元五輪マラソン代表・真木和さんに合掌。

2018年10月25日

新聞で訃報を知った。死因は書かれていなかった。49歳という年齢を見て、私にはほぼ概要が見えた気がした。

25日、道新朝刊には「乳がん」のため死去とあった。

陸上女子1万メートルの元日本記録保持者、1992年バルセロナ五輪1万メートルで決勝に進出し12位。初マラソンの名古屋国際で優勝、これはバルセロナ五輪金メダリストのエゴロワ(ロシア)を破る金星だった。

1996年アトランタ五輪女子マラソンで12位。ワコール時代、真木選手にあこがれて入社したのが2004年アテネ五輪金メダルの野口みずき選手だ。

女子選手ながら「かりあげ君」的な髪形で颯爽と走る目鼻立ちのはっきりとした「美人選手」だった。

真木和(まき・いずみー現姓山岡和)さんは、10月18日に乳がんのため大阪府箕面市の自宅で死去。49歳。愛媛県出身。

私の妻は乳がんで57歳で亡くなった。闘病8年6か月。手術の時には医者は私にだけは「5年生存率は、、、う~ん50%でしょうか。リンパに転移がありますから、超特急だと思ってください。」と言った。 その日からの8年半はすべてを覚えている。交わしたメールもすべて保存している。

腰骨に転移して歩けなくなってからの3年は、完全看護の体制に入った。その期間はまるで「私の身体と頭のなかにある汚れたものを浄化する期間」のようだった。 それでも確実に転移は進み、歯茎、肺、脳が侵された。しかし、最後まで意識が混濁することはなかった。

そうか、箕面市か! ミズノ千里ビル時代、箕面の山並みを毎日眺めながら勤務したものだ。箕面の山は紅葉にはまだ早かっただろうか?最期は私の妻のように「痛み・苦しみを取り除く処置」が施されただろうか? 49歳という若さなら悔しいことも多かったに違いない。親友の野口みずきさんの嘆き悲しみはいかほどだろうか?

乳がんは早期発見ならば、恐ろしい癌ではない。撲滅できるレベルが近づいている。日本を代表するスポーツウーマンだけでなく、全女性が早期発見のために検診を習慣づけしてほしい。

ボーイッシュなスタイルで颯爽と走る真木和選手の姿を私は忘れない。私の妻は水泳選手だったが、天国で優しく迎えるだろう。

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