7月21日(土)清見物語-21世紀の語り部を開催しました
2007年07月21日
7月21日(土)清見物語-21世紀の語り部
小雨まじりの天気でしたが、ハッピネスデイリの嶋木さんの案内で、清見物語を開催しました。午前10時にハッピネスデイリの駐車場に参加者が集合。嶋木さんの案内で清見一週のハイキングが始まりました。


嶋木さんの話では、この小さな小川も昔は鱒(ます)が遡上してきたそうです。ハッピネスデイリーの裏手の山は旧国鉄機関区の取水場で昔から豊富な水の恵みを清見地区に与えてきたそうです。

小雨の中、池田小学校の前身、川合小学校跡地へ向かいます。

町道39線です。この道路は農免道路として昭和50年代に整備され、ワイン城観光が一番活況だった頃には、「ブルーグラス号」と呼ばれる定期観光バスや観光幌馬車がワイン城とまきばの家を一日何往復もしたそうです。下の写真はちょっとビートルズのアルバムジャケット風ですね。

ちょっと余談ですが、この町道39号は産業課長の久野さんが、池田町役場に入りたての頃、手がけた工事だそうです。

この嶋木さんの畑は、嶋木さんのおじいちゃんが「競馬場の畑」と呼んでいたそうです。どうしてこの畑を「競馬場」と呼ぶのか子どもながら疑問でしたが、後でわかったことなですがと嶋木さんが話してくれました。「この畑は、戦前は日本陸軍の圃場で、良い軍用馬を生産するために軍用馬の訓練場だったので『競馬場』と呼んだそうです。これがその証拠です」と畑の地番図を見せてくれました。

これが地番図、赤く線を塗ったところが軍用馬の訓練場だったところです。

昔は池田町の軍用馬の圃場にいっこ連隊300人が常駐していたそうです。ちょっとビックリ

途中から、ハッピネスデイリのとなりの清見の生き字引、山根幸徳(ゆきのり)さんが清見物語の応援に駆けつけてくれました。

池田町は凋寒(シボサム)、川合(かわい)、池田と町の名前をかえてきました。池田の前の川合村の川合とは、十勝川と利別川の合流地点があったから川が合うところ、川合となったそうです。池田小学校の前身、川合小学校が清見にあったそうです。川合小学校は明治42年に開校し大正5年までこの地で子ども達が通っていました。

旧川合小学校には清見地区の会館と馬頭観音様があります。会館はなんと昭和10年に建設され、子ども心にも嶋木さんは、年に一回か二回の映画会がこの会館で開かれ、子どもの頃の一番の楽しみだったとおっしゃっていました。

明治30年4月10日、鳥取池境港から池田農場へと入植してきた開拓移民30戸。そのうち21戸が南5線、6線に降り立ちました。その中の一人嶋木悦蔵さんが嶋木さんの曾祖父でした。
昭和14年に北海道が、道内の市町村の地名を整理しようとし、清見も元々は、川合村大字利別太字川合南6線と呼ばれていましたが、北海道の役人が「それじゃだめだ」ということで、日高山脈が清く見えるから「じゃあ、清見にします!」と言って清見になったそうです。

清見球場はそのちょっと昔まで、高校野球の春の十勝地区大会はこの「清見球場」で行われ、またイースタンリーグもここで行われたこともある由緒ある球場でした。ちなみに元読売巨人軍の篠塚 利夫(しのづか としお)選手は、ここでイースタンリーグを戦った後、一軍に合流し巨人軍の安打製造器になったそうです。

昭和6年、町内の中島病院の先生が中心となって、2000本の桜の木を清見ヶ丘公園に植樹をしたそうです。十勝管内でも有名な桜の名所となり桜祭りには1万人以上の人出があったそうです。ちなみに、桜祭りが春のワイン祭りになり、わいわいまつりになり、体験フェスティバルになり、今年、ぐるグルいけだになりました。

清見の吉屋信子文学碑「地の果てまで」です。吉屋信子さんはは大正・昭和に活躍した日本の小説家です。吉屋さんは新潟県生まれ。栃木県で少女時代を過ごしました。真岡から栃木市に移住、栃木高等女学校(現栃木県立栃木女子高等学校)に入学した際、新渡戸稲造の「良妻賢母となるよりも、まず一人のよい人間とならなければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶことです。」という演説に感銘を受け、そのころから少女雑誌に短歌や物語の投稿をはじめました。文学への道を捨てがたく、卒業後上京、作家を志し、1916年(大正5年)から『少女画報』誌に連載した『花物語』で人気作家となりました。その後、『大阪朝日新聞』の懸賞小説に当選した『地の果まで』で小説家としてデビューしています。吉屋さんは、お兄さんが、池田農場の事務員で、お兄さんをたよって池田に逗留し、そのとき執筆した作品が「地の果てまで」でした。


池田町の名前の由来は鳥取池田藩の池田農場が清見地区にでき、国鉄が敷設され物流の中心地となったことにより今の池田町となりました。

ちなみに鳥取池田藩は因幡国・伯耆国(現在の鳥取県)の2国を領有した大藩でした。石高は32万5千石でした。鳥取池田家は輝政と徳川家康の二女・督姫の間に生まれた忠雄の家系であることから、外様大名でありながら松平姓と葵紋が下賜され親藩に準ずる家格を与えられたそうです。第16代当主の池田百合子先生はご健在で早稲田大学国際部の教授をされておりました。何年か前池田先生が池田町で講演をされ、清見第二地区のみなさんと懇談をしたときに、池田先生の事を「お姫様、御姫様」と呼ばれていました。

池田牧場の小作人達はとても厚遇され、不作の時でも「しょうがないな」と言われ小作料を免除してもらったことが何度もあったそうです。だから今でも池田先生は、池田に来ると「お姫様」なのでしょう。

清見には北海道でも有数の馬市がありました。北海道の馬は池田か大楽毛(おたのしけ)と言われたほどです。馬市が開催される日には、全道から多くの人が集まり、その人々を泊めた宿が「清見館」でした。現存はしませんが、清見館には歌人・若山牧水も逗留し作品を残しています。

4時間の清見物語ご苦労様でした。

あした日曜日は第8回ウールチャレンジin十勝

ウールチャレンジ
ウールチャレンジとは刈りたての羊毛を紡いで、1時間に何段のニットを編むことができるか参加者で競い合います。開催時間は午後1時から午後3時までです。ウールチャレンジには1チーム2人でエントリーし競技を行います。午後1時になると、羊飼いさんが生きた羊を会場に1匹連れてきます。 羊飼いさんがすぐに毛刈りをはじめどんどん刈られていく羊毛の好きなところをゲットし 、単糸(撚り合わせない糸)を急いで紡ぎます。田中さんが糸紡ぎの実演をして下さいました。紡いだそばから6号針で、さくさくマフラーを編んでいきます。 午後2時に競技終了。何段編めたかカウントし、一番多く編むことができたチームが優勝となります。ウールチャレンジは参加費無料です。申込みは先着順です。先着15組までがエントリーできます。
羊毛クラフト体験
子どもから大人まで毎年人気のある羊毛体験コーナーも開催します。
田中さんに羊毛クラフトを教えていただきました。羊毛をつかって、羊の置物をつくっていきます。接着剤もつかわずに毛が絡み合う性質を利用して、羊のクラフトをつくっていきます。
ウール作品コンテスト
ウールを素材とする手作り作品展が、スピナーズファームタナカの2階で開催されてます。全国から応募作品がところせましと展示してあります。これは一見の価値ありですね。ウール作品コンテストは7月21日土曜日まではスピナーズファームの2階に展示してあります。ウールチャレンジの開催日にはイベント会場に飾られます。展示期間の来場者による人気投票でグランプリや部門賞が決定します。
7月も残り9日、まだまだイベント・グルメが盛りだくさん!!!
行け!だちょう!!

