恵庭と松浦武四郎

2018年11月13日


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昨年、天塩川沿いに自転車旅をした時に松浦武四郎が「北加伊道」を想起したという筬島(オサシマ)を訪れたことがあった。天塩川が大きく蛇行した川辺に碑が建てられていた。

先日、秋も深まって来た頃、朝の自転車ポタリングで武四郎が恵庭を訪れていることを示した看板に偶然に遭遇した。

街を東西に分ける漁川が千歳川と合流する畔にある。かつて武四郎が立ち寄った番屋の跡地であることを独特のスケッチとともに紹介していた。

 調べてみると6回の蝦夷地踏査のうち、2回目の弘化3年(1846年)に石狩湾から千歳川を船で上って漁太(イザリブト)を通過した際に、水の神を祀る『弁天社』があることを『再航蝦夷日記』記している。

 その後、松浦武四郎はもう一度恵庭を通過していることを11月3日の北海道新聞で知った。

安政5年(1858年6回目の蝦夷地踏査の時に漁川の支流の藻漁川でただ一首詠んだ歌碑が市内大町の「かしわのもり」に有志によって建立されたという記事だった。

  - 蝦夷人の いさりの里に たなつもの

     穂浪よすとは 思ひかけきや -

 

   ・「いさり」は今の漁太

   ・「たなつも」は「穀物」の意

 

思いもかけない稔りに感動した松浦武四郎の姿が伝わってくる。

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                      つづく

  

 

 

 

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