日航機墜落から33年に思う事!

2018年08月12日

1985年8月12日、私は札幌に出張していた。会社の出張規定で実家に泊まると、宿泊費は出ないが食費だけは支給された。そういう時代だった。

12日の朝早く実家を出て千歳空港に向かい、大阪の自宅に戻るのだ。便は予約していなかったが、千歳―大阪伊丹便は満席ということもなく搭乗できた。

大阪枚方市の自宅に着くと同時に女房が血相を変えて、「お父さん、すぐお父さんに電話して頂戴」という。私は混乱して「お父さんって、どこのお父さん?」と聞いたらしい。「いいから早く!飛行機が落ちたのよ!」というのだが、何も知らない私は「えっ?ちゃんと飛んできたぞ!」と真面目に答えた。

札幌の父親は「ちゃんと着いたか?ちゃんと飛んだんだな?」と慌てて叫ぶのだが、私だけが冷静だった。

その後のニュースで羽田―大阪便の日航ジャンボ機が墜落したと聞いて、もし札幌―大阪の直行便が満席なら、札幌―羽田ー大阪伊丹便に乗ったかもしれず、血の気が引いた。

尾翼の方向舵が吹き飛び、迷走し長時間飛び続け、乗客の方々は家族へのメモや手紙を書き続けたということだ。それ以来、飛行機に乗るたびに「手帳とペン」はポケットに忍ばせている。いざという時に「紙もペン」もないということは、辛すぎると思うからだ。何か一言でもメッセージを遺したいと思う。切実な想いでペンを握った方々が多くおられたのだろう。

あれから33年後の8月12日。母校、旭丘高校の体育館でバスケットボール部の練習試合があると知り、久しぶりに丘を登った。OB会の事務局長がとにかく真面目な後輩で、バスケットボール部男女の予定や結果はメールされてくる。

後輩の女子選手のお母さんだと思うのだが、「昔からコラムを読んでおりました。今はブログのファンです」と声をかけてくださった。ありがたく、うれしいことだった。

書ける喜びを忘れず、続けたいと思った。そして改めてあの日、同じ空にいた方々のご冥福を祈った。

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