娘の覚悟!娘の願い!

2015年08月13日

筑波大学バレーボール部監督としてインカレ6連覇中の都澤凡夫(ただお)先生にインタビューしたのは、2003年のことだった。長身痩躯、なにより男前というより気高ささえ感じさせる風貌だった。

都澤という姓は北海道では珍しいと思うのですが、ルーツはどちらですか?と尋ねた。もし、実は京都ですとでも聞いたなら、高貴な生まれの方ではないかと思うほどの整った顔立ちだった。この質問が先生と私を劇的に結び付けるきっかけになった。父親同士が札幌一中(現札幌南高)-中央大学法学部で同級生、しかも高校・大学を通して柔道部の同門だったのだ。

2014年8月10日、バレーボールVチャレンジリーグ、つくばユナイテッド・サンガイアの留萌合宿が終わりチームがバスに乗り込むとき、私はあえて明るく先生に声をかけた。「先生、来年またお待ちしています」先生は「お世話になりました」と私の手を握ったが、お互いに今生で会えるのはこれが最後と覚悟していたと思う。

2015年8月9日。留萌市スポーツセンター。この夏もサンガイアの合宿が行われていた。北海道大学選抜、高校選抜との練習試合。最終日には留萌管内の高校・中学校に対しバレーボール教室が行われる。サンガイア理事長を継いだ三女みどりさんが言った。「父が亡くなった日に伊藤さんが書いてくださったブログ(本欄、1月10日、哀惜、都澤凡夫氏、留萌のバレーボール大使)は、通夜の席で皆様に配らせていただきました」

「都澤家の墓は留萌にあります。ですから今年は母も孫たちも一族そろって、、、」サンガイア事務局長の長女しのぶさんが言った。

スポーツセンター入口の壁には、先生の生前の資料が掲示されていた。留萌市教育委員会手作りの力作だった。先生はと見れば、椅子の上の額のなかで笑っていた。しのぶさんは41歳、みどりさんは34歳、私の長男、次男と同い年だ。私も子が生まれるまでは女の子が欲しいと思っていた。しかし、本当にそうなれば自分の人生が劇的に変化するという恐怖感!?に襲われた。当時、年間290日出張していたが、女の子が生まれたら「出張拒否」しかねないと思ったのだ。

しのぶさんもみどりさんも先生に瓜二つなのだ。8月10日の道新で「バレー・Vリーグ、サンガイア理事長・都澤さん、亡父の古里で強くなる」と紹介されお二人の写真も掲載されたから、同じように思った方も多いだろう。お二人とも170センチを越えている。もちろん、バレーボーラーで、みどりさんは日立リヴァ―レで活躍したVリーガーだ。

先生はサンガイアの将来についてはお二人には何も言わなかったという。でも、私にはよくわかっていることがある。「私の座右の銘は、心焼一如ーしんしょういちにょー心が焼け付けるほど悩んで、一つのことに取り組むこと」と先生は言われた。娘は心焼一如で後を継ぐことを覚悟し、願ったのだ。それが先生の教育だったのだ。

2015年1月11日。先生の死去の翌日、地元つくば会場でサンガイアはチャレンジリーグ首位を行く大分三好を迎え、フルセットの大熱戦の末弔い合戦に勝利した。選手もファンも皆が泣いたという。心焼一如がパワーを生み出すことが証明されたのだ。

留萌スポーツセンターで、しのぶさん、みどりさんとお会いして、「やはり高貴なお生まれではないのか?」と私は思った。

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コメント

都澤監督が亡くなっていたとは存じませんでした。
都澤さん以降留萌からは多くのバレーボーラーが輩出されました。
また、留萌の都澤世代では若松勉さん、北の富士さんなど多くの名アスリートが誕生しました。
ご冥福をお祈りいたします。

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