【第35期天元戦】19日のおやつメニュー
2009年11月19日
張天元と山下棋聖のおやつメニューを紹介します。
2009年11月19日
控え室では、立会人の工藤紀夫九段、大盤解説のマイケル・レドモンド九段らが局面を検討しています。
2009年11月18日
19日に第35期天元戦第2局の行われる登別市の登別温泉「ホテルまほろば」では前日の18日午後から大車輪で準備が進んでいます。
ホテルの入り口には張栩天元と山下敬吾棋聖による第2局の開催と大盤解説会の案内板が建てられています。
2009年11月12日
長野県松本市で12日に行なわれた第35期天元戦の第1局は、挑戦者の山下敬吾棋聖が張栩天元に中押し勝ちし、タイトルへ向けて好スタートを切りました。
2008年11月25日
2008年11月20日
2008年11月20日
天元戦第2局の大盤解説会が20日午後4時から、札幌グランドホテル(東館3階)の催し会場のGINSENで開かれた。
日本棋院の小松英樹九段と巻幡多栄子三段が分かりやすく解説するということで、雪模様の天気だったが、札幌市内外から囲碁ファン延べ350人が訪れ,会場は超満員だった。

大きな囲碁の盤面を前にした小松九段の巧みな説明と巻幡三段の軽妙な掛け合いで、会場は「うんうん」と納得する人や明るい笑いも飛び出していた。また、重要な局面では「次の一手クイズ」も出され、熱心に最善手を考えていた。
午後5時15分には熱闘を繰り広げた河野臨天元と張栩名人が会場に姿を見せると、集まったファンからは盛大な温かい拍手が起こった。

この日の対局を振り返って、連勝でタイトルに肉薄した張名人は「序盤で流れをつかめました」と話していた。一方、敗れた河野天元は「左下の戦いで下辺の黒が厚くなってしまった。むちゃくちゃでした」と答えると、会場は大きく沸いていた。
2008年11月20日
2008年11月20日
2008年11月20日
4隅で地にからく打って、しっかりしているかに見えた白(河野天元)でした。
しかし、中央への戦いが進む中で、黒(張名人)は「流れに乗って自然に打っている」(控え室)との声が出始めています。
「壁が生きている」という黒の厚みが、上辺や中央で岩のように自在に立ちはだかっています。白が中央をうかがうと、黒109手目(16七)のキリが効いています。
「死にそう」という声も聞かれています。

2008年11月20日
河野天元と張名人のおやつメニューを紹介します。
【河野天元】
フルーツ盛り合わせ、アイスコーヒー

【張名人】
フルーツ盛り合わせ、紅茶

2008年11月20日
第2局の2人目の記録係が潘坤鈺(ハン・コンユ)初段です。

ハンさんは台湾の出身の29歳。兄は潘善琪(ハン・ゼンキ)七段。夫は黒瀧正憲七段という囲碁一家の一員です。
兄の影響で13歳の時に本格的に囲碁を始め、14歳の時に来日しました。「囲碁は飽きが来ないし、変化が無限にあります。メリットの多いゲームです」と話しています。
「IGO AMIGO」という囲碁人口のエアポケットと言われる20-30代の若者への囲碁普及をめざすボランティア活動にも参加しているそうです。
趣味はいろいろありますが、「スイーツにはまっていて、食べるのも作るのも好きです」とのこと。
北海道は大好きだそうで、「雪を見るのが楽しみでした」と、本格的な雪化粧をした札幌に大喜びの様子でした。
2008年11月20日
2008年11月20日
12時半(午後0時30分)に対局が再開しました。
冒頭、許可を得て、対局室に入り、写真撮影をしました。先に張名人が入室し、しばらくして河野天元の順です。記録係のハン・コンユ初段の右に立会人の上村九段が座っています。

上村九段が「時間です」と告げると、互いに軽く一礼した後、黒(張名人)がすぐ79手目(9十六)を打ち込みました。その後、中央に向かい、下辺の攻防が本格化しています。
張名人は椅子の右側にティッシュを置いています。時折、体を伸ばしたりしています。河野天元は盤面をじっくりとのぞき込みます。
いよいよ具体的な形に移り、一手一手が厳しさを増してきました。
2008年11月20日
序盤から激しい戦いになった本局。白(河野天元)が四隅で地を取るのに対して、黒(張名人)は中央に勢力を築いた。この黒を白がどうさばくかが焦点になっている。

白は42(17三)のツケから58(18二)まで、右上辺で地をかせいだ。
黒は67(6十七)のツケから71(12十七)のツメへと下辺に展開している。
さらに、右下辺で75(13十六)とキッたのに対して、白は78(8十七)と強烈に打ち込み、激しい攻め合いとなった。これが、昼食休憩後、中央の戦いにどう及ぶかが注目されている。
対局再開は午後0時30分。持ち時間は各4時間。消費時間は黒(張)が57分、白(河野)が1時間48分。
2008年11月20日
河野天元と張名人の昼食メニューを紹介します。
【河野天元】
■松花堂弁当

・小鉢 蛸沖漬(厚田) 巣立、甘海老塩辛(寿都) セルフィーユ、づわい蟹湯葉(オホーツク海) 秋野菜添え
・作里 鮪平取り、平目生雲丹乗せ 妻一式 土佐醤油
・焼物 大助塩焼(日高)、鱈粕味噌漬(増毛沖) 出し巻玉子 銀杏 山椒卸
・煮物 鱈の子旨煮(増毛沖) 蕪 細竹 舞茸 紅葉麩 旨餡
【張名人】
■稲庭うどん

2008年11月20日
北海道新聞の天元戦中継では、「詰め碁クイズ」をやっています。素敵な賞品が当たりますので、ぜひ挑戦してみてください。
出題は今回の大盤解説会を担当する小松英樹九段です。
クイズではありませんが、小松九段にお願いして、あと2つ詰め碁をつくっていただきました。このブログで紹介しますので、気分転換に挑戦してみましょう。
それではいきます。
【中級】 黒先
ヒント 最後の決め手は"2の一"の急所です。
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正解は昼食休憩後に。
2008年11月20日
天元戦は序盤から激しい戦いになっていますが、このブログでは関係者のエピソードも随時、紹介していきます。
第2局の記録係の一人、大橋拓文四段は「囲碁よりもピアノのほうを先に覚えた」というほどの音楽好きです。

囲碁の棋士になったのは「生まれたのが東京・飯田橋の病院だったから、市ヶ谷が近かったせいかな」と、笑います。
ピアノは趣味でしか弾かないそうですが、二十四世本因坊秀芳となった石田芳夫九段のお祝いの会で、ベートーベンのピアノソナタ「テンペスト」をいきなりの指名で弾いたこともあるとか。
囲碁とピアノの共通性は? 「どちらも白と黒のハーモニーでは」と答えたのは、一部でおなじみの某女性文化部長です。でも「ピアノは白の鍵盤のほうが多いのよね」と意味ありげ。
大橋四段に「先手と後手とどちらが得意ですか」と尋ねると、「後手(白番)かな」。なるほど。やっぱり、ピアノが好きなようです。
2008年11月20日
天元戦第2局は、張名人に先勝を許した河野天元が意欲的に打ち進めています。序盤から石がぶつかりあう激しい戦いとなっています。

「実利では白(河野)が先行し、一方の黒(張)は手厚い碁型で、本当にいい勝負になっている」とは大盤解説会を担当する小松英樹九段の話です。
「(上辺で)未知との遭遇もありました」とは、立会人の上村陽生九段。白18(5三)から22手目(8三)は迫力十分。「上辺では例がない形」(小松九段)という。
黒はしばらく攻めていくが、白の上辺のさばきが焦点となりそうです。
2008年11月20日
河野天元の朝食メニューを紹介します。
張名人の朝食リクエストはありませんでした。
【河野天元】
■和定食

・焼物 銀鱈西京漬、出し巻き玉子(札幌)、伽羅山葵、白梅干、焼のし
・煮物 海老団子(自家製)、銀餡掛け、絹さや、紅葉麩
・中鉢 南瓜豆腐(帯広)、塩昆布、旨出し
・小鉢 鱈子(古平)
・浸し物 水菜、糸賀喜
・御飯
・香の物 朝しぼりカツオ(網走)、胡瓜
・味噌椀 岩海苔、豆腐
・オレンジジュース
2008年11月20日
天元戦第2局が迫る札幌の20日の朝は本格的な雪景色で明けた。
夜から降り始めた雪は、晩秋の紅葉も目立っていた街路樹を白く染めた。道路も一面の冬化粧で、車もスリップを警戒して走っている。
札幌の気温は深夜から未明には氷点下5、6度まで冷え込んだ。日中の最高気温も零度以上にはなりそうもないという。寒くて白い朝はピンと張りつめた緊張感を伴っている。
囲碁関係者一行が来道した19日夕方。北海道や札幌の感想を聞かれて、異口同音に「寒いです。でも、北海道らしいですね」と答えていた河野天元、張名人。20日のまさしく北海道らしい雪景色は2人の心にどう映ったか。
対局開始は午前9時。屋外の寒さをよそに、熱く長い勝負の時がまもなく動きだそうとしている。
このブログでは熱闘の現場にリアルに迫っていく。引き続き、ご愛読を。
2008年11月19日
天元戦の北海道場所で一番活躍されているのが小林光一九段であることは、前回述べました。
小林光一九段は1952年9月10日生まれですから56歳。旭川市出身で、65年に木谷實九段に入門。77年第2期天元戦優勝。85年第11期天元となっており、通算5期天元位を獲得しています。85年には北海道栄誉賞や地元の旭川市民栄誉賞を贈られています。
小林泉美六段は実娘です。そして、その夫が張栩名人です。一方、門下には河野臨天元、大矢浩一九段らがおります。
つまり、今回の第34期天元戦は小林光一九段の弟子と娘婿の戦いということになります。北海道新聞的には北海道ゆかりの棋士による一戦と言えるわけです。
誤解のないように確認しておきます。正しくは、河野臨天元は81年1月7日生まれの27歳。東京都出身。一方の張栩名人は80年1月20日生まれの28歳。台湾出身。林海峰名誉天元の門下です。
事前の特集で、石田章九段に「どちらを応援するのですか」と聞かれた小林九段は、「それはとても言えません。どちらにも肩入れできない。両者とも身近すぎて。しかしぜひ見たい顔合わせでした」と対局に期待を込めています。
その注目の1戦も、20日まであと1日と迫りました。
2008年11月18日
さて。第6期から天元戦は遠路はるばる北海道にも足を延ばしてくれることになったわけです。今回が第34期ですから、全部で29回北海道で開催されていることになります。一番多いのは札幌と旭川の4回であることは前に記したとおりです。
事業局にはデータがあるのでしょうが、ここは「北の手仕事」をしっかりやりましょうと、過去の対局の記録をデータベースや縮刷版などを一つひとつ拾って見ることにしました。(ですから、もしかしたら、間違いがあるかもしれません。その時はすぐ直しますので、ご指摘ください)
とりあえず、開催地を地図に落としてみました。
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北海道は広いのですが、さすがに北海道新聞、全道で開催しています。北の果ては稚内です。1998年の第24期第1局、工藤紀夫九段vs小林光一九段戦が開かれています。小林九段は地元が旭川、工藤九段は青森県弘前市出身のはずです。北国出身の2人にふさわしいロケーションだったと言えるかもしれません。
ちなみに、棋士で一番目立っているのは小林光一さんです。北海道では7勝2敗というダントツの成績を残しています。続いて、山下敬吾王座が4勝1敗です。山下王座も旭川市出身ですね。逆に負けが目立つのは林海峯名誉天元で2勝5敗です。
2008年11月17日
第6期を迎えて、ようやく天元戦は北海道にやってきます。
1980年(昭和55年)12月4日。加藤正夫天元と挑戦者・山部俊郎九段の第3局が札幌市の全日空ホテルで開かれました。立会人はその後天元にもなっている石田芳夫九段です。
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第3局ですが、すでに加藤が2連勝しており、山部が踏ん張らなければ、加藤の初防衛(トーナメント時代からは3連覇)が決まるという状況です。
結果は先番の加藤天元が137手で中押し勝ちしました。ちなみに当時は持ち時間各6時間でした。現在の4時間に比べると、やはり長く、中押し勝ちでの終了ですが、時間は4日午後7時47分という遅さでした。
加藤天元はその年、十段位、本因坊の二つのタイトルを相次いで失ったが、王座位とともに天元を初防衛して、2冠を守ったということです。加藤さんの大活躍がわかります。
ちなみに、大盤解説会は対局翌日の5日に同じホテルで開かれています。インターネット時代の今からすると、少しのどかな感じがします。
2008年11月17日
天元戦の草創期の宣言の力強さは素晴らしいものがあります。
驚くのは「棋界最高の賞金額」という表明です。現在でこそ賞金は公表されていますが、当時としては先駆的で、非常に公明正大な姿勢がわかります。それ以上に、最高金額というのは、ずいぶん地方のブロック紙としては頑張ったな、と感心します。逆に言えばこの天元戦に対する神戸新聞を含めた新聞三社連合の意欲が伝わってきます。
当初はタイトル戦ではなく、トーナメント戦でした。
第1期は藤沢秀行3-1大平修三、第2期は小林光一3-1杉内雅男、第3期が島村俊広3-1苑田勇一という具合です。第4期に加藤正夫九段が登場して3-1で藤沢秀行九段をくだした当たりから様相が変わってきます。加藤は第5期も3-1で片岡聡九段を下します。
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ここで大きな転換があります。第6期からはトーナメントの決勝五番勝負から、挑戦手合五番勝負となるのです。要するに、前年の優勝者がタイトルホルダーになり、トーナメント戦を勝ち上がってきた挑戦者と戦うという現在のスタイルです。
当然ながら、第六期の暫定的な天元は加藤正夫九段であり、挑戦者の山部俊郎九段を迎え撃つことになります。そして、この時から、主に東京・市ヶ谷の日本棋院で行われていた勝負は主催紙のエリアを中心に、全国を転戦することになるのです。
2008年11月14日
2008年11月14日
タイトル戦好調の張栩名人。快進撃が続いています。まず、13日の勝負を北海道新聞ホームページから引用します。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/129001.html?_nva=9
■張栩名人が連勝 囲碁の王座戦第2局(11/13 22:31)
囲碁の山下敬吾王座(棋聖)に張栩名人・碁聖が挑戦する第56期王座戦5番勝負第2局は張先勝のあとを受け、13日、神戸市のホテルオークラ神戸で行われ、午後4時21分、146手で白番の張が中押し勝ちし、対戦成績を2勝とした。
第3局は12月1日、神奈川県秦野市の陣屋で打たれる。
囲碁に詳しい方には今さらの説明ですが、囲碁は自分の陣地(地)の目の数が多いほうが勝ちます。これに対して、陣地を数えるまでもないという圧倒的大差がついている場合には、「負けました」というと勝負が決まります。これが中押し勝ちです。
日本棋院、関西棋院の「日本囲碁規約」の第11条に「投了」という説明があります。
<対局の途中でも、自らの負けを申し出て対局を終えることができる。これを「投了」という。その相手方を「中押勝」という。>と記されています。
張名人は10日の天元戦第1局でも河野臨天元に中押し勝ちしています。さらに、その前の5、6日に行われた「名人戦」でも井山裕太八段に中押し勝ちし、名人位を防衛しています。
この勢いが20日の札幌での天元戦第2局にも発揮されるのでしょうか。
2008年11月13日
「日本棋院選手権戦」は第8期選手権戦が坂田栄男九段の七期連続タイトル保持で終わるとともに、1961年(昭和36年)の第9期から、中堅棋士トーナメントを合体し、公式戦として新たなスタートを切りました。
この新「日本棋院選手権戦」は「本因坊戦」「最高位戦」「日本最強決定戦」とともに四大公式戦に数えられました。
対局方法も三番勝負の決定戦を五番勝負とし、東京に限っていた対局場を全国各地に広げています。
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第9期決勝五番勝負第3局は1962年(昭和37年)1月16、17日に札幌市の郊外、定山渓温泉で行われています。第9期は坂田栄男九段の8連覇がかかっていたのですが、すでに2連勝していた高川格九段が三目半勝ち。選手権を制したのでした。
談話が振るっています。
高川九段「終盤までよくなかったので、ヤケクソになって打っていたのが、かえって結果的に成功しました」。
坂田九段「昨年来、連続旅の対局のため疲れがひどくよく読みきれなかった」。
率直な感想でいいですね。
2008年11月12日
承前。
「北海道新聞20年史」を参考に、囲碁とのかかわりを振り返ります。
さて、「日本棋院高段者勝抜戦」でスタートした北海道新聞の囲碁欄は、その後、「日本棋院選手権戦」と「中堅棋士トーナメント」の二本立てで、交互に連載されました。
当時の新聞を見てみましょう。
たとえば、1959年11月は11月1日から「第3回中堅棋士選抜棋戦」が掲載されていますが、11月11日から「第7期日本棋院選手権戦」の観戦記に交代しています。
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観戦記はどちらも同じ記者の署名があります。勝負に厳しいのが中堅棋士戦、読み物的なのが日本棋院選手権戦という印象です。
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「こないだ、ある会合で碁界の話が出た。碁界も、はっきり新旧交代の時期が来た。新旧の中間にいて動かない存在が、本因坊と呉清源九段であるという。なるほど、こういいう見解はおもしろい」
引用文は「日本棋院選手権」の観戦記の書き出しであることは言うまでもありません。
2008年11月11日
北海道新聞は戦後、1950年(昭和25年)1月17日からから囲碁・将棋欄を復活しました。最初の棋譜は藤沢庫之助九段と宮下秀洋七段だったと言います。
北海道新聞は過去紙面を保存しておりますので、早速探してみました。すると、ありました。
「高段者勝抜戦」のカットに盤面棋譜、そして観戦記が書かれています。
文字はなかなか読みにくいのですが、「一から八までの両ジマリは近代布石法。白四の時、隣りの林が(注:林七段、隣席で本因坊挑戦者決定戦が行われていたらしい)タバコをくわえたままニンマリと笑った」と締めています。そうか、当時はタバコありだったのですね。
ちなみに藤沢庫之助は藤沢秀行名誉棋聖の甥に当たる大実力者の1人。一方の宮下秀洋も「福島の猛牛」と呼ばれた力業の棋士でした。
当時の新聞ニュース面は2カ面しかなかったようですが、そこに囲碁が載っているのはちょっと感動しました。
記事面の下には「高段棋士が個人指導」と題して、囲碁・将棋の通信教育の広告が載っていました。「六カ月で段級の免状」とあります。なんだか、やってみようかな、という気にさせられますが、どうでしょう。
2008年11月11日
第34期天元戦第2局・札幌決戦がいよいよ迫ってきました。20日午前9時スタートですから、もう10日間を切りました。
河野臨天元(27)に張栩名人・碁聖(28)の顔合わせはとても新鮮で、なおかつ現在の棋界の最強棋士同士の一騎打ちと言っても過言ではないでしょう。張栩名人は天元戦初登場ですし、期待は募ります。
対局が行われる札幌グランドホテルは観光都市・札幌でも一番の老舗名門ホテルですから、会場として不足はないでしょう。
天元戦は新聞三社連合を窓口に全国で転戦しており、北海道内での開催の場合はもちろん、北海道新聞事業局が会場を設定しています。
北海道内での開催は今回が29回目です。そのうち札幌開催は今回が4回目ですが、意外にも札幌グランドホテル会場は初めてです。ちなみに過去3回は札幌全日空ホテルが2回、札幌プリンスホテルが1回。いずれも、将棋の王位戦なども行われている名ホテルです。
天元戦が現在のように全国を転戦するようになったのは、第6期(1980年)からです。1979年までは若干の変更はありますが、基本的には日本棋院会館(東京)で行われていたのです。
将棋の王位戦に比べると、全国展開の面では出遅れている印象もあります。このブログでは、囲碁の「中心点」(天元)の名をうたった天元戦の歴史を少し振り返りながら、20日の札幌決戦に臨みたいと思っております。
2007年11月02日
大盤解説会から戻ってきたら、形勢が動いていました…。
右辺から左上隅の折衝で山下棋聖がポイントを挙げたようです。
2007年11月02日
控え室では、立会人の小林覚九段、大盤解説のマイケル・レドモンド九段が局面を検討していますが、勝負どころを迎えているようです。
2007年11月02日
序盤は早めに進行していますが、河野天元の意欲的な打ち方が印象的です。
2007年11月01日
いよいよ、明日にせまった第一局。
会場となる釧路全日空ホテルでは、対局者の河野臨天元、山下敬吾棋聖・王座による対局場の検分が行われました。
2007年10月31日
対局者の河野臨天元、山下敬吾棋聖・王座のお二人は明日現地入りする予定です。
河野天元はちょうど先週、NHK杯戦のテレビ対局に登場、囲碁ファンならご覧になった方も多かったでしょう。山下二冠は、王座戦の挑戦手合で、今村俊也九段の挑戦を受けています。
2007年10月29日
北海道で秋が深まってくると、囲碁界は天元戦の季節を迎えます。
今年は、河野臨天元が山下敬吾棋聖・王座を挑戦者に迎える昨年と同じ構図で、11月2日、釧路市で開幕します。河野天元は31期に山下棋聖から天元位を奪取しているため、顔合わせは3期連続。2回続けて敗れている山下棋聖としては今年こそ、との思いでしょう。ちなみに山下棋聖は29期から5期連続の登場で、最近の天元戦とは最も縁が深い棋士です。

中継ブログスタッフ
仕事柄さまざまな現場にはりつかなければならない北海道新聞社メディア局員。
ブログをご覧のみなさんと興奮を共有したく、現場中継します。