
 朝に元気で、夕には眠りに入るかのようで、誠にいじらしい朝顔のように、全国にも朝顔少年少女が誕生しているのでしょう。

ハッピースキーヤー

2009年06月12日

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 上村さん、皆川さん、3年交際経て結婚
 
 これは新聞紙上の見出し通りに書きました。
 皆川さん、上村さんというのは、やはり無理だったのかなあ(笑) 世界選手権、ワールドカップのチャンピオンと、オリンピック4位の差なのでしょうか?(苦笑)
 ともあれ、おめでとうございます。こうなれば、夫婦でメダルを目指してね。
 皆川選手は新潟の生まれですが、高校はスキーの名門、小樽北照。天狗山で育った、準道産子です。上村選手は長野です。ま、そんなことはどうでもいいよね。
 お互いが不調のときに励ましあい、スキー技術談義に花が咲き、お互いを尊敬しあっているというのは、いいことだなあ。正直にいえば、バンクーバーのメダルなんかどうでもいいさ。言える事は、精神的に落ち着いてチャレンジできるね、と言うこと。

 
 このニュースを聞いて思い出したことがあります。
 札幌五輪金メダリストの笠谷幸生さんも、五輪1年前に結婚しました。かなりたってから、そのことを聞きました。「戦いを1年後に控え、精神的に支えてもらおうと思って結婚を決意したのですか?」と。
 笠谷さんの答え「いいや、単なるなりゆき」。
 私は次の質問をまったくできませんでした。
 以来、その真偽を奥様に聞きたいと思ってはいるのですが、恐ろしく、また究極の野暮と思われそうで今日まで聞いてはおりません。この面では、ジャーナリスト精神を放棄しています。
 とにかく、皆川選手と上村選手にはお祝いの花を贈ります。

意思に花咲くとき

2009年06月09日

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 岡田武史コンサドーレ監督と会ったのは、2002年日韓サッカーW杯を1年前にしての、W杯札幌大会フォーラムだった。
 フォーラムのパネリストは、当時の岡野俊一郎日本サッカー協会会長、桂信雄札幌市長、岡田武史コンサドーレ監督、コーディネーターは私が担当した。
 岡田監督と私は早稲田大学の同窓生。確か8歳違うが、スキー部もサッカー部も東伏見の早稲田村のなかにあり、話しが弾んだものだ。岡田監督の印象は、信念の指導者、だ。
 その岡田監督が、今度は再びの全日本監督としてW杯出場を決めた。

 それはアウェーでの1-0の勝利だった。審判の迷走がひかり?荒れたゲームになり岡田監督自体も退場処分を受ける不可解さだったが、アウェーでの僅差の勝利は戦略、戦術的な勝利だ。監督にすればしてやったりの意義ある勝利だ。
 日本のプロ野球がWBCでスモールベースボールで2連覇を果たしたように、岡田型サッカーはスモールフットボールでW杯出場を決めた。スキージャンプで言えば、岡部型ジャンプのようなものだ。
 日本人の特性である俊敏さ、技術的優位さを利したサッカーだ。これが日本の型だ。
 目指すはこの型での本大会ベスト4だ。その遠大な目標設定たるや、正に信念の指導者 岡田武史の面目躍如たるものがある。でるだけでいいとなれば、そのように終わる。俊敏さ、変幻自在のパス交換でゴールを目指し、全員一致のベスト4ならば夢は近づく。
 楽しい時間が始まる。期待が膨らむ。
 まずはひととき、薔薇の花を贈ってみようか!

美人広報ウーマン

2009年06月03日

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 25年間のスキージャンプ活動に終止符をうった、山田いずみさんから引退のはがきをいただいた。
 今後は会社の広報活動に携わる予定です、とありました。美人広報ウーマンの誕生です。
 彼女の勤務する神戸クリニックは、視力矯正のレーシックの専門病院です。実は、私の次男もここでレーシック手術を受けました。事前のチェックでは角膜が厚く、レーシックには最適と言われたそうですが、結果は0,1が2,0に復活!その後、定期的な検査でも2,0は低下せず、バレーボールチームのコーチ兼アナリストでパソコンと格闘する仕事なのですが、コンタクトや眼鏡のときに比べ疲れ方が段違いだそうです。本当に、やって良かったと親子で実感しています。

 神戸クリニックが女子ジャンプチームを持ってくれたことで、うちの息子も救われました。
 スポーツマンは眼が命。イチローの動体視力の凄さはよく知られていますが、動体視力などという言葉すらない時代、私も目力で格闘したものです。1971年、札幌冬季五輪候補のアルペン選手、古川年正選手が骨折。4ヶ月入院し、退院直後からのトレーニングは今で言う動体視力回復を狙ったものでした。バスケット選手でもあった私は、ボールトレーニングを考えたのです。
 バスケット、バレー、軟式テニス、卓球ボールの順に、最初はパス、次には一歩動いてキャッチ、次第にスピードをあげてキャッチさせ、最終的にはテニス、卓球ボールでの連続キャッチまで持っていくのです。入院するとスポーツ選手はまず目の力が劣るのです。
 古川選手は、こういう練習の成果もあり、見事に札幌冬季五輪の代表になったのです。
 みなさん、目力です。眼力です。眼を大事にしましょうね。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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