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<また来るよ 大船渡の皆さん>

2012年09月30日


大船渡滞在最終日・・・

到着した翌日から、この日まで8日間で6回のコンサート・・・

疲れていましたが、歓迎してくれた皆さんの心に残る演奏を・・と思い、
ワインを一杯ひっかけ、疲労感をごまかして思う存分チェロを響かせました。

この日のコンサートも、平和を願う祈りの音楽、鳥の歌から・・・
バッハのG線上のアリア・・・
心に沁みる、せつなく、情熱を内に秘めたカッチーニのアベマリア・・・

http://www.youtube.com/watch?v=fbC1Ju7kcpQ&feature=relmfu

クラシックの名曲を次々に・・休憩になると、ギターをやっている青年が・・・

「上達するには、どういう練習をしたらよいでしょうか?」

「すぐ、きれいなメロディを弾きたがる人が多いですが、その前に基本練習を・・・
ピラミッドの底辺をしっかり作りなさい。」

「それと、よい音楽をたくさん聴く事。CDでもよいですが、生演奏ならもっとよいです。
感動は心に残り、きれいな音は耳に残ります。そのきれいな音を求めて練習するのです。」

青年は納得し、終演後も基本が如何に大切かを話しました。

& 終演後、酒は一滴も飲めないというマスターの冨山さんが、
  サンドイッチをパクツクと、ピアノを弾きはじめました。なごやかなステキな雰囲気・・・

& 花束をいただき、はっちゃんもご機嫌・・・

& ? 誰だ?寝ているのは・・右前、あっちゃん、そのうしろ原田ミドーさん・・・
  はっちゃんの左、新沼 郵さん、左上にロック・ホワンさんも・・・

始めて訪れた大船渡・・仮設住宅にお住まいの皆さん、コンサートに来てくれて、
一緒に酒を飲んでくれた皆さん・・いい人ばっかり・・また来るよ、本当に・・SEE YOU・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

<復興モニュメント 明日へのラブレター>

2012年09月29日


札幌市在住の彫刻家・造形作家、原田ミドーさん・・・

大津波で家屋が流され、空き地となった場所に復興モニュメントを仲間達と制作中です。

その場所は、大船渡市赤崎町大立地区・・・
僕が滞在した大立仮設住宅から300mぐらい・・・
そこから海までも300mぐらいのところです。

「復興への希望を持ち続けるために、地域の人達の心をひとつにするきっかけが必要」
発案したのは、その場所で被災した歯科技工士・志田秀一さん・・・

その志田さんの思いに共鳴して制作を引き受けたのが原田ミドーさんです。

震災1周年の今年3月11日からモニュメント制作を本格的に開始・・・
完成は、来年7月頃になるそうです。

& 志田さんの家。 津波は2階まで・・ミドーさんはニューヨークから来た助っ人、
  ロック・ホワンさんと、修復した2階に泊まり込んで制作を続けています。
  空き地になっているところは、家が密集していましたが、津波に流されてしまいました。

& 志田さんの家の2階から撮影。
  美しい海・・震災前は家が密集していて見えなかったそうです。

来年7月・・モニュメントが完成の暁には、チェロを持ってお祝いにかけつけるつもりです。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリテイ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

<大船渡の愛すべき人たち>

2012年09月28日


ある日、仮設住宅内の敷地で、子供たちがブランコやすべり台で楽しげに遊んでいるのを、
ベンチに腰掛けて見ていました。

「遠くから来てくれてありがとう。これ、道端に咲いていたお花です。お部屋に飾って下さい。」

仮設にお住まいの奥さんでした。仮設に花瓶などありません。
きちんと束ねてあるお花を、あり合わせのグラスを使って飾りました。

& 大船渡に到着した翌日と、大船渡を去る前日、
2回コンサートをやってくれたカフェのマスター、冨山 勝敏さん。  

市内・碁石海岸の店は火災で全焼し、再開した陸前高田の店は津波に流され、
現在は、大船渡市内で営業を・・・

「コンサートは次に来た時も、その次に来た時もやってくれ。」
次の次まで考える気の早い人・・・

& 新沼 郵さん(カウンター奥、その手前は原田ミドーさん)も、愛すべき御仁・・・
  収録した動画と地元の新聞に載った僕のインタビュー記事を学校へ持って行き、
  コンサートの開催をお願いしてくれるそうです。

& 《くまかみ歯科クリニック》 の熊上先生。
僕が酒好きなのを知ると、白ワインとスコッチ・ウィスキーを差し入れして下さいました。

& 右は、あっちゃん。大船渡市社会福祉協議会勤務。
  左は、おなじみ、はっちゃん。

あっちゃんとの初対面は、JR釜石駅・・・
電車が大震災後、未だに復旧していないため大船渡から車で迎えに来てくれたのです。

コンサートでは、いつも送迎してくれ、休日には陸前高田へ案内してくれました。

「二人共、札幌に帰っちゃイヤ! ずっとここにいて! 私、はっちゃんと結婚する!」

おもしろいことを言う、あっちゃん・・でも嬉しいな・・・

2人はオレのこと、《 じいたん》 と呼びます。 ともに39才。
40に手がとどく所に来て、オレの孫のつもり・・・

なんという厚かましいヤカラか・・ちなみに、あっちゃんの名は、厚子さん・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

<踊るおばあちゃん 後の入り仮設住宅>

2012年09月27日


予定にはなかったコンサート・・・

宿泊していた大立仮設住宅から、車で15分ぐらいの所にある、
《後の入(のちのいり)仮設住宅》・・・

ここの仮設住宅も、山間の畑や田んぼを整地して建てられたそう・・・

前日に決まったコンサートなのに、年配のご婦人たちが来てくれました。


& 会場には、神戸から激励に来た人達の寄せ書きが・・・

「このチェロは、300年も前にナポリの名工が作ったものなのですよ。」

「ん?値段? 家一軒ぐらいです。」

「弓の毛は馬のシッポです。」

「弓の木の部分は、アマゾン川の流域にしか生えていない木で、貴重な木なのです。
ブラジルでは、この木を鉄道の枕木に使い、
伐採しすぎて木が足りなくなってしまいました。だから弓の値段が高くなっちゃいました。
この弓は、フランスの弓作りの名人、ドミニク・ペガットという人が作った弓です。
30年前に買った時は、180万円だったのに、今は500万円もするのですよ。」

演奏の合い間に、こんな話をすると、
おばあちゃんたちは、目をマンマルクして驚いていました。

コンサートでは、いつものように平和への願いを込めて、《鳥の歌》 からはじめました。

静まりかえる会場・・熱心に聴いてくれているなぁ・・・

& この日も頑張ってくれた、はっちゃん。

最後は、浜辺の歌、さくらさくら、夏の思い出、ふるさと・・おなじみの日本の歌をチェロで・・・
弾き終えてチェロをケースに入れようとしましたが、
おばあちゃんたちは誰ひとり席を立ちません。

「アンコール」・・と、遠慮がちにひとりのおばあちゃん・・もうひとりのおばあちゃんは、
「ふるさとをもう一回弾いて・・一緒に歌いたいの。」

& 終演後、喜びのあまり外で踊り始めるおばあちゃんも・・・

僕は、嬉しくて嬉しくて、本当にここに来てよかったなぁ~と思いました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。


<半ベソはっちゃん 畳の部屋でコンサート>

2012年09月26日


& 9月12日から21日に山田町へ移動するまでお世話になった、《大立仮設住宅》・・・

& 各地から集まって来るボランティアは、1人1泊500円・・雑魚寝も・・・
  札幌からボランティアの方々が到着したのは、夜10時でした。

& 彼等は、翌朝働いて札幌へ帰りました。

& 僕は図々しく、エアコン付きの部屋を占領・・・
その部屋は畳4畳半と、板の間1畳半・・椅子がないので、板の間に低いちゃぶ台を置き、
その上に座布団を3枚重ねてチェロの練習をしていました。

ここでのコンサートは、18日の14:00から行われました。
会場となった 《談話室》 は、和室でした。

演奏中チェロがすべらないように、
畳の上に、木片をガムテープでがっちり固めチェロを支えました。

ピアノはないので、はっちゃん(島居はゆきさん)はクラビノーバを調達しましたが、
そのクラビノーバには、楽器を支える台がありませんでした。

余程、値切って借りたのですかね・・・

座布団を敷き、正座してクラビノーバを弾くはっちゃん・・前代未聞の光景です。
こんなことをいやがらずに弾くピアニストは、この世に、はっちゃん以外存在しないでしょう。

チンチクリンなピアニストですが、こういうところは、なかなかよろしい・・・

しばらくすると、はっちゃんは半ベソになり、曲が終わっても座ったまま・・・
お客さんにおじぎもしません。 「あの、足がしびれて立てません。」

それを聞いた会場のオジサン、「あぐらかいて弾けばいいべ。」

部屋にいた人は、10数名・・ちっちゃな、ちっちゃなコンサート・・でも、みんなが嬉しそう・・・

コンサートが終わると、主催者が、「英順さん、明日の予定は?」

「明日は、コンサートがありません。」 「そりゃ、もったいねえ。」

受話器をとると数ヶ所に電話をかけ、
翌日、別の仮設住宅でのコンサートが急遽決まりました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

<ひどい! 大震災発生後1年半 今もこの惨状・陸前高田市>

2012年09月25日

& 大津波で破壊された海辺のユース・ホテル。

山の中腹付近で、津波が襲って来るのを目撃した人の話・・・

「高さ10m以上・・幅、数100m、いやもっとか・・灰色の壁が陸に向かって来た・・・」

「あっという間に海辺のホテル、高田松原の7万本の松林を呑み込み、
陸地に入ると学校、体育館、市役所、市民会館、消防署、照明付きの野外グラウンド・・・
手当たり次第に襲いかかった・・・」


& 水門。 津波は1番上の窓まで・・・


& 消防署。


& 市民会館。



& ガレキの山。

「そこは平野で、さえぎるものがなく、津波は暴れ放題暴れまくり陸の奥へ奥へと・・・」

「川をさかのぼる津波で川は氾濫し、周囲の家屋にも襲いかかった・・・
橋は崩れ落ち、ガードレールはグニャグニャに・・・」

避難場所は学校の体育館に決められていたそう・・・
高台にある体育館ならまだしも、津波の場合、避難場所が平地にある体育館というのは、
どう考えても合点がいきません。


& 学校の校舎とボロボロになった体育館。

大震災発生後、1年半・・・
未だにこのような惨状を目の当たりにして、言葉もなく胸が悪くなりました。

忘れるな! 無関心になるな!

札幌駅西口に掲げてある大きな横断幕には、

【頑張れ東北! 頑張れ日本! 心はひとつ!】

心はひとつになっているのでしょうか・・・

何かむなしい気持ちになってしまうのです。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

<奇跡の1本松・陸前高田>

2012年09月24日


大船渡のお隣、陸前高田・・高田松原は国の名所で陸中海岸、国立公園に指定され、
2009年には104万人の観光客が訪れた観光地・・・

7万本あった松は大津波でなぎ倒され壊滅・・1本だけ残った松が 《奇跡の松》 と呼ばれ、
復興のシンボルとなり、市民の支えでもあり、多くの観光客を集めました。


& 大震災直後の 《奇跡の松》・・・

《奇跡の松》・・高さ27m・・・

大震災後、2011年4月の時点では健康な生育状態でしたが、
土壌は75cm地盤沈下して海水がしみ込み、松の健康は徐々に悪化・・・
2012年5月には枯死が確認されていました。

保存方法・・幹を根元から30cm残して切断し、内部に防腐処理を・・・
幹の中心に金属製の心棒を通して保存するそうです。

総工費、1億5千万円・・・
完成後の維持費は、毎年2~3千万円かかるそうです。

《奇跡の松》 が切断されたのは、9月12日・・僕が大船渡へ向かった日でした。

& 大震災前の高田松原・・・

& 大震災後の高田松原・・堤防の手前の海水が引かずに残ったままになっています。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日にお知らせしたブログでお知らせしています。

<全壊したままの小・中学校>

2012年09月23日


& 湾になっている大船渡の美しい海・・・
ある日、美しい海は突然恐ろしい牙をむきました。

& 全壊したままの赤崎小学校。 3階まで津波が・・・




& 道路脇には、こんな看板が・・・


& 大船渡では僕の応援団長、あっちゃん(佐藤厚子さん)の車には、こんなステッカーが・・・


& ガソリン・スタンドのモニュメント。驚愕! 津波はスタンドの上まで・・・


& 赤崎中学校も全壊・・・

& 校庭にはガレキの山が・・・
  小学校も、中学校も、津波が危ないのでこの場所には学校を建てず、
  別の場所に山を切り開いて建てるそうです。
  


& 楽しいところも・・屋台村。


つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に更新したブログでお知らせしています。

<最後の支援物資>

2012年09月22日

9月16日は、支援物資支給の日・・・

東京スポーツ・トレーナーが、1年半の間、仮設住宅に月に1度運んで来る支援物資・・・

& 物資の支給を並んで待つ住民のみなさん。

支給はこの日で最後という・・・

1人10品選んで1回り・・3回転ぐらいします。
衣類は好きなものを選んで、好きなだけ持っていく・・・

30℃を超すカンカン照りの野外と談話室は、スーパー・マーケットのようになります。



仮設暮らしは大変で、心のケアも必要なようですし、
これから色々な形でストレスが出てくるのかも知れません。

しかし、いつまでも支援に頼っていてはいけないと自立する人も・・・
一方で、支援に頼らなければ暮らしていけない人も・・・

大震災の深刻さ、復興への道のりのきびしさを思い知らされます。

支援物資の支給は、炎天下で長時間かかり、住民のみなさんは疲れ果てたようです。
この日予定されていたコンサートは、開演時間が10:00~ 13:00~ 14:00~
2転3転しましたが、結局18日の14:00開演に延期されました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

大船渡でのコンサート <オ-プンハウス・いやしの村と 宮田仮設住宅の集会所>

2012年09月21日

大船渡での2回目のコンサートは、9月14日の17:40分から、市民のコミニュティ施設、
《オープンハウス・いやしの村》 の喫茶店で行われました。

「ボロボロ・ガタガタのピアノだから、使えないかも知れないよ。」 と、喫茶店のマスター・・・

ピアノ伴奏で東北公演に同行してくれた面白いピアニスト・・・
名刺の肩書きには、《笑ウ門には服着タル》 《笑ウ仕入れ人、スタイリスト》
《ヘボ・ピアニスト》 ・・・

ご存知、はっちゃん(島居はゆきさん)は、カフェと洋服屋を経営しながら、
ピアノの演奏活動を続けるヘンテコリンなオナゴ・・・

彼女はピアノがボロボロ・ガタガタと聞き、クラビノーバを調達して会場に持ち込みました。 

ところが、ボロ・ピアノをテストして見ると、
はっちゃんはそのピアノが気に入って、コンサートはそのピアノで・・・

& 終演後スタッフと・・前列左は大船渡公演で欠かせない人、佐藤厚子さん。

翌日の9月15日は、宮田仮設住宅の集会所・・・

& 仮設住宅は中学校の校庭に・・写真左側が仮設住宅。
狭くなった校庭のテニス・コートでは、大会が行われていました。


この日もクラビノーバを持ち込んだはっちゃん・・・

しかし、集会所には立派なクラビノーバが用意してありました。
この日も持ち込んだ楽器は空振りにおわりました。

& 終演後、仮設住宅にお住まいの人達と。

不器用で努力家のはっちゃんが調達した、音量調節が出来るクラビノーバ・・・
はっちゃんは、宿泊している大立仮設住宅で、
夜遅くまで両隣の住民に迷惑がかからぬよう、音量を下げて練習に余念がありません。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

<衝撃!! 津波にさらわれたアマチュア・女流チェリストと、津波を被った残されたチェロ>

2012年09月20日

大船渡2回目のコンサートは、《オープン・ハウス・いやしの村》 で行われました。
チェロを持って聴きに来て下さった紳士・・・

そのチェロは、駒がなくなっていて修理の必要がありました。

大震災が発生した日・・女流チェリストは車で外出していました。
襲って来る津波に気づき、車を捨て、3階建ての自宅に駆け込みました。

自宅の2階まで駆け上がった時、
襲って来た津波は、無情にも彼女をのみ込んでしまったのです。

3階に置いてあったチェロ・・津波は3階の部屋にも襲いかかりましたが、
チェロは津波にもみくちゃにされながら、その部屋に留まることが出来ました。

女流チェリストの友人は、残されたチェロを何とかしなければ・・と思い、
いやしの村のコンサートに来てくれた紳士にその処遇を頼んだのです。

「英順さん、このチェロをどなたかに使ってほしいのです。
大船渡にはチェロを弾く人がいません。
札幌で、このチェロを大切に使ってくれる人はいないでしょうか?
お金はいりません。大切に使って下さる方に差し上げて下さい。」

地震・津波で肉親を失った人・・全財産を失った人・・・
誰もが途方にくれてしまう苦境の中にありながら、
チェロを残し無念の思いで逝った友を思う心・・・
涙なしにこの話を聞くことは出来ませんでした。

チェロを持って来た紳士は、管楽器の修理を仕事にしている葛西大志朗さん・・・

2日後・・・

「葛西さん、そのチェロを今後のチャリテイ・コンサートで僕が使ってもよろしいでしょうか?
天国へ行ったチェリストも、残ったチェロも、そうすることが1番幸せだと思うのです。」

電話の向こうで、葛西さんの声は喜びでうわずっていました。

このたびの大船渡訪問・・なにか運命的なものを感じています。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

<大船渡の仮設住宅>

2012年09月19日

9月12日、大船渡に到着したのは、18:30頃でした。

震災後、三陸鉄道南リアス線が未だに復旧していないため、
大船渡市社会福祉協議会に勤務している佐藤厚子さんが、
JR釜石線の釜石駅まで車で迎えに来てくれ、
宿泊先の 《大立(おおだち)仮設住宅》 まで送ってくださいました。


大船渡にある仮設住宅の数は、大立仮設、宮田仮設、山口仮設のほか全部で24・・・
滞在する大立仮設は55世帯、147人が住んでいます。





大立仮設の近くには、店が何もありません。
佐藤さんは、町のスーパーまで連れて行ってくれ、
そこで10日分のビール、ワイン、酒、食料品を買いました。

夕食をとったのは21:00を過ぎていて、昼食が新千歳空港で12:00・・・
ハラペコで目が回りそうでした。

夜、ニューヨークからボランティアで来ているロック・ホアンさんがシャワーを借りに・・・
仮設住宅の冷蔵庫は共同使用・・・
翌朝、洗濯機を借りに来る人も・・・

この苦境をなんとか乗り越えようと、みんなが協力しあって仲良く生活しているのです。


& 市から月に1度、移動図書館が・・・

つづく。

& ご報告。 (1) 9月16日に予定されていた 《大立仮設住宅》 でのコンサートは、
都合により18日に延期され、昨日終わりました。

(2) 9月19日に、《後入仮設住宅》、14:00開演が新たに決まりました。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお伝えしています。

<大船渡の Jazz・Cafe・Saloon 《h. イマジン》で初演奏>

2012年09月18日

東日本大震災で壊滅的な被害を被った岩手県大船渡市・・・

大船渡入りの翌日、
9月13日(木)、19:00から市内のジャズ・カフェ、《イマジン》 でチェロを弾きました。



歓迎ムード満点の、温かな雰囲気の室内でチェロを響かすことが出来、幸せでした。
バッハの無伴奏組曲を弾き終わり、客席を見ると涙をぬぐうご婦人も・・・



イマジンのオーナー・冨山勝敏さん(カウンターの内側で帽子をかぶっている人)は、
以前、大船渡市、碁石海岸で営業していましたが、
その店は火災で全焼し、陸前高田市で営業を再開しました。
ところが大震災で被災し、再び何もかも失ってしまいました。

現在営業している場所は、大船渡の街中・・ジーンズ・ショップを営業しているオーナーが、
店を改造して店の半分を冨山さんに提供し、津波で流されたレコードは、
全国からの寄付で再々開にこぎつけたそう・・・

冨山さんは市内の宮田仮設住宅で生活し、復興を願いながら営業を続けています。

会場には、ニューヨークから被災者支援で大船渡に来ている、
ロック・ホアンさんのお姿も・・・

海外からのボランティア・・人々が助け合い、励まし合う姿・・・
明るいみんなの笑顔・・世の中に、こんなに美しいものが他にあるでしょうか・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
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<大震災発生後 東北初訪問 大船渡へ>

2012年09月17日

& 《父娘 スペイン3人旅》 の続きは、東北滞在中のお話のあとにお伝えします。

1万8,700人余りの死者・行方不明者を出した東日本大震災発生から約1年半・・・
今なお34万人の方が仮設住宅や避難先で生活しておられます。

かねてからチェロを持って被災地を訪問したかったのですが、
札幌にお住まいの彫刻家・造形作家の原田ミドーさんのご尽力で大船渡5公演が決まり、
そのあとニセコ中学校教諭、斉藤明子先生のご尽力で、
同じ岩手県の下閉伊郡山田町で2公演が決まりました。

9月12日、新千歳空港から花巻空港へ・・花巻空港→JR花巻→釜石・・・

& 早朝起床・早朝練習・長旅・・疲れたぁ~ 花巻から釜石へ向かうJR車内。

釜石駅には大船渡市社会福祉協議会に勤務している、
佐藤厚子さんが出迎えて下さいました。

初対面・・挨拶後の佐藤さん・・・

「英順さん、そのバッグにはお酒が入っているんですか?」 「えっ? お酒?」

「だって、ボストン・バッグにチェロと酒でしょ?」

彼女は、僕のブログの愛読者だったのです。

& 右が佐藤厚子さん、左はピアノ伴奏で同行してくれた鳥居はゆきさん。



釜石⇔大船渡間は、三陸沿岸沿いを走る鉄道、《三陸鉄道南リアス線》 がありますが、
未だに復旧しておらずバスもなし・・交通はタクシーのみだそうです。


三陸沖を見つめる 《釜石大観音》。

車を運転する佐藤厚子さん・・・
「ラジオをつけたままでよろしいですか? つけていないと不安なのです。いつ津波が・・・」

心の復興・・彼等には義援金や救援物資だけでなく、
精神的な支え、激励が不可欠なのです。
誰にでも出来ることはあるはず・・被災地のことを思うこと・・そこから第1歩が・・・

無関心でいるのが1番いけないな・・あらためてそう思いました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお伝えしています。

父娘 スペイン3人旅 (その12) <マヨルカ島で海水浴>

2012年09月16日

ショパンがひと冬過ごした修道院を見学後、パルマの海岸へバスで行きました。

通称パルマ海岸・・空港の南、カン・パスティーリャから、
その東のアレナルまで約5km砂浜が続くマヨルカ島最大のリゾート・エリア・・・


ホテル、貸しアパート、レストランが立ち並びバカンス客でいっぱいです。

人はたくさんいても、日本の海水浴場のような、《海の家》 はありません。
着替えの場所がないのです。

泳いでいる人達は、自宅や別荘などで水着に着替えてそのまま車で来るのでしょう。

水着を持ってきたんだ・・なんとかしよう・・・
見渡すと、少し離れたところに岩場が・・岩と岩の間に身を隠して着替えをしました。


水温は快適でしたが、海水はさほどきれいではありませんでした。
でも、ここはマヨルカ島の海なんだ・・・と思うと感無量でした。

前の年に行ったナポリの沖、カプリ島のことが脳裏に浮かびました。
ここの海は、なんときれいだったことか・・・
青い海・・透き通っていて小魚が泳いでいるのが見える海・・・
世界中のすべての海が、このようにきれいだったらどんなにすばらしいことか・・・



マヨルカ島のソン・サン・ファン空港からバルセロナ行きの最終便に、
後髪を引かれる思いで搭乗しました。
機上から眺めるマヨルカの夜景は、言葉で言い表すことが出来ない美しさでした。

また来たい・・どうしても・・さようならマヨルカ・・・


つづく。

& 次回からは、9月12日から滞在している大震災の被災地、
大船渡市、山田町でのお話を綴り、《父娘 スペイン3人旅》 は、そのあとお伝えします。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

父娘 スペイン3人旅 (その11) <フラッシュたいて怒られた>

2012年09月15日

ショパンが一冬過ごしたマヨルカ島・バルデモサ村の修道院の1室・・・

その部屋には、ショパンが弾いていたピアノ、石膏で型どったショパンの手、
ガラスのケースの中には、ショパン自作の自筆の楽譜が・・・

どれも撮影が許されていて、観光客は盛んにシャッターをきっていました。

自筆の楽譜だけはフラッシュ禁止なのですが、僕は操作を誤りフラッシュがピカッと・・・

受付にいた年配のご婦人は、それに気づくと早足で僕に近づいて来ました。

相当怒っているぞ!
吊りあがった目が三角になっている・・・

悪気はなくてもルールを破ってしまい、違反は違反・・・

謝るしかないな・・・

スペインのオバチャン、僕の目の前に立つとカナキリ声で何かわめき始めました。
怒っているのは間違いない・・でもなんと言っているのかわからない・・・

片や怒りのスペイン語、こなた日本語、「すみません。ごめんなさい。操作間違えました。」
平身低頭、あやまりの一手でした。

スペインに来て、タクシー運転手にボラレタ以外は快適な旅だったのに、残念至極・・・
 

「パパ、間違えちゃったんだから、しょうがないじゃん。」

娘が慰めてくれました。

近くのカフェで厄払いに一杯やり、飛行機の出発まで時間があったので、
パルマの浜で遊ぶことにしました。



つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

父娘 スペイン3人旅 (その10) <ショパンの名曲 前奏曲 《雨だれ》 物語>

2012年09月14日

ショパンが恋人ジョルジュ・サンドと、人目を避けるようにして一冬過ごした、
スペイン領、地中海に浮かぶ太陽の島、《マヨルカ島》、バルデモサ村の修道院・・・


& 修道院のテラスから・・バルデモサの村。

2人がこの村にやって来たのは、1838年・・・
当時のバルデモサの村には、生活必需品を手に入れるには店が不足していたのでしょう。

ある日サンドは、ショパンを家においてパルマの町まで悪天候の中を買物に出かけました。
18kmの道のり・・・
当時は車はなく、陸上の交通機関は馬車しかなかったでしょう。

天候はくずれにくずれ大雨となり、
川の水があふれ、橋を渡ることが出来なくなってしまいました。
ショパンはピアノを弾きながら、夜遅くまでサンドの帰りを待っていました。

屋根を打つ雨の音・・軒下に落ちる雨の音・・ポツン・ポツン・・地面を打つ雨の音・・・

こんな状況で作曲したのが有名な前奏曲、《雨だれ》 です。
雨だれが音楽に・・・

このように自然の情景を音楽で表現したものは、たくさんあります。
ベトーベンの田園交響曲・・メンデルスゾーンのフィンガルの洞窟・・・
ドビュッシーのラ・メール・・チョットふざけていますが、サンサーンスの動物の謝肉祭・・・
枚挙にいとまがありません。

こうした描写音楽を鑑賞する時は、あらかじめある程度の予備知識を持って聴くほうが、
わかりやすく、楽しむことが出来ると思います。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお知らせしています。

父娘 スペイン3人旅 (その9) <チェロが歌う せつなく 情熱を心に秘めた音楽>

2012年09月13日

前回、ショパンとラフマニノフの手のことをお伝えしました。

今回は、その音楽を・・・

ショパンにもラフマニノフにもチェロ・ソナタが1曲ずつありますが、
僕が好きなのはソナタではありません。

なんともせつなく、悲しげで、情熱を心に秘めた音楽・・・

それを両巨匠から1曲ずつ取り上げれば、
ショパンは、《ノクターン 嬰ハ短調 遺作》・・ラフマニノフは、《ヴォカリーズ》です。

前者はピアノ曲・・後者は歌曲・・チェロのために作曲した曲ではありません。

僕はこの2曲を好んでコンサートに取り上げます。
チェロのやわらかな、やさしい音色で悲しげに朗々と歌い上げるのです。

ショパンのノクターンは、20世紀の巨匠、グレゴール・ピアティゴルスキーの編曲・・・
チェロの名手として活躍した人だけに、
幅広い音域にわたってかなり高度な技巧がちりばめられています。

ラフマニノフのヴォカリーズは、14の歌曲の最後の曲・・・
ヴォカリーズとは、歌詞を持たない、《母音唱法》 による声楽曲・・・
歌手が歌うようにチェロが歌います。

チェロは歌う楽器・・人間の肉声に一番近い楽器・・・

せつなく、悲しげで、情熱を心に秘めた音楽はチェロに合うのです。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・

9月11日にお伝えした大船渡公演は、
9月14日(金)、オープン・ハウス、《いやしの村》 、17:40開演が抜けていました。

今後のスケジュールは、9月11日に投稿したブログでお伝えしています。

父娘 スペイン3人旅 (その8) <ショパンの手と ラフマニノフの手>

2012年09月12日

お待たせしました。 《 父娘 スペイン3人旅 》 を再開します。

西地中海に浮かぶマヨルカ島・・西地中海の楽園マヨルカ島・・・
ショパンが恋人ジョルジュ・サンドと、ひと冬すごしたバルデモサの修道院・・・


修道院の中に置かれていた、石膏で固めたショパンの手は大きな手ではなく、
僕の手と同じぐらいで、指はやや細め・・やや長めだったでしょうか・・・
手だけを見れば普通の人なのです。

楽器をマスターするには、肉体的な条件は大切です。
ピアニストにとって、大きな手はありがたいのではないかと思います。

ロシア生まれ・・ロシア革命でアメリカに亡命し、アメリカとヨーロッパで活躍した、
ロマン派最後の巨匠、大ピアニストで大作曲家のラフマニノフ・・・

この大物は手も大物で、指を広げると12度も・・・
つまり、ドレミのドから、1オクターブ上のソまでとどいた大きな手を持っていました。

ショパンは、手だけを見ればただの人・・・
それにもかかわらず、多くの人に感銘を与え、歴史に永遠に名をとどめる活躍をした人・・・

ピアノの詩人は、演奏で感銘を与えてきただけでなく、
不滅の名曲を数多く残して、後世の人達にも感銘を与え続けています。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、9月11日のブログでお知らせしています。

東日本大震災チャリティ・コンサート (117) 札幌クリスチャン・センター <細々でもいい、続けるぞっ!チャリティ!>

2012年09月11日

117回目の東日本大震災チャリティ・コンサートは、
9月8日、13:30から札幌クリスチャン・センターで行われました。

残暑きびしい札幌・・この日の会場も暑さでムンムンしていました。


自宅での練習は下着だけ・・30分練習したら汗でグシャグシャになった下着を取替え、
水を飲んでまた練習・・練習する部屋が32℃になっても、電気を大切に・・と思い、
エアコンをつけず、我慢して練習していました。

こうして鍛えていれば、コンサート会場が少々暑くても耐えられるはずでした。

どっこい、そう甘くはありませんでした。

自宅での練習は、汗をかけばいつでもふける・・でも、コンサート中はそうはいきません。
額から流れる汗は容赦なく目の中にも・・これ、沁みて痛いです。
片目演奏・・まるで丹下左善のよう・・両目に入ればアウト・・演奏中断になるでしょう。

会場には福島からのお客様もいらっしゃいました。
心を込めて、バッハや、ベートーベン、ショパン、シューベルトなどを弾きました。


この日の入場者・36名。
義援金額・募金箱の中に、¥6,300・・・(一人平均の募金額、¥175)

CD売り上げからの義援金額・¥14,000。・・・合計¥20,300。
うち、15,000は、福島の子供を守る会へ。
¥5,300は、会津放射能情報センターと、放射能から子供の命を守る会・会津へ。


大船渡公演が近づきました。 9月12日出発、20日まで6公演。

21日からは同じ岩手県の山田町へ行き、22日に2公演。

大船渡の宿泊先は、大立仮設住宅。
16日には、札幌市南区にお住まいのファン5名が来訪、ラーメンを作ってくれるそうです。


今後のチャリティ・コンサート・スケジュール・・・

● 9月13日(木)~20日(木)。
 【チェロ・コンサート・IN・大船渡】 

初日の13日と、最終日の20日の会場は、「ジャズ喫茶・イマジン」。
 
14日、オープンハウス・いやしの村 17:40~ 15日、宮田仮設 16:00~  
16日、大立仮設 10:00~ は、18日、14:00~に変更になりました。
19日、後入仮設 14:00~

● 9月22日(土)。チェロ・コンサート 

(1)岩手県下閉伊郡山田町、小規模多機能型居宅介護事業所 「眺望」、10:00開演。
(2)同・福祉仮設住宅、「やすらぎ」 14:00開演。 チェロと地元吹奏楽団との共演。



<118> 9月28日(金) チェロ・コンサート。
札幌市中央区北10西15 サッポロ珈琲館 桑園駅前店。 18:30開演。

<119> 10月4日(木) チェロ・コンサート。
札幌市厚別区・デュオ2-5F、新札幌ギャラリー。 19:00開演。

<120> 10月6日(土) チェロ・コンサート。
恵庭市黄金ふれあいセンター。 14:00開演。

<121> 10月13日(土) チェロ・コンサート。
紋別市民開館小ホール(再演) 19:00開演。

<122> 10月21日(日) チェロ・コンサート。
磯谷郡蘭越町パーム・ホール(4回目)。 14:00開演。

<123> 10月23日(火) チェロ・コンサート。
岩見沢市 武部建設 結(ゆう)ホール。 18:30開演。

<124> 11月3日(土・祝) チェロ・コンサート。
北広島市 渋谷栄一 記念ギャラリー 黒い森美術館。 14:00開演。

<125> 11月10日(土) チェロ・コンサート。
札幌市厚別区厚別西地区センター。 13:30開演。

<126> 11月17日(土) チェロ・コンサート。
樺戸郡新十津川町 花月サポートセンター。 16:00開演。

<127> 11月18日(日) 声楽とチェロのジョイント・コンサート。
函館市・五稜郭タワー。 14:00開演。

<128> 11月23日(金・祝) チェロ・コンサート。
北広島市 茶房まつ風。 13:00開演。

被災者へのご支援、よろしくお願い致します。


続々・骨髄バンク・チャリテイ・コンサート <親不孝娘が親孝行>

2012年09月10日

《・・・すてきな仲間たち》 の一人、はっちゃん、(鳥居はゆきさん)・・・

大谷短大ピアノ科卒業後、何を思ったか、ピアノをやめてしまったはっちゃん・・・

ひょんなことから16年ぶりにピアノに向かい、
その1年後には、チェロの伴奏者としてキタラの舞台に・・・


16年のブランクをたった1年で埋めることなんて出来るんだろうか・・・

この人、ピアノに関して言えば、稀に見る不器用な人・・・
不器用でもいい・・人が1回の練習で弾けるものは、100回練習すればいい・・・

これもピアノに関してですが・・稀に見る歩みのノロイ人・・・
のろくてもいい、亀だって兎に勝てるんだ・・・

そして稀に見る努力家・・朝、3人の子供たちを学校へ送り出し、
経営しているカフェ(2階は洋服屋さん)へ・・・

1日中働き、閉店後片付けが済むと、
店に置いてあるピアノに向かい、地下鉄の終電の時間まで練習するそう・・・



たとえ不器用でも、歩みがのろくとも、
あきらめずに、くさらずに、努力を続けていれば報われる・・を、地で行く人・・・

9月6日、はじめてキタラの舞台に立った彼女・・その演奏を聴こうと、晴れ姿を見ようと、
両親と3人の子供たちも、お顔を見せてくれました。

大谷短大ピアノ科卒業後、両親の期待を裏切り、
あっさりピアノをやめてしまった親不孝な娘・・・

しかし、終演後にお会いしたご両親は満面の笑みを浮かべ、お幸せそうでした。

「はっちゃん! オマエ、今夜は親孝行したな。」


& 終演後、僕の楽屋に鳥居一家が集合・・・
右後方は、はっちゃんのお母さん。(娘も孫もママンと呼んでいます) 
撮影者はパパン・・楽屋は、ピアノ、テレビ、シャワー、トイレ、電話付き・・・
子供たちはびっくりしながらも大喜び・・・

誇らしげに母を見つめる子供たち・・黙々と努力を続ける母・・・
子供たちにとって、これに優る教育はないと思うのです。

終演後は、空気がきれいな全面禁煙のレストランへ行き、
《タイのカマ・オーブン焼き》 などで、はっちゃんのキタラ初舞台の成功を祝いました。


おわり。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。

続・骨髄バンク・チャリティ・コンサート <ヘンテコリンな すてきな仲間 >

2012年09月09日

《土田英順とすてきな仲間たち》・・・

前回ご紹介したすてきな仲間たちは、《 トリオ風雅 》 の3人衆・・・
ほかに、ピアノの鳥居はゆきさんも参加してくれました。


この人、大谷短大ピアノ科を卒業した途端、
何を思ったのかピアノをやめちゃったヘンテコリンなヤツ・・・

ピアノをやめちまって、何をしていたかというと、洋服屋さんとカフェの経営を・・・
音楽学校の高い授業料や、高いピアノのレッスン代を親に払わせておいて、
卒業した途端ピアノをやめちまうなんて、なんと親不幸なヤツだ・・・

ホントにヘンなヤツだ・・・

ヘンなヤツと出会ったきっかけは、東日本大震災・・・

タダで使わせてもらえるチャリティ・コンサート会場を探していたら、道新の竹内さんが、
「英順さん、18席しかないけどLAKURAっていうカフェがあるよ。どうする?」

そのカフェがヘンテコリンなオナゴの巣だったのです。

カフェって、食べ物や飲み物を売って儲けるところ・・なのにヘンテコリンは、
大事な店を6回も大震災チャリティのために無償提供してくれたのです。

チンチクリンとも呼ばれるヘンテコリン・・・

LAKURAのコンサートの打ち上げで酔っ払い、
「おい、チンチクリン、1曲伴奏してくれないか?」

伴奏してくれた曲が、ベートーベンの 《月光の曲》・・・

腐れ縁は、これがきっかけではじまったのです。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。

骨髄バンク チャリテイ・コンサート 札幌コンサート・ホール・キタラ <白血病など難病で苦しむ人達のために>

2012年09月08日

《父娘 スペイン3人旅》 は、少し休みます。

9月6日(木)、19:00、札幌コンサート・ホール・キタラ小ホールで、
《 骨髄バンク・チャリティ・コンサート2012 》 が行われました。


& 右は、はっちゃん(鳥居はゆきさん)。 撮影は、はっちゃんの友達、
声楽家・谷地聡子さんのダンナ・ヒロクン・・・


10数年前、北海道骨髄バンク推進協会・札幌支部から、
チャリティ・コンサート開催について打診がありました。

チェロの音色を響かせることが、難病で苦しんでいる人達のためになるなら・・と思い、
快諾しました。

その後、旭川支部、帯広支部、釧路骨髄バンク推進協会、函館骨髄バンク推進協議会と、
チャリティの輪を広げ、今回が25回目のチャリティ・コンサートになりました。

《土田英順とすてきな仲間たち》・・・

すてきな仲間は、ピアノの矢崎有佳さん、フルートの楢崎容子さん、
ヴィオラの円山真麗子さん・・・
この3人は、《トリオ風雅》 という名のアンサンブルを結成してご活躍しています。

もう一人のすてきな仲間は、ピアノの鳥居はゆきさん・・・

トリオ風雅は、チャイコフスキーの3大バレエのひとつ、
《白鳥の湖》 から名曲をピックアップし、トリオ風雅、自ら編曲したものを演奏しました。


矢崎有佳さんはピアノを弾くだけでなく、ナレーション役もつとめ、
悲しくもロマンティックな物語と、チャイコフスキーのすばらしい音楽を結びつけ、
この夜の白眉となりました。

クラシック音楽は、とっつきにくい・・という声をよく耳にしますが、
この夜のトリオ風雅の演奏は、
始めてクラシック音楽を聴く人にも、スンナリ受け入れることが出来た筈・・・

トリオ風雅の今後の活動に期待したいと思います。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。


父娘 スペイン3人旅 (その7) <ピアノの詩人>

2012年09月07日

パルマの町から北へ18km、くねくねした山道を上っていくと、
小高い丘の上に広がるバルデモサの村が見えて来ます。

パリで不倫のうわさが広がったショパンとジョルジュ・サンド・・・
パリに居づらくなった2人が、肺を病んでいたショパンの転地療法を兼ねて、
マヨルカ島へやって来たのは、1838年でした。

2人が、ひと冬過ごしたのが、貸別荘として貸し出されていたカルトゥハ修道院・・・
ショパンたちが借りていた2部屋には、ショパンが使っていたピアノ、
ショパン自ら作曲した曲の自筆の楽譜、書簡など、2人にまつわる品々が置かれていました。


& バルデモサの修道院でショパンが使っていたピアノ。

ショパンの左手の手首のあたりから先を、石膏で固めて作った左手も置いてありました。

19世紀に活躍した、大作曲家で大ピアニストでもあったリストとショパン・・・

リストは、ありあまるほどの優れたテクニック、ボリュームある豊かな音、
すざまじい迫力で聴衆を圧倒したのに対し、
ショパンの演奏は繊細で聴衆に語りかけるように、時にはささやくように、時には情熱的に、
それもムード満点のロマンティックな雰囲気のサロンで聴衆を魅了したようです。

ピアノの両サイドにローソク台を作り、
ローソクの明かりで、自ら作曲したノクターン(夜想曲)のような夢想的な音楽を、
ショパンのような名手が奏でれば、聴衆はたまったものではありません。
身も心もとろけてしまいそうな感動を味わったことでしょう。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。

父娘 スペイン3人旅 (その6) <ショパンが恋人ジョルジュ・サンドと一冬過ごした修道院>

2012年09月06日

親切な男のおかげで、ショパンとジョルジュ・サンドが一冬過ごした村、
バルデモサへ行くバスの乗場はわかりました。

時刻表を見ると、次のバスの発車まで相当時間がありました。

その日のうちにバルセロナへ戻るつもりでしたから、モタモタ していられません。

パルマからバルデモサまで18km・・タクシーはどうかな?

マドリード空港から市内のホテルまで、タクシーには1度騙されていたので慎重でした。
メーターは当てにならないと思い、運転手さんと直接交渉を・・・

運転手さんが提示した金額は忘れましたが、それほど高くはなかったのでタクシーで・・・

一歩、パルマの町を離れると、オリーブや、アーモンド、オレンジ、レモンの林が広がります。
パルマからバルデモサへ・・ショパンが住んだバルデモサへの道のりは、
豊かな自然の中に点在する村々の風景がとても印象的でした。

ポツリポツリ・・1軒ごとに距離をおいて建っている家は、本当に粗末な小さな家で、
石と土を固めて作ったもののようでした

真夏のマヨルカは、陽射しが強く、強烈な直射日光を受けるので、
石と土を固めて作った家は太陽熱を遮断し、家の中は案外涼しいのではないかと、
バスの中からその風景を見ながら思いました。

ショパンとジョルジュ・サンドの愛の逃避行・・・
不倫のうわさが広まり、パリに居づらくなった二人が、
肺を病んでいたショパンの転地療養を兼ねてやって来たマヨルカ島・・・

彼等が、人目を避けるようにして一冬過ごしたのが、
バルデモサにあるカルトゥハ修道院でした。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。

父娘 スペイン3人旅 (その5) <灼熱のマヨルカ島・パルマの町>

2012年09月05日

ショパンと恋人のジョルジュ・サンドが一冬過ごした村、《バルデモサ》・・・

灼熱のマヨルカ島・パルマの町で、
バルデモサ行きのバスの乗場を探しましたがわかりません。

気が狂ってもおかしくないぐらいの、とんでもない暑さ・・もうバスなんかどうでもいい・・・
エアコンの効いた涼しいバール(BAR)で、
冷たい生ビールでもひっかけなきゃ気が変になる・・・

バールはどこかな・・キョロキョロしていると、

「ここで何してるの?」 30代?の感じのよい男でした。

「・・・」 暑さボケで英語が出ませんでした。

「どこへ行くの?」

「バルデモサへ行きたいんだけど、バス停がわからないんだよ。」

男は面白そうに笑って、「ここだよ。ここ、ここ。ここがバス停だよ。バルデモサ行きもここさ。」

目の前の小さな建物を指差して、「チケットはそこで買うんだよ。」

親切な男は、笑みを浮かべながら去って行きました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・

11月18日(日)、声楽とチェロのジョイント・コンサート。 14:00開演。
会場:函館市・五稜郭タワーが新たに決まりました。

今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。

父娘 スペイン3人旅 (その4) <マヨルカ島の中心・パルマへ>

2012年09月04日

《地中海の楽園・マヨルカ島》・・・

空の玄関、ソン・サン・ファン空港から島の中心で最大の町、
《パルマ・デ・マヨルカ》 までは8kmの距離でした。

空港バスは15分おきに運行されていて、
パルマ市内まで1ユーロ80セント。(250円ぐらい。1997年)
20分ぐらいでパルマの中心、スペイン広場にあるバス・ターミナルに着きます。

ここでバスを乗り換えて北へ18km・・・
そこには、ショパンと恋人のジョルジュ・サンドの愛の逃避行で知られる村、
バルデモサがあります。



ところが、バルデモサ行きのバス乗場をさがすのにひと苦労・・・
近くの人に聞こうと思っても、足早にどこかへ去って行きます。
ターミナルは無人の状態です。
前方を見ると、鉄道があり貨物列車が停車していましたが誰もいません。

暑い、暑い・・とにかく暑い・・・
スペイン領土の島に照りつける、強烈な直射日光を脳天に受け、
アタマのテッペンから湯気が立っているようでした。

こりゃダメだ・・暑くて身が持たん・・・
こんなところで熱中症でオダブツになるのはゴメンだ・・・

娘と相談し、エアコンの効いた涼しいバール(BAR)で冷たい生ビールでも飲みながら、
一息つくことにしました。 すると・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。

父娘 スペイン3人旅 (その3) <地中海の楽園・マヨルカ島>

2012年09月03日

バレンシアの沖合い、西地中海に浮かぶバレアレス諸島はマヨルカ、メノルカ、イビサ、
フォルメンテーラの4つの島からなります。

その中で1番大きな島がマヨルカ島・・・

長女はバルセロナで遊びたいというので、次女と2人で日帰りで行きました。

バルセロナ空港から飛行機で1時間弱・・・
バルセロナの港からフェリーで7時間・・高速船でも4時間かかります。

船旅も魅力的でしたが、日帰りなので飛行機で・・・

《マヨルカの雪》 という言葉があります。
毎年2月になると、島にはアーモンドの花が咲き乱れ、あたり1面が真っ白になるので、
雪のようだ・・というわけです。

晴れの日が年間300日以上のマヨルカ島・・・
雪が降らない温暖な気候で変化に富んだ美しい自然環境のため、
この島が、《地中海の楽園》 と呼ばれる所以なのです。



太陽と美しいビーチを求めて、年間450万人の観光客が訪れるマヨルカ島・・・
ヨーロッパでも指折りのリゾート地・・・



バルセロナからの飛行機は、1日に6便から10便飛んでいるのでチケットは楽に取れ、
マヨルカ島の空の玄関、ソン・サン・ファン空港に到着しました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。

父娘 スペイン3人旅 (その2) <やられた!>

2012年09月02日

マドリード空港から市内のホテルへ・・・

タクシーの運転手さんは無言でしたが、しばらくすると何か言い、右側を指さしました。

ん? サッカー場かな? よく見ると、《TOROS》 と書かれた看板がありました。闘牛場です。



& 闘牛場の前で娘たち。 左が長女。

運転手さんは闘牛場の入口付近に車を停め、自分から先に降りると、
「降りろ、降りろ・・」と手招きしました。娘と一緒に運転手さんのあとをついて行くと、
そこはチケット売場でした。

言葉は全くわかりません。
わからないのに、「今晩闘牛があるよ。チケットがなくなるよ。今、買いなさい。」
そんな風に聞こえるから言葉って不思議です。

闘牛観戦はぜひ実現いたいと思っていたし、
娘は2人共、観たいというのでチケットを買いました。



& 闘牛場の前で。 次女。

闘牛観戦のお話は、以前このブログでくわしく お伝えしたので、
今回は、前回ご紹介しなかった写真を載せるだけにしておきましょう。



& 馬上から闘牛の背中を槍で突く闘牛士。



& 闘う闘牛士・マタドール。



& 殺された闘牛。場内の解体場で解体され食肉に・・・

ホテルに着き、親切な運転手さんにチップを多めにあげると、彼は大喜びで帰りましたが、
空港からホテルまでの距離と、数日後のホテルから空港までは同じ距離で、
タクシー料金は同じはずなのに、復路時は半額だったのです。

スペインに入国早々騙されてしまいました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。

父娘 スペイン3人旅 (その1) <マドリード空港到着>

2012年09月01日

22才の時、日本フィルハーモニー交響楽団に入団し、
38年間で日米4つのオーケストラを渡り歩き、
1997年、オーケストラ界から足を洗ったその年の夏、2人の娘とスペインへ行きました。


情熱の国スペイン、芸術の国スペイン、料理もワインも最高の国スペイン・・・

正式国名 《エスパーニャ王国》・・・
国土面積は、地中海のバレアレス諸島、大西洋のカナリア諸島、
北アメリカのセウタを含めて、日本の約1,3倍・・・

人口は約4,300万人、首都はマドリード、人口310万人。(2004年)
 
時差は8時間・・日本時間から8を引けばよいです。

日本からスペインへの直行便はないので、パリ経由で行きました。



& 機内食も楽し・・・

パリには、夜遅く着いたので、ドゴール空港近くのホテルに1泊し、
翌朝の便でマドリードへ向かいました。

マドリード空港のタクシー乗場には、客待ちのタクシーがたくさんいましたが、
運転手さんたちはエンジンを切り、
みんな外に出て、ワイワイガヤガヤおしゃべりしていました。

日本では、客待ちするどのタクシーもエンジンをかけっぱなしで、
運転席にドッカと腰掛けたまま・・夏はクーラー、冬は暖房を入れっぱなしで、
地球温暖化問題や、環境問題など何処吹く風・・・

「オレはそんなこと関係ねぇよ。」・・そんな顔をしています。

さて、マドリード空港・・タクシーに乗り、運転手さんにホテル名と住所を書いた紙を渡すと、
彼は黙ってうなずき発車しました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・コンサート・・・
今後のスケジュールは、8月31日に投稿したブログでお知らせしています。

プロフィール

プロフィール

土田英順
つちだ・えいじゅん。日本フィル、新日本フィル、札幌交響楽団の首席チェロ奏者を歴任し、ボストン響およびボストン・ポップス響でも演奏。現在はソリストとして札幌を拠点に活躍するかたわら、2007年には役者デビュー。国内のみならず「春の夜想曲~菖蒲池の団欒~」では海外公演も果たす。73歳にして初めてパソコンを購入し、ブログの新世界で弓を引く。

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