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釧路から鶴居村へ

2006年06月09日

 釧路での新生活、新婚生活が始まって数ヵ月後、妻が鶴居村農協で働ける事になり
新天地での共働き生活がスタートしました。
 自分は設備屋で主に大工仕事、妻は片道40分の道程を職場まで通う日々が始まりました。
それまで静岡で暮らし、雪国暮らしの経験がない妻がいきなり冬の雪道を運転する事になり毎日心配でしたが何とか無事、ひと冬超える事が出来ました。
 ある日、帰ってくるなり「中古の家が売りに出てるよ~。」というので詳しく聞いてみると土地150坪に建物40坪、築3,4年のまだ新しい家で¥1000万円ちょっとという事、そうはいっても今の2人には到底買えるはずもなく、端からあきらめていたら妻の母が「とりあえず中を見るだけ見せてもらったら~(静岡弁?)」との事。
 見てしまったら最後、気に入ってしまい買う事になりました。
両方の親が¥100万円ずつ援助してくれ、あとは妻が独身時代に働いてコツコツ貯めた貯金を頭金に購入。(自分はこっちに来るとき貯金を叩いてカメラ一式を買っていたのだ・・・ごめん。)
 購入したこの家は鶴居村下幌呂という地区で釧路と妻の通う職場のある鶴居市街とのほぼ中央に位置し通勤の面、買い物などの生活の利便性、そして適度に田舎で周りには自然が広がり自分達が住みたい条件を満たしていたので、それにもともと、この辺で安くいい土地や物件ないかな~と探していたので、まさに「渡りに船!」
 
 かくして鶴居村での生活が始まり、休日には写真を撮りに出掛けたり、庭に小さな畑を作ったりと少しずつ北海道での暮らしに馴染んでいきました。
 
 

旅の延長線

2006年05月31日

 こんにちは、静岡県袋井市から道東の鶴居村に移住し、もうすぐ10年になる小澤です。高校を卒業後、家業の仕事を手伝い始めるものの、学生生活と同じ、毎日が似たり寄ったりの単調な生活にあせりを感じ、一度きりの人生、もっと楽しみたい、刺激のある生活がしたいと二十歳で日本を飛び出しアメリカ一周16,000Kmを自転車で約1年かけて旅をしました。
 今思い返せば、この旅が自分の人生のターニングポイントだったのでしょう。この旅から無事帰った事で、自信と度胸がついたせいか、その後の人生はそれ以前の自分では考えられない行動力で道を切り開いてきた気がします。
 アメリカから帰国後もお金をためては旅を重ねる日々がしばらく続きました。国内では北は北海道、南は九州、屋久島まで、そして海外では1990年春にネパール・チベットへヒマラヤ山脈を見にトレッキングし、同年秋にはメキシコ・カリフォルニア半島2,000kmを自転車で縦断した後、メキシコ最高峰オリサバ山5,699mに登頂。
1994年秋にはアラスカの大自然とオーロラを見に・・・と好奇心の赴くままに旅を重ねるうちに何か自然と関わった生き方がしたいと思うようになり動物写真家を志すようになりました。それが25歳頃でしょうか?もともと北志向で、静岡で育ったせいか雪国への憧れもあり、それに北の野生動物を追うには静岡から通っていては満足いくものが撮れる筈もない。その土地に自分自身が根付いてやらなければという思いがあり移住を決意!それまで旅や撮影旅行で幾度となく通っていた北海道の中でも道東の自然に惹かれ、住む拠点をまず釧路に決めました。目標が決まれば後は行動あるのみ!?持ち前の旅で培った「当たって砕けろ!」の精神。その頃付き合っていた彼女も一緒に来てくれるというので2人とも仕事を辞め、結婚と同時に引っ越してきました。静岡で住む所や職を探すのは面倒なので結婚する半年前、まずいきなり自分だけ釧路入りし、住む所(アパート)を決め、次に職探し。大工経験を生かしリフォーム会社に就職し、1998年秋、晴れて2人は結婚し、妻との移住生活が始まりました。
 まだまだ話の続きはありますが、今回はここまでとさせてもらいます。

 次回からは28歳で移り住んできて38歳になる現在までの生活のエピソードや写真の事、道東や鶴居村の事など、少しずつこの日記に記したいと思います。
 
 まだこれから先の事なんてどうなるか分かりません。
移住したからにはこの土地で骨をうずめようなどとも考えていません。
 5年後、10年後、北海道の寒さに耐えられなくなり今度は沖縄にでも引っ越そうか?なんてことになるやも・・・それくらい身軽な気持ちで移住生活を送っています。

プロフィール

プロフィール

小澤 真也
鶴居村在住
職業 自営業・写真家
40歳

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