没イチ10年、孫たちが余市からやってきた!

2018年12月17日

妻を乳がんで亡くしたのは、平成20年、2008年のことだ。だから「没イチ10年」となる。

離婚経験者を「バツイチ」といい、配偶者を亡くした者を「没イチ」というそうだが、これも「新語・流行語」の一種なのだろう。

妻は8年半の闘病で、腰骨に転移してからの3年半は東京の自宅で「完全看護」できたから少しは役に立てたかとは思うが、妻を失った直後の「恐ろしいまでの喪失感」は今も心の奥底にしみ込んでいる。

そういう私にいち早く心を寄せてくださったのは、師匠・笠谷幸生さんだった。突然、電話があり「今から家に行く。道順を教えろ」という。家の隣駅の上野で待ち合わせたが、笠谷さんは「懐かしいなあ!東京の第一歩はここだったなあ!」と言った。「あっ、そういえば私もそうだった!」瞬間、何か心が軽くなった!

「1月に産まれた双子の女の子の孫とは、亡くなる2週間前に会えました」というと「それは良かった。今後はそこに頼らないといけないからな!」と言われた。

北海道新聞の夕刊に12年半連載していた「いい汗いい話」は妻の死で終わらせた。妻は「編集者」でいわば「夫婦合作」だったからだ。読者の方々からたくさんの励ましのメール、はがき、お手紙をいただいた。道新「読者の声」では「旭川市・教員佐野公平氏」のお言葉に救われた。札幌市・滝本章彦氏のメールにも泣かされた。私が教育実習をさせていただいた母校・札幌旭丘高の指導教官・在間弘先生は「読者の声」を切り抜いて東京に送ってくださった。こういう温かな心根に包まれて私の「気が狂いそうな喪失感」は和らいでいった。

縁があって札幌市立新川高校・山野麗キャプテンの靭帯断裂からのリハビリをお手伝いし「年下ながら尊敬する指導者・森岡英生先生」のお誘いを受け「爺ちゃんトレーナー」となって一度に「孫たち」が増えた。

15日・16日は余市町立旭中学校が練習試合にやってきた。16日は野幌中学校も合流した。先生同士のつながりで「高校―中学校の合同練習会・練習試合」も行われる。余市旭中は初日は5人、二日目は7人、初日の新川高校先発メンバーとの試合では1点も取れなかった。おそらく中学校では経験したことのない「オールコートプレスディフェンス」をされたからだ。小樽―余市間が高速道路でつながったとはいえ、2日連続新川高校に来るのは大変なことだろう。そして2日目は対新川高戦でも善戦し、野幌中戦では19-17で勝利。1日で1か月分の成長を果たしたと思う!

練習前後には相手チームの指導者に挨拶、訓示を受ける。また応援に来ている保護者への挨拶も欠かさない。

私は「敵味方の区別なく」孫たちの身体を護る。

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コメント

余市旭のお手伝いしてました(審判してました)佐々木です。
余市旭キャプテンの父で、普段は余市ミニバス少年団の指導しております。
伊藤先生、二日間に渡りありがとうございました。
身体のケアに関しても大変勉強になりました。
子供たちは、この二日間の経験を活かして全道大会も頑張ってくれると思います。
私にとっても勉強になることが多い二日間でした。
今後のミニバス指導でも活かしていきたいと思います。
また勉強させてください。今後とも宜しくお願い致します。
ありがとうございました。

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