恵庭と松浦武四郎 -つづき-

2018年11月14日

安政5年(1858年)の松浦武四郎の恵庭再訪は千歳川を上る舟ではなく、開削されたばかりの「札幌越え新道」(現在の国道36号線)の九折を越える陸路だった。恵庭市郷土資料館の展示にあった『西蝦夷日誌』の現代語訳で知った。

抜粋すると、

『・・・九折の鼻を衝くばかりの峻を上ると上に平地が広がる。茅野を過ぎるとロロマップ(ルルマップ川)、そこを過ぎるとケレペ(柏木川)、・・・モイザリ(茂漁川)、これはイザリ(漁川)の支流である。・・・』

恵庭市民に馴染みの地名、川の名がアイヌ語の意味とともに記録されている。新道は急坂とあるから恵庭と北広島の境界の島松川に沿った沢を越える道だったのだろうかと勝手に想像する。江戸時代が急に身近になる。

この時、蝦夷地探査で道案内を頼んだアイヌの人らと再会しており、情に厚い人柄が偲ばれる。

1846年の最初に恵庭を通過した時のことを綴った『再航蝦夷日記』には当時の恵庭の肥沃な大地の様子が綴られている。

朝の自転車ポタリングコースの漁川付近は今もコメ、麦、豆、野菜の畑が広がり、武四郎の描いたとおりの恵庭岳、樽前岳の稜線を望める。

17歳で全国の旅に出た探検家松浦武四郎の気分と人柄を味わえるスポットはすぐ傍にあった。来年はまた一つ朝のポタリングの楽しみが増えそうだ。

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                    恵庭市郷土博物館 松浦武四郎特別展示コーナー

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