小林陵侑本物!フライイング・ワンダーボーイ誕生!

2019年01月05日

オーストリア・インスブルックの「ベルク・イーゼル」ジャンプ場は、1976年の五輪会場で私もワックスマンとして戦った思い出の地です。

インスブルックでは1964年と1976年の2回、冬季五輪が行われています。1964年大会は笠谷幸生選手の初五輪で、「始まったと思ったら、終わっていた」そうですが、90m級11位でそれが日本チームの最高成績でした。

ベルク・イーゼルジャンプ場はスタート位置から見ると正面に教会と墓地が見え、その先にインスブルック市内が広がります。ブレーキングトラックは、すり鉢状で5万観衆の声がすり鉢の底に降りてきて、猛烈なプレッシャーをかけてきます。大音量は人間を狂わせることを私はここで知りました。

1月4日に行われたドイツ―オーストリアジャンプ週間、第3戦で小林陵侑はまたも優勝!136・5m、131m合計点267点、2位のクラフトには12・8の大差をつけました。好調日本チームは6位に佐藤幸椰、129m・123・5m合計点231・4、伊東は15位、1月1日に5位だった小林兄は26位、向かい風、追い風で飛距離が極端に違う場合があるスキージャンプながら、多少の追い風も苦にしない小林陵侑は「ワンダーボーイ」です。

今季、7勝!レジェンド葛西の年間6勝を越えて日本人新記録です。こうなったら、次戦6日のビショフショーフェン大会で「4戦4勝・総合優勝」を成し遂げて欲しい!

ビショフショーフェン在住の「ゲルハルト・エミコ―ゲルハルト」家の皆さま、「4戦4勝」がかかっております。なにとぞ、いつもの「カレーライス」と試合時の「おにぎり」サービスをよろしくお願いいたします。

エミコ・ゲルハルトとは旧姓「岡崎恵美子」さん、札幌五輪アルペン代表、ゲルハルト氏は元オーストリア国鉄マンで柔道4段、この二人の恋を取り持ったのが何を隠そう私なのです!

エミコに一目ぼれしたゲルハルトが必死に「荷物運びと道案内」をするから、一緒にチームに同行させてほしいと頼み込んできたのです。なんといっても190cm、100kgの巨体ですから、車の上に50台ぐらいのスキーを積むのは「あっという間!」でした。(笑い)

4戦4勝はこうなったら、「ゲルハルト・エミコ」一家にかかりますが、日本チームの「ベースキャンプ」になって45年、私は大船に乗った気持ちで朗報を待ちたいと思います。

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