ジャンプ小林陵侑・快進撃を支えるのは宮平秀治!

2018年12月01日

今季から全日本スキージャンプヘッドコーチに就任したのが、宮平秀治44歳だ。

余程のジャンプ通でなければ、知る者はすくないだろう。しかし、ミズノジャンプチーム創設者の私からすれば、所属4選手のなかで初の五輪代表選手だ。

小樽工業高からミズノに進み、1998長野五輪代表に選ばれた時、所属先のミズノ北海道営業所・北村所長が「屋上から、立て幕下げました。先日の全国営業所長会議で、各営業所でも立て幕下げて欲しいって言ったんですが、、」。結局は北海道営業所1か所だった。定山渓出身の熱血所長・北村氏の願いかなわず、宮平は五輪選手には選ばれたが、長野では「正補欠選手」で出場することはなかった。

2002ソルトレイクシティ五輪代表にもなったが、ラージヒル24位、団体戦5位という目立たない成績だった。

4年に1回の五輪というサイクルには合わず、谷間の2年に1回の世界選手権で活躍するという「不運型選手!?」が存在するのは確かだ! 宮平はそういう選手だった。圧巻は1998長野の翌年のラムソー世界選手権だ。 ノーマルヒル銀、ラージヒル銅、団体銀、宮平は3個のメダリストになった。 ワールドカップの優勝は1回、1999年のプラニツアのフライングヒルだ。長距離飛行に能力を発揮する選手だった。

笠谷幸生全日本ヘッドコーチが「宮平を認め、深く感謝した」試合があった。1999年1月23日・24日の大倉山ラージヒル・W杯だ。宮平は2位・3位と日本選手で一人気を吐いた!試合後の事だった。「龍、宮平、褒めてやってくれ!追い風であのジャンプできるのは、宮平しかいない!」

その宮平が全日本ジャンプチームのヘッドコーチになった。ミズノ退社後に全日本コーチにはなっていたが、今度はヘッドコーチだ。指揮官だ。もちろん、全日本選手の所属先にはそれぞれコーチがいる。普段の指導はそれぞれのコーチが行う。例えば、土屋ホームには選手兼任で葛西、雪印には原田・岡部、北野建設には横川、東海大札幌には森がいて、いずれも名指導者だ。

宮平秀治は寡黙だが、各チームや各選手の意見を聞く「度量」がある。選手として世界に出て「成功と失敗」を経験し、「指導の幅」を持っている。原田や岡部などかっての仲間たちが信頼している。

おそらく、遠征中のジャンプチームの雰囲気も最高に良いのだろう。だから小林陵侑が開幕から飛び出せたのだろう。

私も、札幌に居て「宮平・がんばれ!」とエールを贈るひとりだ!!

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