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道人力に目覚めよう

2009年04月27日

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 写真を間違えました。こちらが山口市維新街道の松です。
 間違えた写真は、東京墨田区向島の「長命寺のさくらもち」の看板です。
 隅田川に架かる桜橋の近くにある「さくらもち」の専門店です。創業は、徳川三代将軍家光の時代といいますから300年にもなるのでしょうか。維新街道の松と同じぐらいかも。江戸に入った官軍にも長州藩兵は多数いたでしょうから、進軍中、松を眺め、江戸入りしてからは「長命寺のさくらもち」も味わったのでしょうか。ともあれ、東京ご散策の折には一度はお召し上がりあれ。定休日は月曜日。店内では、お茶とのセットもございます。

 さて、前回はイチローの通算案打数の日米の温度差を考えましたが、少なくとも常識とか、当たり前とかの概念について、違った角度からも見たり考えたりすることは必要だと思うのです。
 ゴールデンウィーク目前、もう始まった方もおられるでしょうが、なぜ全国一律なのでしょうか?不況だから16連休?普通には5連休?不景気だから企業別?
 基本的には全国一律ですから、道路も宿も交通手段も大混雑です。これは巨大なビジネスチャンスをみすみす失っていることでもあります。
 考えてみれば、北海道では夏休みと冬休みが本州などとは違うのです。地域的な特性に準じ、期間の設定が違うのです。これが北海道スタンダードなのです。そのように設定したことが「道人力」だったと思うのです。
 県別に梅雨の時期とか、猛暑の時期にGWを設定可能にできたなら、北海道経済は間違いなく活性化するでしょう。北国だからこそ、夏時間の設定も当然だと思うのです。
 北海道は言わば「移民国家」。各市町村がルーツを考えるべきです。そしてルーツに対して「営業」するべきです。たとえば、新十津川町は奈良県体育協会に営業をかけ、奈良体協傘下のスポーツ団体の夏合宿を誘致してはどうでしょうか?梅雨のない北海道特性は何よりの武器になるのです。
 そろそろ、真剣に「道人力」を考えませんか? それこそが「もっと北海道」ではないですか?
 それを提唱し続けるのが、「北海道の新聞」、「北海道新聞」ではありませんか?

記録の意味は歴史に任せよう

2009年04月25日

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 写真は、山口市維新街道沿いの松の巨木です。
 旧長州藩の奇兵隊や京に攻め入る長州軍をも、眺めていたのでしょう。
 ふと、歴史を考えたのは、私がイチローの記録に対し書いたもの(4月17日、イチローはどこにいても桜咲く)と、同じような意見を日本経済新聞4月23日 Sports&Business 「イチローの偉業」のなかに見つけたからです。記者は、ジム,ケイブル ESPNシニアライター。
 「街で唯一の新聞となったシアトル、タイムズ紙も新記録達成の翌日、試合内容を報じる記事の中で、第4段落に入るまでイチローの偉業に触れていない。無関心の理由。一つは、イチローの記録が日本とアメリカの安打数を合わせたものであったこと。数学が苦手な我々には、少々理解が困難だ。
 半分冗談、半分本気だが、やはり二つのリーグの記録、特に通算記録は別物。中略
 長く日本は、年間130試合の時代が続いた。対してメジャーは162試合。年間32試合の差は20年プレーすれば、およそ5年分の差となる。」 中略。

 イチローの凄さの本質は、次の言葉にある。
 「では、日本とメジャーでは、どちらが3085安打を打つことが難しいか。残念ながらそれに答えられるであろう唯一の選手は 無意味ですよ。張本さんも僕も、その両方を経験することはできないから と、素っ気なかった。」 中略。
 スポーツは本来遊びが原点。世界記録も考えてみれば、樹立された日の気象条件、使われた用具などがそれぞれ違うのだから、どれが一番凄いというのを比較するのは難しい。だから、単純にタイムが一番良いものを認めようよという事になっている。ただ、おかしいほど混乱?しているのは水着問題だ。
先の全日本選手権では国内メーカーの水着がスピード社の水着を圧倒し、日本記録更新を連発したが国際水連の今季の水着認定はこれからの作業だから、今のところは暫定なのだ。
 結局、今起きていることに、日々の結果に一喜一憂するなということだろう。真実は「歴史」になった時にしか分からないのかもしれない。

旅の空から

2009年04月23日

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 福岡の名建築への説明が不足でした。
 場所は天神四丁目。那珂川のほとり。正式名称は福岡市文学館、赤煉瓦文化館です。元は、1909年建設の日本生命九州支店です。そして、設計者は東京駅の設計を手がけた「辰野金吾」氏です。
 夜間のライトアップで美しさは際立つといわれています。
 福岡から山口へ、そして大阪、奈良へと、旅の空から近況をお伝えしています。
 奈良の高安山で遅咲きの牡丹桜を目にしました。もうすぐ桜前線も津軽海峡を渡ることでしょうね。

福岡にて

2009年04月20日

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 16年ぶりの福岡?です。
 タイガーボードと呼ばれる不燃建材で有名な吉野石膏株式会社に呼ばれ、お得意様の会「タイガー会」で講演しました。
 空き時間を利用して、久しぶりの福岡を歩いてみました。そして見つけたのです。100年建築を。
 これは、日本生命九州支店、1909年完成の建築です。それにしても、見事!!
 吉野石膏株式会社も創業109年です。最初に呼ばれたのは101年のときで、本当に感激したものでした。

 日本の企業数は500万とも600万とも言われますが、その中で100年企業になる確率はわずかに3%といわれるのです。至難の業です。まず、その企業の製品、商品、サービスが時代にマッチしていること。企業がフェアプレー精神を持ち、決して偽装などしないこと。お客さま、お得意様にフレンドシップ精神を忘れないこと。そのうえで、競争精神、向上精神というファイティングスピリットを持つこと。そうすれば、未来に繋がるフューチャーマインドが与えられるのです。
 講演は、希望により「試走者たちの金メダル」を交え、「スポーツデザイン論」を含め、「みんな、岡部ろうよ」という呼びかけも!!
 岡部は九州、沖縄のみなさまをも泣かせてくれるのです。
 講演終了後は、感動したお客様に勧められ、九州焼酎品評会へ!!
 頭、がんがん、目はしょぼしょぼで必死で書いています。
 九州万歳、吉野のみなさんありがとう!!

イチロー君、ここが原点ですよ

2009年04月18日

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 イチロー君、いつか君の目指した「野球」と「ベースボール」の原点の地にいらっしゃい。
 東京台東区、上野公園のなかにそれはあります。むかし、このあたりは野原だったそうです。その人は、球を追って野原を駆け回る面白さからベースボールを「野球」となずけたのです。
 2年前、プロ野球選手会はこの球場で「キャッチボール」大会も開催しました。ヤクルト宮本、横浜三浦、ロッテ清水選手と審判団が協力してのキャッチボールイベントでした。
 そう、その球場の名は、「正岡子規球場」。
 「春風や まりを投げたき 草の原」 そこには子規の句が石碑として、野球人を歓迎している。

 イチローは記録更新のあと、言った。
 「張本さんが日本の野球のなかで、あれだけ打ったということは凄いこと」。
 アメリカではヒットになる内野安打も日本の敏捷な内野手では阻止されることもあるかもしれない、という意味を含めて、張本氏の偉業に改めて敬意を表したのだ。
 また、イチローは「クリーンバッティグマシン」とも言われている。筋肉増強剤や薬物には一切関わっていないからだ。
 イチローはかって言ったことがある。
 「体が大きいとか、体が強いとかの幻想に惑わされて、自分自身の可能性を否定しないで欲しい」
 これは、イチローが世界中の野球少年、少女に向かって訴えた言葉だ。
 体が小さくても、それほど強い体ではなくても、野球で夢を追うことはできるのだとの訴えだ。
 ここにこそ、イチローの本当の強さがある。日本の誇る世界基準なのだ。

イチローはどこにいても、桜咲く

2009年04月17日

画像の確認
 イチローが日米通算3086本のヒットを打ち、張本選手の日本記録を更新した。
 本来、張本選手の記録は日本のプロ野球でのものだし、日本とアメリカの記録の合算とを比較するというのもおかしな話ではあると思う。
 張本選手は41歳まで現役で3085安打の記録をつくった。その本数よりも、その年齢まで現役を
張ったということのほうが素晴らしい。

 もし、イチローが日本でプレーし続けたならば、どうであったかはわからないが、現在35歳での3086
安打というのはやはり飛びぬけて速い到達だ。
 WBCのあと、胃潰瘍という報道を聞き、肉体的にダメージを受ける年齢になったのかと心配だったが、見事な復活だ。
 阪急時代の松本トレーナーを通して、イチロー選手の人となりを知ったが、野球が仕事ゆえに先の準備と後の準備(イチローにとっては、試合後のグラブ、バット、スパイク磨きは整理ではなく、後の準備なのだ)に時間をさくのは当然だったのだ。
 願わくば、イチローには40代、50代でも活躍してもらいたい。そのために、体をいたわることも知ってほしい。
 イチローはどこにいても、桜を咲かせるのだなあ。お祝いに隅田川の桜をどうぞ。

いずみのココロ

2009年04月15日

 山田いずみに最初にインタビューしたのは、いずみが小学6年生のときだ。札幌荒井山ジャンプ場で、私は少し意地悪な質問をした。
 「中学に行っても続けるの?中学で飛んでる女の子なんて、誰もいないじゃない」
 後年、名寄でそのときの話になった。「うるさいなあ、このおじさん」と、思いましたと言ってお互いに大笑いしたものだ。
 岡田武史当時コンサドーレ監督と計画し、あわや、コンサドーレ女子ジャンプチーム誕生寸前までいったことも、今となっては良い思い出だ。北海道新聞の「もっと北海道キャンペーン」の第一弾になったスポーツフォーラムに、いずみをパネリスト出演してもらったのもその関係だった。
 4月14日の道新、「アスリートのココロ」は、引退した山田いずみのインタビュー特集だ。

 結論から言えば、この特集は「山田いずみの純粋な競技者としての心」を、見事に捉え余すところ無く
表現した「佐藤大吾記者の筆力」の賜物だ。
 「2回目のジャンプは全然記憶がないんです。」「やってきたことを否定したくなりました」「あの成績を素直に認められるようになり、、、」「3月上旬くらいから、、楽しくなり、、子供の時にもどったように。」
「いつか小さい子供たちに教えたい」
 夢だった女子ジャンプの世界選手権。そこでの絶望的な大失敗。その後、引退レースまでの心の戦い。限られた紙面の中で良くぞいずみの心を引き出し、アスリートへの尊敬をにじませ、明るいいずみの笑顔を写真として沿えて表現したものだと、私は思う。
 記憶が飛ぶほどの敗戦から立ち直れず、死に向かったアスリートも過去には存在したのだ。
 1月4日の50回記念雪印杯の公式パンフレット、活躍を期待される5人のジャンパーのなかに私はいずみを載せた。そして、大会当日言ったものだ。「優勝すると書いたようなものだからな」と。「わあ、凄いプレッシャー」といずみは笑いながら、目は輝いた。それが、アスリートのココロ、なのだ。

Vプレミアリーグ 男子も東レ

2009年04月12日

 男子決勝戦、決勝リーグ1位通過の堺ブレーザーズvs2位東レアローズの戦いは、0-3で東レが勝ち、男女で東レが優勝するという快挙を成し遂げました。
 東レはレギュラーシーズンは1位サントリーに次ぐ2位でしたから、大逆転の見事な優勝です。
 真に強いチームというものは、常に敗戦から次の戦いの戦略、戦術を学び見つけ出せるものです。言わば、「負けて覚える相撲かな」のことわざ通り、負けから負けない戦い方を学べるかどうかなのです。
 東レにはその強さがあり、ほかのチームには「勝ったから良かった」で止まってしまう心の隙間は無かったでしょうか?長いシーズン、戦いながら鍛えるという東レ戦法は効率よく、徐々に機能したといえるでしょう。
 1試合の勝負ですべてが決まるわけではない。学び続けた東レに女神が微笑んだのでしょう。

Vプレミアリーグ 女子は東レが2連覇

2009年04月11日

 きょう、4月11日、東京体育館で行われた決勝戦は、東レが久光を3-0で破り2連覇達成。
 1週間前の決勝リーグでは、東レvs久光は3-1で東レが勝ったが内容的にはかなりの接戦でした。
 しかしながら、問題はきょうの内容です。3-0の内容は、25-13、25-18、25-15、つまりVプレミアリーグの決勝戦ながら、一方的な試合となったことです。
 実力均衡のチームの戦いで、13点しか取れないというのは、明らかにチームとしての戦いにはなっていないということです。私自身、大学のリーグ戦やVリーグで12点、13点止まりの試合は何度か見ていますが、これだけの点差というのは「一方的にやられた試合」です。言うならば、Vリーグチームvs高校上位校ぐらいの実力差がなければ有り得ない点差だと思います。
 それがVプレミアリーグ決勝戦で起きたというのは、何があったのでしょうか?

 何があったかは明白ではありません。ただ、これだけの大差であれば、言える事は東レにあったものが久光には無かった、とは言えると思います。
 久光製薬スプリングスは正にタレント揃いです。全日本メンバーだけをみても、兵動、山本、先野、小山、狩野、大村、佐野、選手など。東レでは木村、大山ぐらいです。きょうの試合はタレント軍団が機能せず、無名の守備力の高いチームが強烈な結束力を見せたということは言えると思います。
 東レは新加入の張が得点力を高め、今回のVプレミアリーグMVPを獲得しましたが、優勝を支えたのはとにかく諦めない守備力でした。東レは全員バレー、その象徴は長く怪我で苦しんだ大山加奈選手をブロック要員ではあっても使うことです。大山のコールとともに、大歓声が会場に響きわたります。この大歓声でますます東レは乗っていくのです。一時は「めぐかな」で人気を集めた大山選手でしたが、長く怪我に苦しみ精神的にも迷い、ここ数シーズンは出場していませんでした。その大山の復帰に対する応援も東レは味方にしたのです。東レはだから、チームで戦い、会場を味方につけ、見えない力を利用しました。そう考えなければ、この大差は説明がつかないのです。
 東レは、応援の先頭に立った社長が真っ先に胴上げされました。
 明日は男子です。東レの男女両チーム制覇がなるか!見ものです。
 タレント軍団、久光スプリングスは長いシーズンを戦い続けての準優勝です。柔軟な機動力を望みます。勝者も敗者も、すぐに日韓戦、その後ゴールデンウィークは黒鷲旗と戦いは続きます。
 体を手入れして、活躍を祈ります。

侍たちの心には

2009年04月10日

 天皇、皇后両陛下ご結婚50周年の会見のなかで、皇后さまが「侍たち」を語った。
 「WBCの侍たちは、鎧(よろい)も着ず「ござる」などとも言わなかったけれど、その戦いぶりは誠に美しいものでした」
 いやあ、これを聞いたらイチローの胃潰瘍も、村田の肉離れも驚異的な回復力を発揮するだろうし、このお言葉は金メダル10個分ぐらいに思うだろうなあ、選手や関係者たちは、、、。
 皇后様のお言葉を評論する立場には、私はまったくありませんが、これはですねえ、ほめ言葉の極意です。ほめ言葉というものは、直接言われるのも嬉しいのですが、もっと凄い効果を発揮するのは「伝わってくる」ほめ言葉なのです。つまり、「その場にいない人をほめる」ことなのです。
 会見を聞いて、私のようなものがこのように書いたり、今日の夕刊、明日の朝刊、マスコミが必ず取り上げることは間違いないことなのです。

 もちろん、現在大リーグで戦っている選手たちにとってもすぐに伝わります。嬉しいと思いますよ。
 「えっ!ほんとに!まじで?いや、うれしいいい、、、むちゃ、感激だわわわ、、、」イチロー選手の喜びようが目に見えるようです。
 侍たちの心には、ものすごく大きなものが伝わりますよ。
 WBCではなくとも、国際的ではなくとも、それが男でも女でも考えてみれば私たちの周りには「侍」はたくさんいると思いますよ。そういう方々を、ほめることです。その場にいなくても、私は認める、私は共感すると表現することが大事なのです。
 それにしても、ご結婚50年かあ!私は34年でした。字は違いますが、私の皇后さまも「みちこ」でした。いまは、彼女の父と一緒のお墓で眠っています。さあ、まもなくお墓参りです。

三島の春

2009年04月06日

 バレーボールVプレミアリーグ決勝シリーズを取材するため、東京に来ています。
 男子決勝は東レアローズ対堺ブレーザーズが12日。女子決勝は東レアローズ対久光製薬スプリングスが11日。会場はともに東京体育館です。
 今回の出張には、もうひとつの理由があり、それを実現するため静岡県三島市に来ているのです。また、パソコンの具合が悪く調整のため札幌からパソコンを担いできたのです。調整役は私の次男です。
 次男は東レアローズのアナリスト兼コーチで、三島に東レ男子チームの本拠があるのです。
 きょうは、昨日までの3連戦のあとの休日で、私は三島入りした次第です。
 東京駅から三島駅までの間、私は何千本の桜を見たでしょうか?桜満開の正に春です。
 パソコンを調整できる人間とは、いったいどういう頭の構造をしているのでしょうか?

 次男を眺めながら、「本当に私の次男なのか?」 不思議な気がします。
 東レアローズの本拠地体育館には「No Limit! 心技体知に限界なし」の標語が掲げられていました。昨年は女子では東レが優勝、男子が準優勝でした。今季は男女アベック優勝がなるか?と期待が集まっています。
 男女チームがシーズンを戦うなか、東レの榊原定征社長はいち早く「男女東レアローズ」の存続を表明しました。バレーボールが東レの「社技」だという内容でした。と、同時に私が感心したのは「不況期こそが充電期」という社長の言葉です。東レは「雇用を守る経営」を旨とし、解雇するのではなく余った人員を社員を講師にした座学で教育し、一人一人の能力向上を図るのだというのです。
 私が勤務したミズノの経営指針にも「不況期にこそ設備投資せよ」というのがありました。創業者、水野利八氏の言葉です。三島の春のなかで、時代は違えども不況期と戦う経営者の共通する言葉を思い出しました。 さあ、今週末、東レに「桜、揃い咲き」となるか、注目です。

高校野球に思う 「北の球人」が伝えること。

2009年04月02日

 春、選抜の決勝は、清峰が花巻東を1-0で破り、初優勝した。
 息詰まる投手戦だった。
 北海道代表、鵡川高は準優勝の花巻東に完封負けしたが、見事な負けっぷりだった。
 見事な負け、と敢えて書いたのは勝利を目指しながら「立派な負け」を指導する、「北の球人」佐藤茂富氏が監督だからだ。
 元北海道日刊スポーツ記者、現フリーライターの岡崎 敏氏が「北の球人」 佐藤茂富の高校野球、を日刊スポーツ出版社から出版された。熟読したが、佐藤茂富氏を余すところ無く表現した、見事な仕事ぶりである。全スポーツ関係者、全教育関係者にお読みいただきたい一冊だ。
 スポーツの指導で一番大事なことは、「勝ち」を教えるのではなく、「負け」を教えることだ。

 「何をしてでも勝つ」「裏をかいてでも勝つ」という勝利至上主義でスポーツを見るのではなく、「立派な負け」があることを教えることも、特に高校時代の純粋多感期には重要なことなのだ。その一点を表現したことで、この本は見事な「教育書籍」となった。
 鵡川高校野球部では、携帯電話は3年生の正月明けに解禁となる。
 今回の選抜大会で信じられないことが、携帯電話で引き起こされた。勝利チームの選手が試合後、敗戦チームのことを自身の携帯ブログで嘲り哂ったのだ。これはまさに瞬時の速さで大衆の知るところとなり、勝利高には大衆から抗議が重なり高野連の知るところとなり厳重注意処分がなされた。きょうの報道では、部長が辞任、なお部長、監督、当該選手が謝罪のため相手高に赴くという。
 だからこそ、鵡川高 佐藤茂富監督の指導が必要なのだ。携帯電話教育も指導であり、「立派な負け」教育も高校野球なのだ。
 スポーツは言わば、負けの連続のようなものだ。全国4200校のうち、4199校は敗者であり、勝者は1校。だからこそ、「立派な負け」を指導することが、指導の本懐だ。だから、私は佐藤茂富監督のファンなのである。 。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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