いいー人情噺なんだけどなあ……
2009年03月27日
「浜野矩随(はまののりゆき)」という人情噺がある。
古今亭志ん朝による24年前の口演を先日、DVD(落語研究会全集=ソニーミュージックダイレクト発売=の1巻)で聞いた。
涙が流れた。
◇
ストーリーはこうだ。
浜野矩随は彫金師。
一人息子で母親と二人暮らしだが、腕がパッとせず、名人といわれた亡父と比較され、つらい日々を送っている。
ある日、唯一面倒をみてくれている美術商・若狭屋の旦那にも「こんなヘボじゃとても食って行けない。お前は死んだ方がましだ。母親は私がきちんと世話をするので心配するな」と容赦ない言葉を浴びせられる。
死のうと決意し母親に事情を打ち明けると、平然とした顔で「死ぬのは構わないが、お前も職人なら、残る私に形見の一品を彫っておくれ」との返事。
矩随はほぼ飲まず食わず、不眠不休で一週間。一体の観音像を彫り上げる。
それを持って若狭屋に行くと「極上の出来だ。これまでは父親のまねをしようと失敗してきたが、やっとお前らしさが出た。もう大丈夫」と激賞し30両で買ってくれる。
これで母親を安心させられると欣喜して帰宅すると、母親は首をつってすでに息絶えていた。
母親は死を引き替えにして息子の自立を願い、これが奇跡を生んだ、という筋立てだ。
◇
なにも首をつるほどのことはなかろうと思うならば、この母親は、日本の家イデオロギーが生んだモンスターの顔を持ち始める。
一方で、この二人は<仲むつまじい友だち親子>であったことも容易に想定できる。
夫(父)と早くに死別したあと、二人で目を見合わせるように生きてきた。
日々は今後ともはるかに続き、それぞれの自然死の後には、手を取り合って同じ墓穴で永遠に眠る。
そこに何の異議が挟み込まれようか。
しかし、ここからも、一頭のモンスターママが立ち上がる可能性は強い。
二頭のモンスターが吐く息は、ともに致死量の毒素を持ちうる。
もし前者のモンスターより、後者のモンスターが愛らしく感じられるとしたら、それはわれわれが平成21年の日本に生きているからに過ぎない気がする。
◇
私は33年前、東京新宿の紀伊国屋ホールで、三遊亭円楽師の「浜野矩随」を聞いた。
ひと粒の涙も流れなかった。気配もなかった。
当時20歳を超えたばかりの私の心境のせいもあるだろうが、多くは円楽師の芸のレベルによるものだという気がしてならない。
◇
しかし今回、志ん朝の語りのすごさにはつい泣かされてしまった。
志ん朝が演じ出した母親は矛盾の塊である。
身体のなかで二頭のモンスターが取っ組み合って戦っている。その構図が、透けて見える。
重なる肌、ぶつかる肉。こすれ合う隙間から、何かが響いてくる。
……エレジーだ。親という存在が奏でるエレジーだ。
涙が止まらない。
◇
私は、解説講座「落語の楽しみ方入門」を道新苫小牧文化センター(電話0144・33・6655)で4月から開く。
名人のDVDを鑑賞し、関連する知識を私が解説するという段取りだが、悩んでいる。
この志ん朝のDVD「浜野矩随」を取り上げるべきかどうか。
迷っている。
落語の解説役がセミナーの教室で泣いては締まらないし……。
でもいい人情噺なんだよなあ。
▲ソニーが志ん朝のDVD全集を出したことを伝える北海道新聞の紙面(2008年3月)
<口からシャンク>
「忠臣蔵のうち、浅野内匠頭が吉良上野介に殿中で切りかかる場面。あれは落語にすると滑稽噺だろうか、それとも人情噺だろうか」
「それは刃傷噺だろうね」
