談志落語の毒に気絶してしまいそうで…
2007年06月14日
タイトルが「らくごるふ」なのだから、落語についても書く。
▲談志ひとり会を知らせる、道新ホール入り口の立看板
先日、札幌市中央区の道新ホールで「立川談志ひとり会 其の十六」が開かれた。
会の前、最近落語に興味を持ち始めた高校3年生の娘に「談志さんも70歳を超えたよ。談志ワールドの魅力は〝毒の強さ〟だから、元気なうちに生の毒に当たり目を回しておいた方が楽しいよ」と持ち掛けたところ、「そうなのかもねえ…」と笑うので、2人で出かけた。
午後6時半の開演。
談志師が、座布団の上で、お馴染みの照れ隠しのように少し崩れたお辞儀をし、顔を上げた。
振り返れば、私にとっては30年ぶりの〝生談志〟である。(テレビの特集番組には何度も拍手を送ってきたけど)
東京の学生生活の最後の冬、新宿の紀伊国屋ホールで「文七元結」を聞いた。人助けが男女の縁につながるという人情話である。枕の毒舌と、本題のスタンダードな語りが融合して時の経つのを忘れた。
学生時代、談志師の高座は、合計で15度ほど見た。師が参議院議員だった時期とも重なり、国会から寄席に直行して委員会論議の本音を毒舌で描き出したときは、思わず手をたたいた。
三遊亭円楽師との二人会で、円楽師が長い噺を演じ終わったあと、脚がしびれてしばらく立てなかったのを見て、「節制していないからこういう姿になっちゃうんだよ」と切り捨て、言い難い緊張感が会場に漂った。
あれから30年。ハスキーな声に乗せた毒舌は健在だった。
宗教団体、人権運動なども俎(そ)上に載せ、歯に衣を着せぬ論評を披露した。テレビカメラやマイクがない〝非マスコミ空間〟ならではの迫力だった。
「落語は人間の業の肯定」
「怒りは相手の寛容さに対する誤認」
こんなおなじみの談志語録も語られた。
ファンなら知っていることだけど、散乱させた話題の間を、縦横に飛び回るのが談志芸の妙味。
この日の師には、各ジャンプのピークで、30年前にはなかっただろう「所属不明な間」が挟まっているように、私には感じられた。
ひょっとして「老い」のもたらした緩みということなのかもしれない。しかし、私は「ついに、あの談志さんがねえ…」と好ましく思われ、笑みがわいた。
休憩を挟んだ1時間半の自由トークのあと、古典「短命」を演じた。
「おっかあ、俺は長命だ」と嘆くサゲの直前に、がらっぱちの女房が浪曲をうなるという見事な演出には驚き感服した。
サゲの後、下りてくる幕を途中で止めて再び上げさせ、
「もうひとつジョークをサービスだあ」と出したのが次の小噺-。
闘牛の町のレストラン。人気メニューは殺されたやつの睾丸の丸焼きだという。
「今日はこれで材料が品切れです」と言う店員が、次回の闘牛開催日を示し「予約をどうぞ」と勧める。
初めて来た客が興味を持ち、予約を入れる。
約束の日、客のテーブルにお皿が運ばれてくる。載っているのは大きな卵ぐらいの代物だと思いきや、大粒の豆みたいなものがあるだけ。
首を傾げる客に、店員がきっぱりとした表情で説明する。
「ダンナ、やられるのは牛の方とは限りませんぜ」
終演は午後8時半前。道新ホールを出ると、大通公園の上空に霧がたちこめていた。
娘と2人、帰路の地下鉄に乗った。
「どうだった?」と私。
「どうだろうね」と娘があいまいな笑いを浮かべた。
そうだよなあ。
あいまいになるよなあ。
談志師に長生きをしてもらい、しかるべき年月のあと、
大人になった娘と〝談志の毒〟を再び賞味したい。そう思った。
<口からシャンク>
「落語とかけて、ゴルフと解く」
「その心は?」
「最後にはオトシます」
