旅は戻ってからも -万松院の雪- おわり

2019年04月29日

1609年、偽造された国書を受け取った李朝鮮からの使節が対馬に到着したが藩主・宗義智はさらなる難題にぶつかる。

彼らが携えていたのは偽国書に対する返答であった。書いた覚えの無い家康が読めば対馬藩が勝手に国書を作ったことがバレてしまう。

窮地に陥った義智は遂に朝鮮の国書をも偽造し、すり替えてしまう。大きな賭けと引き換えに国交と貿易は再開され、対馬藩は念願の朝鮮貿易の権益を手中に収める。

以後、朝鮮と対馬藩、対馬藩と幕府、それぞれの間の貿易関係書類の偽造、改竄が繰り返えされたとされている。

全てが闇に葬られ、30年が経った義智の長男義成の代になって国書偽造が発覚する。何と偽造、改竄に深く関わっていた家老柳川調興(しげおき)の幕府への密告からだった。

実権を握っていた調興の野望から生じた義成との対立が背景にあり、義成追い落としに向けて「勝算あり。」と踏んでのことだった。

二人を呼んで江戸城大広間で開かれた評定で3代将軍・家光が下した裁定は宗家に対してはお咎め無し、調興は津軽に流罪というものだった。家康以来の日朝の信頼関係を維持するためだったとされている。今で言う国益を優先したということか。108年振りとされる万松院の白い雪の下には江戸城を揺るがした大事件が眠っていた。

政治は妥協の産物だが国民に嘘を言ってはならない。寺事務所のおばさんによると、義智は倹約を説き、他大名の人望もあったという。墓は探すのに苦労するほど小さかった。

山ばかりの離れ島の逼迫した藩財政を思ってしたことだったのではないかと思うと多少は救われる。

昨今、"イベント政治"に目を奪われている間に国の書類の破棄が急速に行われているようだ。外交も国益に照らして疑問だらけのことが進んでいる。後世に歴史の検証が行えなくなる恐れを感じる。

万松院の雪.jpg

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