浦臼町と坂本龍馬

2019年06月01日

5月18日。月形町「皆楽公園」のキャンプ地からJR浦臼駅に寄って再び戻った国道で「坂本龍馬家の墓」の看板を見かけた。

昔、車で何度も通っていたが記憶に無い。何だろうかと思いながらも通過すると街の手前に"北の龍馬たち"の幟の立った郷土資料館が見えた。

DSC_0005.jpg           《パンフレットより》

展示品を見て回って、浦臼町と龍馬が繋がった。

龍馬の姉・千鶴の次男の坂本直寛(旧姓・高松習吉)が120年前の1898年(明治31年)に浦臼に入植していた。土佐の自由民権活動家だった。

同じ年に龍馬の養子だった千鶴の長男の直(旧姓・高松太郎)が亡くなり、翌年、直の妻の留とその次男の直衛が直寛を頼って高知から浦臼に移り住んでいる。

「坂本龍馬家の墓」は留と直衛のものだった。

直寛は浦臼沼の畔に農場を開く前に北見でキリスト教をバックボーンにした「北光社」を設立している。浦臼に来た理由は分からなかった。

浦臼でも伝道、教育、治水などの幅広い活動を展開し、札幌の円山に眠っているという。

龍馬にとって、北海道開拓は一生の願いだった。手紙に「一人でもやり遂げたい。」とある。北辺の開拓と防備という先駆的な構想だ。後に屯田兵制度に生かされている。

因みに農民画家・坂本直行氏と龍馬の関係。これまで何度聞いてもよく理解出来なかったが、直寛の孫になる。

つまりは龍馬の姉・千鶴のひ孫。こちらも意外なことに月形ツーリングで繋がった。近所で美味しい手打ち蕎麦を食べてキャンプ地に戻った。

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