泣かずにプレー!80分の会見‼イチローは奇跡の人!

2019年03月22日

私はいま、札幌市立新川高校女子バスケットボール部のトレーナーを務めているが、トレーナーとしての師匠は早稲田大学教育学部教育学科体育学専修時代の指導教官だった「織田幹雄先生」、織田先生は日本初の五輪金メダリストで走り幅跳びが専門だった。織田先生からは「マッサージ概論」を学んだ。

もうひとりは、オリックスブルーウェーブでチーフトレーナーを務められた「松元隆司」氏。分かりやすく言えば、鈴木一郎がドラフト4位でオリックスに入団したときのトレーナー団の親分だ。

松元氏は毎年シーズンオフに入団直後の選手たちを連れて「身体障害者施設」を慰問し続けていた。鈴木一郎選手の2年目だった。鈴木選手たちは、子どもたちを怪我させないようにあえて緩いボールを投げたという。そのうち、子どもたちが「プロってこんななん?」と言い始めたという。

その後の「試合」で鈴木一郎選手は、投手の子どもが投げたボールをフルスイングし右中間をライナーで破り、全力疾走でベースを回り「ランニングホームラン」にして見せたという。子どもたちは必死にボールを追い、あっという間にホームインした鈴木一郎選手を見て驚き、プロの凄さを実感したのだ! 松元氏は「あそこが、イチローの原点でした」と証言した。

私の手元には伊藤龍治さんへ、と書かれプラスティックケースに入った「イチロー選手のサインボール」がある。オリックスが札幌円山球場へ公式戦で来た時に訪問し、松元トレーナーを介してお会いした時にプレゼントされた「宝物」だ! 当時、北海道新聞夕刊に連載していた「いい汗いい話」にイチロー選手を書いたことがあり、「書いていただきありがとうございます」と言われ恐縮したものだ。

そのイチロー、世界のイチローが引退を発表した。最後のゲームも必死の形相でゲームに打ち込み、ゲーム終了後深夜に80分に渡る会見中も一切涙は見せずに「真摯」に応え続けた。

東京に桜が咲いた日に、東京で「世界のイチロー」が散ったなど、奇跡の人の伝説は語り継がれるだろう!

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