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小沢征爾さんの思い出 (12) <恩人 小沢さん>

2013年01月19日

僕が、日本フィルハーモニー交響楽団に入団したのは、1959年、22才の時でした。

それから9年。1968年に、このオーケストラの音楽監督は、
渡辺暁雄さんから、小沢征爾さんに・・・

小沢さんが、音楽監督になって最初にやった事は、
チェロとコントラバスの首席奏者を決めるオーディションでした。

当時、こんな事が出来る指揮者は他にいませんでした。
楽団員の猛反発があり、トラブルになるからです。
現在では、オーディション規定があるオーケストラでは、
規定にのっとって行われているようです。

小沢さんは、他の指揮者が出来そうもない事、やれそうもない事・・・
楽団員の反発があっても、それを実行してしまう、若い時から「すごい人」だったのです。

& 若き日の小沢征爾さん(右)と僕。

10人いた日本フィルのチェロ弾きは、ブツブツ言いながら、全員がオーディションを受け、
公募もしましたが、外部から受けに来た人はいませんでした。

審査員は小沢征爾さん、コンサート・マスターのルイ・グレラーさん、
創立以来、数年間このオーケストラで、チェロの首席奏者を勤めた、
黒沼俊夫さんの3名でした。

オーディションは一週間前に発表され、短い準備期間でしたが、
自由曲だったので、僕は、ドボルザークのチェロ・コンチェルトの第1楽章を弾き、
あとは課題曲のロッシーニの「ウイリアムテル序曲」の冒頭、チェロのソロ部分を弾きました。

その結果、僕は翌年の1969年1月に首席奏者に就任しました。
そしてその年の9月・・ボストン響へチェリストの派遣・・希望者は多くもめました。

「ツチダ、オマエ行って来い!」 小沢さんのツルの一声で決まったのです。

もし、小沢さんが、日本フィルの音楽監督に就任しなかったら・・・

首席チェリストのオーディションをやらなかったら・・・

ボストン響へ別のチェリストを派遣していたら・・・

僕のその後の人生は大きく変わっていたでしょう。 小沢征爾さんは恩人でもあるのです。

つづく。


PS・・今後の公演スケジュールは、1月16日のブログでお知らせしています。

& 被災地の子どもたちのために、「じいたん子ども基金」を開設しました。

● 1月18日、ハヤシ ケイコさんから、¥2,000の寄付をお預かりしました。
  基金の合計は、
  ¥506,245(これまでの残高)+¥2,000=¥508,245~になりました。
  ご厚情ありがとうございました。

● 基金の使いみち第3弾は、岩手県下閉伊郡、【山田町の子どもたち】のために、
  使われることになりそうです。 決まり次第、具体的にご報告させていただきます。

● 北洋銀行 札幌西支店 普通 5161660 
● 口座名 【東日本大震災支援 じいたん子ども基金】 代表 土田英順

● 基金の収支詳細は、12月31日のブログでお知らせしています。

ご支援、よろしくお願い申し上げます。

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プロフィール

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土田英順
つちだ・えいじゅん。日本フィル、新日本フィル、札幌交響楽団の首席チェロ奏者を歴任し、ボストン響およびボストン・ポップス響でも演奏。現在はソリストとして札幌を拠点に活躍するかたわら、2007年には役者デビュー。国内のみならず「春の夜想曲~菖蒲池の団欒~」では海外公演も果たす。73歳にして初めてパソコンを購入し、ブログの新世界で弓を引く。

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