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ウィーン・旅日記(33) <大芸術家の悲しい別れ>

2011年12月31日

スポンサーだった貴族が世を去り、失業してしまったハイドン・・・

ハイドンは、この時58才になっていました。
現在ならこの年齢は働き盛りで、現役バリバリですが、
当時は、現在のような長寿社会ではなく、
221年前の58才は、高齢者だったのです。

ハイドンが失業したことを伝え聞いたロンドンの興行主サロモンは、
ハイドンをロンドンに呼びました。

「ぜひ、ロンドンで仕事を・・・」

ハイドンは、ロンドンへ行く決心をしました。

それを聞いて反対したのがモーツァルトでした。
馬車での長距離移動が、どれほど大変な事かを知っていたからでしょう。

ハイドンが、ウィーンを出発したのは、1790年12月15日・・・
僕が、ウィーンで馬車にのったのは、2001年12月17日・・・

211年もはなれていますが、日にちは2日しか違いません。

僕はその寒さを、身を持って体験しています。

野を越え、山を越え・・・馬車でウィーンからロンドンへ・・・

ドイツ、フランスを横断し、
イギリス海峡を船で渡り、イギリスに入ったら再び馬車でロンドンへ向かう・・・

一体何日かかるのか見当がつきません。

出発の日、ハイドンの身を案じたモーツァルトは、
ウィーンの街外れまで見送りに行き、ロンドン行きをひき止めたそうです。

ロンドンでハイドンは、大成功を収めました。

二人がウィーンの街外れで別れたその日から、
あと10日で丸1年となる翌年の12月5日・・・
あれほどハイドンの身を案じていたモーツァルトは病に倒れ、
帰らぬ人となったのです。

ロンドンで、この訃報を伝え聞いたハイドンは、

「彼のような天才は、今後二度と現れることはないだろう。」

と、嘆き悲しんだということです。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月23日に更新しました。

ウィーン・旅日記(32) <パパ・ハイドン>

2011年12月30日

ウィーン市内で馬車に乗ったことから、話は発展します。

馬車の乗り心地のひどさ・・・

モーツァルトは、幼い時から馬車でヨーロッパ各地へ演奏旅行を行い、
馬車による長距離移動の過酷さを知っていた・・・

さて、話は飛びますが、
ハイドンは1732年生まれ・・・
モーツァルトは、1756年生まれ・・・

トシは24才もはなれていましたが、二人は、お互いにその才能や、
作品のすばらしさを認め合い、尊敬し合っていました。

” パパ・ハイドン ” の愛称で親しまれるハイドンは、
ある日、自分の家に友人・知人を招き、
モーツァルトが作曲したばかりの弦楽四重奏曲6曲を彼等に披露したのです。

モーツァルトは、感謝の気持ちでハイドンにこの6曲を献呈しました。

この6曲は、 ” ハイドン・セット ” と呼ばれ、
古今の数多い弦楽四重奏曲の中で至宝の作品に・・・


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写真: ハイドンが、晩年過ごした家。
    訪れたのは、閉館1時間ぐらい前の夕暮れでした。


ハイドンは、ハンガリーのエステルハーツイー侯爵家のお抱え楽団で、
25年間も楽長を務めました。
貴族たちが集まるパーティで、その楽団を指揮したり、
チェンバロを弾いたりするのが仕事でした。

順調だったハイドンの仕事は、ある日どん底に・・・
侯爵が、この世を去ったのです。

邸に入った新しい貴族は音楽に興味がなく、
楽団は解散となり、全員がクビになりました。

ハイドンは失業してしまったのです。

すると・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月23日に更新しました。

次回のチャリティ・コンサートは、
1月14日、札幌市厚別区のカフェ、「こだまの森」 開演14:00です。

ウィーン・旅日記(31) <こりゃ参った!>

2011年12月29日

真冬のウィーンで馬車に・・・

オレも、物好きな男だなぁ~  高い金を払って・・・

馬車の中は、寒いなんてもんじゃない・・・
ぎょ者がくれた毛布だって、氷のように冷たいんだから・・・
強力なバッテリーを置いて、電気ヒーター、電気毛布でも置いてくれないと、
このままじゃ身が持たんぞ・・・

ぎょ者が、馬にムチを入れると、ガク~ン・・・
かなりの衝撃があり動き始めました。

ガタゴト・ガタゴト、こりゃひどい揺れだ・・・
信号などで停まる時もガク~ン・・・
発車時も、ガク~ン・・・
ウッカリしていると、ムチ打ち症になるぞ・・・

ブルブル・ガチガチ寒さに震え、ガタゴト・ガタゴト・ガク~ン・ガク~ン・・・

エライものに乗ってしまったなぁ~


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ここで、頭に浮かんだのがモーツァルトのこと・・・

モーツァルトは、子供の時から、父レオポルドに連れられて、
ヨーロッパの各地を演奏旅行していました。

当時の交通機関というと?

モーツァルトが活躍した1,700年代に、飛行機はもちろんない・・・
世界で鉄道が始めてひかれたのは、
イギリスのリバプール~マンチェスター間で、1830年・・・

車もない・・・

すると、陸上の交通機関は馬車しかないのでは・・・

モーツァルトは、馬車による長距離移動の過酷さを知っていたことになります。

そこで次に頭に浮かぶのが、モーツァルトとハイドンの関係です。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月23日に更新しました。

ウィーン・旅日記(30) <馬車>

2011年12月28日

ウィーン中心の繁華街、ケルントナー通り・・・

この通りは、歩行者天国になっていますが、馬車だけは通行出来ます。

客待ちしている馬車に乗ってみました。

ぎょ者に値段を聞くと、
30分で1,300シリング(約9,000・2001年)。

一人で乗るには高いなぁ~ ま、いいか・・・

1頭立てで4人乗りの馬車・・・


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「45分で1,600シリングでどうだい? もっと、いろいろ見られるよ。」

15分増で、¥2,000増・・・

「30分で充分だよ。」

4人で乗って、割り勘にするのならまだしも、
一人じゃ、そんなに払えないよ・・・が、本音でした。

その日は、12月17日・・・
ウィーンの冬は、とことん寒い・・・

ぎょ者は、毛布をくれましたが、毛布自体が凍ったように冷たく、
使いものになりません。

毛布を横に置き、ま、これも経験だ・・・と、腹をくくりました。

バシッ・・・ぎょ者が馬にムチを入れると・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月23日に更新しました。

1月のチャリティは、

14日、札幌市厚別区のカフェ、「こだまの森」(再演) 14:00開演。

17日、札幌市中央区「こぐま座」、19:00開演。

18日、札幌市中央区「大谷幼稚園」、14:00開演。

22日、紋別市「道立流氷公園あおぞら交流館」、19:00開演。

被災された方々へのご支援、よろしくお願い申し上げます。

ウィーン・旅日記(29) <贅沢なランチ>

2011年12月27日

ウィーン最古のレストラン・・・

ボーイが持って来たメニューは、ドイツ語・・・

値段以外はチンプンカンプンなので、英語のメニューを頼んで見ていると、

「これもあるよ」

と、持って来たのは、日本語のメニュー・・・

最初から、そうしてくれればいいのに・・・

まずは、生ビールを一杯・・・
グラスで白ワインを頼み、
料理は、分厚くカットしたサーモン・ホワイト・クリームソース・・・
上品なソースの味・香り・・・Very Very Good・・・

付け合せは、ポテトに、きのこ類・・・
スープ、サラダ・・・
バター炒めライス・・・コーヒー付き・・・
全体に、日本人好みの塩味で、Very Good でした。

気になる値段は、400シリング(約¥2,800・2001年)。
ビールとグラスワインは別料金なので、贅沢なランチでした。

食事を終え、帰ろうとすると、
蝶ネクタイをつけ、正装した子供のボーイが、

「こっちへおいで。」

と、いう風に手招きし、別室に案内してくれました。

その部屋には、壁、天井にぎっしりサインが・・・


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ベートーベン、モーツァルト、シューベルト、ブラームス、
ヨハン・シュトラウス・・・
そしてビスマルクも・・・


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歴史に残る大物多数のサイン・・・
歴史と伝統の重みに、心が震えました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月23日に更新しました。

次回のチャリティ・コンサートは、1月14日、
札幌市厚別区・カフェ「こだまの森」(再演) 14:00開演です。

ウィーン・旅日記(28) <ベートーベンが座った席?でランチ>

2011年12月26日

ベートーベンやモーツァルトらが好んだレストラン・・・

ウィーン最古のレストラン  ” グリーヒェン・バイズル ”

1,500年頃営業を始め、建物の土台はローマ時代・・・
建物には尖塔があり、なんとこれは1,200年頃のものだそうです。

16世紀、トルコ軍が攻めて来た時、
トルコの軍隊がぶっぱなした砲弾が、壁に埋め込まれていたり、
歴史の重みを感じさせます。

ベートーベンが、食事をしたかも知れない席に座り、メニューを見ると、
ガイドブックに出ている100シリング(¥700・2001年)
のランチセット・メニューはなく、350~400シリングのものばかりでした。

ドイツ語のメニューなので、値段はわかっても、料理はチンプンカンプン・・・

「英語のメニューはないのかい?」

英語のメニューなら、ドイツ語のより大分ましです。

Meat = Beef Pork・・・

Fish = Salmon Herring・・・

Vegetables・・・

これなら、分かります。 何にしようかな・・・考えていると、

「これもあるよ。」

ボーイが持って来たのは、日本語のメニューでした。

のんきなヤツだ。 最初から持ってくればいいのに・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月23日に更新しました。

次回のチャリティ・コンサートは、
1月14日、札幌市厚別区のカフェ「こだまの森」。 14:00開演です。

ウィーン・旅日記(27) <ベートーベンが常連客だったレストラン>

2011年12月25日

ウィーン最古のレストラン・・・

1,500年頃から営業している、歴史的なレストラン・・・  

その名は、 ” グリーヒェン・バイズル ” ・・・

ある日ランチ・タイムに行きました。

そのレストラン、ベートーベンが常連客だっただけでなく、
モーツアルト、シューベルト、ブラームス、ヨハン・シュトラウス・・・

大芸術家の溜まり場のようなレストランだったのです。

” バイズル ” とは、家庭料理を食べさせる、小さな居酒屋のこと・・・

ガイド・ブックには、バイズルのほとんどは、
100シリング(¥700・2001年)ぐらいで、
ランチ・セット・メニューを用意しているとありますが、
実際は、高級で大がかりな店も少なくないようです。

ウィーンの伝統の味を、家庭的な雰囲気で提供している点では、
バイズルも、高級レストランも共通しているのかも知れません。

” グリーヒェン・バイズル ” ・・・

地下鉄1号線(紫色)、4号線(緑色・ハイリゲンシュタット行き)、
どちらでも行けます。
シュベーデン・ブラッツ下車、徒歩2~3分・・・

ベートーベンや、モーツアルトがこの店に・・
店内に一歩入ると、ドキドキ・ソワソワ・・・
とても落ち着いてはいられません。

「ベートーベンもここに来たの?」

「そうだよ。」

「この席にも座ったの?」

「多分ね。」

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月23日に更新しました。

ウィーン・旅日記(26) <スシバー>

2011年12月24日

海外に行って、数日すると日本食が恋しくなって来ます。

前回お伝えしたような、 ” 寿司・弁当・天ぷら ” と書かれた店があると、
つい、ふらふらと入ってしまいます。

どこの店も、おいしければよいのですが、
そういうわけにもいかないようですね。

ウィーンには、立派な日本レストランで、
おいしい寿司を食べさせてくれる店のほかに、
安くて、気軽に立ち寄れる ” スシバー ” と呼ばれる店が、
70~80軒もあるそうです。

前回は、気軽な店でも、お勧め出来ない方の店・・・

今回は、まぁまぁ、お勧めの店をご紹介しましょう。

それは、地下鉄” スターツ・オパー ” (国立オペラ劇場前)駅構内にある、
チッチャな立ち食い寿司屋です。

カウンター席だけで、7~8席しかありません。

味噌汁、ガリもあり、持ち帰りも出来て、人気があり大繁盛の店です。
帰りには、大抵ここを通るので、よく立ち寄りました。

アジア系の若者ばかり5~6人で店を切り盛りしています。

「どこから来たの?」

「マニラ・フィリピン。」

僕も聞かれて、

「サッポロ・ジャパン。」

サッポロは、知らないと言われましたが、翌日行くと、

「ハロー、ミスター・サッポロ!」

人なつっこい、明るい若者たちでした。

ウィーンに行ったら、一度立ち寄ってみたらいかがでしょうか・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月23日に更新しました。

今年最後の、東日本大震災チャリテイ・コンサート (81) 旭川市市民活動交流センター

2011年12月23日

今年最後、81回目のチャリティ・コンサートは、
12月22日、旭川市市民活動交流センターで行われました。

この日、旭川の気温は、マイナス20度まで下がったそうです。

コンサートでは、バッハの無伴奏組曲のほか、
新町由美さんのピアノ伴奏で、 ” 鳥の歌、白鳥 ” などを弾き、
最後に、フルートの五十嵐彩子さんが加わり、
クリスマスソング・メドレー、きよしこの夜、などを3人で演奏しました。

終演後は、旭川21:00発の電車で帰りましたが、
電車が鹿と衝突したため、10分ぐらい遅れて到着し、車内は大混雑でした。

岩見沢駅で各駅停車に乗り換え、我が家に近い厚別駅で降りると、
いつもは数台客待ちしているタクシーが1台もなく、
チェロが冷えるので困っていると、見知らぬ紳士が、

「タクシー呼びましょうか?」

その紳士は、僕の分まで電話で呼んでくれたのです。

親切は嬉しいですね。

居酒屋に着いたのは、23時を回っていました。

9ヶ月で、81回のチャリティ・・・
我ながら、よく頑張ったなぁ~
この疲れきった身体を、自分で慰労してあげよう・・・

大きめのニシンを丸ごと焼いてもらい、冷や酒をコップでチビリチビリ・・・
ほどよく塩味のついた、やわらかな白身と冷や酒が、
疲れきった身体を癒してくれました。

一人酒・・・静かに飲む酒・・・

疲れた時は、これが一番・・・
興味のない話を聞かされると、疲れが倍増します。

これからも、 ” ボストンバッグにチェロと酒 ” を詰め、仲良くしてもらおう。

この日の入場者・約130名。
義援金額・¥140,100は、宮城県対策本部へ。

” 1回から81回までの総入場者数・約8,571名。 ”

” 義援金総額・¥8,465,890。 ” 

被災者へのご支援、ありがとうございました。
チャリティ活動は、来年以後も続けます。よろしくお願い申し上げます。

ウィーン・旅日記(25) <オニギリ寿司>

2011年12月22日

宿泊先のホテルと、地下鉄駅の間にある、日本料理の店・・・

聞いてみると、30才ぐらいのホステスは思った通りインド人でした。

日本人だと思った、無愛想で挨拶しても返事をしないヘンな野郎は、中国人でした。

二人はインドで知り合い、結婚してウィーンに来て、この商売を始めたそうです。

何か事情がありそうで、いろんな人生があるんだなぁ・・・と、思いました。

ビールのツマミに注文した、マグロと白身の魚のサシミ・・・

あまり期待はしていませんでしたが、
ネタが古いのか、包丁が切れないのか、
身はクチャクチャで、崩れかけていました。

盛り付けも、なっとらん!・・・失格!

うまいはずがありません。
生臭くて、食べられるシロモノではないのです。

にぎりを、注文して見ました。

小さめのおにぎりの上に、チョコンと生魚を乗せただけのような、にぎり寿司・・・
米も醤油もまずく、誠によろしくありません。

” にぎり寿司 ” ではなく、 
” オニギリ寿司 ” を食わされてしまいました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月19日に更新しました。


ウィーン・旅日記(24) <寿司・弁当・天ぷら>

2011年12月21日

宿泊先のホテル ” KK マリア・テレジア ” から、
最寄の地下鉄駅 ” フォルクス・テアター ” 駅までは、
歩いて5~6分でしたが、ホテルと駅の間に ” 寿司・弁当・天ぷら ” 
と、書かれた大きな看板を掲げている店がありました。

日本食が恋しくなり、ある日、立ち寄ってみました。

ドアを開けると、日本人の板前さんがいたので、

「こんばんわ。」

と、挨拶しましたが、チラッとこっちを見ただけで、
無言で下を向いて何かをやっていました。

なんだ、コイツ! こっちが挨拶してんだから、
「いらっしゃいませ。」ぐらい言ったらどうだ! 無愛想なヤツだ・・・

席につくと、インド人らしい30才ぐらいの女性が、
ニコニコして、注文をとりに来ました。

「Can I have Beer on Draft ? 」

「No . We have only Bottle . 」

生ビールをグイッと、一杯やりたかったんだけどなぁ~

ないのなら仕方がない・・・

そこで、瓶ビールを一本・・・

つまみに、サシミを・・・

「ワサビをたくさん・・・」

「OK . 」

出てきたサシミは・・・なぬっ?

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月19日に更新しました。

今後のチャリティ・スケジュールは、
12月12日に投稿したブログに記載しています。

新たに、2月15日、下川町「フレペ」、19:00開演が決まりました。

ウィーン・旅日記(23) <不真面目な奴ら>

2011年12月20日

前売りで買ったチケットを持って、コンサート会場へ行ってみると・・・

手違いで、急に会場が変更に・・・

会場に来た人が4人そろったら、新しい会場へタクシーで移動・・・

タクシー代は、主催者負担・・・開演時間は30分遅らせる・・・

驚き、あきれましたが、新しい会場へ向かいました。

そこは、150席ぐらいの小さなサロン・コンサート会場で、
お客さんは、50人ぐらいいて、みんな、ゆったりとくつろいでいる感じでした。


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会場が、変わったことに不満はなさそうで、
ブツブツ文句を言うような雰囲気ではありませんでした。


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やがて開演・・・奏者は、若い人ばかり・・・

楽器編成は、弦楽4重奏にコントラバス、ピアノ、
それに、ソプラノ、テノールが加わりました。

曲は、日本でもおなじみの、モーツァルトの ” フィガロの結婚・序曲 ” 
” アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク ” ・・・

ソプラノとテノールは、ヨハン・シュトラウスのオペレッタから、
有名アリアや、ワルツ ” 春の声 ” を、歌いました。

演奏が始まると、またびっくり・・・練習不足は明らかです。

奏者間の音のバランスが悪く、だんだん不愉快になってきました。

ムカッときたのは、ミスをした奏者が、ほかの奏者に目くばせして、
ニヤニヤ笑ったこと・・・

こいつら、不真面目でなっとらん! こんな演奏で4千円・・・

バカにするな! 金返せ! 

我慢がならず、休憩後は退場し、
ホテルに帰って、部屋のミニ・バーの白ワインをガブ飲みしました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月19日に更新しました。

新たに、1月14日、札幌市厚別区のカフェ、 ” こだまの森 ” (再演)
が、決まりました。

今後のチャリティ・スケジュールは、
12月12日に投稿したブログに記載しています。

東日本大震災・チャリティ・コンサート <80> 札幌市手稲区 ” カフェ・じょじょ ”

2011年12月19日

” チャリティ・コンサートを、やりたいんだ。人肌ぬいでくれないか・・・ ” 

” ギャラは、ビタ一文いらん。 交通費も、ホテル代も自分で払う。 ”
 
” その代わり、会場をタダで使わせてくれ。 
もう一つ・・・集客のための宣伝を頼む。 ” 

大震災が起きた翌日、
僕は各地の知人に、電話やメールでこのようなお願いをしました。

被災された方々を思う気持ちは、みんな同じ・・・

多数の方の理解と協力を得て、
チャリティ・コンサートは、この日で80回になりました。

12月18日、会場は、札幌市手稲区の ” カフェ・じょじょ ” ・・・


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写真: 3人の美女がコンサートを支えてくれました。

    ” カフェ・じょじょ ” の厨房で。


とてつもないハード・スケジュールもありました。
3日間で、4市町5公演。(訓子府町、置戸町、北見市、帯広市)・・・

こんなひどいスケジュールを、提案する方もする方なら、
引き受ける方も、引き受ける方・・・

若くて生きのいい演奏家でも蹴飛ばしてしまいます。

オーケストラの事務局が楽員に提案したら、
たちどころに組合が、ぶっつぶすでしょう。

被災された方々には、お金を送るだけでなく、精神的な激励が必要と考えます。

北海道の74才になるチェロ弾きが、このハードなスケジュールを、
黙々と、こなしている・・・

被災者がこれを知ったら、

「オレたちも頑張ろう・・・私たちも頑張らなきゃ・・・」

きっと、こんな気持ちになってくれるはず・・・

チャリティ活動は、まだまだやめられん!

80回目の入場者・33名。
義援金総額・¥50,243。うち¥1,000は、
12月17日のコンサートで、一人のご婦人からお預かりしたお金です。

義援金提出先・25,743は、母乳調査・母子支援ネットワークへ。
       24,500は、災害支援ネットワーク北海道へ。

次回のチャリティ・コンサートは、
12月22日、旭川市市民活動交流センター、18:30開演です。

ウィーン・旅日記(22) <驚き、桃の木、山椒の木>

2011年12月18日

ウィーンの繁華街、ケルントナー通りで、
アルバイトの美しい女性からコンサートのチケットを買い、翌日行って見ると・・・

会場の入口は薄暗く、とてもコンサートがあるとは思えませんでした。

顔がよく見えないほど薄暗い所に若い女性がいたので、
コンサートに来たことを告げると、

「ごめんなさい。実は手違いがあり、会場が急に変更になりました。」

「 なぬっ?」

「タクシーを用意するので、
お客さんが4人そろったら新しい会場に移動して下さい。
ここから5~6分で行けるし、開演時間を30分遅らせます。」

” 驚き、桃の木、山椒(さんしょ)の木 ” 

前代未聞の大椿事!!! 


「ところで、ミスター、ウィーンに住んでるの?」

「僕は、旅行者だよ。」

「じゃ、ホテルはどこ?」

「KK・マリア・テレジアだよ。」

「それなら、その会場からも近いから大丈夫よ。」

アッケラカンとしています。

あいた口がふさがらん・・・

音楽の都では、こんなのもありか・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月12日に更新しました。

ウィーン・旅日記(21) <なんか変だぞ!>

2011年12月17日

「ハロー、ミスター、明日の夜あいてる?」

ウィーン随一の繁華街、ケルントナー通りをぶらつき楽しんでいると、
声をかけて来たのは、美しいお嬢さんでした。

おっ! デイトか? まさか・・・

「コンサートに行きませんか?」

彼女は、チケット売りのアルバイトをやっていたのでした。

バッグから、2種類のプログラムを取り出し、

「こっちのコンサートの方がホールも広いし、
オーケストラも大きいからいいわよ。」

「僕は、小さなコンサートの方が好きなんだよ。」

チケットを買うと、彼女はよほど嬉しかったらしく、
笑顔で何度もお礼を言っていました。

チケットに書かれている会場が、どこにあるのか市内地図で調べると、
宿泊先のホテル最寄りの、
地下鉄、 ” フォルクス・テアター駅 ” から、二つ目の駅の近くでした。

翌日、会場には、開演時間20:30の15分ぐらい前に着きました。

その会場は、音楽専用のホールではなく、
大きなビルの中にある宴会用か、ダンス・ホール、
あるいは会議場のようなところのようでした。

入口は薄暗く、これからコンサートが行われるような感じではありませんでした。

中に入ろうとすると、若い女性がいて、

「コンサートに来たの?」

「そうだよ。」

「ごめんなさい。実は・・・」

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月12日に更新しました。

ウィーン・旅日記(20) < ん? デイト?>

2011年12月16日

国立オペラ劇場の近く・・・
ウィーンの中心にそびえる ” シュテファン寺院 ” から、
南に向かって延びている通りが、市内随一の繁華街・・・

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その名は、” ケルントナー通り ” ・・・

歩行者天国になった道路沿いには、ホテル、レストラン、ブティック、
免税店などが軒を連ね、
地元客や、観光客で賑わっています。

歩行者天国といっても、観光用の馬車はOKです。


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真冬の震え上がるような寒さの中でも、
大道芸人が芸を披露し、音楽学生が路上で演奏していました。

バンドネオンの伴奏で歌うテノール歌手・・・
歌手は、1曲歌うと寒さから喉を守るためでしょうか・・・
カフェに逃げ込みます。

エイ、マンタの形をしたロシアの楽器、大・小のバラライカに、
アコーディオンを加えた三重奏もやっていました。


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さすが音楽の都・・・ 

” ケルントナー通り ” を、ぶらつき楽しんでいると、

「ハロー、ミスター! 明日の夜あいてる? コンサートに行かない?」

美しい若い女性でした。

おっ! デイトか! ドキッ!

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月12日に更新しました。

ウィーン・旅日記(19) <ハイリゲンシュタットの遺書 エピローグ>

2011年12月15日

ベートーベンが、遺書書いた部屋では足がすくみ、
苦悩に満ちたベートーベンが頭に浮かびました。

この遺書を書いた背景には、
ベートーベンの健康が、様々な療法にもかかわらず、
悪くなる一方だったこと・・・

30才近くなって、徴候があったと思われる、
聴覚疾患の悪化に伴う、絶望的な心理状態・・・
このようなことが、背景にがあったのではないでしょうか・・・

医者に対する恨みつらみ・・・

死を決意しながらも、2人の弟を思いやる気持ち・・・

この遺書から、ベートーベンのさまざまな思いを感じ取ることが出来ます。

遺書を書いたあと、ベートーベンは自殺を思いとどまり、
聴覚を完全に失いながらも、
1827年、57才になるまで作曲を続け、多くの名曲を残しました。

そして、死後184年になる今も、多くの人々に感動を与え続け、
多くの人々から尊敬され、最も人気のある作曲家でもあります。

” ハイリゲンシュタットの遺書 ” は、
ベートーベンの死後、遺品の中から発見され、
現在は、ハンブルク市立図書館に保管されているそうです。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月12日に更新しました。

新たに、札幌市西区の「カフェAMICA」が決まり、チャリティ・コンサートは、
これからの予定を含めると90回になりました。

ウィーン・旅日記(18) <続々・ベートーベンの遺書>

2011年12月14日

生涯独身だったベートーベン・・・耳の病に苦しみ、二人の弟に宛てた遺書・・・

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” これでおしまいだ!・・・喜んで死に対峙しよう。
死よ!いつでも来るがよい。 死を勇気を持って迎えよう。さようなら・・・ ”

” 私が死んでも忘れないでくれ。
私は、おまえたちを幸福にしようとしょっちゅう考えていたのだから・・・ ”

” 幸せに・・・” 

ハイリゲンシュタット。1802年10月6日。

この遺書を書いた4日後の、10月10日に2度目の遺書を書いています。

” さあ、これでお別れだ・・・悲しい別れ、あのささやかな希望・・・
ここにくれば少しは病状がよくなるかという・・・ ”

” その望みは、秋に木の葉が舞い落ち、枯れていくかのごとく、
失われてしまった。 私は去る・・・
神よ! 喜びに満ちた日を一日だけでも与えたまえ!
いつの日に・・・いつなのですか・・・もう二度と?
うそだ!! それは、あまりに残酷だ!! ”

” 私の弟たち、カールと()へ ” ・・・()内は空白に・・・

” 私の死後読み実行するように ” ・・・

遺書は、ここで終わっています。


&遺書の一部は、割愛してお伝えしました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月12日に更新しました。

そのブログで、今後のスケジュールもお伝えしましたが、
新たに、4月23日・札幌市西区琴似、「カフェ・AMICA」、
開演時間19:00(予定)が、決まりました。

ウィーン・旅日記(17) <遺書の続き>

2011年12月13日

前回お伝えした遺書の続きです。

” 交遊による気晴らし、洗練された対話、意見の交換など、
私にはもう許されないのだ。どうしても避けられない時だけ人なかには出るが、
私は、まるで島流しにされたように生活しなければならない。 ”

” 人の輪に近づくと、どうしようもない恐れ、
自分の状態を悟られてしまうのではないか、
という心配が私をさいなめる・・・ ”

” 賢明な医者が、勧めてくれた「出来るだけ聴覚をいたわるように」・・・
という言葉に従って、この半年ほどは田舎で暮らした。
人恋しさに耐え切れず、その誘惑に負けたこともあった。 ”

” だが、そばにたたずむ人には、遠くの笛の音が聞こえるのに、
私には、何も聞こえないとは、何という屈辱だろう。 ”

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” わが弟たち、カールと()よ。 ” ()内は、空白に・・・

” おまえたちを、少しばかりの財産の相続人として宣言する。
誠実に分け合い、仲良く助け合いなさい。 ”

” おまえたちの仕打ちは、知っての通りもう以前から許されている。 ”

” カールよ! ”

” 最近のおまえの好意には、特に感謝している。
おまえたちが、私よりもっとよい、心配のない生活を送れるよう望んでいる。 ”

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月12日に更新し、そのブログで、今後のスケジュールもお伝えしています。

東日本大震災・チャリティ・コンサート<79> 札幌市・厚別区民センター

2011年12月12日

79回目のチャリティ・コンサートは、
12月10日、厚別区民センターで行われました。

この日は、複数のグループが出演しましたが、
その中で、アルゼンチンの舞踏家2名が、
浅沼 修さんのギターの弾き語りに乗って、
すばらしいダンスを披露して下さいました。

チェロの演奏は、40分ぐらいでした。

入場者・約350名。
義援金額・66、674は、「ひだまり実行委員会」より、
復興支援金として被災地に・・・ 

今後のチャリティ・コンサート予定。

<80> 12月18日(日)。チェロ・コンサート。
札幌市手稲区・「カフェ・じょじょ」。(再演)18:00開演。

<81> 12月22日(木)。チェロ・コンサート。
旭川市市民活動交流センター・キャンドル・ナイト。 18:30開演。

<82> 2012年1月14日(土)。チェロ・コンサート。
札幌市厚別区・「カフェ・こだまの森」。(再演)14:00開演。

<83> 1月17日(火)。チェロ・コンサート。
札幌市中央区・「こぐま座」。 19:00開演。

<84> 1月18日(水)。チェロ・コンサート。
大谷幼稚園、オアシス保育園2Fホール。 14:00開演。

<85> 1月22日(日)。チェロ・コンサート。

「ウインター・フェスティバル in もんべつ」      

” 光と氷と音楽が奏でるロマンティック体験 ”

道立流氷公園内、エントランス・ホール。 19:00開演。

<86> 2月15日(水)。チェロ・コンサート。
下川町・「フレペ」 19:00開演。

<87> 2月19日(日)。チェロ・コンサート。
余市町・「余市テラス」。(再演) 17:00開演。

<88> 4月14日(土)。チェロ・コンサート。
札幌市中央区・「カフェ・Lakura」。(5回目) 19:00開演。

<89> 4月20日(金)。チェロ・コンサート。
室蘭市・グリーン・デパート。(再演) 開演時間未定。

<90> 4月22日(日)。チェロ・コンサート。
夕張郡由仁町・「YUNI ・CAFE」。(再演) 14:00開演。

<91> 4月23日(月)。チェロ・コンサート。
札幌市西区琴似・「カフェ・Amica」。 19:00開演。(予定)

<92> 6月17日(日)。チェロ・コンサート。
江別市野幌公民館。 19:00開演。

<93> 6月23日(土)。チェロ・コンサート。
岩内郡共和町・「西村計雄・美術館」。 14:00開演。

被災された方々へのご支援、よろしくお願い致します。 

ウィーン・旅日記(16) <ベートーベンの遺書には何が・・・>

2011年12月11日

生涯、独身だったベートーベン・・・

30才の頃から難聴に苦しみ、絶望のあまり二人の弟宛に書いた遺書・・・

ハイリゲンシュタットの遺書を書いた家で、その遺書のコピーを入手しました。


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” わが弟たち、カールと ・・・ へ ” 
{カールと}のあとは、空白になっています。

もう一人の弟は、ニコラウス・ヨハン・ベートーベン・・・

空白の理由は、想像をたくましくするしかないそうですが、
自宅での呼び名「ニコラウス」にすべきか、
ウィーンで本人が使用していた「ヨハン」にすべきか、
迷っていたからではないか・・・と、思うしかないそうです。

” おまえたちは、私が意地悪く強情で、人嫌いのように思い、
そのように広言しているが、なぜそんな不当なことをしてくれるのだ。 ”

” もし、そう見えたとしても、おまえたちは、その本当の原因を知らぬのだ。 ”

” 私が、6年前から不治の病に冒され、ろくでもない医者達によって、
悪化させられてきた事に思いを馳せてみなさい。 ”

” 回復するのでは・・・という希望は、毎年打ち砕かれ、
この病はついに慢性のものとなってしまった。
もう、だめかもしれない・・・ ”

” 社交好きなこの私が、もはや孤立し、孤独に生きなければならないのだ。
すべてを忘れてしまおうとした事もあったが、聴覚の悪さが原因で、
倍も悲しい目に会い、現実に引き戻されてどれほど辛い思いをしたか・・・

もっと、大きな声で叫んで下さい、私は「つんぼ」なのです・・・
などと、人々にはとても言えなかった。 ”

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月7日に更新しました。

ウィーン・旅日記(15) <ベートーベンの遺書のコピーを入手>

2011年12月10日

ベートーベンが遺書を書いた家・・・

到着すると、家の門には、 
” Open ” と、 ” 開館中 ” のボードがぶらさげてあるのに、
門は閉まっている・・・

身体ごと体重をかけて押してみると、ギィっと、小さな音がして門は開きました。

中庭を通って階段を上がり、部屋のドアをノックすると無応答・・・

少しして、お婆さんが何かブツブツいいながら、どこからか帰ってきました。
ドイツ語でブツブツ言ったって、何を言ってるのか分かるわけがありません。

お婆さんは、室内に招き入れてくれました。

一部屋しかない家・・・

目の前に、1台の古いピアノが・・・


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写真、右端にベートーベンの胸像がチラリと・・・


ベートーベンが弾いていたピアノか・・・興奮で足が震えました。

お婆さんに英語で聞くと、
” ベートーベンが弾いていたピアノと、同じ型のピアノ ” だそうです。

ん? このピアノ少し小さくないかな・・・

鍵盤の数を数えてみると、85鍵しかありません。
現在使われているピアノは、88鍵・・・

ガラスのケースの中に、自筆の楽譜もありました。
手にとって見ることは出来ません。

書かれている音符や記号は乱暴で、きたなく、
出版に携わった人達は、ずいぶん苦労をしたのではないかと思います。

記念品も販売していました。
その中に、ベートーベンの遺書も・・・この部屋で書いた遺書・・・

ドイツ語で書かれた遺書の全文をコピーしたものと、
日本語に翻訳したものもありました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート・関連につきましては、
12月7日に更新しました。

ウィーン・旅日記(14) <ベートーベンが遺書を書いた家に>

2011年12月09日

凍てつくような酷寒のウィーン・・・

ロング・コートの襟を立て、
寒さに震えながら、ベートーベンが遺書を書いた家に着きました。

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写真:寒そうな、ベートーベン・ガングの公園。


家の門には、英語と日本語で、
 ” 開館中 ” のボードがぶら下がっているのに、門は閉まっていました。

寒い中、苦労してここまで来たんだ・・・

このまま、おとなしく、スゴスゴ引き下がってたまるか・・・

肩を門に当て、身体中の力で門を押して見ました。
ギィっと小さな音がして、門は開きました。

下の写真の右側に門があり、中庭が・・・
写真右方向へ階段を上ると、正面にドアが・・・


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ドキドキしながら、ドアをノックしてみました。
ベートーベンが出てきたらどうしよう・・・まさか・・・

しかし、無応答でした。
左側にもドアが・・・

ノックしましたが、これまた無応答・・・ 

そのドアを押してみると開いてしまいました。
そのまま中に入ったら、ドロボウだ・・・

大きな声で、ハローとか、こんにちわ、とか、誰かいないかとか、
わめいていると・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月7日に更新しました。

ウィーン・旅日記(13) <消えた美しい小川>

2011年12月08日

ベートーベンが、毎日のように散歩をした道・・・

その道に並行して流れている小川は、美しい小川だと思っていました。

そりゃ、美しいと思うに決まってるでしょ・・・
だって心がとろけてしまいそうな
美しい ” 田園交響曲の第2楽章 ” は、小川のほとりの風景なんですよ。

行ってみると、それが美しいどころか、小川ではなく単なる溝・・・

200年以上も経てば、すべてが変わるって?
そんなこと、言うもんじゃありません。

よく言うじゃありませんか・・・

なんとか文化遺産とか、なんとか文化財とか・・・
国が、あるいは世界が永遠に保護すべきなんです。

だって、” 世界のベートーベン ” なんですよ。
こういうものは、何としてでも残すべきなんです。

悲しいような、情けないような、悔しいような・・・

なんとも表現のしようがない気分で、
小雪がちらつく凍てつくような寒さの中を、コートの襟を立て、
ベートーベンが遺書を書いた家に向かいました。

その家には、それほど迷わずに行くことが出来ました。

家の門は閉まっていました。

しかし、 ” Open  ” と、 ” 開館中 ” ・・・
英語と日本語、二つのボードがかけてありました。

何故、開館中なのに閉まっているんだろう・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月7日に更新しました。

東日本大震災・チャリティ・コンサート(78) 札幌市 もいわ地区センター

2011年12月07日

78回目のチャリティ・コンサートは、
12月4日、13:30から、もいわ地区センター・多目的ホールで行われました。

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チェロの演奏のほか、藻岩中学校の吹奏楽の演奏・・・

原田ミドーさんの詩の朗読と、映像を交えた被災地の最近の様子、
などのお話があり、
チェロと藻岩中学校の吹奏楽による、ジョイント演奏もありました。


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写真:中学生たちと一緒に、 ” 川の流れのように ” を、弾きました。


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最後に、中学生のクラビノーバと、吹奏楽の指導者・長谷川先生のフルート、
それにチェロが加わったトリオで、
マスカーニの ” カバレリア・ルスティカーナ ” より、
” 間奏曲 ” の、演奏がありました。


ミドーさんのお話では、被災地から北海道へ移住された方は、4,000人、
うち3,600人が札幌にお住まいになっているそうです。

そして、来年3月末には、10万人の方が北海道へ移って来られるとの事でした。


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写真:お客さんに、募金のお願いをしました。


仕事、移住して来られる方々のお住まい、学校・・・
心配の種は尽きません。

この日の入場者・約150名。
義援金額・¥59,611は、福島市、市民放射能測定所へ。

次回のチャリティは、12月10日(土)、厚別区民センター2Fホール。
10:45~17:10。

被災地へ行った方々が語る ” 東北の現状 ” 原田ミドーさんほか・・・

” 弾き語りフォーク ” 浅沼 修さん他、複数のグループが出演。

僕のチェロ・コンサートは、16:30からです。


ウィーン・旅日記(12) <真っ赤なウソだ!!!>

2011年12月06日

とことん人がよいオジサンと別れて、
いよいよベートーベンが歩いた散歩道へ・・・


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公園をバックに、ベートーベン・ガングの標識が・・・

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その道を行くと、左側に公園・・・
右側に、水がチョロチョロ流れる1メートル幅ぐらいの溝がありました。


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ん? なんじゃこりゃ? これが小川?

これが、あの田園交響曲、第2楽章の、
” 小川のほとりの風景 ” の、モデルになった小川?

まさか・・・

水戸での ” 黄金の湖 ” のような、稲穂でぎっしりの田んぼは、
ここでは、広々と広がる葡萄畑を想像していました。

しかし・・・

田園風景はなし!!!

水戸にあったような、小魚の群れがチラホラ見える、
透き通ったきれいな水の小川もなし!!!

想像していた葡萄畑もなし!!!

散歩道の左側には、公園があり、そこにはベートーベンの胸像がありましたが、
期待していた小川は、単なる溝・・・


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溝の右手の丘には、住宅がぎっしり・・・

200年ぐらいの間に、こんなにも変わってしまったのか・・・

ガイド・ブックを開くと、

” 散歩道の背後には、ウィーンの森に続く葡萄畑が広がっている・・・ ”

” 小川沿いのベートーベンの散歩道は、今でも当時の面影を残している・・・”

なんだと? 今でも当時の面影だと??? 
200年以上前のベートーベン・ガングを見たのか・・・

真っ赤なうそだ!!!

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
12月5日に更新しました。

東日本大震災・チャリティ・コンサート (77)  ” 響け、東北の空へ ” 帯広市民文化ホール 

2011年12月05日

77回目のチャリティ・コンサートは、
12月2日、19時から帯広市民文化ホール・小ホールで行われました。

このチャリティ・コンサートは、テレビ北海道(TVH)が主催し、
” テレビ北海道帯広エリア開局記念特別番組 ” として、
このコンサートを中心にしたドキュメンタリー番組を制作しました。

そのタイトル、 ” チェリスト土田英順さんと帯広の高校生たち ”

放送日:12月23日、15:00~15:55・・・


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写真:帯広市民文化ホールの皆さんが、
   この日のためにチェロ演奏用の椅子を、特別に作って下さいました。


僕は、これまでチャリティ活動を続けて来て、
若者との共演を待ち望んでいました。

助けたり、助けられたり・・・
励ましたり、励まされたり・・・
慰めたり、慰められたり・・・

世の中って、そんな事で成り立っているんじゃないですかね・・・

若者には、人の心の痛みがわかる、
やさしい、思いやりのある大人に成長してほしい・・・

若者が、僕のチャリティ・コンサート活動に参加し、
一緒に一つのものを作り上げていく過程で、何かをつかんでくれるだろう・・・

そんな風に思っていたのです。

この日の、若者とは・・・帯広三条高校吹奏楽部のメンバー・・・

共演した曲目・・・

” さよならの夏 ” コクリコの坂から・・・

” 見上げてごらん夜の星を ” 

僕は、高校生たちの心のこもった、ひたむきな演奏に感動し、
込み上げてくるものを感じながら弾きました。

感動を、ありがとう。帯広三条高校の皆さん!!!

この日の入場者・480名。
義援金額・131、341は、2011年東日本大震災TXN(テレビ東京系列)
災害募金から、日本赤十字社を通じて被災者の方々へ。

ウィーン・旅日記(11) <いいなぁ~ 豊かな自然って>

2011年12月04日

疎開先の水戸・・・自然豊かな田園風景・・・

家の近くの、4~5m幅の、きれいな小川には、
水鳥の親子が羽を休め、小魚の群れが泳ぐ姿も・・・

弟と、竹で作ったザルとバケツを持って、よく遊びに行きました。

水草や、藻の茂みにザルを突っ込むと、フナや、ボラ、メダカが、
ザルの中でピチピチはねることがありました。

ベートーベンが住んでいた、
” ハイリゲンシュタット・ベートーベン・ガング ” も、
きっと、このような自然豊かな所なんだろう・・・
思いをはせていると、楽しみで胸が膨らみました。


農家では、当時、農薬を使っていませんでしたから、
田んぼには、何種類もの生物がいました。

フナ、どじょう、ザリガニ、たにし(つぶ貝に似た貝)、
はだしの足にくっついて血を吸う、ミミズに似た、嫌なヒルもいました。

ある日、田んぼの ” あぜ道 ” の土手っぱらに、大きな穴を見つけました。 

恐るおそる手を突っ込むと、手のひらにニョロニョロした気味悪い感触が・・・

穴から飛び出してきたのは、フナ数匹でした。

僕もビックリしましたが、フナ君たちは、もっとビックリしたでしょう。

さて、肝心の ”ハイリゲンシュタット・ベートーベン・ガング ” ・・・

行ってみると、そこは・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
11月30日に更新しました。

ウィーン・旅日記(10) <水戸とハイリゲンシュタット>

2011年12月03日

ウィーンの北のはずれにある ” ハイリゲンシュタット ”

難聴に苦しみ、絶望のあまり遺書を書くにいたったベートーベン・・・
遺書を読むと、この地へ移住したのは、医師の薦めであることがわかります。

「街の喧騒から逃れて、静寂な環境で生活し、耳をいたわるように・・・」

遺書に書かれている医師の言葉です。

古今の傑作、” 田園交響曲 ” は、この地で楽想を練り、
その第2楽章 ” 小川のほとりの風景 ” は、
ベートーベン・ガングと並行して流れている、
小川を念頭において作曲されたと言われています。

僕は、この地の風景を頭に描いていました。

小学校1年生の時、日本はアメリカと戦争していました。
アメリカ軍の攻撃から逃れるため、東京から茨城県・水戸に疎開し、
疎開先の美しい、広々としたのどかな田園風景・・・

水戸と、ハイリゲンシュタット・・・
二つの町の風景は、頭の中で重なっていたのです。

穂をたれた稲穂は、黄金の湖のよう・・・
田んぼの側を流れる1メートル幅ぐらいの細い水路には、メダカの群れが・・・

すこし離れたところには、
4~5メートル幅ぐらい、深さは膝までぐらいの小川が・・・

透きとおったきれいな水・・・

羽を休める水鳥の親子・・・

泳ぎ回る小魚の群れ・・・

学校から帰ると、弟とよくそこへ遊びに行きました。

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
11月30日に更新しました。

ウィーン・旅日記 (9) <オジサンは とことんいい人>

2011年12月02日

ベートーベン・ガングに向かう市電の中・・・

自販機で、キップを買おうとすると、親しく話をしていたオジサンは、
僕の腕をムンズとつかみ、「ミスター、あんたどこから来た?」

「どこからって?さっき言ったじゃないか。日本からだよ。」

「違うよ。今だよ。今朝どこから来たんだ?」

「あぁ、今朝か・・・フォルクス・テアター駅近くのホテルからだよ。」

「どうやって来た?」

「地下鉄を乗り換えて来たよ。」

「地下鉄のキップは、まだ持ってるか?」

ウィーンの地下鉄は、乗車時も下車時も無改札・・・
キップは、ポケットに入れたままでした。

「持ってるよ。」

「そうか、よかった。そのキップで、この電車も乗れるんだよ。買わなくていい。」

なぁ~んだ、そういうことか・・・
そんなことで血相変えて駆け寄って来なくてもいいのに・・・

ウィーンの地下鉄は5路線・・・料金は始発駅から終点まで行っても、
5路線を何度乗り換えても、19シリング(133円 2001年)・・・

だから、市電の料金だって、たかが知れています。

このオジサン、とことん、いい人なんだなぁ~

やがて、ベートーベン・ガング駅に到着・・・

「この道を行くと、ベートーベン・ガング(ベートーベンの散歩道)だ。
公園を突っ切って、左に行くとベートーベンが住んだ家が4軒あるよ。」

そう言えば、ベートーベンは生涯に70回も引越ししたとか・・・
昼夜を問わずピアノを弾きまくり、
騒音が原因で近隣や、家主とのトラブルが多かったそうです。

「オレの家はすぐそこだ。楽しんでくれ。よい旅を。」

「ありがとう。 さようなら。」

彼は英語で・・・僕はドイツ語で・・・

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
11月30日に更新しました。

ウィーン・旅日記(8) <市電の中の出来事>

2011年12月01日

ベートーベンが、遺書を書いたことで知られるようになった
ハイリゲンシュタットの町・・・

目指すは、遺書を書いた家・・・

まずは、地下鉄を利用し、”ハイリゲンシュタット駅 ”をクリア・・・

次にクリアするのは、市電の終点 ”ベートーベン・ガング停留所 ”・・・

乗場を、向かいの停留所にいたオジサンに聞くと、

「私は、ベートーベン・ガングに住んでいるんだよ。
家に帰るところだ。一緒に行こう。」

市電の中で、つり革につかまり立ち話・・・

「日本から来たのかい?」

「そうだよ。」

「観光かい?」

「そうだよ。」

「仕事は?」

「音楽家だよ。」

目をまるくして、「何を?」

「チェリストだよ。」

「そうかい。今、フォルクス・オパーで、
ヨハン・シュトラウスの、 ”こうもり”を、やってるよ。
このオペレッタ、オーケストラ・ボックスで弾いたことあるかい?」

「全曲は弾いたことがないけど、有名なアリアは何度もやったよ。」

「すごく、いいよ。ぜひ行きなさい。」

ふと気がつくと、市電のキップを買うのを忘れていました。

買い方がわからないので、オジサンに聞き、
教わった通り、離れたところにある販売機にコインを入れようとすると、
オジサンは、血相かえてかけ寄って来てムンズと腕をつかみ、

「ちょっと待ちなさい! ミスター! あんた、どこから来た?」

つづく。

PS・・東日本大震災チャリティ・チェロ・コンサート関連につきましては、
11月30日に更新しました。

プロフィール

プロフィール

土田英順
つちだ・えいじゅん。日本フィル、新日本フィル、札幌交響楽団の首席チェロ奏者を歴任し、ボストン響およびボストン・ポップス響でも演奏。現在はソリストとして札幌を拠点に活躍するかたわら、2007年には役者デビュー。国内のみならず「春の夜想曲~菖蒲池の団欒~」では海外公演も果たす。73歳にして初めてパソコンを購入し、ブログの新世界で弓を引く。

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