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あの日の桜

2009年03月31日

 あの日から一年だ。 早いのか遅いのか、まだ区別はつかないが、折にふれて強烈に思い出すことがあると、すべてがきのうのことのようだ。
 桜便りが北上を始めた。
 私には忘れられない桜の日がある。それが3月31日の桜日だ。
 2008年3月31日。東京都立駒込病院での治療を終え、車椅子を押しタクシー乗り場に向かったとき、女房が言った。
 「桜を見て帰りたい」
 私は体にズシンとくるものを感じながら、つとめて明るく言った。「いいねえ、いいねえ、そりゃいいわ」。
 タクシーは、駒場近くの桜坂を通り、皇居千鳥淵のお堀に垂れ下がる桜を見ての桜ドライブだった。

 「普通に振舞うこと」を、自分で自分にひたすら言い聞かせたのは初めてだった。そうしなければ、「来年の桜は見れないと思っているのでは?」と不安になるからだ。
 女房の旅立ちは、その日から4週間後だった。桜前線は津軽海峡を越えてはいなかった。
 私の携帯の写真フォルダに、あの日の桜の写真がある。私が女房の携帯に転送するために撮った写真だ。そうすれば、同じ写真を見ていられると思ったからだ。
 「日本人は桜に思いを込めすぎだ」とは思うが、毎年季節を伝えながら咲き、すぐに散り、生と死を考えさせてしまう桜とは、いったいなんなのだろうか?
 去年のきょう、桜を見ながら思ったものだ。3月31日は私の桜日になるなあ、と。

友あり、スキーあり。

2009年03月29日

 北海道新聞スキー部?なんて本当にあるのかは知りませんが、今日私をスキーに誘った二人は紛れもなく「スキー大好き中年」であることは間違いありません。
 朝早く、大谷地に迎えに行ったところ、いきなりお兄ちゃんが寄ってきて「つなぎ、持ってきた?」というから、まさか普通のスキーするのにダウンヒルワンピースが必要なの?と驚いたのなんの。そのおにいちゃんは0123のつなぎ姿で、私の怪訝な顔を見て「あ!違うね」。あわや、引越しの手伝いをさせられるところでした。
 今シーズン最後の、つまりシーズンファイナルスキーで歌志内かもい岳に行ってきました。
 いやあ、かもい岳は良いなあ!全10コース中の6コースを滑りました。西コースは今日が最後、東コースは4月5日が最終日です。シーズン中からコース整備に力を入れているだけあって、春の雪のはずがすいすいと滑れるのです。楽しかったですよお、、、。

 かもい岳には30年来の友人、斉藤博氏がいるのです。人に会い、スキーに会い、山頂からの360度の眺望に会い、大きく広い空に会い、幸せでした。
 ちびっこレーサーたちもトレーニング中で、どこからきたのと聞けば「長野」「神戸」との答えにびっくり!
 かもい岳は全国区なのです。こういう施設は守り通さなければいけません。
 人は人によって繋がり、友情は30年、40年の時を繋ぎ守るからなのです。
 がんばれ、かもい岳。微力でも私は応援します。
 歌志内市民のみなさま、かもい岳スキー場は日本の英才教育基地なのです。全国区の基地なのです。どうか、一緒に守り通しましょうね。私は応援します。

野球界の凄いやつ

2009年03月27日

 WBC主催者が「オール、トーナメント、チーム」を発表しました。これはWBCの言わばベストナインです。日本からは、投手で松坂、岩隈。野手ではただ一人青木宣親選手でした。
 イチローではなく、イチローに「お前は凄いねえ」と言わせた青木選手でした。
 青木選手は宮崎県立日向高等学校出身。県下有数の進学校です。早稲田大学への入学は一般受験ですから、言わばテスト生です。大学に入ってからの最大の驚きは、同期の鳥谷選手(現、阪神)の凄さ。到底適わないと思ったそうです。しかし、そこからが意地の見せ所。猛練習の始まりでした。
 ヤクルトへの入団は、ドラフト4巡目でしたが入団1年目にはイースタンで首位打者。2年目はセリーグで首位打者。新人王獲得。イチローに次ぐ、日本プロ野球年間200安打達成(202安打)と、スター街道まっしぐら。2009年WBCで、世界が認めたのです。世界がの前に、イチローが認めたという方が

凄いですよね。
 参った、適わない、と思っても、そこから再出発すればよいだけの話です。青木選手のように。
 だから、選抜高校野球北海道代表の鵡川高校は、とても大きなものをお土産に帰れたと思います。
 相手の花巻東の菊池投手は150キロの直球と、高校生では打てないというスライダーを持つ左腕ですから、あわやノーヒットノーラン負け寸前でした。最終回代打の高地選手と阿部智選手がヒットを打ったのは見事です。
 雪のまだ降る3月に高校NO,1投手を相手にできたことは、最高の幸運です。これからですよ。
 佐藤監督、さあ、どのようにチームを鍛えてくれますか、楽しみです。

やはり、チーム力ですねえ

2009年03月24日

 
 日本人は個人個人では見劣りするかもしれないが、チームとなれば力を発揮できるのです。
 WBCの2連覇は、日本得意のチーム力で成し遂げられました。韓国は、同じようにチーム力で勝ちあがってきましたが、イチローに匹敵するリーダーが不在でした。アメリカやヴェネズエラなどは、個々に見れば超人的な選手はいてもチームにはなりきれていませんでした。
 なぜ日本は北京五輪では敗退したのでしょうか?それはやはりチームにはなりきれていなかったのです。つまり、北京五輪ではチームリーダーが「星野監督」で、補佐する者が田淵、山本コーチという頭でっかち集団だったのです。
 今回は、イチローという真のチームリーダーがいたから勝てたのです。凄かったねえ、日本!

WBCだべなあ、きょうとあすは。

2009年03月23日

 「予選ラウンドから、ベンチのなかで、すべてのゲームに出ていましたから」
 「対アメリカも対韓国も何も考えてはいません。無心にゲームに集中するだけです」
 ベンチウオーマーだった川崎選手の談話です。ベンチ内で皆を励まし、ひたすら声を出し続けた川崎選手が、初スタメンで大活躍したあとの極めて冷静な談話には、多くの日本人が感動したことでしょう。
 それにしても、またまた、ついに、決勝は韓国戦です。今大会は2勝2敗。勝ったほうがWBC世界一です。
 あすはTVが9時50分から。視聴率はどのぐらいいくものかねえ?
 あすは、私の場合、午後2時ぐらいまでは、開店休業です。

ノルディック 距離スキーのおもしろさ

2009年03月19日

 北海道距離スキーの母、と私が勝手に呼んでいる澁谷洋子先生から、距離スキーは盛り上がっているんですよ、とお導きがあり、白旗山で行われる第87回全日本ノルディックスキー選手権を見てきました。
 種目は、男女スプリント、フリー(1km) 男女チームスプリント(6km) 男女パシュート。
 いや、おもしろいねえ。はまるよ、これは。
 それにしても、強い選手は雰囲気を持っているねえ。五輪選手の福田修子選手はすぐわかりました。
動きに無駄がなく、優雅なんです。だから遠くから見てもすぐわかるんです。
 会場内の掲示板には、道新既報の石田正子選手のW杯3位入賞の記事が貼り出されていました。石田選手のブログもありました。

 次は白旗山に福田、石田、夏見選手が揃うときに必ず来ようと思いました。
 男子はスプリント個人、チームで早稲田の後輩が優勝です。個人は柏原選手、チームは柏原、立崎組です。
 柏原選手の優勝後、おめでとうと握手をもとめ、早稲田OBですと言った途端、直立不動で自己紹介を返されました。昔は私もそうでしたねえ。
 きょうはこれからシーズン最終戦のナイタージャンプの公式練習です。
 ゲームは明日が宮の森ノーマルヒル、あさってが大蔵ラージヒルです。試合開始は18時。
 岡部孝信選手が飛びます。
 山田いずみ選手の引退試合でもあります。
 さあ、暖かい格好で、いらっしゃい、いらっしゃい。

本当にすごいものとは、、、

2009年03月16日

 私が大学1年の全日本学生スキー選手権大会(インカレ)の思い出だ。
 この年、昭和40年、1965年のインカレは長野県栂池スキー場だった。最終日、30km耐久レースを応援したときの話だが、早稲田主将の4年生、深谷政光先輩は吹雪のなか汗もよだれもツララにして爆走したのだ。最初は、頑張れ、飛ばせなどと言っていたのだが、だんだん深谷先輩が神々しく見えてきたのだ。そして私はついにコースサイドに正座して、ありったけの大声で「お願いします、お願いします」と叫んだのだ。コースを先回りしての「お願いします」は深谷先輩がついに3位でゴールするまで続けたものだ。
 その夜、深谷先輩は「長く走ってきて、いろんな応援を受けたけど、きょうのお願いしますには参ったよ。あれやられたら、走らんわけにはいかないもな」と、笑った。

 44年も前のことを思い出したのは、北海道美幌生まれの石田正子選手(JR北海道)が、W杯女子30kmクラシカルで3位入賞を果たしたからだ。
 先の世界選手権で夏見選手と組んでのスプリント4位入賞は驚天動地だったが、こんどはなんといってよいものか?
 そもそも、クロスカントリースキーでは世界と戦うなどありえないことだった。まあ、短距離のスプリントなら、なんとかなっても距離が延びれば絶対に無理と誰もが思っていたものだ。それが、まあ、、、
 これはね、高校生の甲子園優勝投手がいきなりアメリカ大リーグで、ノーヒットノーランをやったようなものです、はい。
 「これで、距離もTVの生放送にならないかなあ」という石田選手のコメントも良いなあ。
 それには時間がかかるかもしれないが、少なくとも日本の、北海道のスキー距離人口を増やす効果は絶大なものがあったよ、石田さん。
 JR北海道さんもおめでとう。よかったねえ。機関車が2両、揃ったねえ。コーチ、サービスマンもおめでとう。バンクーバーに続けてくださいね。

旧 たくぎん の皆様、良かったねえ

2009年03月13日

 札幌大学地域スポーツ、文化総合型クラブ設立記念講演で、私は今後のスポーツ界の動向を4分類しました。
 1、プロ球団型(日本ハム、コンサドーレ) 2、終身雇用保障企業型(雪印、東レ) 3、下川型(町営スキークラブ) 4、大学型 です。
 岡部君の史上最年長W杯優勝は、雪印企業の勝利でもあるのです。雪印乳業にとってスキージャンプは国技(社技)です。それは雪印杯というジャンプ大会を50年も続けていることで明らかです。岡部君は雪印の社員で、仕事がジャンプなのです。そして引退したあとは、希望すれば社員として雇用は保証されているのです。
 不況下で企業スポーツが廃部の嵐ですが、スポーツチームを単に宣伝媒体としか見ていないところと雪印や東レは違うのです。

 だから今回の38歳でのW杯優勝という偉業が実現したのです。
 これは、岡部君の努力、雪印乳業のジャンプを国技とする全社一丸の頑張り、そして岡部君を最初に引き受け指導した旧たくぎんの皆様をも含めた成功なのです。
 岡部君はこう言います。「斉藤監督、原田コーチがそばにいてくれるのだから、これ以上強い味方はない」と。
 札幌でのジャンプ大会に、一人の往年の名ジャンパーが姿を見せるのです。敦賀栄氏は、旧たくぎんの名ジャンパーで五輪代表、全日本覇者でもありました。岡部君は、自分のジャンプが終わるたびに敦賀氏と短い言葉を交わすのです。私はこう聞きました。「栄と孝信は一緒の時代はあったのか?」
 「孝信がたくぎんに来るとわかって、私がコーチでスキー部に復帰したんです」
 つまり、社会人で初の指導者が敦賀氏だったのです。二人は背格好もほぼ同じ。切れ味鋭い敦賀ジャンプは岡部君に引き継がれたのです。短い言葉のやり取りのなんという奥深さか、、。
 1995年、たくぎんスキー部廃部のあと岡部くんは手を差し伸べてくれた雪印に移りました。
 今日、雪印時代岡部君を指導した元スキー部監督の渡部絹夫氏に電話をしました。「雪印も喜んでいるだろうな」と。
 渡部氏は言いました。「雪印もそうだけれど、元たくぎんのひとたちが喜んでいますよ。だって、つらい時代を11年も越えてきたんですから」と。
 雪印も旧たくぎんも、一般のひとも良かったねえ。岡部君は最高のメッセージをくれましたね。

ああ、岡部孝信君、君は誇りだ。

2009年03月12日

 ああ、岡部、ああ、孝信、日本中を驚きと感動が走りまわっているよ。
 凄いよ、凄すぎる。シモンとマリッシュを従えて、最年長38歳ジャンパーが、11年ぶりのW杯優勝とは!
 今季、国内戦連勝を重ねていたとき、「今までで、一番良いんじゃないか?」と聞いたとき、君は「うーん、近いかもしれませんね」と、答えたよね。その後、世界選手権代表に復帰し、団体戦での大活躍で見事銅メダルを獲得。2番手での君の135mの大ジャンプが、札幌大会に続く2大会連続の銅メダルとなった。君は、また日本ジャンプを救ったのだよ。
 それが今度は、日本ジャンプ全員へのメッセージともなる、11年ぶりの優勝だ。
 私は、3月8日の札幌大学での講演で、また最後の最後に岡部孝信を語ったのだよ。

 リレハンメル五輪で君が原田君を助け起こしたときの言葉、「原田さん、心配ないって、14年ぶりのメダルですよ」
 長野では「原田さんみたいに、上に飛び出すジャンプだから、78,5mも行けたんです。僕や、斉藤、船木のように低く飛びだすジャンプなら、60mがやっとです」と、言った。
 この発言を聞いた海外プレスは、日本の勝因はチームワークと打電した。
 だから、私は講演で必ず、あなたの組織、チームに「岡部」はいるか?居なければ「岡部」をつくれと言わせてもらうのだ。
 五輪二冠王のシモンが、君との記念撮影をせがんだという。世界中の選手、コーチが君を祝福したという。アホネンが君に触発され、復帰するという。
 かって私は、こう言った。「ジャンプが仕事じゃないか。仕事を簡単にやめてどうする」と。
 バンクーバー冬季五輪で、もう一度世界を驚かせて欲しい。40代ジャンパーも見たい。
 私はうれしい。私たちは「岡部孝信」を持っているのだ。

悪戦苦闘中 

2009年03月10日

突然、ブログを休止してしまい、失礼いたしました。
私のパソコンが、突然画面を真っ黒にしてしまい、どうしたの?と聞いても返事すらなく、やむなく標準語、北海道語、関西語で語りかけても返事すらなく、途方にくれておりました。
修理に出したところ、記録、記憶はすべて消え、正に何おか言わん状態が続いております。
正常になるには、もう少しかかりますのでご理解のほどを。

プロフィール

プロフィール

伊藤 龍治
1947年札幌生まれ。札幌啓明中では夏は野球、冬はスキー。旭丘高では夏はバスケット、冬はスキー。「スポーツ二毛作」実施者。早稲田大でスキー。日本初のアルペンサービスマン、世界初のジャンプワックスマンは自称ながら事実。スキーで4年おきの「骨折五輪」に3度出場。全日本アルペンコーチ。北海道新聞に「いい汗いい話」を12年半執筆。テレビ、ラジオ、講演などスポーツジャーナリストとして活動中。

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